19 薄雲(大島本)


USUGUMO


光る源氏の内大臣時代
三十一歳冬十二月から三十二歳秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from December in winter at the age of 31 to fall at the age of 32

3
第三章 藤壷の物語 藤壷女院の崩御


3  Tale of Fujitsubo  Fujitsubo's death and Genji's grief

3.1
第一段 太政大臣薨去と天変地異


3-1  Death of a high goverment and convulsions of nature

3.1.1   そのころ、太政大臣亡せたまひぬ。世の重しとおはしつる人なれば、朝廷にも思し嘆く。しばし、籠もりたまひしほどをだに、天の下の騷ぎなりしかば、まして、悲しと思ふ人多かり。源氏の大臣も、いと口惜しく、よろづのこと、おし譲りきこえてこそ、暇もありつるを、心細く、事しげくも思されて、嘆きおはす。
 そのころ、太政大臣がお亡くなりになった。世の重鎮としていらっしゃった方なので、帝におかせられてもお嘆きになる。しばらくの間、籠もっていらっしゃった間でさえ、天下の騷ぎであったので、その時以上に、悲しむ人々が多かった。源氏の大臣も、たいそう残念に、万事の政務、お譲り申し上げてこそ、お暇もあったのだが、心細く政務も忙しく思われなさって、嘆いていっらっしゃる。
  Sono-koro, Ohoki-Otodo use tamahi nu. Yo no omosi to ohasi turu hito nare ba, Ohoyake ni mo obosi-nageku. Sibasi, komori tamahi si hodo wo dani, ame-no-sita no sawagi nari sika ba, masite, kanasi to omohu hito ohokari. Genzi-no-Otodo mo, ito kutiwosiku, yorodu koto, osi-yuduri kikoye te koso, itoma mo ari turu wo, koto sigeku mo obosa re te, nageki ohasu.
3.1.2   帝は、御年よりはこよなう大人大人しうねびさせたまひて、世の 政事も、うしろめたく思ひきこえたまふべきにはあらね ども、またとりたてて御後見したまふべき人もなきを、「 誰れに譲りてかは、静かなる御本意もかなはむ」と思すに、いと飽かず口惜し。
 帝は、お年よりはこの上なく大人らしく御成人あそばして、天下の政治も心配申し上げなさるような必要はないのだが、また特別にご後見なさる適当な方もいないので、「誰に譲って静かに出家の本意をかなえられようか」とお思いになると、まことに残念でならない。
  Mikado ha, ohom-tosi yori ha koyonau otona-otonasiu nebi sase tamahi te, yo no maturigoto mo, usirometaku omohi kikoye tamahu beki ni ha ara ne do mo, mata tori-tate te ohom-usiromi si tamahu beki hito mo naki wo, "Tare ni yuduri te ka ha, siduka naru ohom-ho'i mo kanaha m." to obosu ni, ito aka-zu kutiwosi.
3.1.3  後の御わざなどにも、御子ども孫に過ぎてなむ、こまやかに弔らひ、扱ひたまひける。
 ご法事などにも、ご子息やお孫たち以上に、心をこめてご弔問なさり、御世話なさるのであった。
