14 澪標(大島本)


MIWOTUKUSI


光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29

4
第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅


4  Tale of Akashi  Chance meeting again in Sumiyoshi

4.1
第一段 住吉詣で


4-1  Genji visits to Sumiyoshi-shrine

4.1.1   その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
 その年の秋に、住吉にご参詣になる。願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
  Sono aki, Sumiyosi ni maude tamahu. Gwan-domo hatasi tamahu bekere ba, ikamesiki ohom-ariki ni te, yononaka yusuri te, Kamdatime, Tenzyau-bito, ware mo ware mo to tukau-maturi tamahu.
4.1.2  折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年今年は障ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。
 ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって、参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
  Wori si mo, kano Akasi-no-Hito, tosi-goto no rei no koto ni te mauduru wo, kozo kotosi ha saharu koto ari te, okotari keru, kasikomari tori-kasane te, omohi-tati keri.
4.1.3  舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ 人のけはひ、渚に満ちて、 いつくしき神宝を持て続けたり。楽人、 十列など、装束をととのへ、容貌を選びたり。
 舟で参詣した。岸に着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子、渚にいっぱいあふれていて、尊い奉納品を列をなさせていた。楽人、十人ほど、衣装を整え、顔形の良い者を選んでいた。
  Hune nite maude tari. Kisi ni sasi-tukuru hodo, mire ba, nonosiri te maude tamahu hito no kehahi, nagisa ni miti te, itukusiki kamdakara wo mote-tuduke tari. Gaku-nin, towo-tura nado, syauzoku wo totonohe, katati wo erabi tari.
4.1.4  「 誰が詣でたまへるぞ
 「どなたが参詣なさるのですか」
  "Taga maude tamahe ru zo?"
4.1.5  と 問ふめれば
 と尋ねたらしいので、
  to tohu mere ba,
4.1.6  「 内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」
 「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
  "Naidaizin-dono no go-gwan-hatasi ni maude tamahu wo, sira nu hito mo ari keri!"
4.1.7  とて、 はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ
 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
  tote, hakanaki hodo no gesu dani, kokoti-yoge ni uti-warahu.
4.1.8  「 げに、あさましう、月日もこそあれ。 なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがに、かけ離れたてまつらぬ宿世ながら、かく口惜しき際の者だに、もの思ひなげにて、仕うまつるを色節に思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ」
 「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」
  "Geni, asamasiu, tuki-hi mo koso are. Naka-naka, kono ohom-arisama wo haruka ni miru mo, mi no hodo kutiwosiu oboyu. Sasuga ni, kake-hanare tatematura nu sukuse nagara, kaku kutiwosiki kiha no mono dani, mono-omohi nage ni te, tukau-maturu wo iro-husi ni omohi taru ni, nani no tumi hukaki mi nite, kokoro ni kake te obotukanau omohi kikoye tutu, kakari keru ohom-hibiki wo mo sira de, tati-ide tura m."
4.1.9  など思ひ続くるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。
 などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。
  nado omohi-tudukuru ni, ito kanasiu te, hito sire zu sihotare keri.
注釈177その秋住吉に詣でたまふ秋、源氏、住吉に御願果たしに参詣。4.1.1
注釈178誰が詣でたまへるぞ明石方の従者の詞。4.1.4
注釈179問ふめれば「めり」推量の助動詞、視界内推量。『集成』は「下人が尋ねているらしいのを、明石の上たちが船中で聞く趣」と注す。4.1.5
注釈180内大臣殿の以下「知らぬ人もありけり」まで、源氏方の従者の返事。天下周知の事実を知らない人もいたのだと、驚きあきれた気持ち。4.1.6
注釈181はかなきほどの下衆だに心地よげにうち笑ふ「だに」副助詞。述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。--さえも。--までも。とるに足りない下衆までが気持ちよさそうに笑う。4.1.7
注釈182げにあさましう以下「立ち出でつらむ」まで、明石の君の心中。一部に地の文的表現がある。4.1.8
注釈183なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ「なかなか」は「おぼゆ」に係る。うれしい再会であるはずなのに、かえってそれが、というニュアンス。『集成』は「なまじ及びもつかぬ源氏のご威勢のほどを遠くからみるにつけ、わが見の上が情けなく思われる」と訳す。4.1.8
校訂25 人の 人の--人(人/+の) 4.1.3
校訂26 いつくしき いつくしき--いつく△(△/#)しき 4.1.3
校訂27 十列 十列--とをつゝ(ゝ/#ら<朱>) 4.1.3
4.2
第二段 住吉社頭の盛儀


