17 絵合(大島本)


WEAHASE


光る源氏の内大臣時代
三十一歳春の後宮制覇の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, March in spring at the age of 31

4
第四章 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明


4  Tale of Hikaru-Genji  Reign of Reizei in its glory

4.1
第一段 学問と芸事の清談


4-1  Arguments about study and art

4.1.1   夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御土器など参るついでに、昔の御物語ども出で来て、
 夜明けが近くなったころに、何となくしみじみと感慨がこみ上げてきて、お杯など傾けなさる折に、昔のお話などが出てきて、
  Yoake-gata tikaku naru hodo ni, mono ito ahare ni obosa re te, ohom-kaharake nado mawiru tuide ni, mukasi no ohom-monogatari-domo ide-ki te,
4.1.2  「 いはけなきほどより、学問に心を入れてはべりしに、すこしも才などつきぬべくや御覧じけむ、院ののたまはせしやう、『 才学といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命、幸ひと並びぬるは、いとかたきものになむ。品高く生まれ、 さらでも人に劣るまじきほどにて、あながちにこの道な深く習ひそ』と、諌めさせたまひて、 本才の方々のもの教へさせ たまひしに、つたなきこともなく、またとり立ててこのことと心得ることもはべらざりき。絵描くことのみなむ、あやしくはかなきものなから、 いかにしてかは心ゆくばかり描きて見るべきと、思ふ折々はべりしを、おぼえぬ山賤になりて、四方の海の深き心を見しに、さらに 思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど、筆のゆく限りありて、心よりはことゆかずなむ 思うたまへられしを、ついでなくて、御覧ぜさすべきならねば、 かう好き好きしきやうなる、後の聞こえやあらむ
 「幼いころから、学問に心を入れておりましたが、少し学才などがつきそうに御覧になったのでしょうか、故院が仰せになったことに、『学問の才能というものは、世間で重んじられるからであろうか、たいそう学問を究めた人で、長寿と、幸福とが並んだ者は、めったにいないものだ。高い身分に生まれ、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道に深入りするな』と、お諌めあそばして、正式な学問以外の芸を教えてくださいましたが、出来の悪いものもなく、また特にこのことはと上達したこともございませんでした。ただ、絵を描くことだけが、妙なつまらないことですが、どうしたら心のゆくほど描けるだろうかと、思う折々がございましたが、思いもよらない賤しい身の上となって、四方の海の深い趣を見ましたので、まったく思い至らぬ所のないほど会得できましたが、絵筆で描くにはは限界がありまして、心で思うとおりには事の運ばぬように存じられましたが、機会がなくて、御覧に入れるわけにも行きませんので、このように物好きのようなのは、後々に噂が立ちましょうか」
  "Ihakenaki hodo yori, gakumon ni kokoro wo ire te haberi si ni, sukosi mo zae nado tuki nu beku ya go-ran-zi kem, Win no notamaha se si yau, 'Saigaku to ihu mono, yo ni ito omoku suru mono nare ba ni ya ara m, itau susumi nuru hito no, inoti, saihahi to narabi nuru ha, ito kataki mono ni nam. Sina takaku umare, sarade mo hito ni otoru maziki hodo nite, anagati ni kono miti na hukaku narahi so.' to, isame sase tamahi te, honzai no kata-gata no mono wosihe sase tamahi si ni, tutanaki koto mo naku, mata tori-tate te kono koto to kokoro-uru koto mo habera zari ki. We kaku koto nomi nam, ayasiku hakanaki monokara, ikani si te ka ha kokoro-yuku bakari kaki te miru beki to, omohu wori-wori haberi si wo, oboye nu yama-gatu ni nari te, yomo no umi no hukaki kokoro wo mi si ni, sarani omohi-yora nu kuma naku itara re ni sika do, hude no yuku kagiri ari te, kokoro yori ha koto yuka zu nam omou tamahe rare si wo, tuide naku te, go-ran-ze sasu beki nara ne ba, kau suki-zukisiki yau naru, noti no kikoye ya ara m?"
4.1.3  と、親王に申したまへば、
 と、親王に申し上げなさると、
  to, Miko ni mausi tamahe ba,
4.1.4  「 何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、学び所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむに跡ありぬべし。筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆる おれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど、家の子の中には、なほ人に抜けぬる 、何ごとをも好み得けるとぞ見えたる。院の御前にて、親王たち、内親王、 いづれかはさまざまとりどりの才 習はさせたまはざりけむ。その中にも、とり立てたる御心に入れて、 伝へ受けとらせたまへるかひありて 、『 文才をばさるものにて言はず、さらぬことの中には、琴弾かせたまふことなむ一の才にて、次には横笛、琵琶、箏の琴をなむ、次々に習ひたまへる』と、主上も思しのたまはせき。世の人、しか思ひきこえさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだことと こそ思ひたまへしか、いとかう、まさなきまで、いにしへの墨がきの上手ども、跡をくらうなしつべかめるは、かへりて、けしからぬわざなり」