  Noti no ohom-waza nado ni mo, miko-domo umago ni sugi te nam, komayaka ni toburahi atukahi tamahi keru.
3.1.4   その年、おほかた世の中騒がしくて、朝廷ざまに、もののさとししげく、のどかならで、
 その年は、いったいに世の中が騒然として、朝廷に対して、何事かの前兆が頻繁に現れ、不穏で、
  Sono tosi, ohokata yononaka sawagasiku te, ohoyake-zama ni, mono no satosi sigeku, nodoka nara de,
3.1.5  「 天つ空にも、例に違へる月日星の光見え、雲のたたずまひあり
 「天空にも、いつもと違った月や日や星の光りが見えて、雲がたなびいている」
  "Ama-tu-sora ni mo, rei ni tagahe ru tuki hi hosi no hikari miye, kumo no tatazumahi ari."
3.1.6  とのみ、世の人おどろくこと多くて、道々の勘文 どもたてまつれるにも、あやしく世になべてならぬことども混じりたり。 内の大臣のみなむ、御心のうちに、わづらはしく思し知らるることありける
 とばかり言って、世間の人の驚くことが多くて、それぞれの道の勘文を差し上げた中にも、不思議で世に尋常でない事柄が混じっていた。内大臣だけは、ご心中に、厄介にそれとお分りになることがあるのであった。
  to nomi, yo no hito odoroku koto ohoku te, miti-miti no kangahe-bumi-domo tatemature ru ni mo, ayasiku yo ni nabete nara nu koto-domo maziri tari. Uti-no-Otodo nomi nam, mi-kokoro no uti ni, wadurahasiku obosi-sira ruru koto ari keru.
注釈103そのころ太政大臣亡せたまひぬ源氏の岳父、太政大臣。「澪標」巻に六十三歳とあったから、六十六歳で死去。『完訳』は「同年齢で死去の関白太政大臣藤原頼忠が想定されるか」と注す。3.1.1
注釈104帝は、御年よりはこよなう大人大人しう冷泉帝十四歳。3.1.2
注釈105誰れに譲りてかは以下「かなはむ」まで、源氏の心中を間接的に叙述。源氏の出家願望は、「葵」巻の妻葵の上を失い、引き続いて「賢木」巻で父桐壷帝を失ったころに始まり、「絵合」巻に嵯峨野御堂の建立、「松風」巻の月に二度の参詣というように深まり、日常化しつつある。「かは」は反語。それも不可能だの意。3.1.2
注釈106その年おほかた世の中騒がしくて『完訳』は「永祚元年(九八九)の史実によるとする説もある。前掲頼忠の死も同年」と注す。3.1.4
注釈107天つ空にも例に違へる月日星の光見え雲のたたずまひあり世人の詞。月食、日食、彗星、雲の様子等の、凶兆。3.1.5
注釈108内の大臣のみなむ御心のうちにわづらはしく思し知らるることありける『集成』は「源氏の内大臣だけが、ひそかに困ったことだとお気づきになるところがあった。自分が帝の実の父親でありながら臣下として仕えていることが、凶兆の原因であることを悟る」。『完訳』は「源氏の冷泉帝が自分と藤壷の秘密の子であることへの恐懼であろう。「のみ」の限定にも注意」と注す。3.1.6
校訂11 政事も 政事も--まつりことん(ん/$も<朱>) 3.1.2
校訂12 ども ども--とん(ん/$も<朱>) 3.1.2
校訂13 ども ども--とん(ん/#も) 3.1.6
校訂14 のみ のみ--の身(身/$み) 3.1.6
3.2
第二段 藤壷入道宮の病臥


