09 葵(大島本)


AHUHI


光る源氏の二十二歳春から二十三歳正月まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from January at the age of 22 to January at the age of 23

2
第二章 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語


2  Tale of Aoi  Aoi is possessed by Lady Rokujo's evil spirit

2.1
第一段 車争い後の六条御息所


2-1  Lady Rokujo gets ill after not viewing the parade

2.1.1   御息所は、ものを思し乱るること、年ごろよりも多く添ひにけり。つらき方に思ひ果てたまへど、 今はとてふり離れ 下りたまひなむは、「 いと心細かりぬべく、世の人聞きも人笑へにならむこと」と思す。 さりとて立ち止まるべく 思しなるには、「 かくこよなきさまに皆思ひくたすべかめるも、やすからず 釣する海人の浮けなれや 」と、起き臥し思しわづらふけにや、 御心地も浮きたるやうに思されて、悩ましうしたまふ。
 御息所は、心魂の煩悶なさること、ここ数年来よりも多く加わってしまった。薄情な方とすっかりお諦めになったが、今日を最後と振り切ってお下りになるのは、「とても心細いだろうし、世間の人の噂にも、物笑いの種になるだろうこと」とお思いになる。それだからといって、京に留まるようなお気持ちになるためには、「あの時のようなこれ以上の恥はないほどに誰もが見下げることであろうのも穏やかでなく、釣する海人の浮きか」と、寝ても起きても悩んでいられるせいか、魂も浮いたようにお感じになられて、お具合が悪くいらっしゃる。
  Miyasumdokoro ha, mono wo obosi midaruru koto, tosi-goro yori mo ohoku sohi ni keri. Turaki kata ni omohi-hate tamahe do, ima ha to te, huri-hanare kudari tamahi na m ha, "Ito kokoro-bosokari nu beku, yo no hito-giki mo hito-warahe ni nara m koto." to obosu. Saritote tati-tomaru beku obosi naru ni ha, "Kaku koyonaki sama ni mina omohi kutasu beka' meru mo, yasukara zu, turi suru ama no uke nare ya." to, oki-husi obosi wadurahu-ke ni ya, mi-kokoti mo uki taru yau ni obosa re te, nayamasiu si tamahu.
2.1.2  大将殿には、下りたまはむことを、「 もて離れてあるまじきこと 」なども、妨げきこえたまはず、
 大将殿におかれては、お下りになろうとしていることを、「まったくとんでもないことだ」などとも、お引き止め申し上げず、
  Daisyau-dono ni ha, kudari tamaha m koto wo, "Mote-hanare te aru-maziki koto." nado mo, samatage kikoye tamaha zu,
2.1.3  「 数ならぬ身を、見ま憂く思し捨てむもことわりなれど、今はなほ、いふかひなきにても、御覧じ果てむや、浅からぬにはあらむ」
 「わたしのようなつまらない者を、見るのも嫌だとお思い捨てなさるのもごもっともですが、今はやはりつまらない男でも、最後までお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
  "Kazu nara nu mi wo, mi-ma-uku obosi sute m mo kotowari nare do, ima ha naho, ihu-kahi-naki nite mo, go-ran-zi-hate m ya, asakara nu ni ha ara m."
2.1.4  と、 聞こえかかづらひたまへば 定めかねたまへる御心もや慰むと、立ち出でたまへりし 御禊河の荒かりし瀬に、いとど、よろづいと憂く 思し入れたり
 と、絡んで申し上げなさるので、決心しかねていらしたお気持ちも紛れることがあろうかと、外出なさった御禊見物の辛い経験から、いっそう、万事がとても辛くお思いつめになっていた。
  to, kikoye kakadurahi tamahe ba, sadame kane tamahe ru mi-kokoro mo ya nagusamu to, tati-ide tamahe ri si misogi-gaha no arakari si se ni, itodo, yorodu ito uku obosi-ire tari.
2.1.5   大殿には、御もののけめきて、いたうわづらひたまへば、誰も誰も思し嘆くに、 御歩きなど便なきころなれば、二条院にも時々ぞ渡りたまふ。 さはいへどやむごとなき方は、ことに思ひきこえたまへる人の、 めづらしきことさへ添ひたまへる御悩みなれば、 心苦しう思し嘆きて、御修法や何やなど、 わが御方にて、多く行はせたまふ。
 大殿邸では、御物の怪のようで、ひどく患っていらっしゃるので、どなたもどなたもお嘆きになっている時で、お忍び歩きなども不都合な時なので、二条院にも時々はお帰りになる。何と言っても、正妻として重んじている点では、特別にお思い申し上げていっしゃった方が、おめでたまでがお加わりになったお悩みなので、おいたわしいこととお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分の部屋で、多く行わせなさる。
  Ohoi-dono ni ha, ohom-mononoke-meki te, itau wadurahi tamahe ba, tare mo tare mo obosi-nageku ni, ohom-ariki nado bim-naki koro nare ba, Nideu-no-win ni mo toki-doki zo watari tamahu. Sa ha ihe do, yamgotonaki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahe ru hito no, medurasiki koto sahe sohi tamahe ru ohom-nayami nare ba, kokoro-gurusiu obosi nageki te, mi-syuhohu ya nani ya nado, waga ohom-kata ni te, ohoku okonaha se tamahu.
2.1.6  もののけ、生すだまなどいふもの多く出で来て、さまざまの名のりするなかに、 人にさらに移らず、ただみづからの御身につと添ひたるさまにて、ことにおどろおどろしうわづらはしきこゆることもなけれど、また、片時離るる折もなきもの一つあり。いみじき験者どもにも従はず、執念きけしき、おぼろけのものにあらずと見えたり。
 物の怪、生霊などというものがたくさん出てきて、いろいろな名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。すぐれた験者どもにも調伏されず、しつこい様子は並の物の怪ではない、と見えた。
  Mononoke, ikisudama nado ihu mono ohoku ide-ki te, sama-zama no nanori suru naka ni, hito ni sarani utura zu, tada midukara no ohom-mi ni tuto-sohi taru sama nite, koto ni odoro-odorosiu wadurahasi kikoyuru koto mo nakere do, mata, kata-toki hanaruru wori mo naki mono hito-tu ari. Imiziki Genzya-domo ni mo sitagaha zu, sihuneki kesiki, oboroke no mono ni mo ara zu to miye tari.
2.1.7  大将の君の御通ひ所、ここかしこと 思し当つるに
 大将の君のお通いになっている所、あちらこちらと見当をつけて御覧になるに、
  Daisyau-no-Kimi no ohom-kayohi dokoro, koko kasiko to obosi-aturu ni,
2.1.8  「 この御息所、二条の君などばかりこそは、おしなべてのさまには思したらざめれば、怨みの心も深からめ」
 「あの御息所、二条の君などだけは、並々のご寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」
  "Kono Miyasumdokoro, Nideu-no-Kimi nado bakari koso ha, osinabete no sama ni ha obosi tara za' mere ba, urami no kokoro mo hukakara me."
2.1.9  とささめきて、 ものなど問はせたまへど、さして聞こえ当つることもなし。もののけとても、わざと深き御かたきと聞こゆるもなし。 過ぎにける御乳母だつ人、もしは 親の御方につけつつ伝はりたるものの、弱目に出で来たるなど、 むねむねしからずぞ乱れ現はるる。ただつくづくと、音をのみ泣きたまひて、折々は胸をせき上げつつ、いみじう堪へがたげに惑ふわざをしたまへば、いかにおはすべきにかと、ゆゆしう悲しく思しあわてたり。
 とささやいて、占師に占わせなさるが、特にお当て申すこともない。物の怪といっても、特別に深いお敵と申す人もいない。亡くなったおん乳母のような人、もしくは親の血筋に代々祟り続けてきた怨霊が、弱みにつけこんで現れ出たものなど、大したものではないのがばらばらに出て来る。たださめざめと声を上げてお泣きになるばかりで、時々は胸をせき上げせき上げして、ひどく堪え難そうにもだえていられるので、どのようにおなりになるのかと、不吉に悲しくお慌てになっていた。
  to sasameki te, mono nado toha se tamahe do, sasite kikoye aturu koto mo nasi. Mononoke tote mo, wazato hukaki ohom-kataki to kikoyuru mo nasi. Sugi ni keru ohom-menoto-datu hito, mosi ha, oya no ohom-kata ni tuke tutu tutahari taru mono no, yohame ni ide-ki taru nado, mune-munesikara zu zo, midare araha ruru. Tada tuku-duku to, ne wo nomi naki tamahi te, wori-wori ha mune wo seki-age tutu, imiziu tahe-gatage ni madohu waza wo si tamahe ba, ikani ohasu beki ni ka to, yuyusiu kanasiku obosi-awate tari.
2.1.10  院よりも、御とぶらひ隙なく、御祈りのことまで思し寄らせたまふさまのかたじけなきにつけても、いとど惜しげなる人の御身なり。
 院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、御祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
  Win yori mo, ohom-toburahi hima-naku, ohom-inori no koto made obosi-yora se tamahu sama no katazikenaki ni tuke te mo, itodo wosi-ge naru hito no ohom-mi nari.
2.1.11  世の中あまねく惜しみきこゆるを 聞きたまふにも、御息所は ただならず思さる。年ごろはいとかくしもあらざりし御いどみ心を、はかなかりし 所の車争ひに、 人の御心の動きにけるを、かの殿には、さまでも思し寄らざりけり。
 世間の人々がみな惜しみ申し上げているのをお聞きになるにつけても、御息所はおもしろからずお思いになる。ここ数年来はとてもこのようなことはなかった張り合うお心を、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所のお気持ちに怨念が生じてしまったのを、あちらの殿では、そこまでとはお気づきにならないのであった。
  Yononaka amaneku wosimi kikoyuru wo kiki tamahu ni mo, Miyasumdokoro ha tada nara zu obosa ru. Tosi-goro ha ito kaku simo ara zari si ohom-idomi gokoro wo, hakanakari si tokoro no kuruma arasohi ni, hito no mi-kokoro no ugoki ni keru wo, kano Tono ni ha, sa made mo obosi-yora zari keri.
注釈147御息所は、ものを思し乱るること六条御息所の物語。車争いの後、煩悶深まる。『完訳』は「「もの」は魂の意。接頭語ではない。心底からの物思い」と注す。2.1.1
注釈148今はとて以下、六条御息所の心にそった語り口調。語り手と登場人物の心が一体化したところ。2.1.1
注釈149下りたまひなむは「たまふ」(尊敬の補助動詞)があるので、地の文となるが、もしなければ、心中文となる文章である。2.1.1
注釈150いと心細かりぬべく以下「人笑へにならむこと」まで、御息所の心。2.1.1
注釈151さりとて以下、再び御息所の心にそった語り口調。2.1.1
注釈152思しなるには「思ふ」の尊敬語「おぼす」とあるので、地の文だが、もし「思ひ」とあれば、心中文となる文章である。なお横山本と肖柏本は「おもほしなるには」とある。2.1.1
注釈153かくこよなきさまに皆思ひくたすべかめるもやすからず以下「釣する海人の浮けなれや」まで、御息所の心。『集成』は「あんなふうに(車争いの時のように)これ以上の恥はないほど、下々の者までが自分を見下げているらしいことも、心おだやかでなく」の意に解す。『完訳』は「世間からの侮蔑にさらされているわが身が堪えがたい」と注す。2.1.1
注釈154釣する海人の浮けなれや『源氏釈』は「伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる」(古今集、恋一、五〇九、読人しらず)を指摘。2.1.1
注釈155御心地も浮きたるやうに前の引き歌「伊勢の海に」の語句を受けて「浮きたるやう」とある。2.1.1
注釈156もて離れてあるまじきこと『集成』は「全くとんでもないことだ」の意に解し、『完訳』は「もてはなれて」の下に読点を打ち、「あまりかかわりを持とうともなさらず、もってのほかのこと」の意に解す。2.1.2
注釈157数ならぬ身を以下「浅からぬにはあらむ」まで、源氏の詞。『完訳』は「責任転嫁のいやみな言い方」と注す。2.1.3
注釈158聞こえかかづらひたまへば主語は源氏。『完訳』は「「かかづらふ」は難癖をつける」と注して、「からんだ言い方をなさるので」と訳す。2.1.4
注釈159定めかねたまへる御心もや慰む御息所の心を地の文で語った表現。「定めかね」は前出の『古今集』歌の「心一つを定めかねつる」によった表現。なお、「たまへ」(尊敬の補助動詞)がなければ、心中文になる。2.1.4
注釈160御禊河の荒かりし瀬に斎宮御禊の日の車争いの一件をさす。それに因んで「御禊河」「荒かりし」「瀬」という、いわゆる縁語表現をしたもの。2.1.4
注釈161思し入れたり榊原家本は「おほしいれり」、池田本は「おほしいら(ら$)れたり」とミセケチにし、肖柏本と三条西家本は「おほしいられたり」とあり、池田本の元の本文と同文である。2.1.4
注釈162大殿には、御もののけめきて葵の上、物の怪に苦しむ。2.1.5
注釈163御歩きなど便なきころなれば源氏の他の女性たちへのお忍び歩きをさす。2.1.5
注釈164さはいへど『完訳』は「葵の上に薄情だとはいえ」と注す。2.1.5
注釈165やむごとなき方は正妻としての意。2.1.5
注釈166めづらしきこと懐妊をさす。2.1.5
注釈167心苦しう『集成』は「おいたわしいことと」の意に解し、『完訳』は「痛々しく」の意に解す。2.1.5
注釈168わが御方にて左大臣邸の源氏の部屋をさす。2.1.5
注釈169人にさらに移らず「人」は憑坐(よりまし)をさす。2.1.6
注釈170思し当つるに左大臣家の左大臣や大宮が源氏の通い所を。嫉妬してであろうと。2.1.7
注釈171この御息所二条の君などばかりこそは以下「深からめ」まで、左大臣や大宮の詞。2.1.8
注釈172ものなど問はせたまへど左大臣家の左大臣や大宮が陰陽師などに占わせる。2.1.9
注釈173過ぎにける御乳母だつ人葵の上の乳母。物の怪として現れ出るとは、何か事情あって死んだのであろうか。2.1.9
注釈174親の御方につけつつ伝はりたるもの左大臣家に怨みをもって代々祟る怨霊。2.1.9
注釈175むねむねしからずぞ乱れ現はるる『集成』は「重立ってたたる怨霊というのではなく、ばらばらと名乗り出る。これらは憑坐に駆り移されて、その素性を名乗ったもの」と注す。『完訳』は「誰が主だってというのではなく、とりとめもなくなく現れてくるのである」の意に訳す。2.1.9
注釈176聞きたまふにも主語は六条御息所。2.1.11
注釈177ただならず思さる『完訳』は「葵の上の厚遇に比べ、世人にまで軽視される自らの薄幸を思う」と注す。2.1.11
注釈178所の車争ひ河内本と別本は「車の所あらそひ」とある。『集成』は「車の所あらそひ」と本文を訂正する。『完訳』『新大系』は底本のまま。2.1.11
注釈179人の御心の動きにけるを『集成』は「御息所のお心に怨念がきざしたのを」の意に解し、『完訳』は「正常心を失くしておしまいになったのを」の意に解す。2.1.11
出典3 釣する海人の浮け 伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる 古今集恋一-五〇九 読人しらず 2.1.1
校訂7 べかめるも べかめるも--へかめに(に/$る<朱>) 2.1.1
校訂8 あるまじき あるまじき--あるし(し/$)ましき 2.1.2
校訂9 聞こえ 聞こえ--きこゆ(ゆ/$え<朱>) 2.1.4
2.2
第二段 源氏、御息所を旅所に見舞う


