10 賢木(大島本)


SAKAKI


光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from September at the age of 23 to summer at the age of 25

6
第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々


6  Tale of Hikaru-Genji

6.1
第一段 諒闇明けの新年を迎える


6-1  It becomes a happy New Year

6.1.1   年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、 内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれにて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかりしこと、離れて思ほさる。常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の対の 南にあたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。
 年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などとお聞きになっても、何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、御勤行をひっそりとなさりながら、来世のことばかりをお考えになると、末頼もしく、厄介に思われたこと、遠い昔の事に思われる。いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に建立された御堂の、西の対の南に当たって、少し離れた所にお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。
  Tosi mo kahari nure ba, Uti watari hanayaka ni, Naien, Tahuka nado kiki tamahu mo, mono nomi ahare ni te, ohom-okonahi simeyaka ni si tamahi tutu, noti-no-yo no koto wo nomi obosu ni, tanomosiku, mutukari si koto, hanare te omohosa ru. Tune no o-nenzyu-dau wo ba saru mono ni te, koto ni tate rare taru mi-dau no, nisi-no-tai no minami ni atari te, sukosi hanare taru ni watara se tamahi te, tori-waki taru ohom-okonahi se sase tamahu.
6.1.2  大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親しきばかり、うちうなだれて、 見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。
 大将、参賀に上がった。新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけ、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。
  Daisyau, mawiri tamahe ri. Aratamaru sirusi mo naku, Miya no uti nodoka ni, hito-me mare ni te, Miya-dukasa-domo no sitasiki bakari, uti-unadare te, mi-nasi ni ya ara m, ku'-si itage ni omohe ri.
6.1.3   白馬ばかりぞ、なほ牽き変へぬものにて、女房などの見ける。所狭う参り集ひたまひし 上達部など、道を避きつつひき過ぎて、 向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく涙ぐまる。
 白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。所狭しと参賀に参集なさった上達部など、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの大殿に参集なさるのを、こういうものであるが、しみじみと感じられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、無性に涙がこぼれる。
  Awo-muma bakari zo, naho hiki-kahe nu mono ni te, nyoubau nado no mi keru. Tokoro-seu mawiri-tudohi tamahi si Kamdatime nado, miti wo yoki tutu hiki-sugi te, mukahi no Ohoi-dono ni tudohi tamahu wo, kakaru beki koto nare do, ahare ni obosa ruru ni, sen-nin ni mo kahe tu beki ohom-sama ni te, hukau tadune mawiri tamahe ru wo miru ni, ai-naku namida-gumaru.
6.1.4  客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。さま変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口など、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけしきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「 むべも心ある」と 、忍びやかにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。
 客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、「なるほど情趣を解する」と、ひっそりと朗唱なさっている、またとなく優美である。
  Marauto mo, ito mono-ahare naru kesiki ni, uti-mi-mahasi tamahi te, tomi ni mono mo notamaha zu. Sama kahare ru ohom-sumahi ni, mi-su no hasi, mi-kityau mo awo-nibi nite, hima-hima yori hono-miye taru usu-nibi, kutinasi no sode-guti nado, naka-naka namamekasiu, okuyukasiu omohi-yara re tamahu. "Toke-wataru ike no usu-gohori, kisi no yanagi no kesiki bakari ha, toki wo wasure nu." nado, sama-zama nagame rare tamahi te, "Mube mo kokoro aru." to, sinobiyaka ni uti-zyu-zi tamahe ru, mata nau namamekasi.
6.1.5  「 ながめかる海人のすみかと見るからに
 「物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと
    "Nagame karu ama no sumika to miru kara ni
6.1.6   まづしほたるる松が浦島
  何より先に涙に暮れてしまいます
    madu sihotaruru Matu-ga-urasima
6.1.7  と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近き心地して、
 と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
  to kikoye tamahe ba, oku hukau mo ara zu, mina Hotoke ni yuduri kikoye tamahe ru o-masi-dokoro nare ba, sukosi ke-dikaki kokoti si te,
6.1.8  「 ありし世のなごりだになき浦島に
 「昔の俤さえないこのような所に
    "Ari si yo no nagori dani naki Urasima ni
6.1.9   立ち寄る波のめづらしきかな
  立ち寄ってくださるとは珍しいですね
    tati-yoru nami no medurasiki kana
6.1.10  とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひ澄ましたる尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。
 とおっしゃるのが、微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも、体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
  to notamahu mo, hono-kikoyure ba, sinobure do, namida horo-horo to kobore tamahi nu. Yo wo omohi sumasi taru Ama-Gimi-tati no miru ram mo, hasitanakere ba, koto-zukuna ni te ide tamahi nu.
