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14 澪標(大島本)
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MIWOTUKUSI
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光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29
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1 |
第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり
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1 Tale of Hikaru-Genji Behaves as a leader in the political world
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1.1 |
第一段 故桐壷院の追善法華御八講
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1-1 Genji holds the memorial service, Hokke-hakkou, for Kiritsubo-in
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1.1.1 |
さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、「 いかで、かの沈みたまふらむ ★罪、救ひたてまつることをせむ」と、思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御急ぎしたまふ。神無月に御八講したまふ。 世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。
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はっきりとお見えになった夢の後は、院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらしたが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。神無月に御八講をお催しになる。世間の人が追従し奉仕すること、昔と同じようである。
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Sayaka ni miye tamahi si yume no noti ha, Win-no-Mikado no ohom-koto wo kokoro ni kake kikoye tamahi te, "Ikade, kano sidumi tamahu ram tumi, sukuhi tatematuru koto wo se m." to, obosi-nageki keru wo, kaku kaheri tamahi te ha, sono ohom-isogi si tamahu. Kamnaduki ni mi-Ha'kau si tamahu. Yo no hito nabiki tukau-maturu koto, mukasi no yau nari.
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1.1.2 |
大后、御悩み重くおはしますうちにも、「 つひにこの人をえ消たずなりなむこと」と、心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、直し立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこり悩ませたまひし御目も、さはやぎたまひぬれど、「 おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこと」とのみ、 久しからぬことを 思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人も、あいなく、うれしきことに喜びきこえける。
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皇太后、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。政治の事なども、隔意なく仰せになり仰せになっては、御本意のようなので、世間一般の人々も、関係なくも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。
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Oho-Gisaki, ohom-nayami omoku ohasimasu uti ni mo, "Tuhi ni kono hito wo e keta zu nari na m koto." to, kokoro-yami obosi kere do, Mikado ha Win no go-yuigon wo omohi kikoye tamahu. Mono no mukuyi ari nu beku obosi keru wo, nahosi-tate tamahi te, mi-kokoti suzusiku nam obosi keru. Toki-doki okori nayama se tamahi si ohom-me mo, sahayagi tamahi nure do, "Ohokata yo ni e nagaku aru maziu, kokoro-bosoki koto." to nomi,hisasikara nu koto wo obosi tutu, tune ni mesi ari te, Genzi-no-Kimi ha mawiri tamahu. Yononaka no koto nado mo, hedate naku notamaha se tutu, ohom-ho'i no yau nare ba, ohokata no yo no hito mo, ainaku, uresiki koto ni yorokobi kikoye keru.
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1.2 |
第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執
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1-2 A love triangle feud with Suzaku and Genji to Oborozukiyo
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1.2.1 |
下りゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、 尚侍、心細げに 世を思ひ嘆きたまへる、 いとあはれに思されけり。
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御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君、心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのが、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
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Ori-wi na m no mi-kokoro-dukahi tikaku nari nuru mo, Naisi-no-Kami, kokoro-bosoge ni omohi nageki tamahe ru, ito ahare ni obosa re keri.
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1.2.2 |
「 大臣亡せたまひ、大宮も頼もしげなくのみ篤いたまへるに、 我が世残り少なき心地するになむ、いといとほしう、名残なきさまにて とまりたまはむとすらむ。昔より、 人には思ひ落としたまへれど、 みづからの心ざしのまたなきならひに、ただ御ことのみなむ、あはれにおぼえける。 立ちまさる人、また御本意ありて見たまふとも、おろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむと思ふさへこそ、心苦しけれ」
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「大臣がお亡くなりになり、大宮も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、かつてとすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。以前から、あの人より軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは、及ばないだろうと思うのさえ、たまらないのです」
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"Otodo use tamahi, Oho-Miya mo tanomosige naku nomi atui tamahe ru ni, waga yo nokori sukunaki kokoti suru ni nam, ito itohosiu, nagori naki sama nite tomari tamaha m to su ram. Mukasi yori, hito ni ha omohi-otosi tamahe re do, midukara no kokorozasi no mata naki narahi ni, tada ohom-koto nomi nam, ahare ni oboye keru. Tati-masaru hito, mata ohom-ho'i ari te mi tamahu tomo, oroka nara nu kokorozasi ha simo, nazuraha zara m to omohu sahe koso, kokoro-gurusikere."