 「何の芸道も、心がこもっていなくては習得できるものではありませんが、それぞれの道に師匠がいて、学びがいのあるようなものは、度合の深さ浅さは別として、自然と学んだだけの事は後に残るでしょう。書画の道と碁を打つことは、不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚の者でも、その天分によって、巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが、名門の子弟の中には、やはり抜群の人がいて、何事にも上達すると見えました。故院のお膝もとで、親王たち、内親王、どなたもいろいろさまざまなお稽古事を習わさせなかったことがありましょうか。その中でも、特にご熱心になって、伝授を受けご習得なさった甲斐があって、『詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で、次には、横笛、琵琶、箏の琴を次々とお習いになった』と、故院も仰せになっていました。世間の人、そのようにお思い申し上げていましたが、絵はやはり筆のついでの慰み半分の余技と存じておりましたが、たいそうこんなに不都合なくらいに、昔の墨描きの名人たちが逃げ出してしまいそうなのは、かえって、とんでもないことです」
  "Nani no zae mo, kokoro yori hanati te narahu beki nara ne do, miti-miti ni mono no si ari, manabi dokoro ara m ha, koto no hukasa asasa ha sira ne do, onodukara utusa m ni ato ari nu besi. Hude toru miti to go utu koto to zo, ayasiu tamasihi no hodo miyuru wo, hukaki rau naku miyuru ore-mono mo, saru beki ni te, kaki utu taguhi mo ide-kure do, ihe-no-ko no naka ni ha, naho hito ni nuke nuru hito, nani-goto wo mo konomi e keru to zo miye taru. Win no go-zen ni te, Miko-tati, Naisinwau, idure ka ha, sama-zama tori-dori no zae naraha sase tamaha zari kem. Sono naka ni mo, tori-tate taru mi-kokoro ni ire te, tutahe-uke tora se tamahe ru kahi ari te, 'Monzai wo ba saru mono nite iha zu, sara nu koto no naka ni ha, kin hika se tamahu koto nam iti no zae ni te, tugi ni ha yokobue, biwa, syau-no-koto wo nam, tugi-tugi ni narahi tamahe ru.' to, Uhe mo obosi notamahase ki. Yo no hito, sika omohi kikoye sase taru wo, we ha naho hude no tuide ni susabi sase tamahu ada-koto to koso omohi tamahe sika, ito kau, masa naki made, inisihe no sumi-gaki no zyauzu-domo, ato wo kurau nasi tu beka' meru ha, kaheri te, kesikara nu waza nari."
4.1.5  と、うち乱れて聞こえたまひて、酔ひ泣きにや、院の御こと聞こえ出でて、皆 うちしほれたまひぬ。
 と、酔いに乱れて申し上げなさって、酔い泣きであろうか、故院の御事を申し上げて、皆涙をお流しになった。
  to, uti-midare te kikoye tamahi te, wehi-naki ni ya, Win no ohom-koto kikoye-ide te, mina uti-sihore tamahi nu.
注釈115夜明け方近くなるほどに絵合せ後の宴会で、源氏と帥宮、才芸について語り合う。4.1.1
注釈116いはけなきほどより以下「きこえやあらむ」まで、源氏の詞。4.1.2
注釈117才学といふもの以下「な深く習ひそ」まで、故院の詞を引用。4.1.2
注釈118さらでも学問をすることをさす。4.1.2
注釈119本才の方々のもの教へ『集成』は「実際の役に立つ技能。儀式、典礼など、政治家に必要な知識、技能。作詩、書道、舞、楽など諸方面が「かたがた」という」と注す。4.1.2
注釈120いかにしてかは連語。手段に迷う気持ち。どのようにしたら--だろうか、の意。4.1.2
注釈121思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど『集成』「もはや思い及ばぬ所もないほど、十分に会得されましたが」。『完訳』は「まったく思い至らぬところのない境地にしぜん到達いたしましたけれども」。助動詞「れ」について、『集成』は可能の意、『完訳』は自発の意に解釈。4.1.2
注釈122思うたまへられしを「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞。助動詞「られ」自発の意。4.1.2
注釈123かう好き好きしきやうなる後の聞こえやあらむ『集成』は「(そんなものを)この機会に持ち出したりして、いかにも物好きなようなのは、後世から批判されるかもしれません」と訳す。4.1.2
注釈124何の才も以下「けしからぬわざなり」まで、帥宮の詞。4.1.4
注釈125いづれかは下文の「習はさせたまはざりけむ」に係る反語表現。『完訳』は「院の御前で、親王や内親王たちは、いずれも芸能のそれぞれをお習いにならなかった方はございませんでしょう」と訳す。4.1.4
注釈126習はさせたまはざりけむ「させ」使役の助動詞。主語は院。院が親王や内親王たちに。4.1.4
注釈127伝へ受けとらせたまへるかひありて「せたまへ」二重敬語。主語は源氏。4.1.4
注釈128文才をばさるものにて以下「習ひたまへる」まで、院の詞を引用。4.1.4
注釈129こそ思ひたまへしか「こそ」係助詞、「しか」已然形の係結びは、逆接用法で、下文に続く。4.1.4
校訂24 たまひしに たまひしに--たま(ま/+い)しに 4.1.2
校訂25 おれ者も おれ者も--をれもの(の/+も) 4.1.4
校訂26 人--人の(の/#) 4.1.4
校訂27 さまざま さまざま--*さま 4.1.4
校訂28 伝へ 伝へ--う(う/=つイ)たへ 4.1.4
校訂29 うちしほれ うちしほれ--うちしほた(た/#)れ 4.1.5
4.2
第二段 光る源氏体制の夜明け


