13 明石(大島本)


AKASI


光る源氏の二十七歳春から二十八歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語


Tale of Hikaru-Genji's parting and comeback, from March at the age of 27 to in fall at the age of 28

2
第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語


2  Tale of Akashi  Hikaru-Genji's new life in Akashi

2.1
第一段 明石入道の浜の館


2-1  Nyudo's house at the seaside

2.1.1   浜のさま、げにいと心ことなり人しげう見ゆるのみなむ、御願ひに背きける。入道の領占めたる所々、海のつらにも山隠れにも、時々につけて、 興をさかすべき渚の苫屋、行なひをして後世のことを 思ひ澄ましつべき山水のつらに、いかめしき堂を建てて三昧を行なひ、この世のまうけに、 秋の田の実を刈り収め 、残りの 齢積むべき稲の倉町どもなど、折々、所につけたる見どころありてし集めたり。
 浜の様子は、なるほどまことに格別である。人が多く見える点だけが、ご希望に添わないのであった。入道の所領している所々、海岸にも山蔭にも、季節折々につけて、興趣をわかすにちがいない海辺の苫屋、勤行をして来世のことを思い澄ますにふさわしい山川のほとりに、厳かな堂を建てて念仏三昧を行い、この世の生活には、秋の田の実を刈り収めて、余生を暮らすための稲の倉町が幾倉もなど、四季折々につけて、場所にふさわしい見所を多く集めている。
  Hama no sama, geni ito kokoro koto nari. Hito sigeu miyuru nomi nam, ohom-negahi ni somuki keru. Nihudau no ryau-zime taru tokoro-dokoro, umi no tura ni mo yama-gakure ni mo, toki-doki ni tuke te, kyou wo sakasu beki nagisa no tomaya, okonahi wo si te go-se no koto wo omohi-sumasi tu beki yama-midu no tura ni, ikamesiki dau wo tate te sammai wo okonahi, konoyo no mauke ni, aki no ta-no-mi wo kari-wosame, nokori no yohahi tumu beki ine no kura-mati-domo nado, wori-wori, tokoro ni tuke taru mi-dokoro ari te si atume tari.
2.1.2  高潮に怖ぢて、このころ、娘などは岡辺の宿に移して住ませければ、この浜の館に 心やすくおはします
 高潮を恐れて、近頃は、娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この海辺の館に気楽にお過ごになる。
  Taka-siho ni odi te, kono-koro, musume nado ha wokabe no yado ni utusi te suma se kere ba, kono hama no tati ni kokoro-yasuku ohasimasu.
2.1.3   舟より御車にたてまつり移るほど、日やうやうさし上がりて、 ほのかに見たてまつるより、老忘れ、齢延ぶる心地して、笑みさかえて、 まづ住吉の神を、かつがつ拝みたてまつる。 月日の光を手に得たてまつりたる心地して、いとなみ仕うまつること、ことわりなり。
 舟からお車にお乗り移りになるころ、日がだんだん高くなって、ほのかに拝するやいなや、老いも忘れ、寿命も延びる心地がして、笑みを浮かべて、まずは住吉の神をとりあえず拝み申し上げる。月と日の光を手にお入れ申した心地がして、お世話申し上げること、ごもっともである。
  Hune yori mi-kuruma ni tatematuri uturu hodo, hi yau-yau sasi-agari te, honoka ni mi tatematuru yori, oyi wasure, yohahi noburu kokoti si te, wemi-sakaye te, madu Sumiyosi-no-Kami wo, katu-gatu wogami tatematuru. Tuki-hi no hikari wo te ni e tatematuri taru kokoti si te, itonami tukau-maturu koto, kotowari nari.
2.1.4  所のさまをばさらにも言はず、作りなしたる心ばへ、木立、立石、前栽などのありさま、えも言はぬ入江の水など、 絵に描かば、心のいたり少なからむ絵師は描き及ぶまじと見ゆ。 月ごろの御住まひよりは、こよなくあきらかに、なつかしき 御しつらひなど、えならずして住まひけるさまなど、げに都のやむごとなき所々に異ならず、艶にまばゆきさまは、まさりざまにぞ見ゆる。
 天然の景勝はいうまでもなく、こしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。数か月来の住まいよりは、この上なく明るく、好もしい感じがする。お部屋の飾りつけなど、立派にしてあって、生活していた様子などは、なるほど都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しいさまは、むしろ勝っているように見える。
  Tokoro no sama wo ba sarani mo iha zu, tukuri-nasi taru kokoro-bahe, kodati, tate-isi, sensai nado no arisama, e mo iha nu irie no midu nado, we ni kaka ba, kokoro no itari sukunakara m wesi ha kaki oyobu mazi to miyu. Tuki-goro no ohom-sumahi yori ha, koyonaku akiraka ni, natukasiki. Ohom-siturahi nado, e nara zu si te, sumahi keru sama nado, geni miyako no yamgotonaki tokoro-dokoro ni kotonara zu, en ni mabayuki sama ha, masari-zama ni zo miyuru.
注釈169浜のさまげにいと心ことなり明石の浜の様子。「げに」は良清の話を受ける(若紫)。2.1.1
注釈170人しげう見ゆるのみなむ御願ひに背きける「のみ」副助詞、限定・強調。「なむ」係助詞、「ける」過去の助動詞、詠嘆、係結び。強調のニュアンスを添える。2.1.1
注釈171興をさかすべき渚の苫屋「べき」推量の助動詞、当然。きっと興趣を催させるような渚の苫屋。「苫屋」は歌語。2.1.1
注釈172思ひ澄ましつべき山水「つ」完了の助動詞、確述。「べき」推量の助動詞、適当。思いを静かにするにふさわしい山水。2.1.1
注釈173秋の田の実を刈り収め「たのみ」は「田の実」と「頼み」を懸ける。歌語。2.1.1
注釈174齢積むべき稲の倉町ども「つむ」は「齢を積む」と「積む稲の蔵」の両句に掛かる掛詞。「べき」推量の助動詞、当然。2.1.1
注釈175心やすくおはします主語は源氏。『完訳』は「男女を意識しない気安さ」と注す。あらかじめその生活を語る。2.1.2
注釈176舟より御車にたてまつり移るほど話は戻って、源氏が舟から車に乗り換えるところに戻る。「たてまつり」は「乗る」の尊敬語。2.1.3
注釈177ほのかに見たてまつるより主語は明石入道。「ほのか」は「光・色・音・様子などが、うっすらとわずかに現われるさま。その背後に、大きな、厚い、濃い、確かなものの存在が感じられる場合にいう。類義語カスカは、今にも消え入りそうで、あるか無いかのさま」(岩波古語辞典)。「より」格助詞、するやいなや。『集成』は「源氏をそれとなく拝見するやたちまち」。『完訳』は「一目お見上げ申すなり、たちまち」。2.1.3
注釈178月日の光を手に得たてまつりたる心地して無上の喜び。後の「若菜上」に入道は夢に「山の左右より月日の光さやかにさし出でて世を照らす」という様を見て、それが中宮と東宮の誕生の暗示と解したとある。2.1.3
注釈179絵に描かば心のいたり少なからむ絵師は描き及ぶまじ「ば」接続助詞、順接の仮定条件。「む」推量の助動詞、仮定・婉曲。「え」副詞--「まじ」打消推量の助動詞と呼応して、不可能を表す。風景の素晴しさをいう。2.1.4
注釈180月ごろの御住まひよりはこよなくあきらかになつかしき「より」格助詞、比較。「明らか」「懐かし」、須磨の暗く侘しい世界から明るく好ましい世界へと転換。2.1.4
注釈181御しつらひなどえならずして「御」は源氏が住むという意味で付けられた敬語。2.1.4
注釈182住まひけるさまなど、げに都のやむごとなき所々に明石入道の生活。「げに」は良清の言葉を受ける。2.1.4
校訂18 田の実 田の実--た(た/+の<朱>)み 2.1.1
校訂19 まづ まづ--(/+まつ) 2.1.3
校訂20 なつかしき なつかしき--なつかし(し/+き) 2.1.4
2.2
第二段 京への手紙


2-2  Mails to Kyoto

2.2.1   すこし御心静まりては、京の御文ども聞こえたまふ参れりし使は、今は
 少しお心が落ち着いて、京へのお手紙をお書き申し上げになる。参っていた使者は、現在、
  Sukosi mi-kokoro sidumari te ha, Kyau no ohom-humi-domo kikoye tamahu. Mawire ri si tukahi ha, ima ha,
2.2.2  「 いみじき道に出で立ちて悲しき目を見る」
 「ひどい時に使いに立って辛い思いをした」
  "Imiziki miti ni ide-tati te kanasiki me wo miru."
2.2.3  と泣き沈みて、 あの須磨に留まりたるを召して、 身にあまれる物ども多くたまひて遣はすむつましき御祈りの師ども、さるべき所々には、このほどの御ありさま、詳しく言ひつかはすべし。
 と泣き沈んで、あの須磨に留まっていたのを召して、身にあまるほどの褒美を多く賜って遣わす。親しいご祈祷の師たち、しかるべき所々には、このほどのご様子を、詳しく書いて遣わすのであろう。
  to naki sidumi te, ano Suma ni tomari taru wo mesi te, mi ni amare ru mono-domo ohoku tamahi te tukahasu. Mutumasiki ohom-inori no si-domo, saru-beki tokoro-dokoro ni ha, kono hodo no ohom-arisama, kuhasiku ihi-tukahasu besi.
2.2.4   入道の宮ばかりにはめづらかにてよみがへるさまなど聞こえたまふ。二条院のあはれなりしほどの御返りは、書きもやりたまはず、うち置きうち置き、おしのごひつつ聞こえたまふ御けしき、なほことなり。
 入道の宮だけには、不思議にも生き返った様子などをお書き申し上げなさる。二条院からの胸を打つ手紙のお返事には、すらすらと筆もお運びにならず、筆をうち置きうち置き、涙を拭いながらお書き申し上げになるご様子、やはり格別である。
  Nihudau-no-Miya bakari ni ha, meduraka ni te yomigaheru sama nado kikoye tamahu. Nideu-no-Win no ahare nari si hodo no ohom-kaheri ha, kaki mo yari tamaha zu, uti-oki uti-oki, osi-nogohi tutu kikoye tamahu mi-kesiki, naho koto nari.
2.2.5  「 返す返すいみじき目の限りを尽くし果てつるありさまなれば、 今はと世を思ひ離るる心のみまさりはべれど、『 鏡を見ても』とのたまひし面影の離るる世なきを、 かくおぼつかなながらや と、ここら悲しきさまざまのうれはしさは、さしおかれて、
 「繰り返し繰り返し、恐ろしい目の極限を体験し尽くした状態なので、今は俗世を離れたいという気持ちだけが募っていますが、『鏡を見ても』とお詠みになった面影が離れる間がないので、このように遠く離れたまま出来ようかと思うと、たくさんのさまざまな心配事は、二の次に自然と思われて、
  "Kahesu-gahesu imiziki me no kagiri wo tukusi-hateturu arisama nare ba, ima ha to yo wo omohi-hanaruru kokoro nomi masari habere do, 'Kagami wo mi te mo' to notamahi si omokage no hanaruru yo naki wo, kaku obotukana nagara ya to, kokora kanasiki sama-zama no urehasisa ha, sasi-oka re te,
2.2.6    遥かにも思ひやるかな知らざりし
  遠く遥かより思いやっております
    Haruka ni mo omohi-yaru kana sira zari si
2.2.7   浦よりをちに浦伝ひして
  知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても
    ura yori woti ni ura-dutahi si te
2.2.8  夢のうちなる心地のみして、覚め果てぬほど、いかにひがこと多からむ」
 夢の中の心地ばかりして、まだ覚めきらないでいるうちは、どんなにか変なことを多く書いたことでしょう」
  Yume no uti naru kokoti nomi si te, same-hate nu hodo, ikani higa-koto ohokara m."
2.2.9  と、 げに、そこはかとなく 書き乱りたまへるしもぞ、いと見まほしき側目なるを、「いとこよなき御心ざしのほど」と、人びと見たてまつる。
 と、なるほど、とりとめもなくお書き散らしになっているが、まことに側からのぞき込みたくなるようなのを、「たいそう並々ならぬご寵愛のほどだ」と、供の人々は拝見する。
  to, geni, sokohakatonaku kaki midari tamahe ru simo zo, ito mi mahosiki sobame naru wo, "Ito koyonaki mi-kokoro-zasi no hodo." to, hito-bito mi tatematuru.
2.2.10  おのおの、故郷に心細げなる 言伝てすべかめり
 それぞれも、故郷に心細そうな言伝をしているようである。
  Ono-ono, hurusato ni kokoro-bosoge naru kotodute su beka' meri.
2.2.11  を止みなかりし空のけしき、名残なく澄みわたりて、 漁する海人ども誇らしげなり。須磨はいと心細く、海人の岩屋もまれなりしを、人しげき厭ひはしたまひしかど、ここはまた、さまことにあはれなること多くて、よろづに思し慰まる。
 絶え間なく降り続いた空模様も、すっかり晴れわたって、漁をする海人たちも元気がよさそうである。須磨はとても心細く、海人の岩屋さえ数少なかったのに、人の多い嫌悪感はなさったものの、ここはまた一方で、格別にしみじみと心を打つことが多くて、何かにつけて自然と慰められるのであった。
  Wo-yami nakari si sora no kesiki, nagori naku sumi watari te, asari suru ama-domo hokorasige nari. Suma ha ito kokoro-bosoku, ama no ihaya mo mare nari si wo, hito sigeki itohi ha si tamahi sika do, koko ha mata, sama koto ni ahare naru koto ohoku te, yorodu ni obosi-nagusama ru.
注釈183すこし御心静まりては、京の御文ども聞こえたまふ源氏、明石に移ってから京へ手紙を遣る。「京の御文」は京への手紙の意。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。源氏の都の人々に対する敬意。「たまふ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。お気持ちが落ち着いてからどうしたかというと、実は京の人々へお手紙を差し上げたのだ、というニュアンス。2.2.1
注釈184参れりし使は今は「り」完了の助動詞、存続。紫君のもとから参上していた使者。『集成』は「今は」以下「悲しき目を見る」まで、使者の詞とする。『完訳』は「今は」は「言ひつかはすべし」に掛かると解す。2.2.1
注釈185いみじき道に以下「悲しき目を見る」まで、使者の詞。2.2.2
注釈186身にあまれる物ども多くたまひて遣はす「る」完了の助動詞、存続。「ども」接尾語、複数。「遣はす」、都に遣わすとは、あらかじめ結果を語った表現。2.2.3
注釈187むつましき御祈りの師どもさるべき所々には「御祈りの師ども」は源氏の祈祷の師たち。「さるべき所々」とは、『集成』は「そのほか関係の深い陰陽師、呪禁師などの類いであろう。改めて祈祷その他を依頼するためである」と解し、『完訳』は「親族・友人・妻妾など」と解す。2.2.3
注釈188入道の宮ばかりには「ばかり」副助詞、限定・特立。「に」断定の助動詞。「は」係助詞、他との区別。他の人と違って、入道の宮だけには、というニュアンス。2.2.4
注釈189めづらかにてよみがへるさまなど聞こえたまふ「など」副助詞、漠然・婉曲、また例示・同類の存在。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。源氏の藤壷に対する敬意。「たまふ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。『集成』は「不思議なめぐり合せで命をとりとめた事情などを」と訳すが、『完訳』は「天変での命拾いを蘇生であるとする点に注意。源氏の生命の再生されるイメージ」と注す。2.2.4
注釈190返す返すいみじき目の限りを以下「いかにひがこと多からむ」まで、源氏の文。2.2.5
注釈191今はと世を思ひ離るる心のみまさりはべれど「のみ」副助詞、限定・強調。「はべれ」丁寧の補助動詞。出家願望の気持ちが強まる。2.2.5
注釈192鏡を見てもとのたまひし紫の上が詠んだ「別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし」(須磨、第一章三段)という和歌をさす。2.2.5
注釈193かくおぼつかなながらや『集成』は「こうして遠く離れて逢えぬまま出家してしまうのかと思うと(その悲しみに比べれば)」。『完訳』は「「--や」の下に「別れたてまらむ」ぐらいを補い読む」と注す。2.2.5
注釈194遥かにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦伝ひして源氏の贈歌。2.2.6
注釈195げにそこはかとなく「げに」語り手が源氏の手紙の文面に納得した表現。2.2.9
注釈196書き乱りたまへるしもぞいと見まほしき側目なるを「たまへ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。「る」完了の助動詞、存続。「しも」連語(副助詞+係助詞)特立・強調。「ぞ」係助詞、「側目なる」と結ばれるところが「を」接続助詞に続いて、結びの流れとなる。2.2.9
注釈197言伝てすべかめり「べかめり」連語(推量の助動詞「べかる」連体形の撥音便形「べかん」の「ん」が無表記+推量の助動詞「めり」)。語り手の推量。--のように思われる。2.2.10
注釈198漁する海人ども誇らしげなり「漁りする与謝の海人びと誇るらむ浦風ぬるく霞みわたれり」(恵慶法師集)の句による表現。2.2.11
出典2 漁する海人ども誇らしげなり 漁する与謝の海人びとほこるらむ浦風ぬるく霞わたれり 恵慶集-一 2.2.11
校訂21 あの あの--あ(あ/+の) 2.2.3
校訂22 おぼつかなながら おぼつかなながら--おほつかなく(く/$+な)から 2.2.5
2.3
第三段 明石の入道とその娘


