10 賢木(大島本)


SAKAKI


光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from September at the age of 23 to summer at the age of 25

1
第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語


1  Tale of Lady Rokujo  A parting in fall

1.1
第一段 六条御息所、伊勢下向を決意


1-1  Lady Rokujo determines to go to Ise with her daughter

1.1.1   斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。 やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、 さりともと世人も聞こえあつかひ、 宮のうちにも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、 あさましき御もてなしを見たまふに、 まことに憂しと思すことこそありけめ と、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちに 出で立ちたまふ
 斎宮の御下向、近づくなるにつれて、御息所、何となく心細くいらっしゃる。重々しくけむたいご本妻だと思っていらした大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。
  Saiguu no ohom-kudari, tikau nari yuku mama ni, Miyasumdokoro, mono-kokoro-bosoku omohosu. Yamgotonaku wadurahasiki mono ni oboye tamaheri si Ohoi-dono-no-Kimi mo use tamahi te noti, saritomo to yo-hito mo kikoye atukahi, Miya no uti ni mo kokoro-tokimeki se si wo, sono noti simo, kaki-taye, asamasiki ohom-motenasi wo mi tamahu ni, makoto ni usi to obosu koto koso ari keme to, siri-hate tamahi nure ba, yorodu no ahare wo obosi-sute te, hitamiti ni ide-tati tamahu.
1.1.2   親添ひて下りたまふ例も、ことになけれどいと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、「憂き世を行き離れむ」と思すに、 大将の君さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜しく思されて、 御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。対面したまはむことをば、今さらにあるまじきことと、 女君も思す。「 人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、 あいなし」と、心強く 思すなるべし
 母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになると、大将の君、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々交わす。お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。
  Oya sohi te kudari tamahu rei mo koto ni nakere do, ito mihanati-gataki ohom-arisama naru ni kototuke te, "Uki-yo wo yuki hanare m" to obosu ni, Daisyau-no-Kimi, sasuga ni, ima ha to kake-hanare tamahi na m mo, kutiwosiku obosa re te, ohom-seusoko bakari ha, ahare naru sama ni te, tabi-tabi kayohu. Taimen si tamaha m koto wo ba, imasara ni arumaziki koto to, Womna-Gimi mo obosu. "Hito ha kokoro-dukinasi to, omohi-oki tamahu koto mo ara m ni, ware ha, ima sukosi omohi midaruru koto no masaru beki wo, ainasi." to, kokoro-duyoku obosu naru besi.
1.1.3   もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りたまはず。 たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかにはたあらねば 、おぼつかなくて 月日も隔たりぬるに院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませたまへば、いとど御心の暇なけれど、「 つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。
 里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿、お知りになることができない。簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。
  Moto no tono ni ha, akarasama ni mo watari tamahu wori-wori are do, itau sinobi tamahe ba, Daisyau-dono, e siri tamaha zu. Tahayasuku mi-kokoro ni makase te, maude tamahu beki ohom-sumika ni hata ara ne ba, obotukanaku te tukihi mo hedatari nuru ni, Win-no-Uhe, odoro-odorosiki ohom-nayami ni ha ara de, rei nara zu, toki-doki nayama se tamahe ba, itodo mi-kokoro no itoma nakeredo, "Turaki mono ni omohi-hate tamahi na m mo, itohosiku, hito-giki nasake naku ya" to obosi-okosi te, Nonomiya ni maude tamahu.
注釈1斎宮の御下り近うなりゆくままに齋宮は野宮で一年間潔齋した後の九月に伊勢神宮へ向かう。1.1.1
注釈2やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし御息所の生前の正妻であった葵の上に対する感情。1.1.1
注釈3さりともと世人も聞こえ『集成』は「「さ」は源氏と御息所の、しっくりいっていなかった関係をさす。それが世間に知れていた」と注す。『完訳』は「これまでそうだとしても、今度こそ御息所が正妻に、の意」と注す。1.1.1
注釈4宮のうちにも『集成』は「(御息所の)御殿の人々も。斎宮の邸なので「宮」という」と注す。『完訳』は「野宮にお仕えする人々も」と注す。1.1.1
注釈5あさましき御もてなし源氏の御息所に対する扱い。1.1.1
注釈6まことに憂しと思すことこそありけめ御息所の心中。生霊事件をさす。1.1.1
注釈7出で立ちたまふ『集成』は「ご出発なさろうとする」の意に、『完訳』は「ご出発をご用意になるのである」の意に解す。1.1.1
注釈8親添ひて下りたまふ例もことになけれど貞元二年(九七七)九月十六日、円融天皇の御代に斎宮規子内親王に母親の徽子女王が付き添って下向した事が一例ある。「ことになけれど」とは、物語の時代設定をさらに前の延喜天暦の御代に置いているからである。1.1.2
注釈9いと見放ちがたき御ありさま斎宮十四歳。1.1.2
注釈10大将の君源氏をさす。1.1.2
注釈11さすがに「口惜しく」にかかる。1.1.2
注釈12御消息ばかりは「ばかり」(副詞、限定)「は」(係助詞、区別)。自らは出向かず、手紙だけがあるのニュアンス。1.1.2
注釈13女君も「も」(係助詞、同類)。源氏も同様に考えているニュアンス。1.1.2
注釈14人は以下「あいなし」まで、御息所の心中を語り手が推測して語る。『紹巴抄』は「双地をしはかりて書たるなり」と指摘。『評釈』は「「心強くおぼすなるべし」と作者の推量がはいって、間接の形にされている」と注す。「人」は源氏をさし、「我」とあった御息所と対比させた構文。1.1.2
注釈15あいなし『完訳』は「逢う必要がない、の意」と注す。1.1.2
注釈16思すなるべし「なる」(伝聞推定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)、語り手の推測。1.1.2
注釈17もとの殿にはあからさまに渡りたまふ折々あれど野宮から六条の里邸へ。1.1.3
注釈18たはやすく御心にまかせて参うでたまふべき御すみかにはたあらねば野宮をさす。1.1.3
注釈19月日も隔たりぬるに「に」(格助詞、時間)。1.1.3
注釈20院の上桐壷院をいう。1.1.3
注釈21つらき者に思ひ果てたまひなむもいとほしく人聞き情けなくや源氏の思念。1.1.3
校訂1 憂しと 憂しと--うして(て/$と<朱>) 1.1.1
校訂2 はた はた--(/+はた<朱>) 1.1.3
1.2
第二段 野の宮訪問と暁の別れ