2-2  Genji visits to Lady Rokujo

2.2.1  かかる御もの思ひの乱れに、御心地、なほ例ならずのみ思さるれば、 ほかに渡りたまひて、御修法などせさせたまふ。大将殿聞きたまひて、いかなる御心地にかと、いとほしう、 思し起して渡りたまへり。
 このようなお悩みのせいで、お加減が、やはり普段のようではなくばかりお感じになるので、別の御殿にお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どのようなお加減でいられるのかと、おいたわしく、ご決意なさってお見舞いにいらっしゃった。
  Kakaru ohom-mono-omohi no midare ni, mi-kokoti, naho rei nara zu nomi obosa rure ba, hoka ni watari tamahi te, mi-syuhohu nado se sase tamahu. Daisyau-dono kiki tamahi te, ika naru mi-kokoti ni ka to, itohosiu, obosi-okosi te watari tamahe ri.
2.2.2  例ならぬ旅所なれば、いたう忍びたまふ。心よりほかなるおこたりなど、罪ゆるされぬべく聞こえつづけたまひて、 悩みたまふ人の御ありさまも、憂へきこえたまふ
 いつもと違った仮のご宿所なので、たいそう忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰していることなど、許してもらえるよう詫び言を縷々申し上げなさって、お悩みでいらっしゃるご様子についても、訴え申される。
  Rei nara nu tabi-dokoro nare ba, itau sinobi tamahu. Kokoro yori hoka naru okotari nado, tumi yurusa re nu beku kikoye tuduke tamahi te, nayami tamahu hito no ohom-arisama mo, urehe kikoye tamahu.
2.2.3  「 みづからはさしも 思ひ入れはべらねど、親たちのいとことことしう思ひまどはるるが心苦しさに、 かかるほどを見過ぐさむとてなむ。よろづを思しのどめたる御心ならば、いとうれしうなむ」
 「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変な心配のしようなのが気の毒で、そのような時が過ぎてからと存じておりましたもので。万事おおらかにお許しいただけるお気持ちならば、まこと嬉しいのですが」
  "Midukara ha sasimo omohi-ire habera ne do, oya-tati no ito koto-kotosiu omohi madoha ruru ga kokoro-gurusisa ni, kakaru hodo wo mi-sugusa m tote nam. Yorodu wo obosi-nodome taru mi-kokoro nara ba, ito uresiu nam."
2.2.4  など、語らひきこえたまふ。常よりも心苦しげなる御けしきを、ことわりに、あはれに見たてまつりたまふ。
 などと、こまごまとお話し申し上げなさる。いつもよりも痛々しげなご様子を、無理もないことと、しみじみ哀れに拝見なさる。
  nado, katarahi kikoye tamahu. Tune yori mo kokoro-gurusige naru mi-kesiki wo, kotowari ni, ahare ni mi tatematuri tamahu.
2.2.5   うちとけぬ朝ぼらけに、出でたまふ御さまのをかしきにも、なほふり離れなむことは 思し返さる
 打ち解けぬままの明け方に、お帰りになるお姿の美しさにつけても、やはり振り切って別れることは、考え直さずにはいらっしゃれない。
  Uti-toke nu asa-borake ni, ide tamahu ohom-sama no wokasiki ni mo, naho huri-hanare na m koto ha obosi-kahesa ru.
2.2.6  「 やむごとなき方に、いとど 心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば、一つ方に思ししづまりたまひなむを、かやうに 待ちきこえつつあらむも、心のみ尽きぬべきこと」
 「正妻の方に、ますますご愛情がお増しになるに違いないおめでたが生じたので、お一方の所に納まってしまわれるに違いないのを、このようにお待ち申しお待ち申しているのも、物思いも尽くし果ててしまうに違いないこと」
  "Yamgotonaki-kata ni, itodo kokoro-zasi sohi tamahu beki koto mo ide-ki ni tare ba, hito-tu kata ni obosi sidumari tamahi na m wo, kayau ni mati kikoye tutu ara m mo, kokoro nomi tuki nu beki koto."
2.2.7  なかなかもの思ひのおどろかさるる心地したまふに、 御文ばかりぞ、暮れつ方ある
 かえって物思いを新たになさっていたところに、後朝の文だけが、夕方にある。
  Naka-naka mono-omohi no odorokasa ruru kokoti si tamahu ni, ohom-humi bakari zo, kure-tu-kata aru.
2.2.8  「 日ごろ、すこしおこたるさまなりつる心地の、にはかにいといたう苦しげにはべるを、 え引きよかでなむ
 「ここ数日来、少し回復して来たようだった気分が、急にとてもひどく苦しそうに見えましたので、どうしても目を放すことができませんで」
  "Higoro, sukosi okotaru sama nari turu kokoti no, nihaka ni ito itau kurusige ni haberu wo, e hiki-yoka de nam."
2.2.9  とあるを、「例のことつけ」と、 見たまふものから
 とあるのを、「例によって言い訳を」と、御覧になるものの、
  to aru wo, "Rei no kototuke" to, mi tamahu mono-kara,
2.2.10  「 袖濡るる恋路とかつは知りながら
 「袖を濡らす恋とは分かっていながら
    "Sode nururu kohidi to katu ha siri nagara
2.2.11   おりたつ田子のみづからぞ憂き
  そうなってしまうわが身の疎ましいことよ
    ori-tatu tago no midukara zo uki
2.2.12  『 山の井の水』もことわりに
 『山の井の水』も、もっともなことです」
  'Yama-no-wi no midu' mo kotowari ni."
2.2.13  とぞある。「 御手は、なほここらの人のなかにすぐれたりかし」と 見たまひつつ、「 いかにぞやもある世かな。心も容貌も、とりどりに捨つべくもなく、 また思ひ定むべきもなきを」。苦しう思さる。 御返り、いと暗うなりにたれど、
 とある。「ご筆跡は、やはり数多い女性の中で抜きん出ている」と御覧になりながら、「どうしてこうも思うようにならないのかなあ。気立ても容貌も、それぞれに捨ててよいものでなく、その反面これぞと思える人もいないことだ」。苦しくお思いになる。お返事は、たいそう暗くなってしまったが、
  to zo aru. "Ohom-te ha, naho kokora no hito no naka ni sugure tari kasi." to mi tamahi tutu, "Ikani zo ya mo aru yo kana! Kokoro mo katati mo, tori-dori ni sutu beku mo naku, mata omohi sadamu beki mo naki wo." Kurusiu obosa ru. Ohom-kaheri, ito kurau nari ni tare do,
2.2.14  「 袖のみ濡るるや、いかに。 深からぬ御ことになむ。
 「袖ばかり濡れるとは、どうしたことで。愛情がお深くないこと。
  "Sode nomi nururu ya, ikani? Hukakara nu ohom-koto ni nam.
2.2.15    浅みにや人はおりたつわが方は
  袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう
    Asami ni ya hito ha ori-tatu waga kata ha
2.2.16   身もそほつまで深き恋路を
  わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い所に立っております
    mi mo sohotu made hukaki kohidi wo
2.2.17   おぼろけにてや、この御返りを、みづから聞こえさせぬ」
 並々の気持ちで、このお返事を、直接に訴え申し上げずにいられましょうか」
  Oboroke ni te ya, kono ohom-kaheri wo, midukara kikoye sase nu."
2.2.18  などあり。
 などとある。
  nado ari.
注釈180ほかに渡りたまひて御修法などせさせたまふ本邸には斎宮がいて、仏事は忌まれるので、他の場所に移ってさせる。2.2.1
注釈181思し起して『完訳』は「すすまぬ気を引きたてる意」と注す。2.2.1
注釈182悩みたまふ人の御ありさまも憂へきこえたまふ『完訳』は「葵の上の病状を訴え、相手にそれゆえの無沙汰と了解を求める」と注す。2.2.2
注釈183みづからはさしも以下「いとうれしうなむ」まで、源氏の詞。自分はそれほどまで葵の上については心配していないのだが、彼女の両親たちが大変なので、と言い訳する。2.2.3
注釈184思ひ入れはべらねど葵の上の病状をさして言う。2.2.3
注釈185かかるほどを見過ぐさむとてなむ『集成』は「こういう折は他出を控えようと思いまして」の意に解す。『完訳』は「この期間の容態を見守ろうと」の意に解す。2.2.3
注釈186うちとけぬ朝ぼらけに「ぬ」(打消の助動詞)、心解けぬままに迎えた早朝の意。時刻は翌朝に移る。2.2.5
注釈187思し返さる「る」(自発の助動詞)。御息所の源氏への未練。2.2.5
注釈188やむごとなき方に以下「心のみ尽きぬべきこと」まで、六条御息所の心。心内文の引用句はなく、地の文になる。『集成』は「御息所の心中の思い」と注す。「やむごとなき方」は、源氏の正妻葵の上をさす。2.2.6
注釈189心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば源氏の御子を懐妊したのでの意。2.2.6
注釈190御文ばかりぞ暮れつ方ある「ばかり」(副助詞)、本人は来ないでお手紙だけがのニュアンス。しかも後朝の文が時刻を失した「夕方」にである。2.2.7
注釈191日ごろすこし以下「え引きよかでなむ」まで、源氏の文。2.2.8
注釈192え引きよかでなむ『集成』は「見放しかねまして。「引きよく」は、避けて通る意」と注す。2.2.8
注釈193見たまふものから主語は御息所。2.2.9
注釈194袖濡るる恋路とかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞ憂き御息所の贈歌。「こひぢ」は「泥」と「恋路」の掛詞。「身づから」に「水」を響かす。「濡るる」「水」は縁語。また「泥」「田子」(農夫)は縁語。『完訳』は「泥まみれの農夫に、源氏との絶望的な恋愛から抜け出せぬ己が運命の痛恨をかたどる。「うし」に注意。女からの贈歌に注意。未練による」と注す。2.2.10
注釈195山の井の水もことわりに歌に添えた言葉。『源氏釈』は「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖、山の井)を指摘。源氏の心の浅さを非難の意を込める。2.2.12
注釈196御手はなほ以下「すぐれたりかし」まで、源氏の心。御息所の筆跡は大勢の女性の中でもやはり優れているという批評。2.2.13
注釈197見たまひつつ大島本と池田本は「み給ひつゝ」とある。横山本は「うち」を補入。池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「うちみ給つゝ」。河内本と別本も池田本等と同文。2.2.13
注釈198いかにぞや以下「また思ひ定むべきもなきを」まで、源氏の心。『完訳』は「この世は不可解、として、心ひかれる女の多いことをいう」と注す。ただし、この文を受ける引用の助詞「と」がなく、「を」が詠嘆を表す(間投助詞)と共に目的を表す(格助詞)機能を果たして、地の文に続くかたちになっている。2.2.13
注釈199また思ひ定むべきもなき『集成』は「わが妻と」と注す。『完訳』は「一人の妻だけに限定しがたい」と注す。2.2.13
注釈200御返り源氏からの返事。2.2.13
注釈201袖のみ濡るるや以下「みつから聞こえさせぬ」まで、源氏の文。御息所の「袖濡るる」の語句を受けて言う。2.2.14
注釈202深からぬ御ことあなたの愛情が深くないことの意。2.2.14
注釈203浅みにや人はおりたつわが方は身もそほつまで深き恋路を「こひぢ」を受けて、自分は「身もそぼつまで深き恋路」に下り立っていると切り返す。「人」は御息所をさす。『孟津抄』は「浅みこそ袖はひづらめ涙川身さへ流ると聞かばたのまむ」(古今集、恋三、六一八、在原業平)を指摘。『完訳』は「同発想で、御息所の歌を切り返すが、事実の根拠もなく、言葉だけの応酬」と注す。2.2.15
注釈204おぼろけにてや『集成』は「並々のことで、このお返事を直接お伺いして申し上げぬことがありましょうか。よほどの事情があるのです。葵の上の容態が重いことを暗にいう。「や」は反語」と注す。2.2.17
出典4 山の井の水 悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水 古今六帖二-九八七 2.2.12
校訂10 待ち 待ち--(/+待<朱>) 2.2.6
2.3
第三段 葵の上に御息所のもののけ出現する