3-2  Fujitsubo falls into critical condition

3.2.1  入道后の宮、春のはじめより悩みわたらせたまひて、三月にはいと重くならせたまひぬれば、行幸などあり。 院に別れたてまつらせたまひしほどはいといはけなくて、もの深くも思されざりしを、いみじう思し嘆きたる御けしきなれば、宮もいと悲しく思し召さる。
 入道后の宮は、春の初めころからずっとお悩みになって、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。院に御死別申し上げられたころは、とても幼くて、深くもお悲しみにはならなかったが、たいそうお嘆きの御様子なので、宮もとても悲しく思わずにはいらっしゃれない。
  Nihudau-Kisainomiya, haru no hazime yori nayami watara se tamahi te, Yayohi ni ha, ito omoku nara se tamahi nure ba, gyaugau nado ari. Win ni wakare tatematura se tamahi si hodo ha, ito ihakenaku te, mono hukaku mo obosa re zari si wo, imiziu obosi-nageki taru mi-kesiki nare ba, Miya mo ito kanasiku obosimesa ru.
3.2.2  「 今年は、かならず逃るまじき年と思ひたまへつれど、おどろおどろしき心地にもはべらざりつれば、命の限り知り顔にはべらむも、人やうたて、ことことしう思はむと憚りてなむ、功徳のことなども、わざと例よりも取り分きてしもはべらずなりにける。
 「今年は、必ずや逃れることのできない年回りと思っておりましたが、それほどひどい気分ではございませんでしたので、寿命を知っている顔をしますようなのも、人もいやに思い、わざとらしいと思うだろうと遠慮して、功徳の事なども、特に平素よりも取り立てて致しませんでした。
  "Kotosi ha, kanarazu nogaru maziki tosi to omohi tamahe ture do, odoro-odorosiki kokoti ni mo habera zari ture ba, inoti no kagiri siri-gaho ni habera m mo, hito ya utate, koto-kotosiu omoha m to habakari te nam, kudoku no koto nado mo, wazato rei yori mo tori-waki te simo habera zu nari ni keru.
3.2.3  参りて、心のどかに昔の御物語もなど思ひたまへながら、うつしざまなる折少なくはべりて、口惜しく、いぶせくて過ぎはべりぬること」
 参内して、ゆっくりと昔のお話でもなどと思っておりながら、気分のすっきりした時が少なうございまして、残念にも、鬱々として過ごしてしまいましたこと」
  Mawiri te, kokoro nodoka ni mukasi no ohom-monogatari mo nado omohi tamahe nagara, utusi-zama naru wori sukunaku haberi te, kutiwosiku, ibuseku te sugi haberi nuru koto."
3.2.4  と、いと弱げに聞こえたまふ。
 と、たいそう弱々しくお申し上げなさる。
  to, ito yowage ni kikoye tamahu.
3.2.5   三十七にぞおはしましける 。されど、いと若く盛りにおはしますさまを、惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。
 三十七歳でいらっしゃるのであった。けれども、とてもお若く盛りでいらっしゃるご様子を、惜しく悲しく拝し上げあそばす。
  Samzihu-siti ni zo ohasimasi keru. Saredo, ito wakaku sakari ni ohasimasu sama wo, wosiku kanasi to mi tatematura se tamahu.
3.2.6  「 慎ませたまふべき御年なるに、晴れ晴れしからで、月ごろ過ぎさせたまふことをだに、嘆きわたりはべりつるに、 御慎みなどをも、常よりことにせさせたまはざりけること
 「お慎みあそばさねばならないお年回りであるが、気分もすぐれず、何か月かをお過ごしになることでさえ、嘆き悲しんでおりましたのに、ご精進などをも、いつもより特別になさらなかったことよ」
  "Tutusima se tamahu beki ohom-tosi naru ni, hare-baresikara de, tuki-goro sugi sase tamahu koto wo dani, nageki watari haberi turu ni, ohom-tutusimi nado wo mo, tune yori koto ni se sase tamaha zari keru koto."