1-2  A parting at daybreak in Nonomiya

1.2.1   九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「 立ちながら」と、たびたび御消息ありければ、「 いでや」とは思しわづらひながら、「 いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、 人知れず待ちきこえたまひけり
 九月七日ころなので、「まったく今日明日だ」とお思いになると、女の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。
  Nagatuki nanu-ka bakari nare ba, "Muge ni kehu asu" to obosu ni, Womna-gata mo kokoro-awatatasikere do, "Tati nagara." to, tabi-tabi ohom-seusoko ari kere ba, "Ide ya?" to ha obosi-wadurahi nagara, "Ito amari umore-itaki wo, mono-gosi bakari no taimen ha." to, hito-sire-zu mati kikoye tamahi keri.
1.2.2   遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、 浅茅が原枯れ枯れなる虫の音に松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬ ほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと 艶なり
 広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。秋の花、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風、身にしみて音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来る、まことに優艶である。
  Harukeki nobe wo wake-iri tamahu yori, ito mono ahare nari. Aki no hana, mina otorohe tutu, asadi-ga-hara mo kare-gare naru musi no ne ni, matu-kaze, sugoku huki-ahase te, sono koto to mo kiki-waka re nu hodo ni, mono-no-ne-domo taye-daye kikoye taru, ito en nari.
1.2.3  むつましき御前、十余人ばかり、 御随身ことことしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる好き者ども、所からさへ身にしみて思へり。御心にも、「などて、今まで立ちならさざりつらむ」と、過ぎぬる方、悔しう思さる。
 気心の知れた御前駆の者、十余人ほど、御随身、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていられるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者など、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々、後悔せずにはいらっしゃれない。
  Mutumasiki go-zen, zihu-yo-nin bakari, mi-zuizin, koto-kotosiki sugata nara de, itau sinobi tamahe re do, koto ni hiki-tukurohi tamahe ru ohom-youi, ito medetaku miye tamahe ba, ohom-tomo naru suki-mono-domo, tokoro-kara sahe mi ni simi te omohe ri. Mi-kokoro ni mo, "Nado te, ima made tati-narasa zari tu ram." to, sugi nuru kata, kuyasiu obosa ru.
1.2.4  ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。 火焼屋 かすかに光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。
 ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。黒木の鳥居どもは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官どもが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。火焼屋、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいる人が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。
  Mono-hakanage naru ko-sibagaki wo oho-gaki nite, itaya-domo atari-atari ito karisome nari. Kuroki no toriwi-domo, sasuga ni kau-gausiu mi-watasa re te, wadurahasiki kesiki naru ni, kam-dukasa no mono-domo, koko-kasiko ni uti-sihabuki te, onoga-doti, mono uti-ihi taru kehahi nado mo, hoka ni ha sama kahari te miyu. Hitaki-ya kasuka ni hikari te, hito-ke sukunaku, sime-zime to si te, koko ni mono omohasiki hito no, tuki-hi wo hedate tamahe ra m hodo wo obosi-yaru ni, ito imiziu ahare ni kokoro-gurusi.
1.2.5  北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にくきけはひ、あまた聞こゆ。
 北の対の適当な場所に立ち隠れなさって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配、たくさん聞こえる。
  Kita-no-tai no saru-beki tokoro ni tati kakure tamahi te, ohom-seusoko kikoye tamahu ni, asobi ha mina yame te, kokoro-nikuki kehahi, amata kikoyu.
1.2.6  何くれの人づての御消息ばかりにて、みづからは対面したまふべきさまにもあらねば、「いとものし」と思して、
 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
  Nani-kure no hito-dute no ohom-seusoko bakari ni te, midukara ha taimen si tamahu beki sama ni mo ara ne ba, "Ito monosi." to obosi te,
1.2.7  「 かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを、思ほし知らば、かう 注連のほかにはもてなしたまはで。いぶせうはべることをも、あきらめはべりにし がな
 「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」
  "Kau yau no ariki mo, ima ha tuki-naki hodo ni nari ni te haberu wo, omohosi-sira ba, kau sime no hoka ni ha motenasi tamaha de. Ibuseu haberu koto wo mo, akirame haberi ni si gana."
1.2.8  と、まめやかに聞こえたまへば、 人びと
 と、真面目に申し上げなさると、女房たち、
  to, mameyaka ni kikoye tamahe ba, hito-bito,
1.2.9  「 げに、いとかたはらいたう