6.1.11  「 さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」
 「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」
  "Samo, taguhinaku nebi-masari tamahu kana!"
6.1.12  「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、 さる一つものにて、何につけてか世を思し 知らむと、 推し量られたまひしを
 「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」   "Kokoro-motonaki tokoro naku yo ni sakaye, toki ni ahi tamahi si toki ha, saru hito-tu mono nite, nani ni tuke te ka yo wo obosi-sira m to, osihakara re tamahi si wo."
6.1.13  「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしけさへ添はせたまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」
 「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」
  "Ima ha ito itau obosi-sidume te, hakanaki koto ni tuke te mo, mono-ahare naru kesiki sahe soha se tamahe ru ha, ai-nau kokoro-gurusiu mo aru kana!"
6.1.14  など、老いしらへる人々、うち泣きつつ、めできこゆ。宮も思し出づること多かり。
 などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、お褒め申し上げる。宮も、お思い出しになる事が多かった。
  nado, oyi-sirahe ru hito-bito, uti-naki tutu, mede kikoyu. Miya mo obosi-iduru koto ohokari.
注釈397年も変はりぬれば源氏二十五歳、桐壷院の諒闇が明ける。6.1.1
注釈398内宴踏歌など内宴は正月下旬の宮廷における公宴。踏歌は、男踏歌が正月十四日の夜、女踏歌が正月十六日夜に、帝の御前を出発して院の御所、中宮御所、春宮御所の順に廻って、宮中に明け方帰ってくる。出家した藤壷には無関係。6.1.1
注釈399見なしにやあらむ語り手の挿入句。6.1.2
注釈400白馬ばかりぞ、なほ牽き変へぬものにて、女房などの見ける白馬の節会。正月七日の年中行事。6.1.3
注釈401向かひの大殿に二条大路を挟んで、南側に藤壷の三条宮邸、北側に右大臣邸が向かい合っているという設定。6.1.3
注釈402むべも心あると『源氏釈』は「音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり」(後撰集雑一、一〇九三、素性法師)を指摘する。6.1.4
注釈403ながめかる海人のすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島源氏の贈歌。「ながめ」に「長布」(海藻)と「眺め」、「あま」に「海人」と「尼」を掛ける。「潮垂る」は「海人」の縁語。「松が浦島」は歌枕。6.1.5
注釈404ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る波のめづらしきかな藤壷の返歌。「浦島」を受けて返す。「余波」と「波」は縁語。浦島伝説を踏まえる。6.1.8
注釈405さもたぐひなく以下「心苦しうもあるかな」まで、女房の詞。6.1.11
注釈406さる一つものにて「さる」は恵まれた人をさす。そうした人に共通のことでの意。6.1.12
注釈407推し量られたまひしを「れ」(受身の助動詞)「給ひ」(尊敬の補助動詞)、源氏が推量されなさったの意。6.1.12
出典18 むべも心ある 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり 後撰集雑一-一〇九三 素性法師 6.1.4
校訂45 南に 南に--みなみの(の/#)に 6.1.1
校訂46 上達部 上達部--かむ(む/+たち<朱>)め 6.1.3
校訂47 知らむ 知らむ--え(え/&しら<朱>)む 6.1.12
6.2
第二段 源氏一派の人々の不遇


6-2  A group of Genji are obliged to have unfortunate life

6.2.1   司召のころ、この宮の人は、賜はるべき官も得ず、おほかたの道理にても、宮の御賜はりにても、かならずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。 かくても、いつしかと御位を去り、 御封などの停まるべきにもあらぬを、ことつけて変はること多かり。皆かねて思し捨ててし世なれど、宮人どもも、よりどころなげに悲しと思へるけしきどもにつけてぞ、御心動く折々あれど、「 わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば」とのみ思しつつ、御行なひたゆみなくつとめさせたまふ。
 司召のころ、この宮の人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、宮の御年官でも、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。このように出家しても、直ちにお位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。すべて既にお捨てになった世の中であるが、宮に仕えている人々も、頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行に余念なくお勤めあそばす。