2-3  Lady Rokujo's evil spirit appears on Aoi

2.3.1   大殿には、御もののけいたう起こりて、いみじうわづらひたまふ。「 この御生きすだま、故父大臣の御霊など言ふものあり」と 聞きたまふにつけて、思しつづくれば、
 大殿邸では、御物の怪がひどく起こって、大変にお苦しみになる。「自分の生霊や、故大臣の死霊だなどと言う人がいる」とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
  Ohoi-dono ni ha, ohom-mononoke itau okori te, imiziu wadurahi tamahu. "Kono ohom-ikisudama, ko-titi-Otodo no go-ryau nado ihu mono ari." to kiki tamahu ni tuke te, obosi-tudukure ba,
2.3.2  「 身一つの憂き嘆きよりほかに、 人を悪しかれなど思ふ心もなけれど、 もの思ひにあくがるなる魂は 、さもやあらむ」
 「我が身一人の不運を嘆いているより他には、他人を悪くなれと呪う気持ちはないのだが、悩み事があると抜け出て行くという魂は、このようなことなのだろうか」
  "Mi hito-tu no uki nageki yori hoka ni, hito wo asikare nado omohu kokoro mo nakere do, mono-omohi ni akugaru naru tamasihi ha, sa mo ya ara m."
2.3.3  と思し知らるることもあり。
 と、お気づきになることもある。
  to obosi-sira ruru koto mo ari.
2.3.4   年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、 かうしも砕けぬを、はかなきことの折に、人の思ひ消ち、なきものに もてなすさまなりし御禊の後、ひとふしに 思し浮かれにし心、鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、 かの姫君とおぼしき人の、 いときよらにてある所に 行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、 たけくいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど 見えたまふこと、度かさなりにけり。
 数年来、何かと物思いの限りを尽くしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことはなかったのに、ちょっとした事の折に、相手が無視し、蔑ろにした態度をとった御禊の後は、あの一件によって抜け出るようになった魂、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうととなさる夢には、あの姫君と思われる人の、とても清浄にしている所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどが現れなさること、度重なった。
  Tosi-goro, yorodu ni omohi nokosu koto naku sugusi ture do, kau si mo kudake nu wo, hakanaki koto no wori ni, hito no omohi-keti, naki mono ni motenasu sama nari si misogi no noti, hito-husi ni obosi-ukare ni si kokoro, sidumari gatau obosa ruru ke ni ya, sukosi uti-madoromi tamahu yume ni ha, kano Hime-Gimi to obosiki hito no, ito kiyora ni te aru tokoro ni iki te, tokaku hiki-masaguri, ututu ni mo ni zu, takeku ikaki hitaburu kokoro ide-ki te, uti-kanaguru nado miye tamahu koto, tabi-kasanari ni keri.
2.3.5  「 あな、心憂やげに、身を捨ててや、往にけむ 」と、うつし心ならずおぼえたまふ折々もあれば、「 さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこれは、いとよう言ひなしつべきたよりなり」と思すに、いと 名たたしう
 「ああ、何と忌まわしいことか。なるほど、身体を抜け出して出て行ったのだろう」と、正気を失ったように思われなさる時が度々あるので、「何でもないことでさえも、他人の事では、よいような噂は立てないのが世間の常なので、ましてこのことは、何とでも噂立てられる絶好の種だ」とお思いになると、とても評判になりそうで、
  "Ana, kokoro-u ya! Geni, mi wo sute te ya, ini kem." to, utusi-gokoro nara zu oboye tamahu wori-wori mo are ba, "Sa nara nu koto dani, hito no ohom-tame ni ha, yosama no koto wo simo ihi-ide nu yo nare ba, masite kore ha, ito you ihi-nasi tu beki tayori nari." to obosu ni, ito na-datasiu,
2.3.6  「 ひたすら世に亡くなりて、後に怨み残すは世の常のことなり。それだに、人の上にては、罪深うゆゆしきを、うつつのわが身ながら、さる疎ましきことを言ひつけらるる宿世の憂きこと。すべて、つれなき人にいかで心もかけきこえじ」
 「もう亡くなってしまって、後に怨みを残すのは世間にもあることだ。それでさえ、人の身の上については、罪深く忌まわしいのに、生きている身でありながら、そのような忌まわしいことを、噂される因縁の辛いこと。もう一切、薄情な方に決して心をお掛け申すまい」
  "Hitasura yo ni nakunari te, noti ni urami nokosu ha yo no tune no koto nari. Sore dani, hito no uhe ni te ha, tumi hukau yuyusiki wo, ututu no waga mi nagara, saru utomasiki koto wo ihi-tuke raruru sukuse no uki koto. Subete, turenaki hito ni ikade kokoro mo kake kikoye zi."
2.3.7  と思し返せど、 思ふもものをなり
 とお考え直しになるが、思うまいと思うのも物思うことである。
  to obosi kahese do, omohu mo mono wo nari.
注釈205大殿には左大臣邸。御息所、生霊となって葵の上を苦しめる。2.3.1
注釈206この御生きすだま、故父大臣の御霊など言ふものあり御息所の聞いた噂。「この」は御息所をさす。「故父大臣」とは御息所の父大臣。『完訳』は「父大臣が左大臣を恨んで死んだとも読める。政治的敗北者か」と注す。次の「賢木」巻に御息所の父が大臣であったと語られる。2.3.1
注釈207聞きたまふ主語は御息所。2.3.1
注釈208身一つの以下「さもやあらむ」まで、御息所の心。2.3.2
注釈209人を悪しかれなど【人を悪しかれ】−葵の上をさす。『完訳』は「他人の不幸を願う気持はない」と注す。<BR/>【悪しかれなど】−横山本は「あしかれな(な$)と」と「な」をミセケチ、三条西家本は「あしかれと」。別本の御物本が「あしかれと」とある。2.3.2
注釈210もの思ひにあくがるなる魂は「思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ」(伊勢物語)「物思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(和泉式部集、後拾遺和歌集)。2.3.2
注釈211年ごろ、よろづに以下、御息所の心にそった語り口。2.3.4
注釈212かうしも砕けぬを「ぬ」(打消の助動詞)。『集成』は「これほどの苦しい思いをしたことはなかったが。「砕く」は、思い乱れること。このあたり敬語がなく、御息所の心中の思いをそのまま地の文とした書き方」と注す。2.3.4
注釈213もてなすさまなりし御禊の後「し」(過去の助動詞)は、自らの体験をいうニュアンスで、御息所の立場にたった主観的な語り口。2.3.4
注釈214思し浮かれにし心鎮まりがたう思さるるけにや語り手の挿入句。御息所の心を推測。「し」(過去の助動詞)は前行に同じだが、「思す」(尊敬語)という語られるので、語り手の立場にたったやや客観的な語り口。『集成』は「理性をなくされたお心が」の意に解す。2.3.4
注釈215かの姫君葵の上をさす。2.3.4
注釈216いときよらにてある所に『集成』は「美しい装いでいる所へ」、『完訳』も「まことにきれいなお姿をしていらっしゃる所に」の意に解す。この場合の「きよら」は清浄の意であろう。2.3.4
注釈217行きて横山本は「ゆ(=い)きて」と訂正、肖柏本は「ゆきて」と表記。主語は御息所の魂。2.3.4
注釈218たけくいかきひたぶる心出で来て『集成』は「烈しく猛々しいいちずな気持が湧いてきて」の意に解す。2.3.4
注釈219見えたまふ夢の中に自分の行動がお現れになるの意。主語が夢の中の自分となる。2.3.4
注釈220あな心憂や以下「往にけむ」まで、御息所の心。2.3.5
注釈221げに身を捨ててや往にけむ『源氏釈』は「身を捨てて行きやしにけむ思ふより外なるものは心なりけり」(古今集、雑下、九七七、躬恒)を指摘。2.3.5
注釈222さならぬことだに以下「たよりなり」まで、御息所の心。2.3.5
注釈223ひたすら世に亡くなりて後に以下「心もかけきこえじ」まで、御息所の心中。源氏を断念することを決意。2.3.6
注釈224思ふもものをなり『源氏釈』は「思はじと思ふも物を思ふなり言はじと言ふもこれも言ふなり」(出典未詳)を指摘。『奥入』は「思はじと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はじやなぞ」(出典未詳)を指摘。『集成』は『奥入』所引歌を、『完訳』は『源氏釈』所引歌を引歌として指摘する。2.3.7
出典5 もの思ひにあくがるなる魂 物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 後拾遺集神祇-一一六二 和泉式部 2.3.2
出典6 身を捨ててや 身を捨てて行きやしにけむ思ふより外なる物は心なりけり 古今集雑下-九七七 凡河内躬恒 2.3.5
出典7 思ふもものを 思はじと思ふも物を思ふなり言はじと言ふもこれも言ふなり 源氏釈所引、出典未詳 2.3.7
校訂11 名たたしう 名たたしう--なたら(ら/$た<朱>)しう 2.3.5
2.4
第四段 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る