2-3  Akashi-no-Nyudo and his daughter

2.3.1   明石の入道、行なひ勤めたるさま、いみじう思ひ澄ましたるを、ただこの娘一人をもてわづらひたるけしき、いと かたはらいたきまで、時々漏らし愁へきこゆ御心地にも、をかしと聞きおきたまひし人なれば、「 かくおぼえなくてめぐりおはしたるも、さるべき契りあるにや」と 思しながら、「 なほ、かう身を沈めたるほどは行なひより他のことは思はじ都の人もただなるよりは、言ひしに違ふと思さむも、心恥づかしう」思さるれば、けしきだちたまふことなし。ことに触れて、「 心ばせ、ありさま、なべてならずもありけるかな」と、 ゆかしう思されぬにしもあらず
 明石の入道、その勤行の態度は、たいそう悟り澄ましているが、ただその娘一人を心配している様子は、とても側で見ているのも気の毒なくらいに、時々愚痴をこぼし申し上げる。ご心中にも、興味をお持ちになった女なので、「このように意外にも廻り合わせなさったのも、そうなるはずの前世からの宿縁があるのか」とお思いになるものの、「やはり、このように身を沈めている間は、勤行より他のことは考えまい。都の人も、普通の場合以上に、約束したことと違うとお思いになるのも、気恥ずかしい」と思われなさると、素振りをお見せになることはない。折にふれて、「気立てや、容姿など、並み大抵ではないのかなあ」と、心惹かれないでもない。
  Akasi-no-Nihudau, okonahi tutome taru sama, imiziu omohi-sumasi taru wo, tada kono musume hitori wo mote-wadurahi taru kesiki, ito kataharaitaki made, toki-doki morasi urehe kikoyu. Mi-kokoti ni mo, wokasi to kiki-oki tamahi si hito nare ba, "Kaku oboye naku te meguri ohasi taru mo, saru-beki tigiri aru ni ya?" to obosi nagara, "Naho, kau mi wo sidume taru hodo ha, okonahi yori hoka no koto ha omoha zi. Miyako no hito mo, tada naru yori ha, ihi si ni tagahu to obosa m mo, kokoro-hadukasiu" obosa rure ba, kesiki-dati tamahu koto nasi. Koto ni hure te, "Kokorobase, arisama, nabete nara zu mo ari keru kana!" to, yukasiu obosa re nu ni simo ara zu.
2.3.2   ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ参らず、もの隔たりたる下の屋にさぶらふ。 さるは明け暮れ見たてまつらまほしう、飽かず思ひきこえて、「 思ふ心を叶へむ」と、仏、神をいよいよ念じたてまつる。
 こちらではご遠慮申し上げて、自身はめったに参上せず、離れた下屋に控えている。その実、毎日お世話申し上げたく思い、物足りなくお思い申して、「何とか願いを叶えたい」と、仏、神をますますお祈り申し上げる。
  Koko ni ha kasikomari te, midukara mo wosa-wosa mawira zu, mono hedatari taru simo-no-ya ni saburahu. Saru ha, ake-kure mi tatematura mahosiu, aka zu omohi kikoye te, "Omohu kokoro wo kanahe m." to, Hotoke, Kami wo iyo-iyo nen-zi tatematuru.
2.3.3   年は六十ばかりになりたれど、いときよげに あらまほしう、行なひさらぼひて人のほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへの ことをも知りて、ものきたなからず、よしづきたることも交れれば、 昔物語などせさせて聞きたまふに、すこしつれづれの紛れなり。
 年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事をもよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっているので、古い話などをさせてお聞きになると、少しは所在なさも紛れるのであった。
  Tosi ha roku-zihu bakari ni nari tare do, ito kiyoge ni aramahosiu, okonahi sarabohi te, hito no hodo no atehaka nare ba ni ya ara m, uti-higami hore-boresiki koto ha are do, inisihe no koto wo mo siri te, mono kitanakara zu, yosi-duki taru koto mo mazire re ba, mukasi-monogatari nado se sase te kiki tamahu ni, sukosi ture-dure no magire nari.
2.3.4   年ごろ、公私御暇なくて、さしも聞き置きたまはぬ世の古事どもくづし出でて、「 かかる所をも人をも、見ざらましかば、さうざうしくやとまで、興ありと思すことも交る。
 ここ数年来、公私にお忙しくて、こんなにお聞きになったことのない世の中の故事来歴を少しずつ説きおこすので、「このような土地や人をも、知らなかったら、残念なことであったろう」とまで、おもしろいとお思いになることもある。
  Tosi-goro, ohoyake watakusi ohom-itoma naku te, sasimo kiki-oki tamaha nu yo no huru-koto-domo kudusi-ide te, "Kakaru tokoro wo mo hito wo mo, mi zara masika ba, sau-zausiku ya!" to made, kyou ari to obosu koto mo maziru.
2.3.5  かうは馴れきこゆれど、いと気高う心恥づかしき御ありさまに、 さこそ言ひしか、つつましうなりて、わが思ふことは心のままにも えうち出できこえぬを、「 心もとなう、口惜し」と、 母君と言ひ合はせて嘆く
 このようにお親しみ申し上げてはいるが、たいそう気高く立派なご様子に、そうはいったものの、遠慮されて、自分の思うことは思うようにもお話し申し上げることができないので、「気がせいてならぬ、残念だ」と、母君と話して嘆く。
  Kau ha nare kikoyure do, ito ke-dakau kokoro-hadukasiki ohom-arisama ni, sa koso ihi sika, tutumasiu nari te, waga omohu koto ha kokoro no mama ni mo e uti-ide kikoye nu wo, "Kokoro-motonau, kutiwosi." to, Haha-gimi to ihi-ahase te nageku.
2.3.6  正身は、「 おしなべての人だに、めやすきは見えぬ世界に、世にはかかる人もおはしけり」と 見たてまつりしにつけて身のほど知られていと遥かにぞ思ひきこえける。親たちのかく思ひあつかふを聞くにも、 「似げなきことかな」と思ふにただなるよりはものあはれなり
 ご本人は、「普通の身分の男性でさえ、まあまあの人は見当たらないこの田舎に、世の中にはこのような方もいらっしゃっるのだ」と拝見したのにつけても、わが身のほどが思い知らされて、とても及びがたくお思い申し上げるのであった。両親がこのように事を進めているのを聞くにも、「不釣り合いなことだわ」と思うと、何でもなかった時よりもかえって物思いがまさるのであった。
  Sauzimi ha, "Osinabete no hito dani, me-yasuki ha miye nu sekai ni, yo ni ha kakaru hito mo ohasi keri." to mi tatematuri si ni tuke te, mi no hodo sira re te, ito haruka ni zo omohi kikoye keru. Oya-tati no kaku omohi-atukahu wo kiku ni mo, "Nigenaki koto kana!" to omohu ni, tada naru yori ha mono ahare nari.
注釈199明石の入道『集成』は「あるじの入道」とする。『大成』校異篇にはに「青」異同ナシ。「河」は「入道」とある。『集成』は「この居館の主人である入道。客人たる源氏に対していう」と注す。2.3.1
注釈200かたはらいたきまで、時々漏らし愁へきこゆ「まで」副助詞、極まり及ぶ程度。「きこゆ」は「言ふ」の謙譲語、入道の源氏に対する敬意。2.3.1
注釈201御心地にもをかしと聞きおきたまひし人なれば「御心地」は源氏の心をさす。「たまひ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。「し」過去の助動詞。「若紫」巻の北山での良清の話を受ける。2.3.1
注釈202かくおぼえなくてめぐりおはしたるもさるべき契りあるにや源氏の心中を地の文で語る。間接話法。「おはし」は「来る」の尊敬語。語り手の源氏に対する敬意。「たる」完了の助動詞。「にや」連語(断定の助動詞+係助詞、疑問)。「さるべき」連語(動詞+推量の助動詞、当然)。『完訳』は「前世の因縁。源氏は明石の君との出会いを運命的なと実感する」と注す。2.3.1
注釈203思しながら「思し」は「思ふ」の尊敬語。源氏に対する敬意。「ながら」接続助詞、逆接。「--ものの」などと同様に、心理の両面を語る常套表現の一つ。2.3.1
注釈204なほかう身を沈めたるほどは以下「心恥づかしう」まで、源氏の心中文。ただしその引用句がなく地の文に続く構文。『完訳』は「以下、源氏の心内語。「心恥づかしう」で、間接話法に移る」。「たる」完了の助動詞、存続。2.3.1
注釈205行なひより他のことは思はじ「じ」打消推量の助動詞。意志の打ち消し。勤行以外の事は考えまいとする源氏の決意。2.3.1
注釈206都の人も紫の君をさす。2.3.1
注釈207ただなるよりは言ひしに違ふと思さむも心恥づかしう思さるれば「言ひしに違ふ」は「程ふるもおぼつかなくは思ほえず言ひしに違ふとばかりはしも」(源氏釈所引、出典未詳)を踏まえた表現。『集成』は「都にいる普通の場合より、愛を誓った言葉に嘘があったとお思いになるであろうことも気はずかしく思われなさるので。「ただなるよりは--」は、遠く離れているからこそ操を守りたい、という気持」と注す。「より」格助詞、比較。「は」係助詞、区別・強調。「思さ」は「思ふ」の尊敬語、源氏の紫の君に対する敬意。「む」推量の助動詞、婉曲。「るれ」自発の助動詞。2.3.1
注釈208心ばせありさまなべてならずもありけるかな源氏の心中。明石の君に関心を抱く。「ける」過去の助動詞、詠嘆。「かな」終助詞、詠嘆。2.3.1
注釈209ゆかしう思されぬにしもあらず「れ」自発の助動詞。「ぬ」打消の助動詞。「に」完了の助動詞、確述。「しも」連語(副助詞+係助詞)、強調。「ず」打消の助動詞。二重否定の構文。委曲を尽くした心情表現。『集成』「お気持がひかれないわけでもない」と注す。2.3.1
注釈210ここにはかしこまりて源氏の御座所をさす。「かしこまりて」の主語は明石入道。2.3.2
注釈211さるはその実は、の意。2.3.2
注釈212明け暮れ見たてまつらまほしう『集成』は「朝夕いつも(婿として)源氏をお世話もうしあげたく」と注す。2.3.2
注釈213思ふ心を叶へむ入道の心中。「思ふ心」、『完訳』は「娘を源氏に縁づけたい気持」と注す。「む」推量の助動詞、願望・意志。他の青表紙諸本「いかて--」とある。2.3.2
注釈214年は六十ばかりになりたれど明石入道の年齢、六十歳ほど。2.3.3
注釈215あらまほしう行なひさらぼひて『完訳』は「勤行に痩せ細るのを好ましいとする、語り手の気持」と注す。2.3.3
注釈216人のほどのあてはかなればにやあらむ『集成』は「次の「いにしへのものを見知りて」以下に掛る」と注す。「にや」連語(断定の助動詞+係助詞、疑問)。「む」推量の助動詞。語り手の疑問・推量を差し挟んだ挿入句。2.3.3
注釈217昔物語などせさせて聞きたまふに「させ」使役の助動詞。源氏が明石入道に。2.3.3
注釈218年ごろ公私御暇なくて源氏の過去数年来の生活をさす。2.3.4
注釈219かかる所をも人をも見ざらましかばさうざうしくや源氏の心中。「ざら」打消の助動詞。「ましか」推量の助動詞、反実仮想。「や」係助詞、反語。見なかったらもの足りないことであったろうに、見たので満足だというニュアンス。2.3.4
注釈220とまで、興ありと思す「まで」副助詞、極まり及ぶ程度。--というまでに。2.3.4
注釈221さこそ言ひしか「こそ」係助詞--「しか」過去助動詞、已然形。逆接用法。娘を源氏に縁づけたいと妻に言ったことを受ける。2.3.5
注釈222えうち出できこえぬを「え」副詞、「ぬ」打消の助動詞、不可能を表す構文。2.3.5
注釈223心もとなう口惜し入道の詞。2.3.5
注釈224母君と言ひ合はせて嘆く入道と母君が一致して事に当たっている様子。2.3.5
注釈225おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に世にはかかる人もおはしけり明石の君の心中。「だに」副助詞、最小限の希望・期待。「に」格助詞、場所。「は」係助詞、区別・強調。「も」係助詞、強調。「けり」過去の助動詞、初めて気づいた感動。2.3.6
注釈226見たてまつりしにつけて「たてまつり」謙譲の補助動詞、明石の君の源氏に対する敬意。「し」過去の助動詞、体験の回想。『集成』は「源氏の姿をほのかに見た趣に書いてある」。『完訳』は「実際には岡辺の邸の明石の君は海辺の邸の源氏に会っていないが、噂に高い源氏の来訪を、まぢかに認識した」と注す。2.3.6
注釈227身のほど知られて「れ」自発の助動詞。明石の君の自己意識。帝の御子である光る源氏と受領の娘である自分という歴然たる身分の差異。2.3.6
注釈228いと遥かにぞ思ひきこえける「ぞ」係助詞、「ける」過去の助動詞、連体形。係結び、強調。2.3.6
注釈229「似げなきことかな」と思ふに「に」接続助詞、順接。明石の君の心中。源氏との縁談を不釣り合いと思う。2.3.6
注釈230ただなるよりはものあはれなり『集成』は「何事もなかったこれまでよりは、ものを思うことも多い。源氏のことが気にかかる娘心をいう」。『完訳』は「源氏との縁談がなかった時に比べて。源氏の出現が、自らの身のわびしさを痛感させる」と注す。2.3.6
校訂23 思されぬに 思されぬに--おほされぬる(る/#に<朱>) 2.3.1
校訂24 こと こと--か(か/$こ)と 2.3.3
2.4
第四段 夏四月となる