4-2  Ceremony in front of Sumiyoshi-no-Kami

4.2.1   松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、濃き薄き、数知らず六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監も靫負になりて、ことことしげなる随身具したる蔵人なり。
 松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが、数知れず見える。六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
  Matubara no huka-midori naru ni, hana momidi wo koki-tirasi taru to miyuru uhe no kinu no, koki usuki, kazu sira zu. Roku-wi no naka ni mo Kuraudo ha awo-iro siruku miye te, kano Kamo no midugaki urami si Ukon-no-Zeu mo Yugehi ni nari te, koto-kotosige naru zuizin gu-si taru Kuraudo nari.
4.2.2   良清も同じ佐にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿、いときよげなり。
 良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿が、たいそう美しげである。
  Yosikiyo mo onazi Suke nite, hito yori koto ni mono-omohi naki kesiki nite, odoro-odorosiki aka-ginu sugata, ito kiyoge nari.
4.2.3  すべて見し人びと、引き変へはなやかに、何ごと思ふらむと見えて、うち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の、 我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りを整へ磨きたまへるは、いみじき物に、 田舎人も思へり
 すべて見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、散らばっている中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな物であると、田舎者も思った。
  Subete mi si hito-bito, hiki-kahe hanayaka ni, nani-goto omohu ram to miye te, uti-tiri taru ni, wakayaka naru Kamdatime, Tenzyau-bito no, ware mo ware mo to omohi-idomi, muma kura nado made kazari wo totonohe migaki tamahe ru ha, imiziki mono ni, winaka-bito mo omohe ri.
4.2.4  御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。 河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束き、みづら結ひて、紫裾濃の元結なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。
 お車を遠く見やると、かえって、心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。河原左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人、格別はなやかに見える。
  Mi-kuruma wo haruka ni mi-yare ba, naka-naka, kokoro-yamasiku te, kohisiki ohom-kage wo mo e mi tatematura zu. Kahara-no-Otodo no ohom-rei wo manebi te, waraha-zuizin wo tamahari tamahi keru, ito wokasige ni sauzoki, midura yuhi te, murasaki susogo no motoyuhi namamekasiu, take sugata totonohi, utukusige ni te zihu-nin, sama koto ni imamekasiu miyu.
4.2.5   大殿腹の若君、限りなくかしづき立てて、馬添ひ、童のほど、皆作りあはせて、やう変へて装束きわけたり。
 大殿腹の若君、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人、童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。
  Ohotono-bara no Waka-Gimi, kagirinaku kasiduki-tate te, muma-zohi, waraha no hodo, mina tukuri-ahase te, yau kahe te sauzoki-wake tari.
4.2.6   雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても若君の数ならぬさまにてものしたまふを、 いみじと思ふ。いよいよ 御社の方を拝みきこゆ。
 雲居遥かな立派さを見るにつけても、若君の人数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
  Kumowi haruka ni medetaku miyuru ni tuke te mo, Waka-Gimi no kazu nara nu sama ni te monosi tamahu wo, imizi to omohu. Iyo-iyo Mi-yasiro no kata wo wogami kikoyu.
4.2.7  国の守参りて、御まうけ、例の大臣などの参りたまふよりは、ことに世になく 仕うまつりけむかし
 摂津の国守が参上して、ご饗応の準備、普通の大臣などが参詣なさる時よりは、格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
  Kuni-no-Kami mawiri te, ohom-mauke, rei no Otodo nado no mawiri tamahu yori ha, koto ni yo ni naku tukau-maturi kem kasi.
4.2.8  いとはしたなければ、
 とてもいたたまれない思いなので、
  Ito hasitanakere ba,
4.2.9  「 立ち交じり、数ならぬ身の、いささかのことせむに、神も見入れ、数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空なり。今日は難波に舟さし止めて、祓へをだにせむ」
 「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。帰るにしても中途半端である。今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
  "Tati-maziri, kazu nara nu mi no, isasaka no koto se m ni, Kami mo mi-ire, kazumahe tamahu beki ni mo ara zu. Kahera m ni mo nakazora nari. Kehu ha Naniha ni hune sasi-tome te, harahe wo dani sem."
4.2.10  とて、漕ぎ渡りぬ。
 と思って、漕いで行った。
  tote, kogi-watari nu.
注釈184松原の深緑なるに花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の濃き薄き数知らず「見ゆる」の主体は、船の中の明石の君。以下、明石の君の眼に映る光景を語る。客観的描写でなく、人を通した主観的描写という性格。袍衣の色を桜や紅葉に喩えた見立ての表現。四位は深緋(朱色)、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(薄藍)、初位は薄縹。4.2.1
注釈185六位のなかにも蔵人は青色しるく見えてこの六位蔵人の「青色」は天皇から拝領した麹塵(青みがかった黄色)の袍である。4.2.1
注釈186良清も同じ佐にて「靭負」と同じという意。「靭負」は「靭負尉」(衛門府の三等官)の略。良清は衛門佐(次官、従五位上相当)になったという意。4.2.2
注釈187田舎人も思へり明石の君の一行の人々。4.2.3
注釈188河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける河原の大臣、すなわち左大臣源融(八二二〜八九五)。源融が童随身を賜った例は文献には見られない。藤原道長が長徳四年(九九六)に童随身を六名賜っている。4.2.4
注釈189大殿腹の若君左大臣家の葵の上が産んだ夕霧。4.2.5
注釈190雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても景情と心象の風景が一体化した表現。『集成』は「海上からの距離と身分の懸隔の両方をいう」。『完訳』は「夕霧を注視する明石の君の心。距離の隔たりがそのまま、わが姫君との身分境遇の隔たりに思える」と注す。4.2.6
注釈191若君の数ならぬさま明石の姫君。4.2.6
注釈192いみじと思ふ主語は明石の君。4.2.6
注釈193仕うまつりけむかし「けむ」過去推量の助動詞。「かし」終助詞。念を押すニュアンス。語り手の推量。4.2.7
注釈194立ち交じり、数ならぬ身の以下「祓へをだにせむ」まで、明石の君の心中。4.2.9
校訂28 我も我も 我も我も--我も/\も(も/#<朱>) 4.2.3
校訂29 御社の 御社の--みやしろ(ろ/+の) 4.2.6
4.3
第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず


4-3  Genji and Koremitsu are thankful for Sumiyoshi-no-Kami

4.3.1  君は、夢にも知りたまはず、 夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。
 君は、まったくご存知なく、一晩中、いろいろな神事を奉納させなさる。真実に、神がお喜びになるにちがいないことを、あらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
  Kimi ha, yume ni mo siri tamaha zu, yo-hito-yo, iro-iro no koto wo se sase tamahu. Makoto ni, Kami no yorokobi tamahu beki koto wo, si-tukusi te, kisi-kata no go-gwan ni mo uti-sohe, arigataki made, asobi nonosiri akasi tamahu.
4.3.2   惟光やうの人は、心のうちに神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるに、さぶらひて、聞こえ出でたり。
 惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。ちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。
  Koremitu yau no hito ha, kokoro no uti ni Kami no ohom-toku wo ahare ni medetasi to omohu. Akarasama ni tati-ide tamahe ru ni, saburahi te, kikoye-ide tari.
4.3.3  「 住吉の松こそものはかなしけれ
 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
    "Sumiyosi no matu koso mono ha kanasikere
4.3.4   神代のことをかけて思へば
  昔のことがを忘れられずに思われますので
    Kami-yo no koto wo kake te omohe ba
4.3.5   げに、と思し出でて
 いかにもと、お思い出しになって、
  Geni, to obosi-ide te,
4.3.6  「 荒かりし波のまよひに住吉の
 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
    "Arakari si nami no mayohi ni Sumiyosi no
4.3.7   神をばかけて忘れやはする
  念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
    Kami wo ba kake te wasure ya ha suru
4.3.8   験ありな
 霊験あらたかであったな」
  Sirusi ari na!"
4.3.9  とのたまふも、いとめでたし。
 とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。
  to notamahu mo, ito medetasi.
注釈195夜一夜いろいろのことをせさせたまふ「させ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。また「させ」を尊敬の助動詞と解することも可能か。4.3.1
注釈196惟光やうの人乳母子として源氏と辛苦を共にしてきた、という意。4.3.2
注釈197住吉の松こそものはかなしけれ神代のことをかけて思へば惟光の歌。「住吉」と「松」は縁語。「松」に「まづ」を掛ける。「かなしけれ」は感慨無量の意。「神代」は神話時代に流離生活の過去の意をこめる。4.3.3
注釈198げにと思し出でて惟光の歌に納得した源氏の気持ち。4.3.5
注釈199荒かりし波のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする源氏の返歌。惟光の「神代のこと」「かけて思へば」に対して「住吉の神」「かけて忘れやはする」と返した。「やは」係助詞。「する」連体形、反語表現。忘れたりしようか、決して忘れない。4.3.6
注釈200験ありな歌に添えた言葉。4.3.8
4.4
第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る