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1.2.3 |
とて、うち泣きたまふ。
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と言って、お泣きあそばす。
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tote, uti-naki tamahu.
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1.2.4 |
女君、顔はいと赤く匂ひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを、 よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと 御覧ぜらる。
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女君、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれたのを、一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。
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Womna-Gimi, kaho ha ito akaku nihohi te, koboru bakari no ohom-aigyau ni te, namida mo kobore nuru wo, yorodu no tumi wasure te, ahare ni rautasi to go-ran-ze raru.
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1.2.5 |
「 などか、御子をだに持たまへるまじき ★。口惜しうもあるかな。 契り深き人のためには、今見出でたまひてむと思ふも、口惜しや。 限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし」
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「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。残念なことよ。ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」
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"Nado ka, miko wo dani mo' tamahe ru maziki. Kutiwosiu mo aru kana! Tigiri hukaki hito no tame ni ha, ima mi-ide tamahi te m to omohu mo, kutiwosi ya! Kagiri are ba, tadaudo ni te zo mi tamaha m kasi."
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1.2.6 |
など、行く末のことをさへのたまはするに、 いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ。御容貌など、なまめかしうきよらにて、限りなき御心ざしの年月に添ふやうにもてなさせたまふに、 めでたき人なれど、さしも 思ひたまへらざりしけしき、心ばへなど、もの思ひ知られたまふままに、「 などて、わが心の若くいはけなきにまかせて、さる騷ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいはず、人の御ためさへ」など思し出づるに、 いと憂き御身なり。
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などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。お顔など、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすので、素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子、気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。
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nado, yuku-suwe no koto wo sahe notamaha suru ni, ito hadukasiu mo kanasiu mo oboye tamahu. Ohom-katati nado, namamekasiu kiyora ni te, kagiri naki mi-kokorozasi no tosi-tuki ni sohu yau ni motenasa se tamahu ni, medetaki hito nare do, sasimo omohi tamahe ra zari si kesiki, kokorobahe nado, mono-omohi sira re tamahu mama ni, "Nado te, waga kokoro no wakaku ihakenaki ni makase te, saru sawagi wo sahe hiki-ide te, waga na wo ba sarani mo iha zu, hito no ohom-tame sahe." nado obosi-iduru ni, ito uki ohom-mi nari.
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1.3 |
第三段 東宮の御元服と御世替わり
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1-3 Tougu growns-up and ascends the throne
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1.3.1 |
明くる年の如月に、春宮の御元服のことあり。十一になりたまへど、ほどよりおほきに、おとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つに写したらむやうに見えたまふ。いとまばゆきまで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮は、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ。
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翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
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Akuru-tosi no Kisaragi ni, Touguu no go-genbuku no koto ari. Zihu-iti ni nari tamahe do, hodo yori ohoki ni, otonasiu kiyora ni te, tada Genzi-no-Dainagon no ohom-kaho hutatu ni utusi tara m yau ni miye tamahu. Ito mabayuki made hikari-ahi tamahe ru wo, yo-hito medetaki mono ni kikoyure do, Haha-Miya ha, imiziu katahara itaki koto ni, ainaku mi-kokoro wo tukusi tamahu.
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1.3.2 |
内裏にも、めでたしと見たてまつりたまひて、世の中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。
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主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
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Uti ni mo, medetasi to mi tatematuri tamahi te, yononaka yuduri kikoye tamahu beki koto nado, natukasiu kikoye sira se tamahu.