2-4  It becomes April in summer

2.4.1   四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷子など、よしあるさまにし出でつつ、よろづに仕うまつりいとなむを、「 いとほしう、すずろなり」と思せど、人ざまのあくまで思ひ上がりたるさまの あてなるに、思しゆるして見たまふ。
 四月になった。衣更えのご装束、御帳台の帷子など、風流な様に作って調進しながら、万事にわたってお世話申し上げるのを、「気の毒でもあり、これほどしてくれなくてもよいものを」とお思いになるが、人柄がどこまでも気位を高くもって上品なので、そのままになさっていらっしゃる。
  Si-gwati ni nari nu. Koromo-gahe no ohom-syauzoku, mi-tyau no katabira nado, yosi aru sama ni si-ide tutu, yorodu ni tukau-maturi itonamu wo, "Itohosiu, suzuro nari" to obose do, hito-zama no akumade omohi-agari taru sama no ate naru ni, obosi yurusi te mi tamahu.
2.4.2  京よりも、うちしきりたる御とぶらひども、たゆみなく多かり。のどやかなる夕月夜に、海の上曇りなく見えわたれるも、住み馴れたまひし故郷の池水、思ひまがへられたまふに、 言はむかたなく恋しきこと、何方となく行方なき心地したまひて、ただ目の前に見やらるるは、淡路島なりけり。
 京からも、ひっきりなしにお見舞いの手紙が、つぎつぎと多かった。のんびりとした夕月夜の晩に、海上に雲もなくはるかに見渡されるのが、お住みなれたお邸の池の水のように、思わず見間違えられなさると、何とも言いようなく恋しい気持ちは、どこへともなくさすらって行く気がなさって、ただ目の前に見やられるのは、淡路島なのであった。
  Kyau yori mo, uti-sikiri taru ohom-toburahi-domo, tayuminaku ohokari. Nodoyaka naru yuhudukiyo ni, umi no uhe kumori naku miye watare ru mo, sumi-nare tamahi si hurusato no ike-midu, omohi-magahe rare tamahu ni, ihamkata-naku kohisiki koto, idukata to naku yukuhe naki kokoti si tamahi te, tada me no mahe ni mi-yara ruru ha Ahadi-sima nari keri.
2.4.3  「 あはと、遥かになどのたまひて、
 「ああ、と遥かに」などとおっしゃって、
  "Aha to, haruka ni" nado notamahi te,
2.4.4  「 あはと見る淡路の島のあはれさへ
 「ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで
    "Aha to miru Ahadi no sima no ahare sahe
2.4.5   残るくまなく澄める夜の月
  すっかり照らしだす今宵の月であることよ
    nokoru kuma naku sume ru yo no tuki
2.4.6   久しう手触れたまはぬ琴を、袋より取り出でたまひて、はかなくかき鳴らしたまへる御さまを、 見たてまつる人もやすからず、あはれに悲しう思ひあへり。
 長いこと手をお触れにならなかった琴を、袋からお取り出しになって、ほんのちょっとお掻き鳴らしになっているご様子を、拝し上げる人々も心が動いて、しみじみと悲しく思い合っている。
  Hisasiu te hure tamaha nu kin wo, hukuro yori tori-ide tamahi te, hakanaku kaki-narasi tamahe ru ohom-sama wo, mi tatematuru hito mo yasukara zu, ahare ni kanasiu omohi-ahe ri.
2.4.7  「 広陵」といふ手を、ある限り弾きすましたまへるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は 身にしみて思ふべかめり。何とも 聞きわくまじきこのもかのものしはふる人どもも、すずろはしくて、 浜風をひきありく
 「広陵」という曲を、秘術の限りを尽くして一心に弾いていらっしゃると、あの岡辺の家でも、松風の音や波の音に響き合って、音楽に嗜みのある若い女房たちは身にしみて感じているようである。何の楽の音とも聞き分けることのできそうにないあちこちの山賤どもも、そわそわと浜辺に浮かれ出て、風邪をひくありさまである。
  Kwauryau to ihu te wo, aru kagiri hiki-sumasi tamahe ru ni, kano wokabe no ihe mo, matu no hibiki nami no oto ni ahi te, kokorobase aru waka-udo ha mi ni simi te omohu beka' meri. Nani to mo kiki-waku maziki konomo-kanomo no sihahuru-hito-domo mo, suzurohasiku te, hama-kaze wo hiki-ariku.
注釈231四月になりぬ更衣の御装束御帳の帷子など季節は夏四月に推移。源氏、琴を弾じて京を思う。2.4.1
注釈232いとほしうすずろなり源氏の心中。『集成』は「困ったものだ、こうまでしなくても、とお思いになるが。入道の献身ぶりをなかば迷惑に思う気持」と注す。2.4.1
注釈233言はむかたなく恋しきこと何方となく行方なき心地したまひて「わが恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今集恋二、六一一、凡河内躬恒)による。2.4.2
注釈234あはと遥かに源氏の詞。「淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも」(新古今集雑上、一五一五、凡河内躬恒)による。2.4.3
注釈235あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月源氏の独詠歌。旅愁を詠んだ歌。2.4.4
注釈236久しう手触れたまはぬ琴を須磨に持参した七絃琴。昨年の秋そして冬に、琴を弾いたことがある。2.4.6
注釈237見たてまつる人も源氏の従者。2.4.6
注釈238広陵といふ手をある限り弾きすましたまへるに「広陵散」は晋の*(ケイ)康という人が夢の中で尭の時代の楽人伶倫から伝え聞いたという秘曲(晋書・*(ケイ)康伝)。2.4.7
注釈239身にしみて思ふべかめり「べかめり」連語(推量の助動詞「べし」の連体形「べかる」の撥音便「ん」の無表記「べか」+推量の助動詞「めり」)。--に違いない。--のように思われる。語り手の推量。2.4.7
注釈240浜風をひきありく「浜風」は「風」と「風邪」の掛詞、言葉遊び。2.4.7
出典3 あはと、遥かに 淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は心からかも 新古今集雑上-一五一五 凡河内躬恒 2.4.3
校訂25 あてなるに あてなるに--あてなさ(さ/$る)に 2.4.1
校訂26 など など--(/+なと) 2.4.3
校訂27 聞き 聞き--(/+きゝ) 2.4.7
2.5
第五段 源氏、入道と琴を合奏