4-2  Beginning Hikaru-Genji era

4.2.1  二十日あまりの月さし出でて、こなたは、まださやかならねど、 おほかたの空をかしきほどなるに、書司の御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はりたまふ。さはいへど、人にまさりてかき立てたまへり。親王、箏の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。上人の中にすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじうおもしろし。
 二十日過ぎの月がさし出して、こちら側は、まだ明るくないけれども、いったいに空の美しいころなので、書司のお琴をお召し出しになって、和琴、権中納言がお引き受けなさる。そうは言っても、他の人以上に上手にお弾きになる。帥親王、箏の御琴、内大臣、琴の琴、琵琶は少将の命婦がおつとめする。殿上人の中から勝れた人を召して、拍子を仰せつけになる。たいそう興趣深い。
  Hatuka amari no tuki sasi-ide te, konata ha, mada sayaka nara ne do, ohokata no sora wokasiki hodo naru ni, Hum-no-Tukasa no ohom-koto mesi-ide te, wagon, Gon-Tyuunagon tamahari tamahu. Sa ha ihe do, hito ni masari te kaki-tate tamahe ri. Miko, syau-no-ohom-koto, Otodo, kin, biha ha Seusyau-no-Myaubu tukau-maturu. Uhe-bito no naka ni sugure taru wo mesi te, hausi tamaha su. Imiziu omosirosi.
4.2.2   明け果つるままに、花の色も人の御容貌ども、ほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり。禄どもは、中宮の御方より賜はす。親王は、御衣 また重ねて賜はりたまふ
 夜が明けていくにつれて、花の色も人のお顔形なども、ほのかに見えてきて、鳥が囀るころは、快い気分がして、素晴らしい朝ぼらけである。禄などは、中宮の御方から御下賜なさる。親王は御衣をまた重ねて頂戴なさる。
  Ake-haturu mama ni, hana no iro mo hito no ohom-katati-domo, honoka ni miye te, tori no saheduru hodo, kokoti yuki, medetaki asaborake nari. Roku-domo ha, Tyuuguu no ohom-kata yori tamaha su. Miko ha, ohom-zo mata kasane te tamahari tamahu.
注釈130おほかたの空をかしきほどなるに三月二十日過ぎの天象模様。4.2.1
注釈131明け果つるままに、花の色も人の御容貌ども、ほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり冷泉朝の開幕を象徴する表現。4.2.2
注釈132また重ねて賜はりたまふ帝から頂戴することをいう。4.2.2
4.3
第三段 冷泉朝の盛世