3.2.7  と、いみじう思し召したり。ただこの ころぞおどろきて、よろづのことせさせたまふ。月ごろは、常の御悩みとのみうちたゆみたりつるを、源氏の大臣も深く思し入りたり。限りあれば、ほどなく帰らせたまふも、悲しきこと多かり。
 と、ひどく悲しくお思いであった。つい最近に、気づいて、いろいろなご祈祷をおさせあそばす。今までは、いつものご病気とばかり油断していたのだが、源氏の大臣も深くご心配になっていた。一定のきまりがあるので、間もなくお帰りあそばすのも、悲しいことが多かった。
  to, imiziu obosimesi tari. Tada kono-koro zo, odoroki te, yorodu no koto se sase tamahu. Tuki-goro ha, tune no ohom-nayami to nomi uti-tayumi tari turu wo, Genzi-no-Otodo mo hukaku obosi-iri tari. Kagiri are ba, hodo naku kahera se tamahu mo, kanasiki koto ohokari.
3.2.8  宮、いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心のうちに思し続くるに、「 高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心のうちに 飽かず思ふ ことも人にまさりける身」と思し知らる。主上の、夢のうちにも、かかる事の心を知らせたまはぬを、さすがに心苦しう見たてまつりたまひて、これのみぞ、うしろめたくむすぼほれたることに、思し置かるべき心地したまひける。
 宮は、ひどく苦しくて、はきはきとお話し申し上げることができない。ご心中思い続けなさるに、「高い宿縁、この世の繁栄も並ぶ人がなく、心の中に物足りなく思うことも人一倍多い身であった」と思わずにはいらっしゃれない。主上が、夢の中にも、こうした事情を御存じあそばされないのを、それでもはやりお気の毒に拝し上げなさって、この事だけを、気がかりで心の晴れないこととして、死後にも思い続けそうな気がなさるのであった。
  Miya, ito kurusiu te, haka-bakasiu mono mo kikoye sase tamaha zu. Mi-kokoro no uti ni obosi-tudukuru ni, "Takaki sukuse, yo no sakaye mo narabu hito naku, kokoro no uti ni aka-zu omohu koto mo hito ni masari keru mi." to obosi-sira ru. Uhe no, yume no naka ni mo, kakaru koto no kokoro wo sira se tamaha nu wo, sasuga ni kokoro-gurusiu mi tatematuri tamahi te, kore nomi zo, usirometaku musubohore taru koto ni, obosi-oka ru beki kokoti si tamahi keru.
注釈109院に別れたてまつらせたまひしほどは主語は帝。3.2.1
注釈110いといはけなくて「賢木」巻の桐壷院崩御の折、帝は五歳であった。3.2.1
注釈111今年はかならず以下「過ぎはべりぬること」まで、藤壷の詞。死を覚悟。3.2.2
注釈112三十七にぞおはしましける女の重い厄年。『完訳』は「当時は、十三・二十五・三十七歳など、生年の十二支がめぐってくる年が厄年とされた」と注す。3.2.5
注釈113慎ませたまふべき以下「せさせたまはざりけること」まで、帝の心中。『完訳』は「帝の心中。ただし会話的な丁寧語「はべり」が混じる」と注す。3.2.6
注釈114御慎みなどをも常よりことにせさせたまはざりけること『完訳』は「精進・潔斎・祈祷など。前の「功徳の事」と照応。前者が死を前提とする仏事であるのに対し、これは寿命を延ばすための仏事」と注す。藤壷は延命を願わない。3.2.6
注釈115おどろきてよろづのことせさせたまふ主語は帝。藤壷の容態や特に延命の加持祈祷などしないことに気づいて。3.2.7
注釈116高き宿世以下「人にまさりける身」まで、藤壷の心中。『完訳』は「栄華も憂愁も人にぬきんでたする点で、源氏晩年の述懐と酷似」と注す。3.2.8
注釈117飽かず思ふこと『集成』は「源氏に愛情は抱きながらも拒まねばならなかったことをいう」と注す。3.2.8
校訂15 にぞ にぞ--にて(て/#そ) 3.2.5
校訂16 ころぞ ころぞ--ころそ(そ/$そ) 3.2.7
校訂17 ことも ことも--ことん(ん/$も<朱>) 3.2.8
3.3
第三段 藤壷入道宮の崩御