2-5  Genji and Nyudo play in concert with koto

2.5.1  入道もえ堪へで、供養法たゆみて、急ぎ参れり。
 入道もじっとしていられず、供養法を怠って、急いで参上した。
  Nihudau mo e tahe de, kuyau-hohu tayumi te, isogi mawire ri.
2.5.2  「 さらに、背きにし世の中も取り返し 思ひ出でぬべくはべり。後の世に願ひはべる所のありさまも、 思うたまへやらるる夜の、さまかな」
 「まったく、一度捨て去った俗世も改めて思い出されそうでございます。来世に願っております極楽の有様も、かくやと想像される今宵の、妙なる笛の音でございますね」
  "Sara ni, somuki si yononaka mo torikahesi omohi-ide nu beku haberi. Noti no yo ni negahi haberu tokoro no arisama mo, omou tamahe yara ruru yo no sama kana!"
2.5.3  と泣く泣く、めできこゆ。
 と感涙にむせんで、お褒め申し上げる。
  to naku-naku, mede kikoyu.
2.5.4   わが御心にも、折々の御遊び 、その人かの人の琴笛、もしは声の出でしさまに、時々につけて、世にめでられたまひしありさま、帝よりはじめたてまつりて、 もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、人の上もわが御身のありさまも、思し出でられて、夢の心地したまふままに、かき鳴らしたまへる声も、心すごく聞こゆ。
 ご自身でも、四季折々の管弦の御遊、その人あの人の琴や笛の音、または声の出し具合、その時々の催しにおいて絶賛されなさった様子、帝をはじめたてまつり、多くの方々が大切に敬い申し上げなさったことを、他人の身の上もご自身の様子も、お思い出しになられて、夢のような気がなさるままに、掻き鳴らしなさっている琴の音も、寂寞として聞こえる。
  Waga mi-kokoro ni mo, wori-wori no ohom-asobi, sono hito kano hito no koto hue, mosiha kowe no ide si sama ni, toki-doki ni tuke te, yo ni mede rare tamahi si arisama, Mikado yori hazime tatematuri te, mote-kasiduki agame tatematuri tamahi si wo, hito no uhe mo waga ohom-mi no arisama mo, obosi-ide rare te, yume no kokoti si tamahu mama ni, kaki-narasi tamahe ru kowe mo, kokoro-sugoku kikoyu.
2.5.5   古人は涙もとどめあへず 、岡辺に、琵琶、 の琴取りにやりて、 入道、琵琶の法師になりて、いとをかしう珍しき手一つ二つ弾きたり。
 老人は涙も止めることができず、岡辺の家に、琵琶、箏の琴を取りにやって、入道は、琵琶法師になって、たいそう興趣ある珍しい曲を一つ二つ弾き出した。
  Huru-hito ha namida mo todome-ahe zu, wokabe ni, biwa, syau-no-koto tori ni yari te, Nihudau, biwa no hohusi ni nari te, ito wokasiu medurasiki te hitotu hutatu hiki tari.
2.5.6   箏の御琴参りたれば、少し弾きたまふも、さまざまいみじうのみ思ひきこえたり。 いと、さしも聞こえぬ物の音だに、折からこそはまさるものなるを はるばると物のとどこほりなき海づらなるに、なかなか、春秋の花紅葉の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる蔭ども、なまめかしきに、水鶏のうちたたきたるは、「 誰が門さして」と、あはれにおぼゆ。
 箏の琴をお進め申したところ、少しお弾きになるのも、さまざまな方面にも、たいそうご堪能だとばかり感じ入り申し上げた。実際には、さほどだと思えない楽の音でさえ、その状況によって引き立つものであるが、広々と何物もない海辺である上に、かえって、春秋の花や紅葉の盛りである時よりも、ただ何ということなく青々と繁っている木蔭が、美しい感じがするので、水鶏が鳴いているのは、「誰が門さして」と、しみじみと興趣が催される。
  Syau-no-ohom-koto mawiri tare ba, sukosi hiki tamahu mo, sama-zama imiziu nomi omohi kikoye tari. Ito, sa si mo kikoye nu mono no ne dani, wori kara koso ha masaru mono naru wo, haru-baru to mono no todokohori naki umi-dura naru ni, naka-naka, haru aki no hana momidi no sakari naru yori ha, tada sokohaka to nau sigere ru kage-domo, namamekasiki ni, kuhina no uti-tataki taru ha, "Taga kado sasi te" to, ahare ni oboyu.
2.5.7  音もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも、御心とまりて、
 音色もまこと二つとないくらい素晴らしく出す二つの琴を、たいそう優しく弾き鳴らしたのも、感心なさって、
  Ne mo ito ni nau iduru koto-domo wo, ito natukasiu hiki-narasi taru mo, mi-kokoro tomari te,
2.5.8  「 これは、女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそ、をかしけれ
 「この琴は、女性が優しい姿態でくつろいだ感じに弾いたのが、おもしろいですね」
  "Kore ha, womna no natukasiki sama ni te sidokenau hiki taru koso, wokasi kere."
2.5.9  と、 おほかたにのたまふを入道はあいなくうち笑みて
 と、何気なくおっしゃるのを、入道はわけもなく微笑んで、
  to, ohokata ni notamahu wo, Nihudau ha ainaku uti-wemi te,
2.5.10  「 あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらむ。なにがし、延喜の御手より弾き伝へたること、 四代になむなりはべりぬるを、かうつたなき身にて、この世のことは捨て忘れはべりぬるを、もののせちにいぶせき折々は、 かき鳴らしはべりしをあやしう、まねぶ者のはべるこそ、自然にかの先大王の御手に通ひてはべれ山伏のひが耳に、松風を聞きわたしはべるにやあらむ 。いかで、 これも 忍びて聞こしめさせてしがな
 「お弾きあそばす以上に優しい姿態の人は、どこにございましょうか。わたくしは、延喜の帝のご奏法から弾き伝えること、四代になるのでございますが、このようにふがいない身の上で、この世のことは捨て忘れておりましたが、ひどく気の滅入ります時々は、掻き鳴らしておりましたが、不思議にも、それを見よう見真似で弾く者がおりまして、自然とあの先大王のご奏法に似ているのでございます。山伏のようなひが耳では、松風をその音を妙なる音と聞き誤ったのでございましょうか。何とかして、それも一度こっそりとお耳にお入れ申し上げたいものです」
  "Asobasu yori natukasiki sama naru ha, iduko no ka habera m. Nanigasi, Engi no mi-te yori hiki-tutahe taru koto, si-dai ni nam nari haberi nuru wo, kau tutanaki mi ni te, konoyo no koto ha sute-wasure haberi nuru wo, mono no seti ni ibuseki wori-wori ha, kaki-narasi haberi si wo, ayasiu, manebu mono no haberu koso, zinen ni kano sen-daiwau no mi-te ni kayohi te habere. Yamabusi no higa-mimi ni, matu-kaze wo kiki-watasi haberu ni ya ara m? Ikade, kore mo sinobi te kikosimesa se te si gana!"
2.5.11  と聞こゆるままに、うちわななきて、 涙落とすべかめり
 と申し上げるにつれて、身をふるわして、涙を落としているようである。
  to kikoyuru mama ni, uti-wananaki te, namida otosu beka' meri.
2.5.12  君、
 君は、
  Kimi,
2.5.13  「 琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな
 「琴など、琴ともお聞きになるなずのない名人揃いの所で、悔しいことをしたなあ」
  "Koto wo koto to mo kiki tamahu mazikari keru atari ni, netaki waza kana!"
2.5.14  とて、押しやりたまふに、
 と言って、押しやりなさって、
  tote, osi-yari tamahu ni,
2.5.15  「 あやしう、昔より は、女なむ弾き取るものなりける。 嵯峨の御伝へにて、女五の宮、さる世の中の上手にものしたまひけるを、その御筋にて、取り立てて伝ふる人なし。すべて、ただ今世に名を取れる人びと、 掻き撫での心やりばかりにのみあるを、ここにかう 弾きこめたまへりける、いと興ありけることかな。いかでかは、聞くべき」
 「不思議なことに、昔から箏は、女が習得するものであった。嵯峨の帝のご伝授で、女五の宮が、その当時の名人でいらっしゃったが、その御系統で、格別に伝授する人はいません。総じて、ただ現在に著名な人々は、通り一遍の自己満足程度に過ぎないが、ここにそのように隠れて伝えていらっしゃるとは、実に興味深いものですね。ぜひとも、聴いてみたいものです」
  "Ayasiu, mukasi yori sau ha, womna nam hiki-toru mono nari keru. Saga no ohom-tutahe nite, Womna-Go-no-Miya, saru yononaka no zyauzu ni monosi tamahi keru wo, sono ohom-sudi nite, tori-tate te tutahuru hito nasi. Subete, tada ima ni na wo tore ru hito-bito, kaki-nade no kokoro-yari bakari ni nomi aru wo, koko ni kau hiki-kome tamahe ri keru, ito kyou ari keru koto kana! Ikade ka ha, kiku beki."
2.5.16  とのたまふ。
 とおっしゃる。
  to notamahu.
2.5.17  「 聞こしめさむには、何の憚りかはべらむ。御前に召しても。 商人の中にてだにこそ、古琴聞きはやす人は、はべりけれ琵琶なむ、まことの音を弾きしづむる人、いにしへも難うはべりしを、 をさをさとどこほることなうなつかしき手など、 筋ことになむいかでたどるにかはべらむ。荒き波の声に交るは、悲しくも思うたまへられながら、かき積むるもの嘆かしさ、紛るる折々もはべり」
 「お聴きあそばすについては、何の支障がございましょう。御前にお召しになっても。商人の中でさえ、古曲を賞美した人も、ございました。琵琶は、本当の音色を弾きこなす人、昔も少のうございましたが、少しも滞ることない優しい弾き方など、格別でございます。どのように習得したものでございましょう。荒い波の音と一緒なのは、悲しく存じられますが、積もる愁え、慰められる折々もございます」
  "Kikosimesa m ni ha, nani no habakari ka habera m. O-mahe ni mesi te mo. Aki-udo no naka ni te dani koso, huru-koto kiki-hayasu hito ha, haberi kere. Biwa nam, makoto no ne wo hiki-sidumuru hito, inisihe mo katau haberi si wo, wosa-wosa todokohoru koto nau natukasiki te nado, sudi koto ni nam. Ikade tadoru ni ka habera m. Araki nami no kowe ni maziru ha, kanasiku mo omou tamahe rare nagara, kaki-tumuru mono-nagekasisa, magiruru wori-wori mo haberi."
2.5.18  など好きゐたれば、をかしと思して、箏の琴取り替へて賜はせたり。
 などと風流がっているので、おもしろいとお思いになって、箏の琴を取り替えてお与えになった。
  nado suki-wi tare ba, wokasi to obosi te, syau-no-koto tori-kahe te tamahase tari.
2.5.19   げに、いとすぐしてかい弾きたり。今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、ゆの音深う澄ましたり。「 伊勢の海」ならねど、「清き渚に貝や拾はむ 」など、声よき人に歌はせて、我も時々拍子とりて、声うち添へたまふを、 琴弾きさしつつ、めできこゆ。御くだものなど、めづらしきさまにて参らせ、人びとに酒強ひそしなどして、おのづから もの忘れしぬべき夜のさまなり
 なるほど、たいそう上手に掻き鳴らした。現在では知られていない奏法を身につけていて、手さばきもたいそう唐風で、揺の音が深く澄んで聞こえた。「伊勢の海」ではないが、「清い渚で貝を拾おう」などと、声の美しい人に歌わせて、自分でも時々拍子をとって、お声を添えなさるのを、琴の手を度々弾きやめて、お褒め申し上げる。お菓子など、珍しいさまに盛って差し上げ、供の人々に酒を大いに勧めたりして、いつしか物憂さも忘れてしまいそうな夜の様子である。
  Geni, ito sugusi te kai-hiki tari. Ima no yo ni kikoye nu sudi hiki-tuke te, te-dukahi ito itau kara-meki, yu-no-ne hukau sumasi tari. "Ise no umi" nara ne do, "Kiyoki nagisa ni kahi ya hiroha m" nado, kowe yoki hito ni uta utaha se te, ware mo toki-doki hausi tori te, kowe uti-sohe tamahu wo, koto hiki-sasi tutu, mede kikoyu. Ohom-kudamono nado, medurasiki sama nite mawira se, hito-bito ni sake sihi-sosi nado si te, onodukara mono-wasure si nu beki yo no sama nari.
注釈241さらに、背きにし世の中も以下「夜のさまかな」まで、入道の詞。源氏の奏でる琴の音を聞いて極楽もかくやと感嘆する。2.5.2
注釈242思ひ出でぬべくはべり「ぬべく」連語(完了の助動詞「ぬ」確述+推量の助動詞「べく」当然)、当然・強調。「侍り」は「あり」の丁寧語。2.5.2
注釈243わが御心にも折々の御遊び以下、源氏往古を回顧。地の文と心中文とが融合した叙述。2.5.4
注釈244もてかしづきあがめたてまつりたまひしを主語は宮中の身分ある人々。「たてまつり」謙譲の補助動詞。人々の源氏に対する敬意。「たまひ」尊敬の補助動詞。宮中の身分ある人々に対する敬意。「し」過去の助動詞。2.5.4
注釈245古人は涙もとどめあへず明石入道をいう。感激しやすい老人のイメージで「古人」と呼称。2.5.5
注釈246入道琵琶の法師になりて即席の琵琶法師になっての意。2.5.5
注釈247箏の御琴参りたれば「参り」は「出づ」の謙譲語。「たれ」完了の補助動詞、完了。「ば」接続助詞、順接。箏の御琴を差し出し申したところ。2.5.6
注釈248いとさしも聞こえぬ物の音だに折からこそはまさるものなるを「いと」(副詞)、「ぬ」(打消の助動詞)と呼応して、たいして--でないの意。「だに」副助詞、否定構文の中で、例外的・逆接的事態。--でさえ。「こそ」係助詞、「なる」断定の助動詞、に掛かるが、「を」接続助詞、逆接、に続いているので、結びが流れている。たいしてそれほどにも聞こえぬ琴の音でさえ折によっては優れて聞こえるものだが。『完訳』は「実際にはさほどと思えぬ音色でさえ。「--だに」の文脈は、まして源氏の弾奏する秀でた音色は、の気持で、「はるばると」に続く」と注す。2.5.6
注釈249はるばると物のとどこほりなき海づらなるになかなか春秋の花紅葉の盛りなるよりは「なる」断定の助動詞、「に」接続助詞、逆接。何も情趣をおこす物のない広々とした海辺であるにもかかわらず、という文脈。『集成』『完訳』は、添加の意に解す。「なかなか」は「なまめかしき」に掛かる。「なる」断定の助動詞。「より」格助詞、比較。『完訳』は「春秋の情趣を重んずる一般論を否定、夏の木陰の景に注目」と注す。2.5.6
注釈250誰が門さして「まだ宵にうち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ」(源氏釈所引、出典未詳)。誰が門を鎖しての意。2.5.6
注釈251これは女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそをかしけれ源氏の詞。箏の琴をさす。男が緊張して弾くより、女性がやさしい感じで、くつろいで弾いたほうが好いものだ。2.5.8
注釈252おほかたにのたまふを一般論としていうの意。「を」格助詞、目的格。また接続助詞、逆接という解も可能。『完訳』は「源氏の発言は、弾き手が女でなくて残念、の意を含むが、娘とは無関係な一般論」と注す。2.5.9
注釈253入道はあいなくうち笑みて「あいなく」、語り手の価値判断を含んだ感情移入の語。『完訳』は「勝手に娘のことと直感する入道への語り手の評」と注す。2.5.9
注釈254あそばすより以下「聞こしめさせてしがな」まで、入道の詞。娘の明石の君をほのめかす。2.5.10
注釈255四代にしたいに大 他の青表紙諸本「三代に」とある。『集成』『完訳』等は「三代に」と訂正。2.5.10
注釈256かき鳴らしはべりしを「し」過去の助動詞、入道の過去・体験を振り返ったニュアンス。「を」接続助詞、弱い逆接。2.5.10
注釈257あやしうまねぶ者のはべるこそ自然にかの先大王の御手に通ひてはべれ娘のことを暗に言った表現。「こそ」係助詞、「侍れ」丁寧の補助動詞に掛る。強調のニュアンス。2.5.10
注釈258山伏のひが耳に松風を聞きわたしはべるにやあらむ娘の琴の上手を誉めた入道の謙遜の詞。「松風に耳慣れにける山伏は琴を琴とも思はざりけり」(花鳥余情所引、拾遺集歌人の寿玄法師の歌、出典未詳)。2.5.10
注釈259忍びて聞こしめさせてしがな「これ」は娘の琴。「聞こしめさ」(他サ四段)は「聞く」の最高敬語。「て」完了の助動詞、確述。「し」副助詞、強調。「がな」終助詞、願望。こっそりと娘の琴の音をお耳に入れたいものだ。2.5.10
注釈260涙落とすべかめり「べかめり」連語(「べか」推量の助動詞、強い推量、連体形「べかる」が撥音便化して「ん」が表記されない形+「めり」推量の助動詞、主観的推量)、語り手のその場に居合わせて見ているようなニュアンス。2.5.11
注釈261琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな源氏の謙遜の詞。入道の踏まえた和歌を源氏も踏まえて応答。「たまふ」尊敬の補助動詞。源氏の入道に対する敬意。「まじかり」打消推量の助動詞。「ける」過去の助動詞、詠嘆。「かな」終助詞、感動。『集成』は「私の琴など琴ともお聞きになるはずのない所で、うっかりしたことをしたものです」と注す。2.5.13
注釈262あやしう昔より以下「いかでかは聞くべき」まで、源氏の詞。2.5.15
注釈263嵯峨の御伝へにて女五の宮さる世の中の上手にものしたまひけるを嵯峨天皇の第五皇女繁子内親王。嵯峨天皇、繁子内親王が共に箏の琴に巧みであったということは、『秦箏相承血脈』には見えない。2.5.15
注釈264掻き撫での心やりばかりにのみあるを「ばかり」副助詞、程度。「に」断定の助動詞。「のみ」副助詞、限定・強調。「を」接続助詞、逆接。『集成』は「通りいっぺんの自己満足程度にすぎませんが」と注す。2.5.15
注釈265弾きこめたまへりける「たまへ」尊敬の補助動詞、源氏の明石の君に対する敬意。「り」完了の助動詞、存続。「ける」過去の助動詞。『完訳』は「奏法を人知れず隠し伝える意」と注す。2.5.15
注釈266聞こしめさむには以下「折々もはべり」まで、入道の詞。2.5.17
注釈267商人の中にてだにこそ、古琴聞きはやす人は、はべりけれ白楽天の「琵琶行」を踏まえる。「だに」副助詞、最低限の限定。高貴な中では当然だが、身分の賎しい商人の中でさえも、というニュアンス。「こそ」係助詞、「侍れ」已然形に係る。強調。「ふること」は「古事」に「古琴」を連想させた表現。「は」係助詞、区別・特立。2.5.17
注釈268琵琶なむまことの音を「琵琶行」を引いたことから、話題が娘の琵琶について移る。「なむ」係助詞、「すくなう侍し」に掛かるが、「を」接続助詞、逆接に続き、結びが流れている。2.5.17
注釈269をさをさとどこほることなう娘の琵琶の奏法についていう。2.5.17
注釈270筋ことになむ「なむ」係助詞、下に「ある」などの語句が省略された、余意を残した表現。2.5.17
注釈271いかでたどるにかはべらむ「いかで」副詞、疑問。「たどる」は真似して習得する意。「に」断定の助動詞。「か」係助詞、疑問。「侍ら」は「あり」の丁寧語。「む」推量の助動詞、連体形、係結び。主語は明石の君。娘はどのようにして琵琶の奏法を習得したのだろうか。2.5.17
注釈272げにいとすぐして「げに」、明石の入道が言っていたとおりの意。語り手の納得した気持ち。また、源氏の納得の気持ち。2.5.19
注釈273伊勢の海ならねど清き渚に貝や拾はむここは明石の地、伊勢の海ではないが。次の「清き渚に」という語句をいうための枕。催馬楽「伊勢の海」の歌詞。「伊勢の海の清き渚にしほかひになのりそや摘まむ貝や拾はむや玉や拾はむや」。2.5.19
注釈274琴弾きさしつつめできこゆ主語は入道。「つつ」接尾語、同じ動作の繰り返し。「きこゆ」謙譲の補助動詞、入道の源氏に対する敬意。2.5.19
注釈275もの忘れしぬべき夜のさまなり「もの」は憂い、物思い。「ぬべき」連語(完了の助動詞、確述+推量の助動詞、推量)、当然・強調。物思いも忘れてしまうに違いない素晴しい夜の様子である。2.5.19
出典4 誰が門さして まだ宵にうち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ 源氏釈所引、出典未詳 2.5.6
出典5 山伏のひが耳に 松風に耳慣れにける山伏は琴を琴とも思はざりけり 花鳥余情所引、出典未詳 2.5.10
出典6 清き渚に貝や拾はむ 伊勢の海の 清き渚に しほがひに なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや 催馬楽-伊勢の海 2.5.19
校訂28 思うたまへ 思うたまへ--思ひ(思ひ/#おもふ給へ) 2.5.2
校訂29 わが わが--我我(我/#) 2.5.4
校訂30 古人は 古人は--*る人は 2.5.5
校訂31 箏--*笙(生/#笙) 2.5.5
校訂32 だに だに--(/+た)に 2.5.6
校訂33 これも これも--これの(の/#も) 2.5.10
校訂34 箏--*笙 2.5.15
2.6
第六段 入道の問わず語り