  Tukasa-mesi no koro, kono Miya no hito ha, tamaha ru beki tukasa mo e zu, ohokata no dauri ni te mo, Miya no ohom-tamahari ni te mo, kanarazu aru beki kakai nado wo dani se zu nado si te, nageku taguhi ito ohokari. Kakute mo, itusika to mi-kurawi wo sari, mi-bu nado no tomaru beki ni mo ara nu wo, koto tuke te kaharu koto ohokari. Mina kanete obosi-sute te si yo nare do, Miya-bito-domo mo, yori-dokoro nage ni kanasi to omohe ru kesiki-domo ni tuke te zo, mi-kokoro ugoku wori-wori are do, "Waga mi wo naki ni nasi te mo, Touguu no mi-yo wo tahiraka ni ohasimasa ba." to nomi obosi tutu, ohom-okonahi tayumi naku tutome sase tamahu.
6.2.2   人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふことしあれば、「 我にその罪を軽めて、宥したまへ」と、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。
 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしにその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。
  Hito-sire-zu ayahuku yuyusiu omohi kikoye sase tamahu koto si are ba, "Ware ni sono tumi wo karome te, yurusi tamahe!" to, Hotoke wo nen-zi kikoye tamahu ni, yorodu wo nagusame tamahu.
6.2.3   大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。 この殿の人どもも、また同じきさまに、からきことのみあれば、 世の中はしたなく思されて、籠もりおはす。
 大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。こちらの殿の人々も、また同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、退き籠もっていらっしゃる。
  Daisyau mo, sika mi tatematuri tamahi te, kotowari ni obosu. Kono Tono no hito-domo mo, mata onaziki sama ni, karaki koto nomi are ba, yononaka hasitanaku obosa re te, komori ohasu.
6.2.4  左の大臣も、公私ひき変へたる世のありさまに、もの憂く思して、致仕の表たてまつりたまふを、帝は、 故院のやむごとなく重き御後見と思して、 長き世のかためと聞こえ置きたまひし御遺言を思し召すに、 捨てがたきものに思ひきこえたまへるにかひなきことと、たびたび用ゐさせたまはねど、せめて返さひ申したまひて、籠もりゐたまひぬ。
 左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を上表なさるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、退き籠もっておしまいになった。
  Hidari-no-Otodo mo, ohoyake watakusi hiki-kahe taru yo no arisama ni, mono-uku obosi te, tizi-no-heu tatematuri tamahu wo, Mikado ha, ko-Win no yamgotonaku omoki ohom-usiromi to obosi te, nagaki yo no katame to kikoye-oki tamahi si ohom-yuigon wo obosimesu ni, sute gataki mono ni omohi kikoye tamahe ru ni, kahi-naki koto to, tabi-tabi motiwi sase tamaha ne do, semete kahesahi mausi tamahi te, komori-wi tamahi nu.
6.2.5  今は、いとど 一族のみ、返す返す栄えたまふこと、限りなし。 世の重しとものしたまへる大臣の、かく世を逃がれたまへば、朝廷も心細う思され、世の人も、 心ある限りは嘆きけり。
 今では、ますます一族だけが、いやが上にもお栄えになること、この上ない。世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も、良識のある人は皆嘆くのであった。
  Ima ha, itodo hito-zou nomi, kahesu-gahesu sakaye tamahu koto, kagiri nasi. Yo no omosi to monosi tamahe ru Otodo no, kaku yo wo nogare tamahe ba, ohoyake mo kokoro-bosou obosa re, yo no hito mo, kokoro aru kagiri ha nageki keri.