3-3  Fujitsubo passed away as a candle went out

3.3.1  大臣は、朝廷方ざまにても、かくやむごとなき人の限り、うち続き亡せたまひなむことを思し嘆く。 人知れぬあはれ、はた、限りなくて、御祈りなど思し寄らぬことなし。年ごろ思し絶えたりつる筋さへ、今一度、聞こえずなりぬるが、いみじく思さるれば、近き御几帳のもとに寄りて、御ありさまなども、さるべき人びとに問ひ聞きたまへば、親しき限りさぶらひて、こまかに聞こゆ。
 大臣は、朝廷の立場からしても、こうした高貴な方々ばかりが、引き続いてお亡くなりになることをお嘆きになる。人には知られない思慕は、それはまた、限りないほどで、ご祈祷などお気づきにならないことはない。長年思い絶っていたことさえ、もう一度申し上げられなくなってしまったのが、ひどく残念に思われなさるので、近くの御几帳の側に寄って、ご容態など、しかるべき女房たちにお尋ねになると、親しい女房だけがお付きしていて詳しく申し上げる。
  Otodo ha, ohoyake-gata-zama nite mo, kaku yamgotonaki hito no kagiri, uti-tuduki use tamahi na m koto wo obosi-nageku. Hito-sire-nu ahare, hata, kagirinaku te, ohom-inori nado obosi-yora nu koto nasi. Tosi-goro obosi taye tari turu sudi sahe, ima hito-tabi, kikoye zu nari nuru ga, imiziku obosa rure ba, tikaki mi-kityau no moto ni yori te, ohom-arisama nado mo, saru-beki hito-bito ni tohi-kiki tamahe ba, sitasiki kagiri saburahi te, komaka ni kikoyu.
3.3.2  「 月ごろ悩ませたまへる御心地に、御行なひを時の間もたゆませたまはずせさせたまふ積もりの、いとどいたうくづほれさせたまふに、このころとなりては、柑子などをだに、触れさせたまはずなりにたれば、頼みどころなくならせたまひにたること」
 「この数か月ずっとご気分がすぐれずにいらっしゃいましたのに、お勤めを少しの間も怠らずになさいました疲労も積もって、ますますひどくご衰弱あそばしたところに、最近になっては、柑子などにさえ、お口にあそばされなくなりましたので、ご回復の希望もなくなっておしまいになりましたことです」
  "Tuki-goro nayama se tamahe ru mi-kokoti ni, ohom-okonahi wo toki no ma mo tayuma se tamaha zu se sase tamahu tumori no, itodo itau kuduhore sase tamahu ni, kono-koro to nari te ha, kauzi nado wo dani, hure sase tamaha zu nari ni tare ba, tanomi-dokoro naku nara se tamahi ni taru koto."
3.3.3  と、泣き嘆く人びと多かり。
 と言って、泣き嘆き悲しんでいる女房たちが多かった。
  to, naki nageku hito-bito ohokari.
3.3.4  「 院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつりたまふこと、年ごろ思ひ知りはべること多かれど、何につけてかは、その心寄せことなるさまをも、漏らしきこえむとのみ、のどかに思ひはべりけるを、今なむあはれに口惜しく」
 「故院のご遺言どおりに、帝のご後見をなさること、長年存じておりますことは多かったのですが、何かの機会に、そのお礼の気持ちが並大抵でないことを、ちらっと知っていただこうとばかり、気長に待っておりましたが、今は悲しく残念に思われまして」
  "Win no go-yuigon ni kanahi te, Uti no ohom-usiromi tukau-maturi tamahu koto, tosi-goro omohi-siri haberu koto ohokare do, nani ni tukete ka ha, sono kokoro-yose koto naru sama wo mo, morasi kikoye m to nomi, nodoka ni omohi haberi keru wo, ima nam ahare ni kutiwosiku."