2-6  Nyudo talks about his daughter to Genji not asking

2.6.1   いたく更けゆくままに、浜風涼しうて、月も入り方になるままに、澄みまさり、 静かなるほどに御物語残りなく聞こえて、この浦に住みはじめしほどの心づかひ、後の世を勤むるさま、かきくづし聞こえて、この娘のありさま、問はず語りに聞こゆ。 をかしきものの、さすがにあはれと聞きたまふ節もあり
 たいそう更けて行くにつれて、浜風が涼しくなってきて、月も入り方になるにつれて、ますます澄みきって、静かになった時分に、お話を残らず申し上げて、この浦に住み初めたころの心づもりや、来世を願う模様など、ぽつりぽつりお話し申して、自分の娘の様子を、問わず語りに申し上げる。おかしくおもしろいと聞く一面で、やはりしみじみ不憫なとお聞きになる点もある。
  Itaku huke-yuku mama ni, hama-kaze suzusiu te, tuki mo iri-gata ni naru mama ni, sumi masari, ohom-monogatari nokori naku kikoye te, kono ura ni sumi hazime si hodo no kokoro-dukahi, noti no yo wo tutomuru sama, kaki-kudusi kikoye te, kono musume no arisama, tohazu-gatari ni kikoyu. Wokasiki mono no, sasuga ni ahare to kiki tamahu husi mo ari.
2.6.2  「 いと取り申しがたきことなれど、わが君、かうおぼえなき世界に、仮にても、 移ろひおはしましたるは、もし、年ごろ 老法師の祈り申しはべる神仏のあはれびおはしまして、しばしのほど、 御心をも悩ましたてまつるにやとなむ思うたまふる
 「とても取り立てては申し上げにくいことでございますが、あなた様が、このような思いがけない土地に、一時的にせよ、移っていらっしゃいましたことは、もしや、長年この老法師めがお祈り申していました神仏がお憐れみになって、しばらくの間、あなた様にご心労をお掛け申し上げることになったのではないかと存ぜられます。
  "Ito tori mausi gataki koto nare do, waga Kimi, kau oboye naki sekai ni, kari ni te mo, uturohi ohasimasi taru ha, mosi tosi-goro oyi-hohusi no inori mausi haberu Kami Hotoke no aharebi ohasimasi te, sibasi no hodo, mi-kokoro wo mo nayamasi tatematuru ni ya to nam omou tamahuru.
2.6.3  その故は、 住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ女の童いときなうはべりしより、思ふ心はべりて、年ごとの春秋ごとに、かならず かの御社に参ることなむはべる。 昼夜の六時の勤めに、みづからの 蓮の上の願ひをば、さるものにてただこの人を高き本意叶へたまへと、なむ念じはべる
 そのわけは、住吉の神をご祈願申し始めて、ここ十八年になりました。娘がほんの幼少でございました時から、思う子細がございまして、毎年の春秋ごとに、必ずあの住吉の御社に参詣することに致しております。昼夜の六時の勤行に、自分自身の極楽往生の願いは、それはそれとして、ただ自分の娘に高い望みを叶えてくださいと、祈っております。
  Sono yuwe ha, Sumiyosi-no-Kami wo tanomi hazime tatematuri te, kono zihu-hati-nen ni nari haberi nu. Me-no-waraha itokinau haberi si yori, omohu kokoro haberi te, tosi-goto no haru aki goto ni, kanarazu kano Mi-yasiro ni mawiru koto nam haberu. Hiru-yoru no roku-zi no tutome ni, midukara no hatisu no uhe no negahi wo ba, saru mono nite, tada kono hito wo takaki ho'i kanahe tamahe to, nam nen-zi haberu.
2.6.4  前の世の契りつたなくてこそ、かく口惜しき山賤となりはべりけめ、 親、大臣の位を保ちたまへりき。みづからかく田舎の民となりにてはべり。次々、さのみ劣り まからば、何の身にかなりはべらむと、悲しく思ひはべるを、 これは、生れし時より頼むところなむはべる。いかにして都の貴き人にたてまつらむと思ふ心、深きにより、 ほどほどにつけて、あまたの人の嫉みを負ひ、身のためからき目を見る折々も多くはべれど、さらに苦しみと思ひはべらず。 命の限りは狭き衣にもはぐくみはべりなむ。かくながら見捨てはべりなば、波のなかにも交り失せね、となむ掟てはべる」
 前世からの宿縁に恵まれませんもので、このようなつまらない下賤な者になってしまったのでございますが、父親は、大臣の位を保っておられました。自分からこのような田舎の民となってしまったのでございます。子々孫々と、落ちぶれる一方では、終いにはどのようになってしまうのかと悲しく思っておりますが、わが娘は生まれた時から頼もしく思うところがございます。何とかして都の高貴な方に差し上げたいと思う決心、固いものですから、身分が低ければ低いなりに、多数の人々の嫉妬を受け、わたしにとってもつらい目に遭う折々多くございましたが、少しも苦しみとは思っておりません。自分が生きておりますうちは微力ながら育てましょう。このまま先立ってしまったら、海の中にでも身を投げてしまいなさい、と申しつけております」
  Saki no yo no tigiri tutanaku te koso, kaku kutiwosiki yamagatu to nari haberi keme, oya, daizin no kurawi wo tamoti tamahe ri ki. Midukara kaku winaka no tami to nari ni te haberi. Tugi-tugi, sa nomi otori makara ba, nani no mi ni ka nari habera m to, kanasiku omohi haberu wo, kore ha, umare si toki yori tanomu tokoro nam haberu. Ika ni si te miyako no takaki hito ni tatematura m to omohu kokoro, hukaki ni yori, hodo-hodo ni tuke te, amata no hito no sonemi ohi, mi no tame karaki me wo miru wori-wori mo ohoku habere do, sara ni kurusimi to omohi habera zu. Inoti no kagiri ha sebaki koromo ni mo hagukumi haberi na m. Kaku nagara mi-sute haberi na ba, nami no naka ni mo maziri use ne, to nam okite haberu."
2.6.5  など、 すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うち泣きうち泣き聞こゆ。
 などと、全部はお話できそうにもないことを、泣く泣く申し上げる。
  nado, subete manebu beku mo ara nu koto-domo wo, uti-naki uti-naki kikoyu.
2.6.6  君も、ものをさまざま思し続くる 折からはうち涙ぐみつつ聞こしめす
 君も、いろいろと物思いに沈んでいらっしゃる時なので、涙ぐみながら聞いていらっしゃる。
  Kimi mo, mono wo sama-zama obosi-tudukuru wori kara ha, uti-namida-gumi tutu kikosimesu.
2.6.7  「 横さまの罪に当たりて、思ひかけぬ世界にただよふも、何の罪にかとおぼつかなく思ひつる、今宵の御物語に聞き合はすれば、げに浅からぬ前の世の 契りにこそはと、 あはれになむ。などかは、かくさだかに 思ひ知りたまひけることを、今までは告げたまはざりつらむ。都離れし時より、世の常なきもあぢきなう、行なひより他のことなくて 月日を経るに、心も皆くづほれにけり。 かかる人ものしたまふとは、ほの聞きながら、 いたづら人をば ゆゆしきものにこそ思ひ捨てたまふらめと、思ひ屈しつるを、さらば 導きたまふべきにこそあなれ心細き一人寝の慰めにも
 「無実の罪に当たって、思いもよらない地方にさすらうのも、何の罪によるのかと分からなく思っていたが、今夜のお話をうかがって考え合わせてみると、なるほど浅くはない前世からの宿縁であったのだと、しみじみと分かった。どうして、このようにはっきりとご存じであったことを、今までお話してくださらなかったのか。都を離れた時から、世の無常に嫌気がさし、勤行以外のことはせずに月日を送っているうちに、すっかり意気地がなくなってしまった。そのような人がいらっしゃるとは、ほのかに聞いてはいたが、役立たずの者では縁起でもなく思って相手にもなさらぬであろうと、自信をなくしていたが、それではご案内してくださるというのだね。心細い独り寝の慰めにも」
  "Yoko-sama no tumi ni atari te, omohi-kake nu sekai ni tadayohu mo, nani no tumi ni ka to obotukanaku omohi turu, koyohi no ohom-monogatari ni kiki-ahasure ba, geni asakara nu saki-no-yo no tigiri ni koso ha to, ahare ni nam. Nado kaha, kaku sadaka ni omohi-siri tamahi keru koto wo, ima made ha tuge tamaha zari tura m. Miyako hanare si toki yori, yo no tune naki mo adikinau, okonahi yori hoka no koto naku te tuki-hi wo huru ni, kokoro mo mina kuduhore ni keri. Kakaru hito monosi tamahu to ha, hono-kiki nagara, itadura-bito wo ba yuyusiki mono ni koso omohi-sute tamahu rame to, omohi-ku'-si turu wo, sara ba mitibiki tamahu beki ni koso a' nare. Kokoro-bosoki hitori-ne no nagusame ni mo."
2.6.8  などのたまふを、限りなくうれしと思へり。
 などとおっしゃるのを、この上なく光栄に思った。
  nado notamahu wo, kagiri naku uresi to omohe ri.
2.6.9  「 一人寝は君も知りぬやつれづれと
 「独り寝はあなた様もお分かりになったでしょうか
    "Hitori-ne ha kimi mo siri nu ya ture-dure to
2.6.10   思ひ明かしの浦さびしさを
  所在なく物思いに夜を明かす明石の浦の心淋しさを
    omohi-akasi no ura sabisisa wo
2.6.11   まして年月思ひたまへわたるいぶせさを推し量らせたまへ
 まして長い年月ずっと願い続けてまいった気のふさぎようを、お察しくださいませ」
  masite tosi-tuki omohi tamahe wataru ibusesa wo, osihakara se tamahe."
2.6.12  と 聞こゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆゑなからず
 と申し上げる様子、身を震わせていたが、それでも気品は失っていない。
  to kikoyuru kehahi, uti-wananaki tare do, sasuga ni yuwe nakara zu.
2.6.13  「 されど、浦なれたまへらむ人は」とて、
 「それでも、海辺の生活に馴れた人は」とおっしゃって、
  "Saredo, ura-nare tamahe ram hito ha." tote,
2.6.14  「 旅衣うら悲しさに明かしかね
 「旅の生活の寂しさに夜を明かしかねて
    "Tabi-goromo ura-ganasisa ni akasi-kane
2.6.15   草の枕は夢も結ばず
  安らかな夢を見ることもありません
    kusa no makura ha yume mo musuba zu
2.6.16  と、 うち乱れたまへる御さまは、いとぞ愛敬づき、言ふよしなき御けはひなる。 数知らぬことども聞こえ尽くしたれど、うるさしやひがことどもに書きなしたれば、いとど、をこにかたくなしき入道の心ばへも、あらはれぬべかめり
 と、ちょっと寛いでいらっしゃるご様子は、たいそう魅力的で、何ともいいようのないお美しさである。数えきれないほどのことどもを申し上げたが、何とも煩わしいことよ。誇張をまじえて書いたので、ますます、馬鹿げて頑固な入道の性質も、現れてしまったことであろう。
  to, uti-midare tamahe ru ohom-sama ha, ito zo aigyau-duki, ihu yosi naki ohom-kehahi naru. Kazu sira nu koto-domo kikoye-tukusi tare do, urusasi ya! Higa-koto-domo ni kaki-nasi tare ba, itodo, woko ni katakunasiki Nihudau no kokoro-bahe mo, arahare nu beka' meri.
注釈276いたく更けゆくままに入道、源氏に娘のことを問わず語りにかたる。2.6.1
注釈277静かなるほどに供の人々が酒に酔い眠ったころ。2.6.1
注釈278御物語残りなく聞こえて「御」は源氏の耳に入れるというで冠せられた敬語。2.6.1
注釈279をかしきもののさすがにあはれと聞きたまふ節もあり「をかし」は滑稽である、ほほえましいのニュアンス。「あはれ」は不憫である、しみじみと胸をうつのニュアンス。相対立する概念。『完訳』は「いささかおかしみを感じられるが、それでもさすがにしみじみと胸をうたれる思いでお聞きになる所どころもある」と注す。2.6.1
注釈280いと取り申しがたきことなれど以下「交り失せねとなむ掟てはべる」まで、入道の詞。娘のことを源氏に語る。2.6.2
注釈281移ろひおはしましたるは主語は源氏。「おはしまし」は「おはす」より更に高い最高敬語。「たる」完了の助動詞、存続。おいであそばしていますのは。2.6.2
注釈282老法師の祈り申しはべる入道の謙遜の自称。源氏が須磨明石とさすらって来られたのは自分が祈ってそうさせたものだという。2.6.2
注釈283御心をも悩ましたてまつるにやとなむ思うたまふる「御心」は源氏の心をいう。「たてまつる」謙譲の補助動詞、入道の源氏に対する敬意。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。「なむ」係助詞、「給ふる」下二段、謙譲の補助動詞、連体形に掛る。強調のニュアンス。『完訳』は「源氏の流離を、わが信仰の利益ゆえと必然化する」と注す。2.6.2
注釈284住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ娘の出生と年齢に関係する記事だが、「若紫」巻と「須磨」「明石」巻との間で、ややつじつまの合わない年齢記述。今、娘が十八歳ころとすると、「若紫」巻で九歳ころとなり、代々の国司が求婚したという良清の話と合わない。2.6.3
注釈285女の童いときなうはべりしより娘をさしていう。2.6.3
注釈286かの御社に摂津国住吉神社。2.6.3
注釈287昼夜の六時の勤め晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜の勤行。2.6.3
注釈288蓮の上の願ひをばさるものにて極楽往生の願いはそれはそれとして。2.6.3
注釈289ただこの人を高き本意叶へたまへとなむ念じはべる「ただ」副詞は「念じ侍る」に掛かる。「この人」は娘をさす。「を」間投助詞、詠嘆。「高き本意」とは後の「いかにして宮このたかき人にたてまつらむ」をいう。「なむ」係助詞、「侍る」連体形に掛かる。強調のニュアンス。2.6.3
注釈290親大臣の位を保ちたまへりき入道の父は大臣、その弟が按察大納言で源氏の母桐壷更衣の父という家系。2.6.4
注釈291これは、生れし時より頼むところなむはべる「これ」は娘をさす。「なむ」係助詞、「侍る」連体形に掛かる、係結び。強調のニュアンス。後の「若菜」上巻に入道の夢の話として語られる。2.6.4
注釈292ほどほどにつけてあまたの人の嫉みを負ひ「程ほどにつけて」は入道自身の身分についていう。『集成』は「私のようなしがない者でもしがない者なりに」。「あまたの人」は求婚を断った相手の人々。2.6.4
注釈293命の限りは以下「交り失せね」まで、入道の娘に言った詞の引用。「命の限り」は入道の生きている間の意。2.6.4
注釈294すべてまねぶべくもあらぬことどもを語り手の意を介入させた表現。『集成』は「それはもうここにそのまま伝えるのも憚られるような奇妙な話を」。『完訳』は「語り手も語り伝えられぬとする。話の内容の異様さを強調」と注す。2.6.5
注釈295折からは「は」係助詞、区別・強調。時が時なだけに。2.6.6
注釈296うち涙ぐみつつ聞こしめす「つつ」接尾語、二つの動作が並行して行われているさま。「聞こしめす」は「聞く」の最高敬語。2.6.6
注釈297横さまの罪に当たりて以下「一人寝の慰めにも」まで、源氏の詞。入道の申し出、娘との結婚を受諾。「横さま」と清音に読む。北野本「日本書紀」神功摂政元年二月条の訓点。2.6.7
注釈298契りにこそは「こそ」係助詞、「は」係助詞、区別・強調。下に「ありけめ」などの語句が省略。2.6.7
注釈299あはれになむ「なむ」係助詞。下に「思ふ」などの語句が省略。2.6.7
注釈300思ひ知りたまひけることを「たまひ」尊敬の補助動詞。源氏の入道に対する敬意。「ける」過去の助動詞。「を」格助詞、目的。2.6.7
注釈301月日を経るに「経る」連体形。「に」格助詞、時間、--しているうちに。また接続助詞、原因・理由のニュアンスも可能。--していたので。『完訳』は「月日を送っているうちに」と訳す。2.6.7
注釈302かかる人明石の君をさす。2.6.7
注釈303いたづら人源氏自身をいう。2.6.7
注釈304ゆゆしきものにこそ思ひ捨てたまふらめと「こそ」係助詞。「たまふ」尊敬の補助動詞、終止形。源氏の明石の君に対する敬意。「らめ」推量の助動詞、已然形。視界外推量。お思い捨てなさることであろう。2.6.7
注釈305導きたまふべきにこそあなれ「たまふ」尊敬の補助動詞、終止形、源氏の入道に対する敬意。「べき」推量の助動詞、連体形、当然。「に」断定の助動詞。「こそ」係助詞。「あなれ」連語(「ある」動詞、連体形+「なれ」伝聞推定の助動詞、「あんなれ」の撥音の無表記)。2.6.7
注釈306心細き一人寝の慰めにも「に」断定の助動詞。「も」係助詞、強調。下に「あらむ」「せむ」「ならむ」などの語句が省略。余意・余情を表す。2.6.7
注釈307一人寝は君も知りぬやつれづれと思ひ明かしの浦さびしさを入道の贈歌。「も」係助詞、同類。娘の他にあなたもの意。「ぬ」完了の助動詞。「や」係助詞、疑問。「あかし」は「明かし」と「明石」の掛詞。「うら」は「浦」と「心(うら)」の掛詞。2.6.9
注釈308まして年月思ひたまへわたるいぶせさを「まして」は娘や源氏以上にの意。入道自身をいう。「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞。2.6.11
注釈309推し量らせたまへ「せ」尊敬の助動詞、「給へ」尊敬の補助動詞、最高敬語。2.6.11
注釈310聞こゆるけはひうちわななきたれどさすがにゆゑなからず「聞ゆる」は「言ふ」の謙譲語。「けはひ」は直観的に捉えられる人や物の様子をいう。「けしき」が事物の外形を視覚によって捉えたものであるのに対して、「けはひ」は漠然とした全体的な感じをいい、主として聴覚によって捉えられた事物の様子をさす。入道の態度・物腰。『集成』は「老人の興奮のてい」。『完訳』は「打ち明けて感動」。「さすがに」はそうはいっても。前の様子を否定する。「ゆゑなからず」は、『集成』は「品格を失わない」。『完訳』は「やはり気品がにじみ出ている」と注す。2.6.12
注釈311されど浦なれたまへらむ人は源氏の詞。「されど」は入道の詞を受けて否定する。「たまへ」尊敬の補助動詞、已然形。「ら」完了の助動詞、存続。「む」推量の助動詞、婉曲。「人」は明石の君をさす。2.6.13
注釈312旅衣うら悲しさに明かしかね草の枕は夢も結ばず源氏の返歌。「浦悲し」「明かし侘び」と受けて返す。「衣」「裏」は縁語。「あかし」に「明かし」と「明石」を掛ける。2.6.14
注釈313うち乱れたまへる御さま『集成』は「うちとけて本心をお明かしになるご様子は」。『完訳』は「くつろいでいらっしゃる君のお姿は」と訳す。2.6.16
注釈314数知らぬことども聞こえ尽くしたれどうるさしや主語は入道。「うるさしや」は語り手の評言。『集成』は「入道はそのほか数多くのことを源氏にいろいろ申し上げたが、わずらわしいので書かない。以下草子地」と注す。『完訳』は「入道の多弁への語り手の評」と注す。2.6.16
注釈315ひがことどもに書きなしたればいとどをこにかたくなしき入道の心ばへもあらはれぬべかめり「僻事どもに書きなしたれば」の主語は語り手自身。「たれ」完了の助動詞、已然形、「ば」接続助詞、順接の確定条件。書きなしたので。『集成』は「入道の言葉を誇張もまじえて書いたから、一層、馬鹿げて愚かしい入道の性格も、はっきりしたことであろう。「ひがこと」は、間違いの意。入道の話の内容の奇怪さを読者に対して弁解する草子地」。『完訳』は「数々取り違えて書きすぎたので、愚かしく偏屈な入道の気性も、いっそうあらわになってしまいそうである」「語り手は、前の「すべて--」とともに、源氏と明石一族の宿運を異様なものとして強調し、さらに、入道の滑稽で偏屈な人柄に帰して、物語の構想を隠蔽する」と注す。2.6.16
校訂35 まからば まからば--まから(ら/#ら)は 2.6.4
2.7
第七段 明石の娘へ懸想文