6.2.6   御子どもは、いづれともなく人がらめやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、こよなう静まりて、 三位中将なども、世を思ひ沈めるさま、こよなし。 かの四の君をも、 なほ、かれがれにうち通ひつつ、 めざましうもてなされたれば、心解けたる御婿のうちにも入れたまはず。 思ひ知れとにやこのたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。
 ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子、格別である。あの四の君との仲も、相変わらず、間遠にお通いになっては、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。
  Miko-domo ha, idure to mo naku hitogara meyasuku yo ni motiwi rare te, kokoti-yoge ni monosi tamahi si wo, koyonau sidumari te, Samwi-no-Tyuuzyau nado mo, yo wo omohi-sidume ru sama, koyonasi. Kano Si-no-Kimi wo mo, naho, kare-gare ni uti-kayohi tutu, mezamasiu motenasa re tare ba, kokoro-toke taru ohom-muko no uti ni mo ire tamaha zu. Omohi-sire to ni ya, kono-tabi no Tukasa-mesi ni mo more nure do, ito simo omohi-ire zu.
6.2.7   大将殿、かう静かにておはするに、世ははかなきものと 見えぬるを、 ましてことわり、と思しなして、常に参り通ひたまひつつ、 学問をも遊びをももろともにしたまふ。
 大将殿、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。
  Daisyau-dono, kau siduka ni te ohasuru ni, yo ha hakanaki mono to miye nuru wo, masite kotowari, to obosi-nasi te, tune ni mawiri kayohi tamahi tutu, gakumon wo mo asobi wo mo morotomo ni si tamahu.
6.2.8   いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなきことにつけつつ、さすがに挑みたまへり。
 昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。
  Inisihe mo, mono-guruhosiki made, idomi kikoye tamahi si wo obosi-ide te, katamini ima mo hakanaki koto ni tuke tutu, sasuga ni idomi tamahe ri.
6.2.9   春秋の御読経をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、また、いたづらに暇ありげなる博士ども召し集めて、 文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざどもをもしなど、心をやりて、宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはするを、 世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人びとあるべし
 春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。
  Haru aki no mi-dokyau wo ba saru mono ni te, rinzi ni mo, sama-zama tahutoki koto-domo wo se sase tamahi nado si te, mata, itadura ni itoma arige naru Hakase-domo mesi-atume te, humi-tukuri, win-hutagi nado yau no susabi-waza-domo wo mo si nado, kokoro wo yari te, miya-dukahe wo mo wosa-wosa si tamaha zu, mi-kokoro ni makase te uti-asobi te ohasuru wo, yononaka ni ha, wadurahasiki koto-domo yau-yau ihi-iduru hito-bito aru besi.
注釈408司召のころ正月中旬の地方官の除目。源氏、藤壷方の人々、任官にもれる。6.2.1
注釈409かくてもいつしかと「かく」は出家をさす。「いつしか」はこうも早くはの意。6.2.1
注釈410御封中宮の御封は千五百戸。6.2.1
注釈411わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば藤壷の心中。6.2.1
注釈412人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふこと春宮が帝の実子でなく、本来なら皇位につくべきべきでないのを即位させようとする危険。6.2.2
注釈413我にその罪を軽めて宥したまへ藤壷の心中。わが子春宮が不義の子であるがゆえに生涯負わねばならない罪障。それを自分に負わせて軽減してもらえるよう仏に祈る。6.2.2