 「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」
  "Geni, ito kataharaitau."
1.2.10  「立ちわづらはせたまふに、いとほしう」
 「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」
  "Tati-waduraha se tamahu ni, itohosiu."
1.2.11  など、あつかひきこゆれば、「 いさや。ここの人目も見苦しう、 かの思さむことも、若々しう、 出でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。
 などと、お取りなし申すので、「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子、まことに奥ゆかしい。
  nado, atukahi kikoyure ba, "Isaya! Koko no hito-me mo mi-gurusiu, kano obosa m koto mo, waka-wakasiu, ide wi m ga, imasara ni tutumasiki koto." to obosu ni, ito mono-ukere do, nasake nau mote-nasa m ni mo takekara ne ba, tokaku uti-nageki, yasurahi te, wizari-ide tamahe ru ohom-kehahi, ito kokoro nikusi.
1.2.12  「 こなたは、簀子ばかりの許されははべりや
 「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」
  "Konata ha, sunoko bakari no yurusa re ha haberi ya?"
1.2.13  とて、上りゐたまへり。
 と言って、上がっておすわりになった。
  tote, nobori wi tamahe ri.
1.2.14   はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでたし。月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、榊をいささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて、
 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子、美しさに、似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらしたのを、差し入れて、
  Hanayaka ni sasi-ide taru yuhu-duki-yo ni, uti-hurumahi tamahe ru sama, nihohi, niru mono naku medetasi. Tuki-goro no tumori wo, tuki-dukisiu kikoye tamaha m mo, mabayuki hodo ni nari ni kere ba, sakaki wo isasaka wori te mo' tamahe ri keru wo, sasi-ire te,
1.2.15  「 変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く
 「変わらない心に導かれて、禁制の垣根も越えて参ったのです。何とも薄情な」
  "Kahara nu iro wo sirube ni te koso, igaki mo koye haberi ni kere. Samo kokoro-uku."
1.2.16  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
1.2.17  「神垣は しるしの杉もなきものを
 「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに
    "Kamigaki ha sirusi no sugi mo naki mono wo
1.2.18   いかにまがへて折れる榊ぞ
  どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう
    ika ni magahe te wore ru sakaki zo
1.2.19  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
1.2.20  「 少女子があたりと思へば 榊葉の
 「少女子がいる辺りだと思うと
    "Wotome-go ga atari to omohe ba sakaki-ba no
1.2.21   香をなつかしみとめてこそ折れ
  榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです
    ka wo natukasimi tome te koso wore
1.2.22  おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへり。
 周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被って、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。
  Ohokata no kehahi wadurahasikere do, mi-su bakari ha hiki-ki te, nagesi ni osi-kakari te wi tamahe ri.
1.2.23  心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心おごりに、 さしも思されざりき
 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっていらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。
  Kokoro ni makase te mi tatematuri tu beku, hito mo sitahi-zama ni obosi tari turu tosi-tuki ha, nodoka nari turu mi-kokoro ogori ni, sasimo obosa re zari ki.
1.2.24  また、心にうちに、「 いかにぞや、疵ありて」、思ひきこえたまひにし後、はた、あはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、「あはれ」と、思し乱るること限りなし。来し方、行く先、思し続けられて、心弱く泣きたまひぬ。
 また一方、心の中に、「いかがなものか、欠点があって」と、お思い申してから後、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、「ああ」と、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。今までのこと、将来のこと、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。
  Mata, kokoro no uti ni, "Ika ni zo ya, kizu ari te" omohi kikoye tamahi ni si noti, hata, ahare mo same tutu, kaku ohom-naka mo hedatari nuru wo, medurasiki ohom-taimen no mukasi oboye taru ni, "Ahare!" to, obosi midaruru koto kagiri nasi. Kosi-kata, yuku-saki, obosi-tuduke rare te, kokoro-yowaku naki tamahi nu.
1.2.25  女は、さしも見えじと 思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ、 聞こえたまふめる
 女は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。
  Womna ha, sasimo miye zi to obosi-tutumu mere do, e sinobi tamaha nu mi-kesiki wo, iyo-iyo kokoro-gurusiu, naho obosi tomaru beki sama ni zo, kikoye tamahu meru.