2-7  Love letter to Akashi-no-Kimi

2.7.1   思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、涼しう思ひゐたるに、 またの日の昼つ方、岡辺に御文つかはす心恥づかしきさまなめるもなかなか、かかるものの隈にぞ、思ひの外なることも籠もるべかめると、心づかひしたまひて、 高麗の胡桃色の紙に、えならずひきつくろひて
 願いが、まずまず叶った心地がして、すがすがしい気持ちでいると、翌日の昼頃に、岡辺の家にお手紙をおつかわしになる。奥ゆかしい方らしいのも、かえって、このような辺鄙な土地に、意外な素晴らしい人が埋もれているようだと、お気づかいなさって、高麗の胡桃色の紙に、何ともいえないくらい念入りに趣向を調えて、
  Omohu koto, katu-gatu kanahi nuru kokoti si te, suzusiu omohi-wi taru ni, mata no hi no hiru-tu-kata, wokabe ni ohom-humi tukahasu. Kokoro-hadukasiki sama na' meru mo, naka-naka, kakaru mono no kuma ni zo, omohi no hoka naru koto mo komoru beka' meru to, kokoro-dukahi si tamahi te, Koma no kurumi-iro no kami ni, e nara zu hiki-tukurohi te,
2.7.2  「 をちこちも知らぬ雲居に眺めわび
 「何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが
    "Woti-koti mo sira nu kumo-wi ni nagame wabi
2.7.3   かすめし宿の梢をぞ訪ふ
  お噂を耳にしてお便りを差し上げます
    kasume si yado no kozuwe wo zo tohu
2.7.4  『 思ふには』」
 『思ふには』」   'Omohu ni ha'."
2.7.5   とばかりやありけむ
 というぐらいあったのであろうか。
  to bakari ya ari kem?
2.7.6  入道も、人知れず待ちきこゆとて、かの家に 来ゐたりけるもしるければ、御使いとまばゆきまで酔はす。
 入道も、こっそりとお待ち申し上げようとして、あちらの家に来ていたのも期待どおりなので、御使者をたいそうおもはゆく思うほど酔わせる。
  Nihudau mo, hito-sire-zu mati kikoyu tote, kano ihe ni ki-wi tari keru mo sirukere ba, ohom-tukahi ito mabayuki made weha su.
2.7.7  御返り、いと久し。 内に入りてそそのかせど、娘は さらに聞かず。恥づかしげなる御文のさまに、さし出でむ手つきも、 恥づかしうつつまし。 人の御ほど、わが身のほど思ふに、こよなくて 、心地悪しとて寄り臥しぬ。
 お返事には、たいそう時間がかかる。奥に入って催促するが、娘は一向に聞き入れない。気後れするようなお手紙の様子に、お返事をしたためる筆跡も、恥ずかしく気後れして、相手のご身分と、わが身の程を思い比べると、比較にもならない思いがして、気分が悪いといって、物に寄り伏してしまった。
  Ohom-kaheri, ito hisasi. Uti ni iri te sosonokase do, musume ha sarani kika zu. Hadukasige naru ohom-humi no sama ni, sasi-ide m te-tuki mo, hadukasiu tutumasi. Hito no ohom-hodo, waga mi no hodo omohu ni, koyonaku te, kokoti asi tote yori-husi nu.
2.7.8  言ひわびて、入道ぞ書く。
 説得に困って、入道が書く。
  Ihi-wabi te, Nihudau zo kaku.
2.7.9  「 いとかしこきは、田舎びてはべる 袂に、つつみあまりぬるにや さらに見たまへも、及びはべらぬかしこさになむ。さるは、
 「とても恐れ多い仰せ言は、田舎者には、身に余るほどのことだからでございましょうか。まったく拝見させて戴くことなど、思いも及ばぬもったいなさでございます。それでも、
  "Ito kasikoki ha, winaka-bi te haberu tamoto ni, tutumi amari nuru ni ya. Sarani mi tamahe mo, oyobi habera nu kasikosa ni nam. Saru ha,
2.7.10    眺むらむ同じ雲居を眺むるは
  物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは
    Nagamu ram onazi kumowi wo nagamuru ha
2.7.11   思ひも同じ思ひなるらむ
  きっと同じ気持ちだからなのでしょう
    omohi mo onazi omohi naru ram
2.7.12  となむ見たまふる。 いと好き好きしや
 と拝見してます。大変に色めいて恐縮でございます」
  to nam mi tamahuru. Ito suki-zukisi ya!"
2.7.13  と聞こえたり。 陸奥紙に、いたう古めきたれど、書きざまよしばみたり。「 げにも、好きたるかな」と、 めざましう見たまふ。御使に、 なべてならぬ玉裳などかづけたり
 と申し上げた。陸奥紙に、ひどく古風な書き方だが、筆跡はしゃれていた。「なるほど、色っぽく書いたものだ」と、目を見張って御覧になる。御使者に、並々ならぬ女装束などを与えた。
  to kikoye tari. Mitinoku-gami ni, itau hurumeki tare do, kaki-zama yosi-bami tari. "Geni mo, suki taru kana!" to, mezamasiu mi tamahu. Ohom-tukahi ni, nabete nara nu tama-mo nado kaduke tari.
2.7.14  またの日、
 翌日、
  Mata no hi,
2.7.15  「 宣旨書きは、見知らずなむ」とて、
 「代筆のお手紙を頂戴したのは、初めてです」とあって、
  "Senzi-gaki ha, mi-sira zu nam." tote,
2.7.16  「 いぶせくも心にものを悩むかな
 「悶々として心の中で悩んでおります
    "Ibuseku mo kokoro ni mono wo nayamu kana
2.7.17   やよやいかにと問ふ人もなみ
  いかがですかと尋ねてくださる人もいないので
    yayo ya ika ni to tohu hito mo nami
2.7.18  『 言ひがたみ』」
 『言ひがたみ』」
  'Ihi gatami'."
2.7.19  と、このたびは、 いといたうなよびたる薄様に、いとうつくしげに書きたまへり若き人のめでざらむも、いとあまり埋れいたからむめでたしとは見れど、なずらひならぬ身のほどの、いみじうかひなければ、なかなか、世にあるものと、尋ね知りたまふにつけて、涙ぐまれて、さらに例の動なきを、せめて言はれて、 浅からず染めたる紫の紙に、墨つき濃く薄く紛らはして
 と、今度は、たいそうしなやかな薄様に、とても美しそうにお書きになっていた。若い女性が素晴らしいと思わなかったら、あまりに引っ込み思案というものであろう。ご立派なとは思うものの、比較にならないわが身の程が、ひどくふがいないので、かえって、自分のような女がいるということを、お知りになり訪ねてくださるにつけて、自然と涙ぐまれて、まったく例によって動こうとしないのを、責められ促されて、深く染めた紫の紙に、墨つきも濃く薄く書き紛らわして、
  to, kono tabi ha, ito itau nayobi taru usuyau ni, ito utukusige ni kaki tamahe ri. Wakaki hito no mede zara m mo, ito amari umore itakara m. Medetasi to ha mire do, nazurahi nara nu mi no hodo no, imiziu kahinakere ba, naka-naka, yo ni aru mono to, tadune siri tamahu ni tuke te, namidaguma re te, sarani rei no dou naki wo, semete ihare te, asakara zu sime taru murasaki no kami ni, sumi-tuki koku usuku magirahasi te,
2.7.20  「思ふらむ 心のほどややよいかに
 「思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか
    "Omohu ram kokoro no hodo ya yayo ika ni
2.7.21   まだ見ぬ人の聞きか悩まむ
  まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか
    mada mi nu hito no kiki ka nayama m
2.7.22   手のさま、書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう、上衆めきたり
 筆跡や、出来ぐあいなど、高貴な婦人方に比べてもたいして見劣りがせず、貴婦人といった感じである。
  Te no sama, kaki taru sama nado, yamgotonaki hito ni itau otoru maziu, zyauzu-meki tari.
2.7.23  京のことおぼえて、をかしと見たまへど、うちしきりて遣はさむも、人目つつましければ、 二、三日隔てつつ、つれづれなる夕暮れ、もしは、ものあはれなる曙などやうに 紛らはして、折々、同じ心に見知りぬべきほど推し量りて、書き交はしたまふに、 似げなからず
 京の事が思い出されて、興趣深いと御覧になるが、続けざまに手紙を出すのも、人目が憚られるので、二、三日置きに、所在ない夕暮や、もしくは、しみじみとした明け方などに紛らわして、それらの時々に、同じ思いをしているにちがいない時を推量して、書き交わしなさると、不似合いではない。
  Kyau no koto oboye te, wokasi to mi tamahe do, uti-sikiri te tukahasa m mo, hitome tutumasikere ba, hutu-ka, mi-ka hedate tutu, ture-dure naru yuhugure, mosiha, mono-ahare naru akebono nado yau ni magirahasi te, wori-wori, onazi kokoro ni mi-siri nu beki hodo osihakari te, kaki-kahasi tamahu ni, nigenakara zu.
2.7.24   心深う思ひ上がりたるけしきも見ではやまじと思すものから良清が領じて言ひしけしきめざましう、年ごろ心つけてあらむを、目の前に思ひ違へむも いとほしう思しめぐらされて、「 人進み参らば、さる方にても、紛らはしてむ」と思せど、 女はた、なかなかやむごとなき際の人よりも、いたう思ひ上がりて、ねたげにもてなしきこえたれば、 心比べにてぞ過ぎける
 思慮深く気位高くかまえている様子も、是非とも会わないと気がすまないと、お思いになる一方で、良清がわがもの顔に言っていた様子もしゃくにさわるし、長年心にかけていただろうことを、目の前で失望させるのも気の毒にご思案されて、「相手が進んで参ったような恰好ならば、そのようなことにして、うやむやのうちに事をはこぼう」とお思いになるが、女は女で、かえって高貴な身分の方以上に、たいそう気位高くかまえていて、いまいましく思うようにお仕向け申しているので、意地の張り合いで日が過ぎて行ったのであった。