2-4  In this fall, Saigu moves her plase

2.4.1   斎宮は、去年内裏に入りたまふべかりしを、さまざま障はることありて、この秋入りたまふ。九月には、やがて野の宮に移ろひたまふべければ、ふたたびの御祓へのいそぎ、とりかさねてあるべきに、ただあやしうほけほけしうて、つくづくと臥し悩みたまふを、宮人、いみじき大事にて、御祈りなど、さまざま仕うまつる。
 斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが、さまざまに差し障ることがあって、この秋にお入りになる。九月には、そのまま野の宮にお移りになる予定なので、二度目の御禊の準備、引き続いて行うはずのところ、まるで妙にぼうっとして、物思いに沈んで悩んでいらっしゃるのを、斎宮寮の官人たち、ひどく重大視して、御祈祷など、あれこれと致す。
  Saiguu ha, kozo uti ni iri tamahu bekari si wo, sama-zama saharu koto ari te, kono aki iri tamahu. Ku-gwati ni ha, yagate Nonomiya ni uturohi tamahu bekere ba, hutatabi no ohom-harahe no isogi, tori-kasane te aru beki ni, tada ayasiu hoke-hokesiu te, tuku-duku to husi nayami tamahu wo, Miya-bito, imiziki daizi ni te, ohom-inori nado, sama-zama tukau-maturu.
2.4.2  おどろおどろしきさまにはあらず、そこはかとなくて、月日を過ぐしたまふ。大将殿も、常に とぶらひきこえたまへどまさる方のいたうわづらひたまへば、御心のいとまなげなり。
 ひどく苦しいという様子ではなく、どこが悪いということもなくて、月日をお過ごしになる。大将殿も欠かさずお見舞い申し上げなさるが、さらに大事な方がひどく患っていられるので、お気持ちの余裕がないようである。
  Odoro-odorosiki sama ni ha ara zu, sokohaka-to-naku te, tuki-hi wo sugusi tamahu. Daisyau-dono mo, tune ni, toburahi kikoye tamahe do, masaru kata no itau wadurahi tamahe ba, mi-kokoro no itoma nage nari.
2.4.3   まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみたまへるに、にはかに御けしきありて、悩みたまへば、いとどしき御祈り、数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念き御もののけ一つ、さらに動かず、 やむごとなき験者ども、めづらかなりともてなやむ。さすがに、 いみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、
 まだその時期ではないと、誰も彼もが油断していられたところ、急に産気づかれてお苦しみになるので、これまで以上の御祈祷の有りったけを尽くしておさせになるが、例の執念深い物の怪が一つだけ全然動かず、霊験あらたかな験者どもは、珍しいことだと困惑する。とはいっても、たいそう調伏されて、いたいたしげに泣き苦しんで、
  Mada saru-beki hodo ni mo ara zu to, mina-hito mo tayumi tamahe ru ni, nihakani mi-kesiki ari te, nayami tamahe ba, itodosiki ohom-inori, kazu wo tukusi te se sase tamahe re do, rei no sihuneki ohom-mononoke hito-tu, sarani ugoka zu, yamgotonaki genzya-domo, meduraka nari to mote-nayamu. Sasugani, imiziu teu-ze rare te, kokoro-kurusige ni naki-wabi te,
2.4.4  「 すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことありとのたまふ
 「少し緩めてください。大将に申し上げる事がある」とおっしゃる。
  "Sukosi yurube tamahe ya! Daisyau ni kikoyu beki koto ari." to notamahu.
2.4.5  「 さればよ。あるやうあらむ
 「やはりそうであったか。何かわけがあるのだろう」
  "Sare ba yo! Aru yau ara m."
2.4.6  とて、近き御几帳のもとに 入れたてまつりたり。むげに 限りのさまにものしたまふを、 聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、 大臣も宮もすこし 退きたまへり。加持の僧ども、声しづめて法華経を誦みたる、 いみじう尊し
 と言って、近くの御几帳の側にお入れ申し上げた。とてももうだめかと思われるような容態でいられるので、ご遺言申し上げて置きたいことでもあるのだろうかと思って、大臣も宮も少しお下がりになった。加持の僧どもは、声を低めて法華経を読んでいる、たいそう尊い。
  tote, tikaki mi-kityau no moto ni ire tatematuri tari. Muge ni kagiri no sama ni monosi tamahu wo, kikoye-oka mahosiki koto mo ohasuru ni ya tote, Otodo mo Miya mo sukosi sirizoki tamahe ri. Kadi no sou-domo, kowe sidume te Hokekyau wo yomi taru, imiziu tahutosi.
2.4.7  御几帳の帷子 引き上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、 よそ人だに、見たてまつらむに心乱れぬべしまして惜しう悲しう思す、ことわりなり。白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、「 かうてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれ」と見ゆ。 御手をとらへて
 御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、とても美しいお姿で、お腹はたいそう大きくて臥していられる様子、他人であっても、拝見しては心動かさずにはいられないであろう。まして惜しく悲しくお思いになるのは、もっともである。白いお着物に、色合いがとてもくっきりとして、髪がとても長くて豊かなのを、引き結んで横に添えてあるのも、「こうあってこそかわいらしげで優美な点が加わり美しいのだなあ」と見える。お手を取って、
  Mi-kityau no katabira hiki-age te mi tatematuri tamahe ba, ito wokasi-ge ni te, ohom-hara ha imiziu takau te husi tamahe ru sama, yoso-bito dani, mi tatematura m ni kokoro midare nu besi. Masite wosiu kanasiu obosu, kotowari nari. Siroki ohom-zo ni, iro-ahi ito hanayaka ni te, mi-gusi no ito nagau kotitaki wo, hiki-yuhi te uti-sohe taru mo, "Kau te koso, rautage ni namameki taru kata sohi te wokasikari kere!" to miyu. Mi-te wo torahe te,
2.4.8  「 あな、いみじ。心憂きめを見せたまふかな
 「ああ、ひどい。辛い思いをおさせになるとは」
  "Ana, imizi! Kokoro-uki me wo mise tamahu kana!"
2.4.9  とて、ものも聞こえたまはず泣きたまへば、 例はいとわづらはしう恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもりきこえたまふに、 涙のこぼるるさまを見たまふは、 いかがあはれの浅からむ
 と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、いつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしを、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれる様子を御覧になるのは、どうして情愛を浅く思うであろうか。
  tote, mono mo kikoye tamaha zu naki tamahe ba, rei ha ito wadurahasiu hadukasi-ge naru ohom-mami wo, ito tayuge ni mi-age te, uti-mamori kikoye tamahu ni, namida no koboruru sama wo mi tamahu ha, ikaga ahare no asakara m.
2.4.10   あまりいたう泣きたまへば、「 心苦しき親たちの御ことを思し、また、かく見たまふにつけて、口惜しうおぼえたまふにや」と思して、
 あまりひどくお泣きになるので、「気の毒なご両親のことをご心配され、また、このように御覧になるにつけても、残念にお思いになってのことだろうか」とお思いになって、
  Amari itau naki tamahe ba, "Kokoro-gurusiki oya-tati no ohom-koto wo obosi, mata, kaku mi tamahu ni tuke te, kutiwosiu oboye tamahu ni ya?" to obosi te,