1.2.26   月も入りぬるにや、あはれなる空を眺めつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへる つらさも消えぬべし。やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「 さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る。
 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。だんだんと、「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。
  Tuki mo iri nuru ni ya, ahare naru sora wo nagame tutu, urami kikoye tamahu ni, kokora omohi atume tamahe ru turasa mo kiye nu besi. Yau-yau, "Ima ha." to, omohi-hanare tamahe ru ni, "Sareba yo!" to, naka-naka kokoro ugoki te, obosi-midaru.
1.2.27  殿上の若君達などうち連れて、とかく立ち わづらふなる庭の たたずまひも、げに艶なるかたに、うけばりたるありさまなり。思ほし 残すことなき御仲らひに、聞こえ交はしたまふことども、 まねびやらむかたなし
 殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。物のあわれの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容、そのまま筆に写すことはできない。
  Tenzyau no waka-Kimdati nado uti-ture te, tokaku tati-wadurahu naru niha no tatazumahi mo, geni en naru kata ni, ukebari taru arisama nari. Omohosi-nokosu koto naki ohom-nakarahi ni, kikoye-kahasi tamahu koto-domo, manebi-yara m kata nasi.
1.2.28   やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。
 だんだんと明けて行く空の風情、特別に作り出したかのようである。
  Yau-yau ake-yuku sora no kesiki, kotosara ni tukuri-ide tara m yau nari.
1.2.29  「 暁の別れはいつも露けきを
 「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが
    "Akatuki no wakare ha itumo tuyukeki wo
1.2.30   こは世に知らぬ秋の空かな
  今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね
    ko ha yo ni sira nu aki no sora kana
1.2.31  出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。
 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられる、たいそう優しい。
  Ide-gate ni, mi-te wo torahe te yasurahi tamahe ru, imiziu natukasi.
1.2.32  風、いと冷やかに吹きて、 松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、 まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや
 風、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。
  Kaze, ito hiyayaka ni huki te, matumusi no naki karasi taru kowe mo, wori-siri-gaho naru wo, sasite omohu koto naki dani, kiki-sugusi gatage naru ni, masite, warinaki mi-kokoro-madohi-domo ni naka-naka, koto mo yuka nu ni ya.
1.2.33  「 おほかたの秋の別れも悲しきに
 「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
    "Ohokata no aki no wakare mo kanasiki ni
1.2.34   鳴く音な添へそ野辺の松虫
  さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ
    naku ne na sohe so nobe no matumusi
1.2.35   悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。 道のほどいと露けし
 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。道程はまことに露っぽい。
  Kuyasiki koto ohokare do, kahi-nakere ba, ake-yuku sora mo hasitanau te, ide tamahu. Miti no hodo ito tuyukesi.
1.2.36  女も、え心強からず、名残あはれにて眺めたまふ。ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌、なほとまれる匂ひなど、 若き人びとは身にしめて、あやまちも しつべく、めできこゆ。
 女も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿、まだ残っている匂いなど、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。
  Womna mo, e kokoro-duyokara zu, nagori ahare ni te nagame tamahu. Hono-mi tatematuri tamahe ru tuki-kage no ohom-katati, naho tomare ru nihohi nado, wakaki hito-bito ha mi ni sime te, ayamati mo si tu beku, mede kikoyu.
1.2.37  「いかばかりの道にてか、かかる御ありさまを見捨てては、別れきこえむ」
 「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」
  "Ikabakari no miti ni te ka, kakaru ohom-arisama wo mi-sute te ha, wakare kikoye m."
1.2.38  と、 あいなく涙ぐみあへり
 と、わけもなく涙ぐみ合っていた。
  to, ainaku namida-gumi-ahe ri.
注釈22九月七日ばかり晩秋九月上旬、七日頃の月を写しだす。1.2.1
注釈23立ちながらわずかの時間でもの意。源氏の手紙の要旨。1.2.1
注釈24いでや御息所の躊躇の気持ち。『河海抄』は「我をのみ思ふといはばあるべきをいでや心は大幣にして」(古今集、俳諧歌、一〇四〇、読人しらず)を引歌として指摘。1.2.1
注釈25いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は御息所の応諾の気持ち。『完訳』は「引込み思案すぎても失礼かと。源氏に逢いたい本心を合理化」と注す。1.2.1
注釈26人知れず待ちきこえたまひけり御息所の心底。1.2.1
注釈27遥けき野辺「野辺」は歌語。1.2.2
注釈28浅茅が原歌語。「思ふよりいかにせよとか秋風になびく浅茅の色ことになる」(古今集恋四、七二五、読人しらず)「ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜もすがら虫の音をのみぞ鳴く」(後拾遺集秋上、二七〇、道命法師)など、秋風に色変わり心褪せてゆく、荒れ果てた場所などのニュアンスを伴う語句。1.2.2
注釈29枯れ枯れなる虫の音に「かれがれ」は「枯れ枯れ」と「嗄れ嗄れ」とを掛ける。『完訳』は「このあたり恋の不毛の心風景」と注す。1.2.2
注釈30松風すごく吹きあはせてそのこととも聞き分かれぬ『弄花抄』は「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を指摘。「凄し」は、ぞっとする感じ、もの寂しい感じを表す語句。1.2.2