4-3  Reign of Reizei in its glory

4.3.1   そのころのことには、この絵の定めをしたまふ。
 その当時のことぐさには、この絵日記の評判をなさる。
  Sono-koro no koto ni ha, kono we no sadame wo sitamahu.
4.3.2  「 かの浦々の巻は、中宮にさぶらはせたまへ
 「あの浦々の巻は、中宮にお納めください」
  "Kano ura-ura no maki ha, Tyuuguu ni saburaha se tamahe."
4.3.3  と聞こえさせたまひければ、これが初め、 残りの巻々ゆかしがらせたまへど
 とお申し上げさせになったので、この初めの方や、残りの巻々を御覧になりたくお思いになったが、
  to kikoye sase tamahi kere ba, kore ga hazime, nokori no maki-maki yukasigara se tamahe do,
4.3.4  「 今、次々に
 「いずれそのうちに、ぼつぼつと」
  "Ima, tugi-tugi ni."
4.3.5  と聞こえさせたまふ。 主上にも御心ゆかせたまひて思し召したるを、 うれしく見たてまつりたまふ
 とお申し上げさせになる。主上におかせられても、御満足に思し召していらっしゃるのを、嬉しくお思い申し上げなさる。
  to kikoye sase tamahu. Uhe ni mo mi-kokoro yuka se tamahi te obosimesi taru wo, uresiku mi tatematuri tamahu.
4.3.6  はかなきことにつけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言は、「 なほ、おぼえ圧さるべきにや」と、心やましう 思さるべかめり。主上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、 なほ、こまやかに思し召したるさまを、 人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしく、「 さりとも」と 思されける
 ちょっとしたことにつけても、このようにお引き立てになるので、権中納言は、「やはり、世間の評判も圧倒されるのではなかろうか」と、悔しくお思いのようである。主上の御愛情は、初めから馴染んでいらっしゃったので、やはり、御寵愛厚い御様子を、人知れず拝見し存じ上げていらっしゃったので、頼もしく思い、「いくら何でも」とお思になるのであった。
  Hakanaki koto ni tuke te mo, kau motenasi kikoye tamahe ba, Gon-Tyuunagon ha, "Naho, oboye osa ru beki ni ya?" to, kokoro-yamasiu obosa ru beka' meri. Uhe no mi-kokorozasi ha, motoyori obosi-simi ni kere ba, naho, komayaka ni obosi-mesi taru sama wo, hito-sire-zu mi tatematuri siri tamahi te zo, tanomosiku, "Sari to mo" to obosa re keru.
4.3.7  さるべき節会どもにも、「 この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ」と思し、私ざまのかかるはかなき御遊びも、めづらしき筋にせさせたまひて、いみじき盛りの御世なり。
 しかるべき節会などにつけても、「この帝のご時代から始まったと、末の世の人々が言い伝えるであろうような新例を加えよう」とお思いになり、私的なこのようなちょっとしたお遊びも、珍しい趣向をお凝らしになって、大変な盛りの御代である。
  Saru-beki setiwe-domo ni mo, "Kono ohom-toki yori to, suwe no hito no ihi-tutahu beki rei wo sohe m." to obosi, watakusi-zama no kakaru hakanaki ohom-asobi mo, medurasiki sudi ni se sase tamahi te, imiziki sakari no mi-yo nari.
注釈133そのころのことにはその当時の話題としては、の意。4.3.1
注釈134かの浦々の巻は中宮にさぶらはせたまへ源氏の詞。須磨、明石の絵日記は藤壷の宮に献上する。4.3.2
注釈135残りの巻々ゆかしがらせたまへど主語は藤壷。「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞。最高敬語。4.3.3
注釈136今次々に源氏の詞。4.3.4
注釈137主上にも御心ゆかせたまひて主語は帝。「せ」尊敬の助動詞、「たまひ」尊敬の補助動詞、最高敬語。4.3.5
注釈138うれしく見たてまつりたまふ主語は源氏。4.3.5
注釈139なほおぼえ圧さるべきにや権中納言の心中。「おぼえ」は世の評判。4.3.6
注釈140思さるべかめり「べかめり」連語、推量の助動詞。この主観的推量は語り手。4.3.6
注釈141なほこまやかに『完訳』は「以下、権中納言の心中」と解す。4.3.6
注釈142人知れず見たてまつり知りたまひてぞ主語は権中納言。4.3.6
注釈143さりとも権中納言の心中。『集成』は「いくら源氏方の勢力が強くとも、まさかお見捨てになるまい」。『完訳』は「わが女御への帝寵は衰えまい」と注す。4.3.6
注釈144思されける「れ」自発の助動詞。自然とそのように思われるの意。4.3.6
注釈145この御時よりと末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ源氏の心中。『集成』は「聖代と仰がれるような立派な前例を遺すのが補佐の役目である。以下、今上の治世を聖代と印象づける筆致」と注す。4.3.7
4.4
第四段 嵯峨野に御堂を建立