2.4.11  「 何ごとも、いとかうな思し入れそ。 さりともけしうはおはせじ。いかなりとも、かならず 逢ふ瀬あなれば、対面はありなむ。大臣、宮なども、深き契りある仲は、めぐりても 絶えざなれば、あひ見るほどありなむと思せ」
 「何事につけても、ひどくこんなに思いつめなさるな。いくら何でも大したことはありません。万が一のことがあっても、必ず逢えるとのことですから、きっとお逢いできましょう。大臣、宮なども、深い親子の縁のある間柄は、転生を重ねても切れないと言うから、お逢いできる時があるとご安心なさい」
  "Nani-goto mo, ito kau na obosi-ire so. Saritomo kesiu ha ohase zi. Ika nari to mo, kanarazu ahu-se a' nare ba, taimen ha ari na m. Otodo, Miya nado mo, hukaki tigiri aru naka ha, meguri te mo taye za' nare ba, ahi miru hodo ari na m to obose."
2.4.12  と、慰めたまふに、
 と、お慰めになると、
  to, nagusame tamahu ni,
2.4.13  「 いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける」
 「いえ、そうではありません。身体がとても苦しいので、少し休めて下さいと申そうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、物思いする人の魂は、なるほど抜け出るものだったのですね」
  "Ide, ara zu ya! Mi-no-uhe no ito kurusiki wo, sibasi yasume tamahe to kikoye m tote nam. Kaku mawiri ko m to mo sarani omoha nu wo, mono omohu hito no tamasihi ha, geni akugaruru mono ni nam ari keru."
2.4.14  と、 なつかしげに言ひて、
 と、親しげに言って、
  to, natukasi-ge ni ihi te,
2.4.15  「 嘆きわび空に乱るるわが魂を
 「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を
    "Nageki wabi sora ni midaruru waga tama wo
2.4.16   結びとどめよしたがへのつま
  結び留めてください、下前の褄を結んで
    musubi todome yo sitagahe no tuma
2.4.17  とのたまふ声、けはひ、 その人にもあらず、変はりたまへり。「 いとあやし」と思しめぐらすに、 ただ、かの御息所なりけり。あさましう、人のとかく 言ふを、よからぬ者どもの言ひ 出づることも、聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見す見す、「 世には、かかることこそはありけれ」と、疎ましうなりぬ。「 あな、心憂」と思されて、
 とおっしゃる声、雰囲気、この人ではなく、変わっていらっしゃった。「たいそう変だ」とお考えめぐらすと、まったく、あの御息所その人なのであった。あきれて、人が何かと噂をするのを、下々の者たちが言い出したことも、聞くに耐えないとお思いになって、無視していられたが、目の前にまざまざと、「本当に、このようなこともあったのだ」と、気味悪くなった。「ああ、嫌な」と思わずにはいらっしゃれず、
  to notamahu kowe, kehahi, sono hito ni mo ara zu, kahari tamahe ri. "Ito ayasi." to obosi megurasu ni, tada, kano Miyasumdokoro nari keri. Asamasiu, hito no tokaku ihu wo, yokara nu mono-domo no ihi-iduru koto mo, kiki nikuku obosi te, notamahi-ketu wo, me ni misu-misu, "Yo ni ha, kakaru koto koso ari kere." to, utomasiu nari nu. "Ana, kokoro-u!" to obosa re te,
2.4.18  「 かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」
 「そのようにおっしゃるが、誰とも分からぬ。はっきりと名乗りなさい」
  "Kaku notamahe do, tare to koso sira ne. Tasika ni notamahe."
2.4.19  とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、 あさましとは世の常なり。人々近う参るも、かたはらいたう思さる。
 とおっしゃると、まったく、その方そっくりのご様子なので、あきれはてるという言い方では平凡である。女房たちがお側近くに参るのも、気が気ではない。
  to notamahe ba, tada sore naru ohom-arisama ni, asamasi to ha yo no tune nari. Hito-bito tikau mawiru mo, katahara-itau obosa ru.
注釈225斎宮は、去年内裏に入りたまふべかりしを齋宮は卜定されると、まず賀茂川で御禊をし、次いで宮中の初齋院に入る。そこでおよそ一年を過ごし、翌年の秋に二度めの御禊を行い、嵯峨野の野宮に移る。そして翌年の秋九月に伊勢へ向かう。齋宮は卜定から伊勢下向までおよそ足掛け三年ある。2.4.1
注釈226とぶらひきこえたまへどこのお見舞いは使者である。『完訳』は「源氏自身でなく使者を派遣」と注す。2.4.2
注釈227まさる方葵の上をさす。2.4.2
注釈228まださるべきほどにもあらずと「ほど」は出産の時期をさす。2.4.3
注釈229やむごとなき験者ども『集成』は「霊験あらたかな」と注す。『完訳』は「尊い験者衆も」と訳す。2.4.3
注釈230すこしゆるべたまへや大将に聞こゆべきことあり物の怪の詞。2.4.4
注釈231とのたまふ『集成』は「物の怪の言葉であるが、とり憑いている葵の上の口を借りて言うので、周囲の人々にはその区別がつかない。それで「のたまふ」と敬語をもちいる」と注す。2.4.4
注釈232さればよあるやうあらむ女房の詞。よって敬語がつかない。2.4.5
注釈233入れたてまつりたり源氏を葵の上のいる几帳の内側に。2.4.6
注釈234限りのさま葵の上の容態をさす。2.4.6
注釈235聞こえ置かまほしきこともおはするにや大臣や大宮の心中。葵の上が源氏に。遺言をさす。2.4.6
注釈236大臣も宮も葵の上の父左大臣と母大宮。2.4.6
注釈237いみじう尊し語り手の評言。2.4.6
注釈238引き上げて見たてまつりたまへば主語は源氏。2.4.7
注釈239よそ人だに見たてまつらむに心乱れぬべし語り手の感情移入の推測。「よそ人」を『集成』は「夫婦でなくても」と注す。『完訳』は「夫という関係にない人でさえ」と注す。<BR/>【心乱れぬべし】−『完訳』は「どうしてよいのか分らぬ気持になるにちがいない」と訳す。2.4.7
注釈240まして惜しう悲しう思すことわりなり語り手の断言。2.4.7
注釈241かうてこそ以下「をかしかりけれ」まで、源氏の心。2.4.7
注釈242御手をとらへて主語は源氏。2.4.7
注釈243あないみじ心憂きめを見せたまふかな源氏の詞。『完訳』は「相手の死を懸念する言い方」と注す。2.4.8
注釈244例はいとわづらはしう以下、葵の上の描写。2.4.9
注釈245涙のこぼるるさま葵の上をさす。2.4.9
注釈246いかがあはれの浅からむ反語表現。「どうして浅いことがあろうか、浅くはない」。語り手の評言。『湖月抄』は「源の心中を草子の地より云也」と指摘。2.4.9
注釈247あまりいたう泣きたまへば葵の上の様子をいう。2.4.10
注釈248心苦しき親たちの以下「おぼえたまふにや」まで、源氏の推測。2.4.10
注釈249何ごとも以下「思せ」まで、源氏の詞。2.4.11
注釈250さりともけしうはおはせじ『完訳』は「確かに症状がよくないとはいえ、命にかかわることはあるまい」と注す。2.4.11
注釈251逢ふ瀬あなれば「なれ」(伝聞推定の助動詞)。『集成』は「当時の俗信で、女は三途の川を渡る時、最初に契った男に背負われて渡ると言われたいたから、そこで再会できるはずだという意」と注す。2.4.11
注釈252絶えざなれば「なれ」(伝聞推定の助動詞)。『集成』は「(この世で親子の縁を結ぶほど)前世からの深い因縁のある間柄は、未来の転生を重ねて、切れはしないということですから」と注す。2.4.11
注釈253いであらずや以下「ものになむありける」まで、物の怪の詞。『完訳』は「反発の発語。以下、御息所の言葉としか考えられない内容」と注す。2.4.13
注釈254なつかしげに『完訳』は「親しげに。源氏への未練」と注す。2.4.14
注釈255嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがへのつま物の怪の歌。『異本紫明抄』は「思ひ余り出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ」(伊勢物語)を指摘。また『河海抄』は「魂は見つぬしは誰とも知らねども結びとどめよしたがひつま」(袋草子)を指摘。2.4.15
注釈256その人にもあらず葵の上とは違う。2.4.17
注釈257いとあやし源氏の心。2.4.17
注釈258ただかの御息所なりけり源氏の驚きを地の文で語る。語り手の感情移入。2.4.17
注釈259世にはかかることこそはありけれ源氏の驚嘆の心。2.4.17
注釈260あな、心憂源氏の心。『完訳』は「この「心憂」は心底からいやに思う気持。以後の源氏に頻出」と注す。2.4.17
注釈261かくのたまへど以下「たしかにのたまへ」まで、源氏の詞。2.4.18
注釈262あさましとは世の常なり源氏の驚きを地の文で語る。語り手の感情移入による評言。2.4.19
校訂12 いみじう いみじう--(/+いみしう<朱>) 2.4.3
校訂13 退き 退き--し(し/+り<朱>)そき 2.4.6
校訂14 言ふ 言ふ--*ゆふ 2.4.17
校訂15 出づる 出づる--いへ(へ/$つ<朱>)る 2.4.17
2.5
第五段 葵の上、男子を出産