注釈31艶なり「艶」は、優美な感じ、華やかな風情を表す語句。「凄し」とは対比的な美感。1.2.2
注釈32御随身参議兼大将の随身は六人である。1.2.3
注釈33ことことしき『集成』は「ことことしき」と清音、『完訳』は「ことごとしき」と濁音に読む。前者の読みに従う。なお、類義語に「ものものし」「いかめし」などがある。「ことことし」は対象が広範囲にわたり美的でないもの、悪しきものを指すことが多く、それに対して、「ものものし」は個々の人間の容姿・態度・性格などについて美的なもの、良きものを表現することが多く、また「いかめし」も儀式・行事・贈り物・建物などについて美的なもの、良きものを表現することが多いという(『小学館古語大辞典』)。1.2.3
注釈34火焼屋『集成』は「神饌を供するための小屋であると古注にいう」と注し、『完訳』は「警護の衛士が篝火をたく小屋」と注す。1.2.4
注釈35かうやうの歩きも以下「あきらめはべりにしがな」まで、源氏の詞。1.2.7
注釈36注連のほかには野宮に因んだ表現。建物の外には、の意。「注連」は「しめ」と読む。1.2.7
注釈37人びと六条御息所に仕えている女房たち。1.2.8
注釈38げにいとかたはらいたう以下「いとほしう」まで、女房たちの詞。1.2.9
注釈39いさやここの人目も以下「つつましき」まで、御息所の心。他の青表紙諸本は「ここらの人目」(大勢の人目)とある。1.2.11
注釈40かの思さむ「かの」は源氏をさす。1.2.11
注釈41こなたは簀子ばかりの許されははべりや源氏の詞。『集成』は「部屋には入れて頂けないまでも--と、他人行儀な応対を皮肉ったもの」と注す。1.2.12
注釈42はなやかにさし出でたる夕月夜に『完訳』は「物語では、恋の訪問の場面に多用」と注す。前に「九月七日ばかり」とあったので、半月ほどの月影。1.2.14
注釈43変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く源氏の詞。「ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色も変らざりけり」(後撰集冬、四五七、読人しらず)「置く霜に色も変らぬ榊葉の薫るや人のとめてきつらむ」(貫之集)、「ちはやぶる神の斎垣もこえぬべし今は我が身の惜しけくもなし」(拾遺集恋四、九二四、柿本人麿)「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに」(伊勢物語)「ちはやぶる神の斎垣も越る身は草の戸ざしに障る物かは」(古今六帖二、戸)などを踏まえる。1.2.15
注釈44神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ御息所の贈歌。「我が庵は三輪の山もと恋しくは訪らひ来ませ杉立てる門」(古今集雑下、九八二、読人しらず)を踏まえる。1.2.17
注釈45少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ源氏の返歌。「少女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひ染めてき」(拾遺集、雑恋、一二一〇、柿本人麿)「置く霜に色も変らぬ榊葉の薫るや人のとめてきつらむ」(貫之集)「榊葉の香をかぐはしみとめて来れば八十氏人ぞまどゐせりける」(拾遺集、神楽歌、五七七)「榊葉の春さす枝のあまたあればとがむる神もあらじとぞ思ふ」(拾遺集恋一、六五八、読人しらず)を踏まえる。1.2.20
注釈46さしも思されざりき「き」(過去の助動詞)、源氏の心を通して語る。1.2.23
注釈47いかにぞや疵ありて六条御息所の生霊事件をさす。1.2.24
注釈48思しつつむめれど「めり」(推量の助動詞)、語り手の視覚的推量のニュアンス。以下、その場に居合わせて語っている体裁。1.2.25
注釈49聞こえたまふめる「めり」(推量の助動詞)、語り手の視覚的推量のニュアンス。1.2.25
注釈50月も入りぬるにや時間の経過を月の移動で表す。1.2.26
注釈51つらさも消えぬべし「べし」(推量の助動詞)、語り手の強い推量のニュアンス。1.2.26
注釈52さればよとなかなか心動きて『集成』は「やはり思っていた通りだった(源氏に逢えば必ず決心が鈍るに違いないと案じていた通りになった)と、かえってお心が動揺して思い迷われる」と注す。1.2.26
注釈53わづらふなる「なり」(伝聞推定の助動詞)。「葵」巻の「殿上人どものこのましきなどは、朝夕の露分けありくをそのころの役になむする、など聞きたまひても」とあったのをさす。1.2.27
注釈54まねびやらむかたなし語り手の言葉。『休聞抄』は「双也」と指摘。『集成』は「(あまりにも普通とは違って、深くこまやかなので)そっくりそのまま語り伝えるすべもない。草子地。」と注す。『完訳』は「語り手は言語を絶した心の乱れを暗示」と注す。1.2.27
注釈55やうやう明けゆく空のけしき時間の経過を表す。ついに夜を明かして翌日となる。1.2.28
注釈56暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな源氏の贈歌。「露けし」は「秋」の縁語。秋の別の背後には「暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや」(後撰集恋四、八六三、紀貫之)「時しもあれや秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを」(古今集哀傷、八三九、壬生忠岑)などがある。1.2.29
注釈57松虫の鳴きからしたる『完訳』は「前の「かれがれなる虫の音」が、ここでは人待つ恋の情緒をこめた「松虫」に転じて、源氏執心を断ちがたい御息所の深層にふれる」と注す。「ひぐらしの声聞くからに松虫の名にのみ人を思ふころかな」(古今集秋上、二五五、貫之)「女郎花色にもあるかな松虫をもとに宿して誰を待つらむ」(後撰集秋中、三四六、読人しらず)などがある。1.2.32
注釈58ましてわりなき御心惑ひどもになかなかこともゆかぬにや『紹巴抄』は「双地」と注す。『集成』は「読者への弁解にもなる」と注す。1.2.32
注釈59おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫御息所の返歌。『完訳』は「秋の別れ」は、秋の季節における人との別れ。一説には秋と人との別れ。もともと秋は悲哀の季。離別の悲情を、「野辺の松虫」の鳴きからす悲しみに象徴させた歌」と注す。『集成』は「秋の別れ」を「(何事もなくて)ただ秋が過ぎ去って行くということだけでも」と、秋と人との別れに解す。1.2.33
注釈60悔しきこと多かれど源氏の気持ち。「出でたまふ」にかかる。1.2.35
注釈61道のほどいと露けし「露」に涙を連想させる。源氏の心象風景でもある。1.2.35
注釈62若き人びとは『完訳』は「叙述が、御息所の心から女房の心へと転換。その源氏への憧れは、御息所の心の一面でもあるが、彼女は他面では自制するほかない」と注す。1.2.36
注釈63あいなく涙ぐみあへり『完訳』は「女房たちは御息所の心情を表面的にしか理解しえないとする。語り手の評言」と注す。1.2.38
出典1 松風、すごく吹きあはせて 琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ 拾遺集雑上-四五一 斎宮女御 1.2.2
出典2 変らぬ色を ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色も変はらざりけり 後撰集冬-四五七 読人しらず 1.2.15
出典3 斎垣も越え ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今はわが身の惜しけくもなし 拾遺集恋四-九二四 柿本人麿 1.2.15
出典4 しるしの杉 わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門 古今集雑下-九八二 読人しらず 1.2.17
出典5 少女子が 少女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき 拾遺集雑恋-一二一〇 柿本人麿 1.2.20
出典6 榊葉の香を 榊葉の香をかぐはしみ求め来れば八十氏人ぞまどゐせりける 古今集神楽歌-五七七 読人しらず 1.2.20
校訂3 御随身 御随身--みすいら(ら/$し<朱>)む 1.2.3
校訂4 かすかに かすかに--かす(す/+か)に 1.2.4
校訂5 がな がな--哉(哉/$かな<朱>) 1.2.7
校訂6 出で 出で--(/+いて<朱>) 1.2.11
校訂7 たたずまひ たたずまひ--たたすさ(さ/$ま<朱>)ひ 1.2.27
校訂8 残す 残す--のう(う/$こ<朱>)す 1.2.27
校訂9 しつべく しつべく--しつへく(/\/$く<朱>) 1.2.36
1.3
第三段 伊勢下向の日決定