4-4  Genji sends out a waka to Akashi-no-Kimi

4.4.1  かの明石の舟、この響きに圧されて、過ぎぬることも聞こゆれば、「 知らざりけるよ」と、あはれに思す。神の御しるべを思し出づるも、おろかならねば、「 いささかなる消息をだにして、心慰めばや。 なかなかに思ふらむかし」と思す。
 あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。
  Kano Akasi no hune, kono hibiki ni osa re te, sugi nuru koto mo kikoyure ba, "Sira zari keru yo!" to, ahare ni obosu. Kami no ohom-sirube wo obosi-iduru mo, oroka nara ne ba, "Isasaka naru seusoko wo dani si te, kokoro nagusame baya. Naka-naka ni omohu ram kasi." to obosu.
4.4.2  御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ。難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、
 御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、
  Mi-yasiro tati tama' te, tokoro-dokoro ni seuyou wo tukusi tamahu. Naniha no ohom-harahe, nana-se ni yosohosiu tuka-maturu. Horie no watari wo go-ran-zi te,
4.4.3  「 今はた同じ難波なる
 「今はた同じ難波なる」
  "Ima hata onazi Naniha naru."
4.4.4  と、御心にもあらで、うち誦じたまへるを、御車のもと近き惟光、 うけたまはりやしつらむ、さる召しもやと、例にならひて懐にまうけたる柄短き筆など、御車とどむる所にてたてまつれり。「 をかし」と思して、畳紙に、
 と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光、聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、
  to, mi-kokoro ni mo ara de, uti-zyu-zi tamahe ru wo, mi-kuruma no moto tikaki Koremitu, uketamahari ya si tu ram, saru mesi mo ya to, rei ni narahi te hutokoro ni mauke taru tuka mizikaki hude nado, mi-kuruma todomuru tokoro nite tatemature ri. "Wokasi" to obosi te, tatau-gami ni,
4.4.5  「 みをつくし恋ふるしるしにここまでも
 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
    "Mi wo tukusi kohuru sirusi ni koko made mo
4.4.6   めぐり逢ひけるえには深しな
  めぐり逢えたとは、縁は深いのですね
    meguri-ahi keru eni ha hukasi na
4.4.7  とて、たまへれば、かしこの心知れる下人して遣りけり。駒並めて、うち過ぎたまふにも、 心のみ動くに、露ばかりなれど、 いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。
 と書いて、お与えになると、あちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。馬を多数並べて、通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。
  tote, tamahe re ba, kasiko no kokoro-sire ru simo-bito si te yari keri. Koma name te, uti-sugi tamahu ni mo, kokoro nomi ugoku ni, tuyu bakari nare do, ito ahare ni katazikenaku oboye te, uti-naki nu.
4.4.8  「 数ならで難波のこともかひなきに
 「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに
    "Kazu nara de Naniha no koto mo kahinaki ni
4.4.9   などみをつくし思ひそめけむ
  どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう
    nado miwotukusi omohi-some kem
4.4.10  田蓑の島に御禊仕うまつる、御祓への物につけてたてまつる。日暮れ方になりゆく。
 田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。日も暮れ方になって行く。
  Tamino no sima ni misogi tukau-maturu, ohom-harahe no mono ni tuke te tatematuru. Hi kure-gata ni nari yuku.
4.4.11   夕潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほど あはれなる折からなればにや、人目もつつまず、あひ見まほしくさへ思さる。
 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。
  Yuhusiho miti-ki te, irie no tadu mo kowe wosima nu hodo no ahare naru wori kara nare ba ni ya, hito-me mo tutuma zu, ahi-mi mahosiku sahe obosa ru.
4.4.12  「 露けさの昔に似たる旅衣