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1.3.3 |
同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后思しあわてたり。
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同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
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Onazi tuki no nizihu-yo-niti, mi-kuni-yuduri no koto nihaka nare ba, Oho-Gisaki obosi-awate tari.
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1.3.4 |
「 かひなきさまながらも、 心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり」
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「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
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"Kahinaki sama nagara mo, kokoro nodoka ni go-ran-ze raru beki koto wo omohu nari."
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1.3.5 |
とぞ、聞こえ慰めたまひける。
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といって、お慰め申し上げあそばすのであった。
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to zo, kikoye nagusame tamahi keru.
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1.3.6 |
坊には 承香殿の皇子ゐたまひぬ。世の中改まりて、引き変へ今めかしきことども多かり。源氏の大納言、内大臣になりたまひぬ。 数定まりて、くつろぐ所もなかりければ、加はりたまふなりけり。
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東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。
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Bau ni ha Syoukyauden-no-Miko wi tamahi nu. Yononaka aratamari te, hiki-kahe imamekasiki koto-domo ohokari. Genzi-no-Dainagon, Naidaizin ni nari tamahi nu. Kazu sadamari te, kuturogu tokoro mo nakari kere ba, kuhahari tamahu nari keri.
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1.3.7 |
やがて世の政事を したまふべきなれど、「 さやうの事しげき職には堪へずなむ ★」とて、致仕の大臣、摂政したまふべきよし、譲りきこえたまふ。
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ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのようないそがしい職務には耐えられない」と言って、致仕の大臣に、摂政をなさるように、お譲り申し上げなさる。
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Yagate yo no maturigoto wo si tamahu beki nare do, "Sayau no koto sigeki syoku ni ha tahe zu nam." tote, Tizi-no-Otodo, set'syau si tamahu beki yosi, yuduri kikoye tamahu.
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1.3.8 |
「 病によりて、位を返したてまつりてしを、いよいよ老のつもり添ひて、さかしきことはべらじ」
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「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」
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"Yamahi ni yori te, kurawi wo kahesi tatematuri te si wo, iyo-iyo oyi no tumori sohi te, sakasiki koto habera zi."
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1.3.9 |
と、受けひき申したまはず。「 人の国にも、こと移り世の中定まらぬ折は、深き山に跡を絶えたる人だにも、治まれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことの聖にはしけれ。病に沈みて、返し申したまひける位を、世の中変はりてまた改めたまはむに、さらに咎あるまじう」、 公、私定めらる。さる例もありければ、すまひ果てたまはで、太政大臣になりたまふ。 御年も六十三にぞなりたまふ。
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と、ご承諾なさらない。「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時は、深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には、白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖人だと言っていた。病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷、世間ともに決定される。そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。お歳も六十三におなりである。
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to, uke-hiki mausi tamaha zu. "Hito-no-kuni ni mo, koto uturi yononaka sadamara nu wori ha, hukaki yama ni ato wo taye taru hito dani mo, wosamare ru yo ni ha, siro-kami mo hadi zu ide tukahe keru wo koso, makoto no hiziri ni ha si kere. Yamahi ni sidumi te, kahesi mausi tamahi keru kurawi wo, yononaka kahari te mata aratame tamaha m ni, sarani toga aru maziu", ohoyake, watakusi sadame raru. Saru tamesi mo ari kere ba, sumahi-hate tamaha de, Daizyau-Daizin ni nari tamahu. Ohom-tosi mo rokuzihu-sam ni zo nari tamahu.