1-3  It is decided the day to go to Ise

1.3.1   御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。
 後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。
  Ohom-humi, tune yori mo komayaka naru ha, obosi nabiku bakari nare do, mata uti-kahesi, sadame-kane tamahu beki koto nara ne ba, ito kahinasi.
1.3.2   男は、さしも思さぬことをだに、情けのためには よく言ひ続けたまふべかめれば、まして、おしなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうもいとほしうも、思し悩むべし。
 男は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げていられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。
  Wotoko ha, sasimo obosa nu koto wo dani, nasake no tame ni ha yoku ihi-tuduke tamahu beka' mere ba, masite, osinabete no tura ni ha omohi kikoye tamaha zari si ohom-naka no, kaku te somuki tamahi na m to suru wo, kutiwosiu mo itohosiu mo, obosi nayamu besi.
1.3.3  旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
 旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、何ともお思いにならない。軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。
  Tabi no ohom-syauzoku yori hazime, hito-bito no made, nani-kure no mi-teudo nado, ikamesiu medurasiki sama ni te, toburahi kikoye tamahe do, nani to mo obosa re zu. Aha-ahasiu kokoro-uki na wo nomi nagasi te, asamasiki mi no arisama wo, ima hazime tara m yau ni, hodo tikaku naru mama ni, oki-husi nageki tamahu.
1.3.4  斎宮は、若き御心地に、不定なりつる御出で立ちの、かく定まりゆくを、うれし、とのみ思したり。世人は、例なきことと、もどきもあはれがりも、 さまざまに聞こゆべし何ごとも、人にもどきあつかはれぬ際はやすげなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多くなむ
 斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立が、このように決まってゆくのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。
  Saiguu ha, wakaki mi-kokoti ni, hudyau nari turu ohom-ide-tati no, kaku sadamari yuku wo, uresi, to nomi obosi tari. Yo-hito ha, rei naki koto to, modoki mo ahare-gari mo, sama-zama ni kikoyu besi. Nani-goto mo, hito ni modoki atukaha re nu kiha ha yasuge nari. Naka-naka yo ni nuke-ide nuru hito no ohom-atari ha, tokoro-seki koto ohoku nam.
注釈64御文、常よりもこまやかなるは野宮から帰邸後の手紙。後朝の文。1.3.1
注釈65男はさしも思さぬことをだに以下「思し悩むべし」まで、『細流抄』は「草子地」と注す。1.3.2
注釈66よく言ひ続けたまふべかめれば「べか」(推量の助動詞)「めれ」(推量の助動詞)、語り手が源氏の心を忖度した表現。1.3.2
注釈67さまざまに聞こゆべし「べし」(推量の助動詞)は語り手の推量。したがって「世人は」以下、語り手の文章である。『湖月抄』は「草子地」と注す。1.3.4
注釈68何ごとも人にもどきあつかはれぬ際はやすげなりなかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは所狭きこと多くなむ語り手の批評。『評釈』は「物語りする女房も、庶民に注目される側にある。が、「世にぬけ出でぬる人」--そういう人々に対して「所狭きこと多くなむ」と、同情する余裕が、女房には、あるのである」と注す。『集成』は「なに事も」以下を「草子地」と注す。1.3.4
1.4
第四段 斎宮、宮中へ向かう