3.3.5  と、ほのかにのたまはするも、ほのぼの聞こゆるに、御応へも聞こえやりたまはず、泣きたまふさま、いといみじ。「 などかうしも心弱きさまに」と、人目を思し返せど、いにしへよりの御ありさまを、おほかたの世につけても、あたらしく惜しき人の御さまを、 心にかなふわざならねば、かけとどめきこえむ方なく、いふかひなく思さるること限りなし。
 と、かすかに仰せになるのも、ほのかに聞こえるので、お返事も十分に申し上げられず、お泣きになる様子、実においたわしい。「どうしてこうも気が弱い状態で」と、人目を憚ってお気を取り直しなさるが、昔からのご様子を、世間一般から見ても、もったいなく惜しいご様子のお方を、思いどおりにならないことなので、お引き止め申すすべもなく、何とも言いようもなく悲しいこと限りない。
  to, honoka ni notamahasuru mo, hono-bono kikoyuru ni, ohom-irahe mo kikoye-yari tamaha zu, naki tamahu sama, ito imizi. "Nado kau simo kokoro-yowaki sama ni." to, hito-me wo obosi-kahese do, inisihe yori no ohom-arisama wo, ohokata no yo ni tuke te mo, atarasiku wosiki hito no ohom-sama wo, kokoro ni kanahu waza narane ba, kake-todome kikoye m kata naku, ihukahinaku obosa ruru koto kagiri nasi.
3.3.6  「 はかばかしからぬ身ながらも、昔より、御後見仕うまつるべきことを、心のいたる限り、おろかならず思ひたまふるに、太政大臣の隠れたまひぬるをだに、世の中、心あわたたしく思ひたまへらるるに、また、かくおはしませば、よろづに心乱れはべりて、世にはべらむことも、残りなき心地なむしはべる」
 「取るに足りないわが身ですが、昔から、ご後見申し上げねばならないことは、気のつく限り、一生懸命に存じておりましたが、太政大臣がお亡くなりになったことだけでも、この世の、無常迅速が存じられてなりませんのに、さらにまた、このようにいらっしゃいますと、何から何まで心が乱れまして、生きていることも、残り少ない気が致します」
  "Haka-bakasikara nu mi nagara mo, mukasi yori ohom-usiromi tukau-maturu beki koto wo, kokoro no itaru kagiri, oroka nara zu omohi tamahuru ni, Ohoki-Otodo no kakure tamahi nuru wo dani, yononaka, kokoro awatatasiku omohi tamahe raruru ni, mata, kaku ohasimase ba, yorodu ni kokoro midare haberi te, yo ni habera m koto mo, nokori naki kokoti nam si haberu."
3.3.7  など聞こえたまふほどに、 燈火などの消え入るやうにて果てたまひぬれば 、いふかひなく悲しきことを思し嘆く。
 などとお申し上げになっているうちに、燈火などが消えるようにしてお隠れになってしまったので、何とも言いようがなくお悲しい別れを嘆きになる。
  nado kikoye tamahu hodo ni, tomosibi nado no kiye-iru yau nite hate tamahi nure ba, ihukahi naku kanasiki koto wo obosi-nageku.
注釈118人知れぬあはれ『集成』は「藤壷への人知れぬ哀惜の思い」。『完訳』は「藤壷へのひそかな恋」と注す。3.3.1
注釈119月ごろ悩ませたまへる御心地に以下「ならせたまひにたること」まで、女房たちの詞。3.3.2
注釈120院の御遺言にかなひて以下「口惜しく」まで、藤壷の詞。3.3.4
注釈121などかうしも心弱きさまに源氏の心中。感情を抑える自制心。3.3.5
注釈122はかばかしからぬ以下「心地しなむはべる」まで、源氏の詞。3.3.6
注釈123燈火などの消え入るやうにて果てたまひぬれば『新大系』「釈迦の入滅に喩えた表現か。「無漏。(むろ)の妙法を説きて、無量の衆生を度(すく)ひ、後、当(まさ)に涅槃に入ること、煙尽きて灯の滅ゆるが如し」(法華経・安楽行品)」と注す。3.3.7
出典8 心にかなふわざ 命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし 古今集離別-三八七 白女 3.3.5
出典9 燈火などの消え入るやう 説無漏妙法 度無量衆生 後当入涅槃 如煙尽灯滅 法華経-安楽行品 3.3.7
3.4
第四段 源氏、藤壷を哀悼