注釈414大将もしか見たてまつり源氏も藤壷の心中をそうと理解する。6.2.3
注釈415この殿の人どももまた「また」は藤壷邸に仕える人々同様にの意。6.2.3
注釈416世の中はしたなく思されて主語は源氏。6.2.3
注釈417故院のやむごとなく重き御後見朱雀帝の心中。左大臣に対する待遇。6.2.4
注釈418長き世のかため桐壷院の遺言。左大臣に対する待遇。6.2.4
注釈419捨てがたきものに思ひきこえたまへるに主語は朱雀帝。6.2.4
注釈420かひなきこと辞表を提出しても受理しない意。6.2.4
注釈421一族のみ右大臣一族のみの意。6.2.5
注釈422世の重しとものしたまへる左大臣は皇族と姻戚関係のある摂関家的人物でなく、広く国家の重鎮たる人物であった。6.2.5
注釈423心ある限りは情理をわきまえた人。6.2.5
注釈424御子どもはいづれともなく左大臣の子息たち。6.2.6
注釈425三位中将もとの頭中将。既に「葵」巻に三位中将とある。6.2.6
注釈426かの四の君右大臣の四君。「桐壷」巻で頭中将との結婚が語られていた。6.2.6
注釈427なほかれがれにうち通ひ既に「桐壷」巻に同様に語られている。6.2.6
注釈428めざましうもてなされたれば「めざまし」と思うのは右大臣。「もてなす」のは三位中将。「れ」は尊敬の助動詞。つまり右大臣が見てしゃくにさわるように三位中将が四君に対して振る舞うので、の意。6.2.6
注釈429思ひ知れとにや語り手の挿入句。右大臣の心を忖度。6.2.6
注釈430このたびの司召にも漏れぬれど正月の司召。主として地方官の除目であるが、兼官のことであろうか。6.2.6
注釈431大将殿かう静かにて以下「ましてことわり」まで、三位中将の心中。6.2.7
注釈432見えぬる「ぬる」は完了の助動詞。見てしまったというニュアンス。6.2.7
注釈433ましてことわり源氏と比較して自分の不遇はまして当然のことの意。6.2.7
注釈434いにしへももの狂ほしきまで挑みきこえたまひしを「帚木」「末摘花」「紅葉賀」巻などに語られている。6.2.8
注釈435春秋の御読経季の御読経。大勢の僧侶を招いて『大般若経』を転読する行事。当時は宮中のみならず貴族の家でも催された。6.2.9
注釈436文作り韻塞ぎなどやうのすさびわざども作文会(漢詩)、詩の隠してある韻を当てる遊び。6.2.9
注釈437世の中にはわづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人びとあるべし「べし」(推量の助動詞)は語り手の言辞。『岷江入楚』が「筆者の詞也」と指摘。6.2.9
校訂48 学問 学問--かくも(も/+む<朱>) 6.2.7
6.3
第三段 韻塞ぎに無聊を送る


6-3  Genji and his friends play with a game of In-futagi

6.3.1   夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集どもあまた 持たせて参りたまへり。殿にも、文殿開けさせたまひて、まだ開かぬ御厨子どもの、めづらしき古集のゆゑなからぬ、すこし 選り出でさせたまひてその道の人びと、わざとはあらねどあまた召したり。殿上人も大学のも、いと多う集ひて、左右に こまどりに分かせたまへり。賭物どもなど、いと二なくて、挑みあへり。
 夏の雨、静かに降って、所在ないころ、中将、適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。殿でも、文殿を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々、特別にというのではないが、おおぜい呼んであった。殿上人も大学の人も、とてもおおぜい集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。賭物なども、又となく素晴らしい物で、競争し合った。
  Natu no ame, nodoka ni huri te, ture-dure naru koro, Tyuuzyau, saru-beki sihu-domo amata mota se te mawiri tamahe ri. Tono ni mo, Hu-dono ake sase tamahi te, mada hiraka nu mi-dusi-domo no, medurasiki ko-sihu no yuwe nakara nu, sukosi eri-ide sase tamahi te, sono miti no hito-bito, wazato ha ara ne do amata mesi tari. Tenzyau-bito mo Daigaku no mo, ito ohou tudohi te, hidari migi ni komadori ni kata waka se tamahe ri. Kakemono-domo nado, ito ni-naku te, idomi-ahe ri.
6.3.2   塞ぎもて行くままに、難き韻の文字どもいと多くて、おぼえある博士どもなどの惑ふところどころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才のほどなり。
 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、時々口にされる様子、実に深い学殖である。
  Hutagi mote-yuku mama ni, kataki win no mozi-domo ito ohoku te, oboye aru Hakase-domo nado no madohu tokoro-dokoro wo, toki-doki uti-notamahu sama, ito koyonaki ohom-zae no hodo nari.