1-4  Saigu goes to the Court

1.4.1   十六日、桂川にて御祓へしたまふ。常の儀式にまさりて、長奉送使など、さらぬ上達部も、やむごとなく、おぼえあるを 選らせたまへり院の御心寄せもあればなるべし。出でたまふほどに、大将殿より例の尽きせぬことども聞こえたまへり。「かけまくもかしこき御前にて」と、木綿につけて、
 十六日、桂川でお祓いをなさる。慣例の儀式より立派で、長奉送使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びさせた。院のお心遣いもあってのことであろう。お出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、
  Zihuroku-niti, Katura-gaha nite, ohom-harahe si tamahu. Tune no gisiki ni masari te, Tyaubusousi nado, saranu Kamdatime mo, yamgotonaku, oboye aru wo era se tamahe ri. Win no mi-kokoro-yose mo are ba naru besi. Ide tamahu hodo ni, Daisyau-dono yori rei no tuki se nu koto-domo kikoye tamahe ri. "Kakemakumo kasikoki o-mahe nite." to, yuhu ni tuke te,
1.4.2  「 鳴る神だにこそ
 「雷神でさえも、
  "Naru-kami dani koso,
1.4.3    八洲もる国つ御神も心あらば
  大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば
    Yasima moru Kuni-tu-mi-Kami mo kokoro ara ba
1.4.4   飽かぬ別れの仲をことわれ
  尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい
    aka nu wakare no naka wo kotoware
1.4.5  思うたまふるに、飽かぬ心地しはべるかな」
 どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」
  Omou tamahuru ni, aka nu kokoti si haberu kana!"
1.4.6  とあり。いとさわがしきほどなれど、御返りあり。宮の御をば、女別当して書かせたまへり。
 とある。とても取り混んでいる時だが、お返事がある。斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。
  to ari. Ito sawagasiki hodo nare do, ohom-kaheri ari. Miya no ohom wo ba, Nyo-be'tau site kaka se tamahe ri.
1.4.7  「 国つ神空にことわる仲ならば
 「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば
    "Kuni-tu-Kami sora ni kotowaru naka nara ba
1.4.8   なほざりごとをまづや糾さむ
  あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう
    nahozari-goto wo madu ya tadasa m
1.4.9  大将は、御ありさまゆかしうて、内裏にも参らまほしく思せど、うち捨てられて見送らむも、人悪ろき心地したまへば、思しとまりて、つれづれに眺めゐたまへり。
 大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。
  Daisyau ha, ohom-arisama yukasiu te, Uti ni mo mawira mahosiku obose do, uti-sute rare te mi-okura m mo, hito-waroki kokoti si tamahe ba, obosi tomari te, ture-dure ni nagame wi tamahe ri.
1.4.10  宮の御返りのおとなおとなしきを、ほほ笑みて見ゐたまへり。「 御年のほどよりは、をかしうもおはすべきかな」と、ただならず。 かうやうに例に違へるわづらはしさに、かならず心かかる御癖にて 、「 いとよう見たてまつりつべかりしいはけなき御ほどを、見ずなりぬるこそねたけれ。 世の中定めなければ、対面するやうもありなむかし」など思す。
 斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。
  Miya no ohom-kaheri no otona-otonasiki wo, hoho-wemi te mi wi tamahe ri. "Ohom-tosi no hodo yori ha, wokasiu mo ohasu beki kana!" to, tada-nara-zu. Kau yau ni rei ni tagahe ru wadurahasisa ni, kanarazu kokoro kakaru ohom-kuse ni te, "Ito you mi tatematuri tu bekari si ihakenaki ohom-hodo wo, mi zu nari nuru koso netakere. Yononaka sadame nakere ba, taimen suru yau mo ari na m kasi." nado obosu.
注釈69十六日桂川にて御祓へしたまふ斎宮群行の日。桂川で祓いをする。「九月十六日」という設定は、歴史上の規子内親王が伊勢へ下向した日と同日である。1.4.1
注釈70選らせたまへり「せ」(尊敬の助動詞)「たまへ」(尊敬の補助動詞)、主語は帝。1.4.1
注釈71院の御心寄せもあればなるべし「べし」(推量の助動詞)は、語り手の推量。1.4.1
注釈72鳴る神だにこそ源氏の文に付けた文句。以下「飽かぬ心地しはべるかな」まで、源氏の文。『源氏釈』は「天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは」(古今集恋四、七〇一、読人しらず)を指摘。1.4.2
注釈73八洲もる国つ御神も心あらば飽かぬ別れの仲をことわれ源氏の贈歌。1.4.3
注釈74国つ神空にことわる仲ならばなほざりごとをまづや糾さむ斎宮が女別当に代作させた返歌。1.4.7
注釈75御年のほどよりはをかしうもおはすべきかな源氏の斎宮の返歌を見ての感想。斎宮は十四歳。源氏、斎宮に対して好き心を動かす。1.4.10
注釈76かうやうに例に違へるわづらはしさにかならず心かかる御癖にて源氏の性癖。語り手の批評、注解。斎宮という恋は禁制の女性、しかも愛人六条御息所の娘という関係の女性に好色心を動かす源氏の性癖。『完訳』は「読者の批判を先取りし、恋に生きる好色人(すきびと)としての源氏の本性をいう語り口」と注す。1.4.10
注釈77いとよう以下「ありなむかし」まで、源氏の心。斎宮に対する関心。1.4.10
注釈78世の中定めなければ斎宮の交替は、天皇の譲位または崩御、あるいは斎宮の親族の死去などの折。世の無常とはいうが、かなり大胆な仮想である。1.4.10
出典7 鳴る神 天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは 古今集恋四-七〇一 読人しらず 1.4.2
校訂10 かならず かならず--か(か/$か<朱>)ならす 1.4.10
1.5
第五段 斎宮、伊勢へ向かう