  Kokoro-hukau omohi-agari taru kesiki mo, mi de ha yama zi to obosu mono-kara, Yosikiyo ga ryau-zi te ihi si kesiki mo mezamasiu, tosi-goro kokoro-tuke te ara m wo, me no mahe ni omohi-tagahe m mo itohosiu obosi-megurasa re te, "Hito susumi mawira ba, saru kata ni te mo, magirahasi te m." to obose do, Womna hata, naka-naka yamgotonaki kiha no hito yori mo, itau omohi-agari te, netage ni motenasi kikoye tare ba, kokoro-kurabe ni te zo sugi keru.
2.7.25  京のことを、かく 関隔たりては、いよいよおぼつかなく思ひきこえたまひて、「 いかにせましたはぶれにくくもあるかな 。忍びてや、 迎へたてまつりてまし」と、思し弱る折々あれど、「 さりとも、かくてやは、年を重ねむと、今さらに 人悪ろきことをば」と、思し静めたり。
 京の事を、このように関よりも遠くに行った今では、ますます気がかりにお思い申し上げなさって、「どうしたものだろう。冗談でないことだ。こっそりと、お迎え申してしまおうか」と、お気弱になられる時々もあるが、「そうかといって、こうして何年も過せようかと、今さら体裁の悪いことを」と、お思い静めになった。
  Kyau no koto wo, kaku seki hedatari te ha, iyo-iyo obotukanaku omohi kikoye tamahi te, "Ika ni se masi. Tahabure-nikuku mo aru kana! Sinobi te ya mukahe tatematuri te masi." to, obosi-yowaru wori-wori are do, "Saritomo, kaku te ya ha, tosi wo kasane m to, imasara ni hito waroki koto wo ba." to, obosi-sidume tari.
注釈316思ふことかつがつ叶ひぬる心地して主語は明石入道。2.7.1
注釈317またの日の昼つ方、岡辺に御文つかはす入道の申し出のあった翌日の昼ころ。源氏は手紙を送る。2.7.1
注釈318心恥づかしきさまなめるも以下「籠もるべかめる」まで、源氏の心中。「心恥づかしきさま」は明石の君についていう。「なめる」連語(「なる」断定の助動詞、連体形+「める」推量の助動詞、主観的推量)、断定するところを婉曲的にいう表現で、推量の意味は極めて軽いニュアンス。2.7.1
注釈319なかなかかかるものの隈にぞ「なかなか」は都よりかえっての意。2.7.1
注釈320高麗の胡桃色の紙にえならずひきつくろひて高麗産の胡桃色の紙。舶来の高級品を使用。2.7.1
注釈321をちこちも知らぬ雲居に眺めわびかすめし宿の梢をぞ訪ふ源氏の明石の君への贈歌。「かすめし」は入道が源氏に話したという意。2.7.2
注釈322思ふには和歌に添えた言葉。「思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを」(古今集恋一、五〇一、読人しらず)の第一句の語句を引き、真意をこめる。2.7.4
注釈323とばかりやありけむ「ばかり」副助詞、程度。「や」係助詞、疑問。「けむ」過去推量の助動詞。語り手の判断と推量。2.7.5
注釈324来ゐたりけるもしるければ主語は明石入道。「たりける」連語(「たり」完了の助動詞、存続+「ける」過去の助動詞)、過去に成立した動作の存在や継続の回想。来ていたのであった。「も」係助詞、強調。「しるけれ」形容詞、予想どうりである。「ば」接続助詞、順接の確定条件。2.7.6
注釈325内に入りてそそのかせど主語は入道。娘を促す。2.7.7
注釈326さらに聞かず「さらに」副詞、「ず」打消の助動詞に係って、全然、少しも--しない、の意。2.7.7
注釈327人の御ほどわが身のほど思ふにこよなくて「人」は源氏、「わが身」は自分、明石の君をさす。明石の君は身分の相違を痛感する。2.7.7
注釈328いとかしこきは以下「好き好きしや」まで、父入道が娘の返事を代筆したもの。2.7.9
注釈329袂につつみあまりぬるにや「うれしきを何に包まむ唐衣袂ゆたかに裁てと言はましを」(古今集雑上、八六五、読人しらず)を踏まえた表現。「ぬる」完了の助動詞。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。入道が娘の気持ちを忖度して書いている表現。2.7.9
注釈330さらに見たまへも及びはべらぬかしこさになむ「さらに」副詞、「ぬ」打消の助動詞に係って、全然、少しも--ない、の意。「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞、源氏に対する敬意。「に」断定の助動詞。「なむ」係助詞。下に「はべる」などの語句が省略。強調と余意・余情。「はべら」丁寧の補助動詞。『集成』は「今まで経験したこともございませぬ恐れ多い仰せでございます」。『完訳』は「まったく拝見させていただくこともなりませぬもったいなさでございます」と訳す。2.7.9
注釈331眺むらむ同じ雲居を眺むるは思ひも同じ思ひなるらむ入道の代筆歌。「眺む」「同じ」「思ひ」がそれぞれ二度づつ繰り返し使用。娘も源氏と同じ気持ちであることを強調。2.7.10
注釈332いと好き好きしや出家の身で恋文の代筆をしているので、恐縮して見せた。2.7.12
注釈333陸奥紙に、いたう古めきたれど、書きざまよしばみたり「陸奥紙」は恋文には普通使用しないのだが、父の入道が代筆したので、あえて使用。しかし、風流な書きぶりである。2.7.13
注釈334げにも好きたるかな源氏の心中。「げに」は入道の文句を受ける。2.7.13
注釈335めざましう見たまふ『集成』は「出過ぎた振舞とご覧になる」。『完訳』は「いささか驚き入ったお気持でごらんになる」と訳す。2.7.13
注釈336なべてならぬ玉裳などかづけたり海辺の縁で、「玉裳」(玉藻)「被く」(潜く)という表現。2.7.13
注釈337宣旨書きは見知らずなむ源氏の文中の句。「なむ」係助詞、下に「侍る」などの語句が省略。2.7.15
注釈338いぶせくも心にものを悩むかなやよやいかにと問ふ人もなみ源氏の贈歌。「も」係助詞、強調。「かな」終助詞、詠嘆。「やよや」連語(「やよ」感動詞+「や」間投助詞)。「無み」連語(「な」形容詞語幹+「み」接尾語)無いのでの意。2.7.16
注釈339言ひがたみ和歌に添えた言葉。「恋しともまだ見ぬ人の言ひがたみ心にもののむつましきかな」(『弄花抄』所引、出典未詳)を引く。『集成』は「まだ見ぬあなたに恋しいとも言いかねまして」と注す。2.7.18
注釈340いといたうなよびたる薄様に、いとうつくしげに書きたまへり源氏の二回めの恋文。鳥の子の薄様を使用。2.7.19
注釈341若き人のめでざらむもいとあまり埋れいたからむ最初の「む」推量の助動詞、仮定。後の「む」推量の助動詞、推量。語り手の推量。『集成』は「この手紙を若い女がすばらしいと思わなかったら、あまりに風情が分からぬというものであろう。草子地」、句点で文を独立させる。『完訳』は「若い女の身で、もし心を動かさなかったとしたら、あまり引っ込み思案の木石というものであろう、娘は」云々と、読点で文を下に続ける。2.7.19
注釈342めでたしとは見れど主語は明石の君。2.7.19
注釈343浅からず染めたる紫の紙に墨つき濃く薄く紛らはして明石の君の返書。深く香をたきしめた紫色の紙を使用。濃淡のある墨つき。2.7.19
注釈344思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まむ明石の君の返歌。源氏の贈歌の第四句の文句と源氏が添えた『弄花抄』所引の出典未詳歌の第二句の文句も引用して応える。教養の深さを窺わせる。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。「や」係助詞、疑問。「やよ」感動詞。「いかに」形容動詞、連用形。「か」係助詞、疑問。「なやま」「む」推量の助動詞、連体形。二つの疑問が呈されている。2.7.20
注釈345手のさま、書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう、上衆めきたり源氏が見た評価。筆跡、内容など、都の高貴な人々に対して劣らず上流人である。2.7.22
注釈346二三日隔てつつ「つつ」接尾語、同じ動作の繰り返し。2.7.23
注釈347紛らはして『集成』は「恋文らしくなうよそおって」。『完訳』は「女恋しさの気持を隠す気持」と注す。2.7.23
注釈348似げなからず主語は明石の君。源氏の相手として適当である。2.7.23
注釈349心深う思ひ上がりたるけしきも『完訳』は「思慮深く、気位の高い様子。結婚をはばかる明石の君の態度を、源氏がそのように受けとめる」と注す。2.7.24
注釈350見ではやまじと思すものから主語は源氏。「ものから」接続助詞、逆接の確定条件。同時に源氏の心のもう一面を語る常套表現。2.7.24
注釈351良清が領じて言ひしけしき「若紫」巻参照。以下「紛らはしてむ」まで、源氏の心中間接叙述。2.7.24
注釈352めざましう『集成』は「こしゃくなと思われるし」。『完訳』は「おもしろくないし」と訳す。2.7.24
注釈353いとほしう思しめぐらされて「いとほしう」まで、源氏の心中間接叙述。引用句なし。「思しめぐらされて」という地の文が間に入り、以下再び源氏の心中叙述。2.7.24
注釈354人進み参らばさる方にても紛らはしてむ『集成』は「入道の方から進んでこちらに女房として出仕させるのなら、そういうことで仕方なかったのだということでもして、うやむやのうちに事を運んでしまおうとお思いになるけれども」。『完訳』は「女のほうから進んでこちらにやってくるのなら、そういうことでやむを得なかったというように取りつくろってしまおうとお考えになるけれども」と注す。2.7.24
注釈355女はたなかなかやむごとなき際の人よりもいたう思ひ上がりて「女」明石の君をさす。「女」という、身分関係を抜きにした、男に対する女という対等の関係での呼称に注意。「はた」副詞。「思ひ上がり」は気位いや自尊心を高くもつことで、貴族としては大事なこと。2.7.24
注釈356心比べにてぞ過ぎける「ぞ」係助詞、「過ぎ」「ける」過去の助動詞、過去。係結び。強調のニュアンス。2.7.24
注釈357関隔たりてはいよいよおぼつかなく須磨の関を越えて、須磨から明石に移ったことをいう。関を隔てて、須磨は摂津国、畿内の一国。明石は播磨国、地方の一国である。2.7.25
注釈358いかにせまし以下「迎へたてつりてまし」まで、源氏の心中。2.7.25
注釈359たはぶれにくくもあるかな「ありぬやとこころみがてらあひ見ねばた戯れにくきまでぞ恋しき」(古今集雑体、一〇二五、読人しらず)を踏まえる。2.7.25
注釈360迎へたてまつりてまし「奉り」謙譲の補助動詞、源氏の紫の君に対する敬意。「てまし」連語(「て」完了の助動詞、未然形+「まし」推量の助動詞)、思い迷う気持ちを強調するニュアンス。2.7.25
注釈361さりともかくてやは年を重ねむ以下「人悪ろきことをば」まで、源氏の心中。<BR/>「やは」係助詞(「や」係助詞+「は」間投助詞)、反語を表す。「重ね」「む」推量の助動詞、連体形、係結び。強調のニュアンス。2.7.25
注釈362人悪ろきことをば「をば」連語(「を」格助詞+「は」係助詞、連濁)、対象を強調するニュアンス。下に「せじ」などの語句が省略。2.7.25
出典7 思ふには 思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを 古今集恋一-五〇三 読人しらず 2.7.4
出典8 袂に、つつみあまりぬる うれしさを昔は袖につつみけり今宵は身にもあまりぬるかな 新勅撰集賀-四五六 読人しらず 2.7.9
うれしきを何につつまむ唐衣袂豊かに裁てと言はましを 古今集雑上-八六五 読人しらず
出典9 たはぶれにくくも ありぬやと試みがてら逢ひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき 古今集俳諧歌-一〇二五 読人しらず 2.7.25
校訂36 恥づかしう 恥づかしう--はつかし(し/+う) 2.7.7
校訂37 思ふに 思ふに--思ひ(ひ/#に) 2.7.7
校訂38 心の 心の--こゝろ(ろ/+の) 2.7.20
2.8
第八段 都の天変地異