6.3.3  「 いかで、かうしもたらひたまひけむ
 「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」
  "Ikade, kau simo tarahi tamahi kem."
6.3.4  「なほ さるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」
 「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」
  "Naho saru-beki ni te, yorodu no koto, hito ni sugure tamahe ru nari keri!"
6.3.5  と、めできこゆ。つひに、 右負けにけり
 と、お褒め申し上げる。最後には、右方が負けた。
  to, mede kikoyu. Tuhi ni, migi make ni keri.
6.3.6  二日ばかりありて、中将 負けわざしたまへり。ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ども、賭物などさまざまにて、今日も例の人びと、多く召して、文など作らせたまふ。
 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々、おおぜい招いて、漢詩文などをお作らせになる。
  Hutu-ka bakari ari te, Tyuuzyau make-waza si tamahe ri. Koto-kotosiu ha ara de, namameki taru hiwarigo-domo, kakemono nado sama-zama ni te, kehu mo rei no hito-bito, ohoku mesi te, humi nado tukura se tamahu.
6.3.7   階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに 、うちとけ遊びたまふ。
 階のもとの薔薇、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。
  Hasi no moto no saubi, kesiki bakari saki te, haru aki no hana-zakari yori mo simeyaka ni wokasiki hodo naru ni, uti-toke asobi tamahu.
6.3.8  中将の御子の、今年初めて 殿上する、八つ、九つばかりにて、声いと おもしろく、笙の笛吹きなどするを、 うつくしびもてあそびたまふ。四の君腹の二郎なりけり。世の人の思へる寄せ重くて、 おぼえことにかしづけり。心ばへもかどかどしう、容貌もをかしくて、御遊びのすこし乱れゆくほどに、「 高砂」を出だして謡ふ、いとうつくし。大将の君、御衣脱ぎてかづけたまふ。
 中将のご子息で、今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。四の君腹の二郎君であった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。大将の君、お召物を脱いでお与えになる。
  Tyuuzyau-no-mi-ko no, kotosi hazimete tenzyau suru, ya-tu, kokono-tu bakari ni te, kowe ito omosiroku, syau-no-hue huki nado suru wo, utukusibi mote-asobi tamahu. Si-no-Kimi-bara no zi-rau nari keri. Yonohito no omohe ru yose omoku te, oboye koto ni kasiduke ri. Kokoro-bahe mo kado-kadosiu, katati mo wokasiku te, ohom-asobi no sukosi midare-yuku hodo ni, Takasago wo idasi te utahu, ito utukusi. Daisyau-no-Kimi, ohom-zo nugi te kaduke tamahu.
6.3.9  例よりは、うち乱れたまへる御顔の匂ひ、似るものなく見ゆ。薄物の直衣、単衣を着たまへるに、透きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつりて、涙落しつつゐたり。「 逢はましものを、小百合ばの」と謡ふとぢめに、中将、 御土器参りたまふ
 いつもよりは、お乱れになったお顔の色つや、他に似るものがなく見える。羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙落としながら座っていた。「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将、お杯を差し上げなさる。
  Rei yori ha, uti-midare tamahe ru ohom-kaho no nihohi, niru mono naku miyu. Usu-mono no nahosi, hitohe wo ki tamahe ru ni, suki tamahe ru hada-tuki, masite imiziu miyuru wo, tosi-oyi taru Hakase-domo nado, tohoku mi tatematuri te, namida otosi tutu wi tari. "Aha masi mono wo, sa-yuri ba no" to utahu todime ni, Tyuuzyau, ohom-kaharake mawiri tamahu.
6.3.10  「 それもがと今朝開けたる初花に
 「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に
    "Sore mo ga to kesa hirake taru hatu-hana ni
6.3.11   劣らぬ君が匂ひをぞ見る
  劣らないお美しさのわが君でございます
    otora nu Kimi ga nihohi wo zo miru
6.3.12   ほほ笑みて、取りたまふ
 苦笑して、お受けになる。
  Hoho-wemi te, tori tamahu.