1-5  Saigu starts off the Court for Ise

1.5.1  心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。申の時に内裏に参りたまふ。
 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。申の時に宮中に参内なさる。
  Kokoro-nikuku yosi aru ohom-kehahi nare ba, monomi-guruma ohokaru hi nari. Saru no toki ni Uti ni mawiri tamahu.
1.5.2  御息所、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣の 限りなき筋に思し志して、いつきたてまつりたまひしありさま、変はりて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせず、あはれに思さる。 十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九重を見たまひける
 御息所、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。十六で故宮に入内なさって、二十で先立たれ申される。三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。
  Miyasumdokoro, mi-kosi ni nori tamahe ru ni tuke te mo, Titi-Otodo no kagiri-naki sudi ni obosi kokorozasi te, ituki tatematuri tamahi si arisama, kahari te, suwe-no-yo ni Uti wo mi tamahu ni mo, mono nomi tuki se zu, ahare ni obosa ru. Zihu-roku nite ko-Miya ni mawiri tamahi te, ni-zihu ni te okure tatematuri tamahu. Sam-zihu nite zo, kehu mata Kokonohe wo mi tamahi keru.
1.5.3  「 そのかみを今日はかけじと忍ぶれど
 「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
    "Sono-kami wo kehu ha kake zi to sinobure do
1.5.4   心のうちにものぞ悲しき
  心の底では悲しく思われてならない
    kokoro no uti ni mono zo kanasiki
1.5.5  斎宮は、十四にぞなりたまひける。いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝、御心動きて、別れの櫛たてまつりたまふほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。
 斎宮は、十四におなりであった。とてもかわいらしういらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばした。
  Saiguu ha, zihu-si ni zo nari tamahi keru. Ito utukusiu ohasuru sama wo, uruhasiu sitate tatematuri tamahe ru zo, ito yuyusiki made miye tamahu wo, Mikado, mi-kokoro ugoki te, wakare no kusi tatematuri tamahu hodo, ito ahare ni te, siho-tare sase tamahi nu.
1.5.6  出でたまふを待ちたてまつるとて、八省に立て続けたる出車どもの袖口、色あひも、目馴れぬさまに、心にくきけしきなれば、殿上人どもも、私の別れ惜しむ多かり。
 お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に立ち続けていた女房の車から、袖口、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。
  Ide tamahu wo mati tatematuru tote, Ha'syau ni tate-tuduke taru idasi-guruma-domo no sode-guti, iro-ahi mo, me-nare nu sama ni, kokoro-nikuki kesiki nare ba, Tenzyau-bito-domo mo, watakusi no wakare wosimu ohokari.
1.5.7  暗う出でたまひて、 二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば、大将の君、いとあはれに思されて、榊にさして、
 暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、
  Kurau ide tamahi te, Ni-deu yori Touwin-no-ohodi wo wore tamahu hodo, Nideu-no-win no mahe nare ba, Daisyau-no-Kimi, ito ahare ni obosa re te, sakaki ni sasi te,
1.5.8  「 振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川
 「わたしを捨てて今日は旅立って行かれるが鈴鹿川を
    "Huri-sute te kehu ha yuku tomo Suzuka-gaha
1.5.9   八十瀬の波に袖は濡れじや
  渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか
    yaso-se no nami ni sode ha nure zi ya
1.5.10  と聞こえたまへれど、いと暗う、ものさわがしきほどなれば、またの日、関のあなたよりぞ、 御返しある。
 とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。
  to kikoye tamahe re do, ito kurau, mono-sawagasiki hodo nare ba, mata-no-hi, seki no anata yori zo, ohom-kahesi aru.
1.5.11  「 鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず
 「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
    "Suzuka-gaha yaso-se no nami ni nure nure zu
1.5.12   伊勢まで誰れか思ひおこせむ
  伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか
    Ise made tare ka omohi-okose m
1.5.13  ことそぎて書きたまへるしも、御手いとよしよししくなまめきたるに、「 あはれなるけをすこし添へたまへらましかば」と思す。
 言葉少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありだったらば」とお思いになる。
  Kotosogi te kaki tamahe ru simo, mi-te ito yosi-yosisiku namameki taru ni, "Ahare naru ke wo sukosi sohe tamahe ra masika ba." to obosu.
1.5.14  霧いたう降りて、ただならぬ朝ぼらけに、うち眺めて独りごちにおはす。
 霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。
  Kiri itau huri te, tada nara nu asa-borake ni, uti-nagame te hitori-goti ohasu.
1.5.15  「 行く方を眺めもやらむこの秋は
 「あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は
    "Yuku-kata wo nagame mo yara m kono aki ha
1.5.16   逢坂山を霧な隔てそ
  逢うという逢坂山を霧よ隠さないでおくれ
    Ahusaka-yama wo kiri na hedate so
1.5.17  西の対にも渡りたまはで、人やりならず、もの寂しげに眺め暮らしたまふ。 まして、旅の空は、いかに御心尽くしなること多かりけむ
 西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。
  Nisi-no-tai ni mo watari tamaha de, hito-yari-nara-zu, mono-sabisi-ge ni nagame kurasi tamahu. Masite, tabi no sora ha, ikani mi-kokoro-dukusi naru koto ohokari kem.
注釈79限りなき筋后の位をいう。1.5.2
注釈80十六にて故宮に参りたまひて二十にて後れたてまつりたまふ三十にてぞ今日また九重を見たまひける六条御息所の経歴をいうのだが、年立の上で問題の一文。年立上の整合性よりも経歴を叙述することを優先した記述。1.5.2
注釈81そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞ悲しき御息所の独詠歌。1.5.3
注釈82二条より洞院の大路を折れたまふほど二条の院の前なれば洞院大路は東と西の二本がある。西の洞院であろうか。なお、斎宮の群行行路について、河内本は「二条より洞院のおほちわたり給ふほと」とある。別本は「わたり」(御物本・陽明文庫本・国冬本)と「こえ」(伝冷泉為相筆本)とある。直進したような叙述となっている。1.5.7
注釈83振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れじや源氏の贈歌。『河海抄』は「鈴鹿川八十瀬の滝をみな人の賞づるも著く時にあへる時にあへるかも」(催馬楽-鈴鹿川)「鈴鹿川八十瀬渡りて誰故か夜越えに越えむ妻もあらなくに」(万葉集巻十二、三一五六)を指摘。「ふり」は「鈴」「袖」の縁語。1.5.8
注釈84鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢まで誰れか思ひおこせむ御息所の返歌。「鈴鹿川」「八十瀬の波」「濡れ」を受けて返す。1.5.11
注釈85あはれなるけをすこし添へたまへらましかば源氏の御息所の返歌を見ての感想。1.5.13
注釈86行く方を眺めもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ源氏の独詠歌。同類の発想歌に「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」(伊勢物語)がある。1.5.15
注釈87まして旅の空はいかに御心尽くしなること多かりけむ語り手の想像。三光院実枝は「草子の地」と指摘。『評釈』は「源氏がそう思い、作者はそう推し、読者はそう察する。この一行は、この三者の一致せる見解である」と注す。1.5.17
校訂11 御返し 御返し--御かへり(かへり/$返し<朱>) 1.5.10
Last updated 5/19/2004
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/11/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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