4-4  Genji builds a temple in Sagano

4.4.1  大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、 今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなむと深く 思ほすべかめる
 内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって、主上がもう少し御成人あそばすのを拝したら、やはり出家しようと深くお思いのようである。
  Otodo zo, naho tune-naki mono ni yo wo obosi te, ima sukosi otonabi ohasimasu to mi tatematuri te, naho yo wo somuki na m to hukaku omohosu beka' meru.
4.4.2  「 昔のためしを見聞くにも、齢 足らで、官位高く昇り、 世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へに代はりて、今までもながらふるなり。 今より後の栄えは、なほ命うしろめたし。静かに籠もりゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも延べむ」と思ほして、 山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ、 仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに末の君達、思ふさまにかしづき出だして見むと思し召すにぞ、とく捨てたまはむことは、かたげなる。 いかに思しおきつるにかと、いと知りがたし
 「昔の例を見たり聞いたりするにも、若くして高位高官に昇り、世に抜きん出てしまった人で、長生きはできないものなのだ。この御代では、身のほど過ぎてしまった。途中で零落して悲しい思いをした代わりに、今まで生き永らえたのだ。今後の栄華は、やはり命が心配である。静かに引き籠もって、後の世のことを勤め、また一方では寿命を延ばそう」とお思いになって、山里の静かな所を手に入れて、御堂をお造らせになり、仏像や経巻のご準備をさせていらっしゃるらしいけれども、幼少のお子たちを、思うようにお世話しようとお思いになるにつけても、早く出家するのは、難しそうである。どのようにお考えなのかと、まことに分からない。
  "Mukasi no tamesi wo mi kiku ni mo, yohahi tara de, tukasa kurawi takaku nobori, yo ni nuke nuru hito no, nagaku e tamota nu waza nari keri. Kono mi-yo ni ha, mi no hodo oboye sugi ni tari. Naka-goro naki ni nari te sidumi tari si urehe ni kahari te, ima made mo nagarahuru nari. Ima yori noti no sakaye ha, naho inoti usirometasi. Siduka ni komori wi te, noti no yo no koto wo tutome, katu ha inoti wo mo nobe m." to omohosi te, yamazato no nodoka naru wo sime te, mi-dau wo tukura se tamahi, Hotoke kyau no itonami sohe te se sase tamahu meru ni, suwe no kimdati, omohu sama ni kasiduki idasi te mi m to obosimesu ni zo, toku sute tamaha m koto ha, katage naru. Ikani obosi-oki turu ni ka to, ito siri gatasi.
注釈146今すこしおとなび以下「世を背きなむ」まで、源氏の心中。4.4.1
注釈147思ほすべかめる「べかめる」連語、推量の助動詞。源氏の心中を推量。この主観的推量は語り手。4.4.1
注釈148昔のためしを以下「齢をも延べむ」まで、源氏の心中。4.4.2
注釈149世に抜けぬる人の長くえ保たぬわざなりけり「の」格助詞。『完訳』は「世にぬきんでてしまった人は、とても長寿を保つことができなかったのだった」と訳す。4.4.2
注釈150今より後の栄えはなほ命うしろめたし『集成』は「今後も栄華を貪っては、やはり命が心配だ」。『完訳』は「今よりのちの栄華は、やはり寿命がともなわず危ぶまれる」と訳す。4.4.2
注釈151山里ののどかなるを占めて御堂を造らせ次の「松風」巻によれば、嵯峨野の御堂。清涼寺がモデルとされる。4.4.2
注釈152仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに「させ」使役の助動詞。「める」推量の助動詞。この主観的推量は語り手。以下の文章にも語り手の言辞がうかがえる。4.4.2
注釈153末の君達思ふさまにかしづき出だして見む源氏の心中を間接的に語る表現。夕霧十歳、明石姫君三歳。4.4.2
注釈154いかに思しおきつるにかといと知りがたし『集成』は「草子地」。『完訳』は「源氏の人生の奥行の深さを暗示させる、語り手の言辞」と注す。4.4.2
校訂30 足らで 足らで--たえ(え/$ら)て 4.4.2
Last updated 7/1/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
Last updated 8/22/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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