2-8  Convulsions of nature in Kyoto

2.8.1   その年、朝廷に、もののさとししきりて、もの騒がしきこと多かり。 三月十三日、雷鳴りひらめき、雨風騒がしき夜、帝の御夢に、 院の帝御前の御階のもとに 立たせたまひて、御けしきいと悪しうて、 にらみきこえさせたまふをかしこまりておはします聞こえさせたまふことも多かり源氏の御事なりけむかし
 その年、朝廷では、神仏のお告げが続いてあって、物騒がしいことが多くあった。三月十三日、雷が鳴りひらめき、雨風が激しかった夜に、帝の御夢に、院の帝が、御前の階段の下にお立ちあそばして、御機嫌がひどく悪くて、お睨み申し上げあそばすので、畏まっておいであそばす。お申し上げあそばすこと多かった。源氏のお身の上の事であったのだろう。
  Sono tosi, ohoyake ni, mono no satosi sikiri te, mono-sawagasiki koto ohokari. Yayohi no zihu-sam-niti, kami nari hirameki, ame kaze sawagasiki yoru, Mikado no ohom-yume ni, Win-no-Mikado, o-mahe no mi-hasi no moto ni tata se tamahi te, mi-kesiki ito asiu te, nirami kikoye sase tamahu wo, kasikomari te ohasimasu. Kikoye sase tamahu koto mo ohokari. Genzi no ohom-koto nari kem kasi.
2.8.2   いと恐ろしう、いとほしと思して、 后に聞こえさせたまひければ
 たいそう恐ろしく、またおいたわしく思し召して、大后にお申し上げあそばしたのだが、
  Ito osorosiu, itohosi to obosi te, kisaki ni kikoye sase tamahi kere ba,
2.8.3  「 雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなることはさぞはべる。軽々しきやうに、思し驚くまじきこと」
 「雨などが降り、天候が荒れている夜には、思い込んでいることが夢に現れるのでございます。軽々しい態度に、お驚きあそばすものではありませぬ」
  "Ame nado huri, sora midare taru yoru ha, omohi-nasi naru koto ha sa zo haberu. Karo-garosiki yau ni, obosi odoroku maziki koto."
2.8.4  と聞こえたまふ。
 とお諌めになる。
  to kikoye tamahu.
2.8.5   にらみたまひしに、目見合はせたまふと見しけにや、 御目患ひたまひて、堪へがたう悩みたまふ。御つつしみ、内裏にも宮にも限りなくせさせたまふ。
 お睨みになったとき、眼をお見合わせになったと思し召してか、眼病をお患になって、堪えきれないほどお苦しみになる。御物忌み、宮中でも大后宮でも、数知れずお執り行わせあそばす。
  Nirami tamahi si ni, me mi-ahase tamahu to mi si ke ni ya, ohom-me wadurai tamahi te, tahe-gatau nayami tamahu. Ohom-tutusimi, Uti ni mo Miya ni mo kagiri naku se sase tamahu.
2.8.6   太政大臣亡せたまひぬ。ことわりの御齢なれど、次々におのづから 騒がしきことあるに大宮もそこはかとなう患ひたまひて、ほど経れば 弱りたまふやうなる内裏に思し嘆くこと、さまざまなり。
 太政大臣がお亡くなりになった。無理もないお年であるが、次々に自然と騒がしいことが起こって来る上に、大后宮もどことなくお具合が悪くなって、日がたつにつれ弱って行くようなので、主上におかれてもお嘆きになること、あれやこれやと尽きない。
  Ohoki-otodo use tamahi nu. Kotowari no ohom-yohahi nare do, tugi-tugi ni onodukara sawagasiki koto aru ni, Oho-Miya mo sokohakatonau wadurahi tamahi te, hodo hure ba yowari tamahu yau naru, Uti ni obosi-nageku koto, sama-zama nari.
2.8.7  「 なほ、この源氏の君、まことに犯しなきにてかく沈むならば、かならずこの報いありなむとなむおぼえはべる。今は、なほ もとの位をも 賜ひてむ
 「やはり、この源氏の君が、真実に無実の罪でこのように沈んでいるならば、必ずその報いがあるだろうと思われます。今は、やはり元の位階を授けよう」
  "Naho, kono Genzi-no-Kimi, makoto ni wokasi naki ni te kaku sidumu nara ba, kanarazu kono mukuyi ari na m to nam oboye haberu. Ima ha, naho moto no kurawi wo mo tamahi te m."
2.8.8  とたびたび思しのたまふを、
 と度々お考えになり仰せになるが、
  to tabi-tabi obosi notamahu wo,
2.8.9  「 世のもどき、軽々しきやうなるべし罪に懼ぢて都を去りし人を、 三年をだに過ぐさず許されむことは、世の人もいかが言ひ伝へはべらむ」
 「世間の非難、軽々しいようでしょう。罪を恐れて都を去った人を、わずか三年も過ぎないうちに赦されるようなことは、世間の人もどのように言い伝えることでしょう」
  "Yo no modoki, karo-garosiki yau naru besi. Tumi ni odi te miyako wo sari si hito wo, sam-nen wo dani sugusa zu yurusa re m koto ha, yo no hito mo ikaga ihi-tutahe habera m."
2.8.10  など、后かたく諌めたまふに、思し憚るほどに月日かさなりて、 御悩みども、さまざまに 重りまさらせたまふ
 などと、大后は固くお諌めになるので、ためらっていらっしゃるうちに月日がたって、お二方の御病気も、それぞれ次第に重くなって行かれる。
  nado, Kisaki kataku isame tamahu ni, obosi-habakaru hodo ni tuki-hi kasanari te, ohom-nayami-domo, sama-zama ni omori masara se tamahu.
注釈363その年朝廷に朝廷では天変地異を神仏のお告げではないかと取り沙汰する。2.8.1
注釈364三月十三日雷鳴りひらめき前にあった入道の言葉と同じ日。2.8.1
注釈365院の帝故桐壺院の亡霊。2.8.1
注釈366御前の御階のもとに清涼殿の東庭に面した階段の下。2.8.1
注釈367立たせたまひて「せ」尊敬の助動詞、「給ひ」尊敬の補助動詞。院の帝に対する最高敬語。2.8.1
注釈368にらみきこえさせたまふを「きこえ」謙譲の補助動詞。桐壷院の朱雀帝に対する敬意。「させ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。桐壷院に対する最高敬語。「を」接続助詞、順接。源氏物語では、父の院が子の帝に対しても、このような敬語の使われ方がする。2.8.1
注釈369かしこまりておはします主語は朱雀帝。帝が帝自身恐縮している様を夢に見る。2.8.1
注釈370聞こえさせたまふことも多かり主語は桐壷院。帝自身が聞いている様を夢に見る。2.8.1
注釈371源氏の御事なりけむかし「なり」断定の助動詞。「けむ」過去推量の助動詞。「かし」終助詞、念押し。語り手の推量。『集成』は「政治向きのことは憚って省略した書き方」。『完訳』は「語り手の推測。詳述をはばかりながらも、政治的な内容を暗示」と注す。2.8.1
注釈372いと恐ろしういとほし帝の心中。桐壷院に対する気持ち。『完訳』は「成仏できぬ故院への同情」と注す。2.8.2
注釈373后に聞こえさせたまひければ「后」は弘徽殿大后をさす。「聞こえさせ」連語(「きこえ」動詞+「させ」使役の助動詞)、「聞こゆ」より一段と謙譲の度合が高い表現。「たまひ」尊敬の補助動詞。「けれ」過去の助動詞。2.8.2
注釈374雨など降り空乱れたる夜は以下「思し驚くまじきこと」まで、大后の詞。2.8.3
注釈375にらみたまひしに目見合はせたまふ帝の心中、間接叙述。「に」格助詞、時。「たまひ」は故桐壺院に対する敬意。「せ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語は朱雀帝に対する敬意。2.8.5
注釈376太政大臣亡せたまひぬもとの右大臣。朱雀帝の外戚、後見者。2.8.6
注釈377騒がしきことあるに「に」格助詞、添加。2.8.6
注釈378大宮もそこはかとなう患ひたまひて弘徽殿大后。2.8.6
注釈379弱りたまふやうなる「なる」断定の助動詞、連体中止形、余意・余情。2.8.6
注釈380内裏に思し嘆く「に」格助詞、敬意。2.8.6
注釈381なほこの源氏の君以下「賜ひてむ」まで、帝の考えと口にした内容。源氏召還のことを弘徽殿大后にいう。2.8.7
注釈382もとの位をも「も」係助詞、強調。源氏のもとの官職は右大将。2.8.7
注釈383賜ひてむ「与える」の尊敬語。帝が自分の動作に敬語を用いた表現になる。「てむ」連語(「て」完了の助動詞+「む」推量の助動詞)、主体者帝の強い意志を表す。『完訳』は「元の位を授けることにいたしましょう」と訳す。2.8.7
注釈384世のもどき軽々しきやうなるべし以下「いかが言ひ伝へはべらむ」まで大后の詞。帝の言動を諌め制す。2.8.9
注釈385罪に懼ぢて「に」格助詞、対象を表す。「怖ぢ」また「落ち」とも解せる。2.8.9
注釈386三年をだに過ぐさず「獄令」によれば、流罪の処せられた者は六年たたないと出仕を許されない、また流罪に処せられないまでも配流された者は三年たたないと出仕を許されないとある。「だに」副助詞、最小限の意、強調。2.8.9
注釈387御悩みども「ども」接尾語、複数を表す。帝と大后の病気をさす。2.8.10
注釈388重りまさらせたまふ「させ」尊敬の助動詞、「給ふ」尊敬の補助動詞、最高敬語。2.8.10
校訂39 御目 御目--御めに(に/#) 2.8.5
Last updated 6/14/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 6/30/2003
渋谷栄一注釈(ver.1-1-4)
Last updated 6/14/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/17/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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