6.3.13  「 時ならで今朝咲く花は夏の雨に
 「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
    "Toki nara de kesa saku hana ha natu no ame ni
6.3.14   しをれにけらし匂ふほどなく
  萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく
    siwore ni ke' rasi nihohu hodo naku
6.3.15   衰へにたるものを
 すっかり衰えてしまったものを」
  Otorohe ni taru mono wo."
6.3.16  と、うちさうどきて、 らうがはしく聞こし召しなすを咎め出でつつ、しひきこえたまふ
 と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に杯をお進めになる。
  to, uti-saudoki te, raugahasiku kikosimesi-nasu wo, togame-ide tutu, sihi kikoye tamahu.
6.3.17   多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほならぬこと、数々に書きつくる、心地なきわざとか、貫之が諌め、たふるる方にて、むつかしければ、とどめつ 。皆、この御ことをほめたる筋にのみ、大和のも唐のも作り 続けたり。わが御心地にも、いたう思しおごりて、
 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌、数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。ご自身でも、たいそう自負されて、
  Ohoka' meri si koto-domo mo, kau yau naru wori no maho nara nu koto, kazu-kazu ni kaki-tukuru, kokoti-naki waza to ka, Turayuki ga isame, tahururu kata ni te, mutukasikere ba, todome tu. Mina, kono ohom-koto wo home taru sudi ni nomi, Yamato no mo Kara no mo tukuri tuduke tari. Waga mi-kokoti ni mo, itau obosi ogori te,
6.3.18  「 文王の子、武王の弟
 「文王の子、武王の弟」
  "Bunwau no ko, Buwau no otouto."
6.3.19  と、うち誦じたまへる御名のりさへぞ、げに、めでたき。「 成王の何」とか、のたまはむとすらむ。そればかりや、また心もとなからむ
 と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。それだけは、また自信がないであろうよ。
  to, uti-zyu-zi tamahe ru ohom-nanori sahe zo, geni medetaki. "Seiwau no nani" to ka, notamaha m to su ram? Sore bakari ya, mata kokoro-motonakara m.
6.3.20   兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなども、をかしうおはする宮なれば、今めかしき御あはひどもなり。
 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども、嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。
  Hyaubukyau-no-Miya mo tune ni watari tamahi tutu, ohom-asobi nado mo, wokasiu ohasuru Miya nare ba, imamekasiki ohom-ahahi-domo nari.
注釈438夏の雨のどかに降りてつれづれなるころ長雨の頃か。「帚木」巻の雨夜の品定めの段と似た季節描写。6.3.1
注釈439持たせて「せ」使役の助動詞。三位中将が供人に持たせての意。6.3.1
注釈440選り出でさせたまひて「させ」使役の助動詞。源氏が家人をしての意。6.3.1
注釈441その道の人びと漢詩文の創作に堪能な人々。6.3.1
注釈442こまどりにたとえば、奇数を左方、偶数を右方に、交互に編成するやりかた。6.3.1
注釈443分かせたまへり大成異同の記載ナシ。『集成』は「分たせたまへり」とする。6.3.1
注釈444塞ぎもて行くままに韻塞ぎの競技が進んで行くにつれての意。6.3.2
注釈445いかでかうしもたらひたまひけむ以下「すぐれたまへるなりけり」まで、人々の詞。源氏の才能を絶賛。6.3.3