2-5  Aoi gives birth to a boy

2.5.1   すこし御声もしづまりたまへれば隙おはするにやとて、宮の御湯持て寄せたまへるに、 かき起こされたまひてほどなく生まれたまひぬ。うれしと思すこと限りなきに、人に駆り移したまへる御もののけども、ねたがりまどふけはひ、いともの騒がしうて、 後の事、またいと心もとなし。
 少しお声も静かになられたので、一時収まったのかと、宮がお薬湯を持って来させになったので、抱き起こされなさって、間もなくお生まれになった。嬉しいとお思いになることこの上もないが、憑坐にお移しになった物の怪どもが、悔しがり大騷ぎする様子、とても騒々しくて、後産の事も、またとても心配である。
  Sukosi ohom-kowe mo sidumari tamahe re ba, hima ohasuru ni ya tote, Miya no ohom-yu mote-yose tamahe ru ni, kaki-okosa re tamahi te, hodo-naku umare tamahi nu. Uresi to obosu koto kagirinaki ni, hito ni kari-utusi tamahe ru ohom-mononoke-domo, netagari madohu kehahi, ito mono sahagasiu te, noti no koto, mata ito kokoro-motonasi.
2.5.2  言ふ限りなき願ども立てさせたまふけにや、たひらかに事なり果てぬれば、 山の座主、何くれやむごとなき僧ども、したり顔に汗おしのごひつつ、急ぎまかでぬ。
 数え切れないほどの願文どもを立てさせなさったからか、無事に後産も終わったので、山の座主、誰彼といった尊い僧どもが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
  Ihu kagiri naki gwan-domo tate sase tamahu ke ni ya, tahiraka ni koto nari-hate nure ba, Yama-no-Zasu, nani-kure yamgotonaki sou-domo, sitari-gaho ni ase osi-nogohi tutu, isogi makade nu.
2.5.3  多くの人の心を尽くしつる日ごろの 名残、すこしうちやすみて、「今はさりとも」と思す。御修法などは、またまた始め添へさせたまへど、まづは、興あり、めづらしき御かしづきに、皆人ゆるべり。
 大勢の人たちが心を尽くした幾日もの看病の後の緊張が、少し解けて、「今はもう大丈夫」とお思いになる。御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。
  Ohoku no hito no kokoro wo tukusi turu hi-goro no nagori, sukosi uti-yasumi te, "Ima ha saritomo." to obosu. Mi-syuhohu nado ha, mata-mata hazime sohe sase tamahe do, madu ha, kyou ari, medurasiki ohom-kasiduki ni, mina-hito yurube ri.
2.5.4  院をはじめたてまつりて、親王たち、上達部、残るなき 産養どもの、めづらかにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。男にてさへおはすれば、そのほどの作法、にぎははしくめでたし。
 院をお始め申して、親王方、上達部が、残らず誕生祝いの贈り物、珍しく立派なのを、夜毎に見て大騷ぎする。男の子でさえあったので、そのお祝いの儀式、盛大で立派である。
  Win wo hazime tatematuri te, Miko-tati, Kamdatime, nokoru naki ubuyasinahi-domo no, meduraka ni ikamesiki wo, yo-goto ni mi nonosiru. Wotoko ni te sahe ohasure ba, sono hodo no sahohu, nigihahasiku medetasi.
2.5.5  かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。「 かねては、いと危ふく聞こえしを、たひらかにもはた」と、うち思しけり。
 あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、おもしろくない。「以前には、とても危ないとの噂であったのに、安産であったとは」と、お思いになった。
  Kano Miyasumdokoro ha, kakaru ohom-arisama wo kiki tamahi te mo, tada nara zu. "Kanete ha, ito ayahuku kikoye si wo, tahiraka ni mo hata." to, uti-obosi keri.
2.5.6  あやしう、我にもあらぬ御心地を思しつづくるに、 御衣なども、ただ芥子の香に 染み返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着替へなどしたまひて、 試みたまへど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらだに疎ましう思さるるに、まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとど御心変はりもまさりゆく。
 不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、着物をお召し替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂し推量するだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。
  Ayasiu, ware ni mo ara nu mi-kokoti wo obosi tudukuru ni, ohom-zo nado mo, tada kesi no ka ni simi-kaheri taru ayasisa ni, ohom-yusuru mawiri, ohom-zo ki-kahe nado si tamahi te, kokoromi tamahe do, naho onazi yau ni nomi are ba, waga mi nagara dani utomasiu obosa ruru ni, masite, hito no ihi omoha m koto nado, hito ni notamahu beki koto nara ne ba, kokoro hitotu ni obosi nageku ni, itodo mi-kokoro-gahari mo masari-yuku.
2.5.7  大将殿は、心地すこしのどめたまひて、あさましかりしほどの問はず語りも、心憂く思し出でられつつ、「 いとほど経にけるも心苦しう、また気近う見たてまつらむには、いかにぞや。うたておぼゆべきを、人の御ためいとほしう」、よろづに思して、御文ばかりぞありける。
 大将殿は、気持ちが少し落ち着きなさって、何とも言いようのなかったあの時の問わず語りを、何度も不愉快にお思い出しになられて、「まこと日数が経ってしまったのも気の毒だし、また身近にお逢いすることは、どうであろうか。きっと不愉快に思われようし、相手の方のためにも気の毒だろうし」と、いろいろとお考えになって、お手紙だけがあるのだった。
  Daisyau-dono ha, kokoti sukosi nodome tamahi te, asamasikari si hodo no toha-zu-gatari mo, kokoro-uku obosi-ide rare tutu, "Ito hodo he ni keru mo kokoro-gurusiu, mata ke-dikau mi tatematura m ni ha, ikani zo ya? Utate oboyu beki wo, hito no ohom-tame itohosiu.", yorodu ni obosi te, ohom-humi bakari zo ari keru.
2.5.8  いたうわづらひたまひし人の御名残ゆゆしう、心ゆるびなげに、誰も思したれば、ことわりにて、御歩きもなし。なほいと悩ましげにのみしたまへば、例のさまにてもまだ対面したまはず。若君のいとゆゆしきまで見えたまふ御ありさまを、 今から、いとさまことにもてかしづききこえたまふさま、 おろかならずことあひたる心地して、大臣もうれしういみじと思ひきこえたまへるに、ただ、この御心地おこたり果てたまはぬを、心もとなく思せど、「 さばかりいみじかりし名残にこそは」と思して、いかでかは、 さのみは心をも惑はしたまはむ。
 ひどくお患いになった方の病後が心配で、気を緩めずに、皆がお思いであったので、当然のことなので、お忍び歩きもしない。依然としてひどく悩ましそうにばかりなさっているので、普段のようにはまだお会いになさらない。若君がとても恐いまでにかわいらしくお見えになるお姿を、今から、とても特別にお育て申し上げなさる様子、並大抵でなく、願い通りの感じがして、大臣も嬉しく幸せにお思い申していられるが、ただ、このご気分がすっかりご回復なさらないのを、ご心配になっているが、「あれほど重く患った後だから」とお思いになって、どうして、それほどご心配ばかりなっていられようか。
  Itau wadurahi tamahi si hito no ohom-nagori yuyusiu, kokoro-yurubi-nage ni, tare mo obosi tare ba, kotowari ni te, ohom-ariki mo nasi. Naho ito nayamasi-ge ni nomi si tamahe ba, rei no sama ni te mo mada taimen si tamaha zu. Waka-Gimi no ito yuyusiki made miye tamahu ohom-arisama wo, ima kara, ito sama koto ni mote-kasiduki kikoye tamahu sama, oroka nara zu, koto ahi taru kokoti si te, Otodo mo uresiu imizi to omohi kikoye tamahe ru ni, tada, kono mi-kokoti okotari-hate tamaha nu wo, kokoro-motonaku obose do, "Sabakari imizikari si nagori ni koso ha." to obosi te, ikade kaha, sa nomi ha kokoro wo mo madohasi tamaha m.
2.5.9   若君の御まみのうつくしさなどの、春宮にいみじう似たてまつりたまへるを、 見たてまつりたまひても、まづ、恋しう 思ひ出でられさせたまふに、忍びがたくて、参りたまはむとて、
 若君のお目もとのかわいらしさなどが、春宮にそっくりお似申していられるのを、拝見なされても、まっ先に、恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれなくて、堪えがたくて、参内なさろうとして、
  Waka-Gimi no ohom-mami no utukusisa nado no, Touguu ni imiziu ni tatematuri tamahe ru wo, mi tatematuri tamahi te mo, madu, kohisiu omohi-ide rare sase tamahu ni, sinobi-gataku te, mawiri tamaha m tote,
2.5.10  「 内裏などにもあまり久しう参りはべらねば、いぶせさに、今日なむ初立ちしはべるを、すこし気近きほどにて聞こえさせばや。あまり おぼつかなき御心の隔てかな
 「宮中などにもあまり長いこと参っておりませんので、気がかりゆえに、今日初めて外出致しますが、もう少し近い所でお話し申したいものです。あまりにも気がかりな他人行儀なお愛想ですから」
  "Uti nado ni mo amari hisasiu mawiri habera ne ba, ibusesa ni, kehu nam uhi-dati si haberu wo, sukosi ke-dikaki hodo ni te kikoye sase baya. Amari obotukanaki mi-kokoro no hedate kana!"