 「涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
    "Tuyukesa no mukasi ni ni taru tabi-goromo
4.4.13    田蓑の島の名には隠れず
  田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので
    Tamino-no-sima no na ni ha kakure zu
4.4.14  道のままに、かひある逍遥遊びののしりたまへど、御心にはなほかかりて思しやる。遊女どもの集ひ参れる、上達部と聞こゆれど、若やかにこと好ましげなるは、皆、 目とどめたまふべかめり。されど、「 いでや、をかしきことも、もののあはれも、人からこそあべけれ。なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを」と思すに、 おのが心をやりて、よしめきあへるも疎ましう思しけり。
 道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。遊女連中が集まって参っているが、上達部と申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。けれども、「さあ、風流なことも、ものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。普通の恋愛でさえ、少し浮ついたものは、心を留める点もないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。
  Miti no mama ni, kahi aru seuyeu asobi nonosiri tamahe do, mi-kokoro ni ha naho kakari te obosi-yaru. Asobi-domo no tudohi-mawire ru, Kamdatime to kikoyure do, wakayaka ni koto konomasige naru ha, mina, me todome tamahu beka' meri. Saredo, "Ide ya, wokasiki koto mo, mono no ahare mo, hito kara koso a' bekere. Nanome naru koto wo dani, sukosi ahaki kata ni yori nuru ha, kokoro todomuru tayori naki mono wo." to obosu ni, onoga kokoro wo yari te, yosimeki-ahe ru mo utomasiu obosi keri.
注釈201知らざりけるよ源氏の心中。4.4.1
注釈202いささかなる消息をだにして以下「思ふらむかし」まで、源氏の心中。「だに」副助詞、最小限の希望の意。せめて消息だけでも。4.4.1
注釈203なかなかに思ふらむかしなまじ遭遇したばかりに、という意がこめられている。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が明石の君の気持ちを遠くから忖度しているニュアンス。4.4.1
注釈204今はた同じ難波なる源氏の独り言。「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ」(後撰集恋五、九六〇、元良親王)の第二句。真意は、下句の「身をつくしても逢はむとぞ思ふ」にある。明石の君に何としてでも逢いたい。4.4.3
注釈205うけたまはりやしつらむ「や」疑問の間投助詞。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。語り手の推測のニュアンス。挿入句。4.4.4
注釈206をかしと思して『完訳』は「明石の君を思う折しも、彼女への贈歌を促す惟光の機転に喜ぶ」と注す。4.4.4
注釈207みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな源氏から明石の君への贈歌。「澪標」と「身を尽くし」、「難波」と「何は」、「江」と「縁」を掛ける。「澪標」「しるし」「深し」は縁語。同じ日に邂逅したことに二人の縁の深さをいう。4.4.5
注釈208心のみ動くに明石の君。「のみ」副助詞、強調のニュアンス。4.4.7
注釈209数ならで難波のこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ明石の君の返歌。「難波・何は」「澪標・身を尽くし」を受けて、「思ひそめけむ」と切り返した。さらなる愛情を切望してみせた歌。4.4.8
注釈210夕潮満ち来て入江の鶴も声惜しまぬほど「難波潟潮満ち来らし雨衣田蓑の島に鶴鳴き渡る」(古今集雑上、九一三、読人しらず)による叙景。4.4.11
注釈211あはれなる折からなればにや「にや」連語。断定の助動詞「なり」の連用形「に」+「や」疑問の係助詞。語り手の推測を挿入。4.4.11
注釈212露けさの昔に似たる旅衣田蓑の島の名には隠れず源氏の独詠歌。「雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける」(古今集雑上、九一八、貫之)を引歌とする。「昔」は須磨明石流離の時期をさす。4.4.12
注釈213目とどめたまふべかめり「べかめり」複合語。強い主観的推量のニュアンス。目を留めていらっしゃるに違いないようである、の意。4.4.14
注釈214いでや以下「なきものを」まで、源氏の心中。明石の君のことを思うゆえに、遊女には無関心。4.4.14
注釈215おのが心をやりてよしめきあへるも源氏の目から見た遊女のありさま。4.4.14
出典5 今はた同じ難波なる 侘ぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ 後撰集恋五-九六〇 元良親王 4.4.3
出典6 夕潮満ち来て 難波潟潮満ち来らし海人衣田蓑の島に鶴鳴き渡る 古今集雑上-九一三 読人しらず 4.4.11
出典7 田蓑の島の名には隠れず 雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける 古今集雑上-九一八 紀貫之 4.4.13
校訂30 いと いと--(/+いと) 4.4.7
4.5
第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる


4-5  Akashi-no-Kimi visits to Sumiyoshi-shrine

4.5.1  かの人は、過ぐしきこえて、またの日ぞ吉ろしかりければ、御幣たてまつる。ほどにつけたる願どもなど、かつがつ果たしける。 また、なかなかもの思ひ添はりて、明け暮れ、口惜しき身を思ひ嘆く。
 あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。身分相応の願ほどきなど、ともかくも済ませたのであった。また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。
  Kano hito ha, sugusi kikoye te, mata-no-hi zo yorosikari kere ba, mitegura tatematuru. Hodo ni tuke taru gwan-domo nado, katu-gatu hatasi keru. Mata, naka-naka mono-omohi sohari te, ake-kure, kutiwosiki mi wo omohi-nageku.
4.5.2  今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず、御使あり。このころのほどに迎へむことをぞのたまへる。
 今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。近々のうちに迎えることをおっしゃっていた。
  Ima ya Kyau ni ohasi-tuku ram to omohu hi-kazu mo he zu, ohom-tukahi ari. Kono-koro no hodo ni mukahe m koto wo zo notamahe ru.
4.5.3  「 いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、 島漕ぎ離れ、中空に心細きことやあらむ」
 「とても頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
  "Ito tanomosige ni, kazumahe notamahu mere do, isa ya, mata, sima kogi-hanare, nakazora ni kokoro-bosoki koto ya ara m?"
4.5.4  と、思ひわづらふ。
と思い悩む。
  to, omohi-wadurahu.
4.5.5  入道も、さて出だし 放たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐさむを思はむも、なかなか来し方の年ごろよりも、心尽くしなり。よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。
 入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。
  Nihudau mo, sate idasi-hanata m ha, ito usirometau, saritote, kaku udumore sugusa m wo omoha m mo, naka-naka kisi-kata no tosi-goro yori mo, kokoro-dukusi nari. Yorodu ni tutumasiu, omohi-tati gataki koto wo kikoyu.
注釈216また、なかなかもの思ひ添はりて『集成』は「(源氏方の盛大な願果しを目のあたりにしたために)住吉参詣が、かえって物思いを増すことになって」と注す。4.5.1
注釈217いと頼もしげに以下「心細きことやあらむ」まで、明石の君の心中。4.5.3
注釈218島漕ぎ離れ「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島漕ぎ離れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)を踏まえた措辞。4.5.3
出典8 島漕ぎ離れ 今はとて島漕ぎ離れ行く舟にひれ振る袖を見るぞ悲しき 落窪物語-七二 4.5.3
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ 古今集羈旅-四〇九 読人しらず
校訂31 放たむは 放たむは--はなたむと(と/$は) 4.5.5
Last updated 6/21/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Latest updated 6/21/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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