注釈446さるべきにて前世からの宿縁での意。6.3.4
注釈447右負けにけり三位中将方をいう。6.3.5
注釈448負けわざ負けた方が勝った方に饗応すること。6.3.6
注釈449階のもとの薔薇けしきばかり咲きて春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに『源氏釈』は『和漢朗詠集』上、首夏(『白氏文集』巻十七、律詩)の「甕の頭の竹葉は春を経て熟す、階の底の薔薇は夏に入つて開けり」を指摘する。「薔薇」は漢詩的景物である。6.3.7
注釈450殿上する童殿上する意。6.3.8
注釈451うつくしびもてあそびたまふ主語は源氏。6.3.8
注釈452おぼえことにかしづけり主語は世間の人々。『集成』は「特別大切にお仕えしている」と解し、『完訳』は「格別大事に扱っている」と解す。6.3.8
注釈453高砂催馬楽、律。「高砂の さいささごの 高砂の 尾上に立てる 白玉玉椿 玉柳 それもがと さむ 汝(まし)もがと 汝もがと 練緒(ねりを)染緒(さみを)の 御衣架(みそかけ)にせむ 玉柳 何しかも さ 何しかも 心もまたいけむ 百合花の さ 百合花の 今朝咲いたる 初花に 逢はましものを さ 百合花の」。呂の音階が中国伝来の正階なのに対して、律の音階は日本的なくだけた音階。6.3.8
注釈454逢はましものを小百合ばの「高砂」の末句。歌詞は「さ百合花の」であるが、実際歌う時は「さゆりばの」となったかという(『湖月抄』師説)。『集成』は「さゆりばの」と濁音、『完訳』は「さゆりはの」の清音に読む。6.3.9
注釈455御土器参りたまふお盃を源氏に差し上げなさる意。6.3.9
注釈456それもがと今朝開けたる初花に劣らぬ君が匂ひをぞ見る三位中将の歌。源氏の美しさを薔薇の花に比して賞賛する。「我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり」(古今集物名、四三六、紀貫之)を踏まえる。6.3.10
注釈457ほほ笑みて取りたまふ主語は源氏。苦笑である。6.3.12
注釈458時ならで今朝咲く花は夏の雨にしをれにけらし匂ふほどなく源氏の返歌。6.3.13
注釈459衰へにたるものを和歌に添えた言葉。すっかりだめになってしまったよ、の意。6.3.15
注釈460らうがはしく聞こし召しなすを『集成』は「酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを」の意に解す。『完訳』は「中将の歌を出まかせなものと、わざとひがんでおとりになるので」の意に解す。6.3.16
注釈461咎め出でつつしひきこえたまふ主語は三位中将。相手は源氏。6.3.16
注釈462多かめりし言どももかうやうなる折のまほならぬこと数々に書きつくる心地なきわざとか貫之が諌めたふるる方にてむつかしければとどめつ貫之の意見にかこつけた語り手の省筆の文章。『弄花抄』は「記者詞也」と指摘。6.3.17
注釈463文王の子武王の弟『和漢朗詠集』下、丞相(『史記』魯周公世家、また『本朝文粋』所引)の句。6.3.18
注釈464成王の何とかのたまはむとすらむそればかりやまた心もとなからむ語り手の挿入文。「成王」を春宮に比すとすれば、原文では「成王の叔父」とあるのだが、源氏の実子でるから、そうとは言えない。『集成』は「それだけは自身がおありでないでしょう」の意に解し、「実は、源氏の子であるから、「成王の叔父」とは言えまいという皮肉」と注す。『完訳』は「不義の子東宮のことは、やはり気がかりだろう」と注す。6.3.19
注釈465兵部卿宮肖柏本と書陵部本は「帥の宮」とある。『完訳』は「通説では紫の上の父。源氏と親交する趣味人という点で、後の螢兵部卿宮(花宴巻では帥宮)とする説のほうが妥当」と注す。6.3.20
出典19 階のもとの薔薇 甕頭竹葉経春熟 階底薔薇入夏開 白氏文集巻十七-一〇五五 6.3.7
出典20 高砂 高砂の さいさごの 高砂の 尾上に立てる 白玉 玉椿 玉柳 それもがと さむ 汝もがと 練緒染緒の 御衣架にせむ 玉柳 何しかも さ 何しかも 何しかも 心もまたいけむ 百合花の さ百合花の 今朝咲いたる 初花に あはましものを さゆり花の 催馬楽-高砂 6.3.8
出典21 文王の子、武王の弟 周公戒伯禽曰 我文王之子 武王之弟 成王之叔父 史記-魯周公世家 6.3.18
校訂49 かう かう--かこ(こ/$う<朱>) 6.3.3
校訂50 おもしろく おもしろく--*おもろしく 6.3.8
校訂51 ならぬ ならぬ--(/+な<朱>)らぬ 6.3.17
校訂52 続け 続け--*つけ 6.3.17
Last updated 5/19/2004
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/11/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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