2.5.11  と、恨みきこえたまへれば、
 とお怨み申し上げなさると、
  to, urami kikoye tamahe re ba,
2.5.12  「 げに、ただひとへに 艶にのみあるべき御仲にもあらぬを、いたう衰へたまへりと言ひながら、 物越にてなどあべきかは
 「仰せのとおりですわ、ただひたすら優美にばかり振る舞うお仲ではありませんが、ひどくおやつれになっていらっしゃるとは申しても、物を隔ててお会いになる間柄ではございませんわ」
  "Geni, tada hitohe ni en ni nomi aru beki ohom-naka ni mo ara nu wo, itau otorohe tamahe ri to ihi nagara, mono-gosi nite nado a' beki kaha."
2.5.13  とて、臥したまへる所に、御座近う参りたれば、 入りてものなど聞こえたまふ。
 と言って、臥せっていられる所に、お席を近く設けたので、中に入ってお話など申し上げなさる。
  tote, husi tamahe ru tokoro ni, o-masi tikau mawiri tare ba, iri te mono nado kikoye tamahu.
2.5.14  御いらへ、時々聞こえたまふも、なほいと弱げなり。されど、むげに亡き人と思ひきこえし御ありさまを思し出づれば、夢の心地して、ゆゆしかりしほどのことどもなど聞こえたまふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせしが、 引き返し、つぶつぶとのたまひしことども思し出づるに、心憂ければ、
 お返事、時々申し上げなさるが、やはりとても弱々しそうである。けれど、もう助からない人とお思い申したご様子をお思い出しになると、夢のような気がして、危なかった時の事などをお話し申し上げなさる中でも、あのすっかり息も止まったかのようになったのが、急に人が変わって、ぽつりぽつりとお話し出されたことをお思い出しになると、不愉快に思われるので、
  Ohom-irahe, toki-doki kikoye tamahu mo, naho ito yowage nari. Saredo, muge ni naki-hito to omohi kikoye si ohom-arisama wo obosi-idure ba, yume no kokoti si te, yuyusikari si hodo no koto-domo nado kikoye tamahu tuide ni mo, kano muge ni iki mo taye taru yau ni ohasesi ga, hiki-kahesi, tubu-tubu to notamahi si koto-domo obosi-iduru ni, kokoro-ukere ba,
2.5.15  「 いさや、聞こえまほしきこといと多かれど、まだいとたゆげに思しためればこそ」
 「いや、お話し申したいことはとてもたくさんあるが、まだとても大儀そうなご気分でいられるようですから」
  "Isa ya, kikoye mahosiki koto ito ohokare do, mada ito tayuge ni obosi ta' mere ba koso."
2.5.16  とて、「 御湯参れ」などさへ、扱ひきこえたまふを、 いつならひたまひけむと、人々あはれ がりきこゆ。
 と言って、「お薬湯をお飲みなさい」などとまで、お世話申し上げなさるのを、いつの間にお覚えになったのだろう、と女房たちは感心申し上げる。
  tote, "Ohom-yu mawire." nado sahe, atukahi kikoye tamahu wo, itu narahi tamahi kem to, hito-bito aharegari kikoyu.
2.5.17  いとをかしげなる人の、いたう弱りそこなはれて、あるかなきかのけしきにて臥したまへるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「 年ごろ、何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ」と、あやしきまでうち まもられたまふ。
 まことに美しい方が、たいそう衰弱しやつれて、生死の境を彷徨っているような感じで臥せっていられる様子、とてもいじらしげに痛々しい。お髪の一筋の乱れ毛もなく、さらさらと掛かっている枕の辺り、めったにないくらい素晴らしく見えるので、「何年も、何を物足りないことがあると思っていたのだろう」と、不思議なまでにじっと目を凝らさずにはいらっしゃれない。
  Ito wokasige naru hito no, itau yowari sokonaha re te, aruka-nakika no kesiki ni te husi tamahe ru sama, ito rautage ni kokoro-gurusige nari. Mi-gusi no midare taru sudi mo naku, hara-hara to kakare ru makura no hodo, arigataki made miyure ba, "Tosi-goro, nani-goto wo aka nu koto ari te omohi tu ram." to, ayasiki made uti-mamora re tamahu.
2.5.18  「 院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見たてまつらば、うれしかるべきを、宮のつとおはするに、 心地なくやと、つつみて過ぐしつるも苦しきを、なほやうやう心強く思しなして、例の御座所にこそ。 あまり 若くもてなしたまへば、かたへは、かくもものしたまふぞ」
 「院などに参って、すぐに下がって来ましょう。このようにして、隔てなくお会い申すことができるならば、嬉しいのですが、宮がぴったりと付いていらっしゃるので、不躾ではないかしらと遠慮して来ましたのも辛いが、やはりだんだんと気を強くお持ちになって、いつものご座所に。あまり幼く甘えていられると、一方では、いつまでもこのようなままでいらっしゃいますよ」
  "Win nado ni mawiri te, ito tou makade na m. Kayau ni te, obotukanakara zu mi tatematura ba, uresikaru beki wo, Miya no tuto ohasuru ni, kokoti-naku ya to tutumi te sugusi turu mo kurusiki wo, naho yau-yau kokoro-duyoku obosi-nasi te, rei no o-masi-dokoro ni koso. Amari wakaku motenasi tamahe ba, katahe ha, kaku mo monosi tamahu zo."
2.5.19  など、聞こえおきたまひて、いときよげにうち装束きて出でたまふを、常よりは 目とどめて、見出だして臥したまへり。
 などと、申し上げ置きなさって、とても美しく装束をお召しになってお出かけになるのを、いつもよりは目を凝らして、お見送りしながら臥せっていらっしゃった。
  nado, kikoye-oki tamahi te, ito kiyoge ni uti-sauzoki te ide tamahu wo, tune yori ha me todome te, mi-idasi te husi tamahe ri.
注釈263すこし御声もしづまりたまへればもののけの声が静まる。2.5.1
注釈264隙おはするにや大宮の推測。苦しみが一時収まったのか、の意。2.5.1
注釈265かき起こされたまひて主語は葵の上。当時の出産は座った姿勢でなされた。2.5.1
注釈266ほどなく生まれたまひぬ後の夕霧。2.5.1
注釈267後の事後産をさす。2.5.1
注釈268山の座主何くれやむごとなき僧ども葵の上の出産に、天台座主をはじめ幾人もの高僧たちを招いて祈祷させていた。2.5.2
注釈269名残、すこしうちやすみて『完訳』は「残っていた心配も薄らいで」と注す。2.5.3
注釈270産養どものめづらかにいかめしきを夜ごとに見ののしる誕生後の三日・五日・七日・九日目の夜に催す。2.5.4
注釈271かねては以下「たひらかにもはた」まで、御息所の心。下に「ありけるよ」などの語句が省略された文であろう。2.5.5
注釈272御衣などもただ芥子の香に御息所の衣服に芥子の香が衣服に染み込んでいたというのは、もののけとなって葵の上のもとに行っていた証拠である。2.5.6
注釈273染み返りたる大島本と榊原家本は「たる」と連体形で下にかかる。横山本は「る」ミセケチにし「り」と訂正。池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「たり」と終止形。河内本や別本は池田本等と同文。『集成』は「たる」のまま、『完訳』は「たり」と改める。2.5.6
注釈274いとほど経にけるも以下「いとほしう」まで、源氏の心中。心中文を受ける引用の格助詞「と」はなく、地の文に続く。2.5.7
注釈275おろかならず『集成』は句点で文を終止、『完訳』は読点で文を続ける。2.5.8
注釈276ことあひたる心地『集成』は「物ごとが思い通りになった気がして。源氏がお産の間、葵の上に尽してくれた上に長男の誕生に満足している様子を見て、この結婚は万事成功だと思う気持」と注す。2.5.8
注釈277さばかりいみじかりし名残にこそは左大臣の心。2.5.8
注釈278若君の御まみの夕霧の目もと。2.5.9
注釈279見たてまつりたまひても主語は源氏。『集成』は「「たてまつり」は、若君に対する尊敬語。源氏がわが子を大切に思う気持が現れている」と注す。2.5.9
注釈280思ひ出でられさせたまふに「られ」(自発の助動詞)「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)。「させたまふ」は春宮に対する最高敬語。2.5.9
注釈281内裏などにも以下「隔てかな」まで、源氏の詞。2.5.10
注釈282おぼつかなき御心の隔てかな『完訳』は「病気の葵の上と身近に話せなかった心もとなさを、あえて、相手がうちとけてくれない心もとなさ、と恨んだ言い方をした」と注す。2.5.10
注釈283げにただひとへに以下「あるべきかは」まで、女房の詞。2.5.12
注釈284艶にのみあるべき御仲にもあらぬを『完訳』は「お体裁をつくっていらっしゃるべき御仲でもないのですから」の意に訳す。<BR/>【御仲にもあらぬを】−以下「物越にてなど」まで、池田本は補入、三条西家本はナシ。池田本と三条西家本とが同系統の本である証左。2.5.12
注釈285物越にてなどあべきかは『集成』は「几帳越しのご対面などとんでもない」の意に解す。2.5.12
注釈286入りて几帳の中に。2.5.13
注釈287引き返しつぶつぶとのたまひしことども『集成』は「急に様子が変って、こまごまとものをおっしゃったことなどを。御息所の生霊が語り出したことをいう」と注す。『完訳』は「急に持ち直して何かくどくどとおっしゃったことなどを」の意に訳す。2.5.14
注釈288いさや以下「思しためればこそ」まで、源氏の詞。2.5.15
注釈289御湯参れ源氏の詞。2.5.16
注釈290いつならひたまひけむ女房たちの心。2.5.16
注釈291年ごろ何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ源氏の心。2.5.17
注釈292院などに参りて以下「かくもものしたまふぞ」まで、源氏の詞。父桐壷院の御所に。2.5.18
注釈293心地なくや『集成』は「(男のわたしがお側に上がっては)ぶしつけかと」の意に解す。『完訳』は「思いやりのないことか」と注す。2.5.18
注釈294若くもてなしたまへば『集成』は「子供のように甘えていられるから」の意に解し、『完訳』は「幼稚と難ずるが、源氏のいたわりの言葉である」と注す。2.5.18
注釈295目とどめて主語は葵の上。2.5.19
校訂16 試み 試み--心え(え/$み<朱>) 2.5.6
校訂17 今から 今から--いまかう(う/$ら<朱>) 2.5.8
校訂18 さのみ さのみ--さ(さ/$さ<朱>) 2.5.8
校訂19 まもられ まもられ--まも(も/+ら<朱>)れ 2.5.17
校訂20 あまり あまり--あま(ま/$ま<朱>)り 2.5.18
2.6
第六段 秋の司召の夜、葵の上死去する