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1.3.10 |
世の中すさまじきにより、かつは 籠もりゐたまひしを、とりかへし花やぎたまへば、御子どもなど沈むやうにものしたまへるを、皆浮かびたまふ。とりわきて、 宰相中将、権中納言になりたまふ。かの四の君の御腹の姫君、十二になりたまふを、内裏に参らせむとかしづきたまふ。 かの「高砂」歌ひし君も、かうぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹々に御子どもいとあまた次々に 生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣は羨みたまふ。
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世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。あの四の君腹の姫君、十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は、羨ましくお思いになる。
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Yononaka susamaziki ni yori, katu ha komori-wi tamahi si wo, tori-kahesi hanayagi tamahe ba, Miko-domo nado sidumu yau ni monosi tamahe ru wo, mina ukabi tamahu. Toriwaki te, Saisyau-no-Tyuuzyau, Gon-no-Tyuunagon ni nari tamahu. Kano Si-no-Kimi no ohom-hara no Hime-Gimi, zihu-ni ni nari tamahu wo, Uti ni mawira se m to kasiduki tamahu. Kano Takasago utahi si Kimi mo, kauburi se sase te, ito omohu sama nari. Hara-bara ni Miko-domo ito amata tugi-tugi ni ohi-ide tutu, nigihahasige naru wo, Genzi-no-Otodo ha urayami tamahu.
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1.3.11 |
大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、 内裏、春宮の殿上したまふ。 故姫君の亡せたまひにし嘆きを、宮、大臣、またさらに改めて思し嘆く。されど、おはせぬ名残も、ただこの大臣の御光に、 よろづ もてなされたまひて ★、年ごろ、思し沈みつる名残なきまで栄えたまふ。なほ昔に御心ばへ変はらず、折節ごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御乳母たち、さらぬ人びとも、 年ごろのほどまかで散らざりけるは、皆さるべきことに触れつつ、 よすがつけむことを思しおきつるに、 幸ひ人多くなりぬべし。
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大殿腹の若君、誰よりも格別におかわいらしゅうて、内裏や東宮御所の童殿上なさる。故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣、改めてお嘆きになる。けれど、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
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Ohotono-bara no Waka-Gimi, hito yori koto ni utukusiu te, Uti, Touguu no tenzyau si tamahu. Ko-Hime-Gimi no use tamahi ni si nageki wo, Miya, Otodo, mata sara ni aratame te obosi nageku. Saredo, ohase nu nagori mo, tada kono Otodo no ohom-hikari ni, yorodu motenasa re tamahi te, tosi-goro, obosi sidumi turu nagori naki made sakaye tamahu. Naho mukasi ni mi-kokorobahe kahara zu, wori-husi goto ni watari tamahi nado si tutu, Waka-Gimi no ohom-menoto-tati, saranu hito-bito mo, tosi-goro no hodo makade tira zari keru ha, mina saru-beki koto ni hure tutu, yosuga tuke m koto wo obosi-oki turu ni, saihahi-bito ohoku nari nu besi.
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1.3.12 |
二条院にも、同じごと待ちきこえける人を、あはれなるものに思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、 中将、中務やうの人びとには、ほどほどにつけつつ情けを見えたまふに、御いとまなくて、他歩きもしたまはず。
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二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を、殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになると、中将の君、中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。
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Nideu-no-win ni mo, onazi-goto mati kikoye keru hito wo, ahare naru mono ni obosi te, tosi-goro no mune aku bakari to obose ba, Tyuuzyau, Nakatukasa yau no hito-bito ni ha, hodo-hodo ni tuke tutu nasake miye tamahu ni, ohom-itoma naku te, hoka-ariki mo si tamaha zu.
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1.3.13 |
二条院の東なる宮、院の御処分なりしを、 二なく改め造らせたまふ。「花散里などやうの心苦しき人びと住ませむ」など、思し当てて 繕はせたまふ。
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二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。
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Nideu-no-win no himgasi naru miya, Win no go-syobun nari si wo, ninaku aratame tukura se tamahu. "Hanatirusato nado yau no kokoro-gurusiki hito-bito suma se m." nado, obosi-ate te tukuroha se tamahu.
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Last updated 6/21/2001 渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2) Last updated 6/21/2001 渋谷栄一注釈(ver.1-1-2) |
Latest updated 6/21/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 8/19/2002 Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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