3-4  Genji mourned grief at death of Fujitsubo

3.4.1  かしこき御身のほどと聞こゆるなかにも、御心ばへなどの、世のためしにもあまねくあはれにおはしまして、豪家にことよせて、人の愁へとあること などもおのづからうち混じるを、いささかもさやうなる事の乱れなく、人の仕うまつることをも、世の苦しみとあるべきことをば、止めたまふ。
 恐れ多い身分のお方と申し上げた中でも、ご性質などが、世の中の例としても広く慈悲深くいらっしゃって、権勢を笠に着て、人々が迷惑することを自然と行ないがちなのだが、少しもそのような道理に外れた事はなく、人々が奉仕することも、世の苦しみとなるはずのことは、お止めになる。
  Kasikoki ohom-mi no hodo to kikoyuru naka ni mo, mi-kokorobahe nado no, yo no tamesi ni mo amaneku ahare ni ohasimasi te, gauke ni kotoyose te, hito no urehe to aru koto nado mo onodukara uti-maziru wo, isasaka mo sayau naru koto no midare naku, hito no tukau-maturu koto wo mo, yo no kurusimi to aru beki koto wo ba, todome tamahu.
3.4.2  功徳の方とても、勧むるによりたまひて、いかめしうめづらしうしたまふ人 なども、昔の さかしき世に皆ありけるを、これは、さやうなることなく、ただもとよりの宝物、得たまふべき 年官、年爵、御封の物のさるべき限りして、まことに心深きことどもの限りをし置かせたまへれば、何とわくまじき山伏などまで惜しみきこゆ。
 功徳の方面でも、人の勧めに従いなさって、荘厳に珍しいくらい立派になさる人なども、昔の聖代には皆あったのだが、この后宮は、そのようなこともなく、ただもとからの財産、頂戴なさるはずの年官、年爵、御封のしかるべき収入だけで、ほんとうに真心のこもった供養の最善をしておかれになったので、物のわけも分からない山伏などまでが惜しみ申し上げる。
  Kudoku no kata tote mo, susumuru ni yori tamahi te, ikamesiu medurasiu si tamahu hito nado mo, mukasi no sakasiki yo ni mina ari keru wo, kore ha, sayau naru koto naku, tada motoyori no takara-mono, e tamahu beki tukasa, kauburi, mi-hu no mono no saru-beki kagiri si te, makoto ni kokoro hukaki koto-domo no kagiri wo si-oka se tamahe re ba, nani to waku maziki yamabusi nado made wosimi kikoyu.
3.4.3  をさめたてまつるにも、世の中響きて、悲しと思はぬ人なし。殿上人など、なべてひとつ色に黒みわたりて、ものの栄なき春の暮なり。二条院の御前の桜を御覧じても、花の宴の折など思し出づ。「 今年ばかりは」と、一人ごちたまひて、人の見とがめつべければ、御念誦堂に籠もりゐたまひて、日一日泣き暮らしたまふ。夕日はなやかにさして、山際の梢あらはなるに、雲の薄くわたれるが、鈍色なるを、何ごとも御目とどまらぬころなれど、いとものあはれに思さる。
 ご葬送の時にも、世を挙げての騷ぎで、悲しいと思わない人はいない。殿上人など、すべて黒一色の喪服で、何の華やかさもない晩春である。二条院のお庭先の桜を御覧になるにつけても、花の宴の時などをお思い出しになる。「今年ぐらいは」と独り口ずさみなさって、他人が変に思うに違いないので、御念誦堂にお籠もりなさって、一日中泣き暮らしなさる。夕日が明るく射して、山際の梢がくっきりと見えるところに、雲が薄くたなびいているのが、鈍色なのを、何ごともお目に止まらないころなのだが、たいそう悲しく思わずにはいらっしゃれない。
  Wosame tatematuru ni mo, yononaka hibiki te, kanasi to omoha nu hito nasi. Tenzyaubito nado, nabete hitotu-iro ni kuromi-watari te, mono no haye naki haru no kure nari. Nideu-no-win no o-mahe no sakura wo go-ran-zi te mo, hana-no-en no wori nado obosi-idu. "Kotosi bakari ha." to, hitori-goti tamahi te, hito no mi-togame tu bekere ba, ohom-nenzyu-dau ni komori wi tamahi te, hi-hitohi naki kurasi tamahu. Yuhuhi hanayaka ni sasi te, yamagiha no kozuwe araha naru ni, kumo no usuku watare ru ga, nibi-iro naru wo, nani-goto mo ohom-me todomara nu koro nare do, ito mono ahare ni obosa ru.
3.4.4  「 入り日さす峰にたなびく薄雲は
 「入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は
    "Irihi sasu mine ni tanabiku usugumo ha
3.4.5   もの思ふ袖に色やまがへる
  悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか
    mono omohu sode ni iro ya magahe ru
3.4.6   人聞かぬ所なれば、かひなし
 誰も聞いていない所なので、かいがない。
  Hito kika nu tokoro nare ba, kahinasi.
注釈124年官年爵御封の物のさるべき限りして『完訳』は「当然お受けになってしかるべき年官や年爵、また御封などの給与の中から差し支えない範囲で」と訳す。3.4.2
注釈125今年ばかりは源氏の口ずさみ。「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今集哀傷、八三二、上野岑雄)を踏まえる。3.4.3
注釈126入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる源氏の独詠歌。東三条院詮子崩御の折の自作歌「雲の上も物思ふ春は墨染に霞む空さへあはれなるかな」(紫式部集)を踏まえる。3.4.4
注釈127人聞かぬ所なればかひなし語り手の言辞。『集成』は「誰も聞いている人のいない念誦堂でのこととて、この源氏の悲しみのお歌を知って唱和する人もなく、かいのないことだ。草子地」と注す。3.4.6
出典10 今年ばかりは 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け 古今集哀傷-八三二 上野岑雄 3.4.3
校訂18 なども なども--なとん(ん/$も<朱>) 3.4.1
校訂19 なども なども--なとん(ん/$も<朱>) 3.4.2
校訂20 さかしき さかしき--さ(さ/+か)しき 3.4.2
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渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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