2-6  Aoi deies on the personnel changes naight in the fall

2.6.1   秋の司召あるべき定めにて、大殿も参りたまへば、君達も 労はり望みたまふことどもありて、殿の御あたり離れたまはねば、皆ひき続き出でたまひぬ。
 秋の司召が行われるはずの予定なので、大殿も参内なさると、ご子息たちも昇進をお望みになる事がいろいろあって、殿のご身辺をお離れにならないので、皆後に続いてお出かけになった。
  Aki no tukasa-mesi aru beki sadame ni te, Ohoi-dono mo mawiri tamahe ba, Kimi-tati mo itahari nozomi tamahu koto-domo ari te, Tono no ohom-atari hanare tamaha ne ba, mina hiki-tuduki ide tamahi nu.
2.6.2   殿の内、人少なにしめやかなるほどに、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひたまふ。内裏に御消息聞こえたまふほどもなく、 絶え入りたまひぬ。足を空にて、誰も誰も、まかでたまひぬれば、除目の夜なりけれど、かくわりなき御障りなれば、 みな事破れたるやうなり
 殿の内では、人少なでひっそりとしている時、急にいつものようにお胸をつまらせて、とてもひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、お亡くなりになってしまった。足も地に着かない感じで、皆が皆、退出なさったので、除目の夜であったが、このようによんどころのないご支障なので、万事ご破算といったような具合である。
  Tono no uti, hito-zukuna ni simeyaka naru hodo ni, nihaka ni rei no ohom-mune wo seki-age te, ito itau madohi tamahu. Uti ni ohom-seusoko kikoye tamahu hodo mo naku, taye-iri tamahi nu. Asi wo sora ni te, tare mo tare mo, makade tamahi nure ba, dimoku no yo nari kere do, kaku wari naki ohom-sahari nare ba, mina koto yabure taru yau nari.
2.6.3  ののしり騒ぐほど、夜中ばかりなれば、山の座主、何くれの僧都たちも、え請じあへたまはず。今はさりとも、と思ひたゆみたりつるに、あさましければ、殿の内の人、 ものにぞあたる。所々の御とぶらひの使など、立ちこみたれど、え聞こえつかず、ゆすりみちて、いみじき御心惑ひども、いと恐ろしきまで見えたまふ。
 大騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の座主、誰それといった僧都たちも、お迎えになれない。いくら何でも、もう大丈夫、と気を緩めていたところに、大変なことになったので、邸の内の人々、まごついている。方々からのご弔問の使者など、立て込んだが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになって、大変なご悲嘆は、まことに恐ろしいまでに見えなさる。
  Nonosiri sawagu hodo, yonaka bakari nare ba, Yama-no-Zasu, nanikure-no-soudu-tati mo, e syau-zi-ahe tamaha zu. Ima ha saritomo, to omohi tayumi tari turu ni, asamasikere ba, Tono no uti no hito, mono ni zo ataru. Tokoro-dokoro no ohom-toburahi no tukahi nado, tati-komi tare do, e kikoye tuka zu, yusuri-miti te, imiziki mi-kokoro madohi-domo, ito osorosiki made miye tamahu.
2.6.4  御もののけのたびたび取り入れたてまつりしを思して、御枕などもさながら、二、三日見たてまつりたまへど、 やうやう変はりたまふことどものあれば、限り、と思し果つるほど、誰も誰もいといみじ。
 物の怪が度々お取り憑き申したことをお考えになって、お枕などもそのままにして、二、三日拝見なさったが、だんだんとお変わりになることどもが現れて来たので、もうこれまで、とお諦めになる時、誰も彼も、本当に悲しい。
  Ohom-mononoke no tabi-tabi tori-ire tatematuri si wo obosi te, ohom-makura nado mo sanagara, hutu-ka, mi-ka mi tatematuri tamahe do, yau-yau kahari tamahu koto-domo no are ba, kagiri, to obosi haturu hodo, tare mo tare mo ito imizi.
2.6.5  大将殿は、 悲しきことに、ことを添へて世の中をいと憂きものに思し染みぬればただならぬ御あたりの弔ひどもも、 心憂しとのみぞ、なべて思さるる。院に、思し嘆き、弔ひきこえさせたまふさま、かへりて面立たしげなるを、うれしき もまじりて、大臣は御涙のいとまなし。
 大将殿は、悲しい事に、もう一件が加わって、男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じられたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、総じて思わずにはいらっしゃれない。院におかれても、お悲しみになられ、御弔問申し上げあそばされる様子、かえって面目を施すことなので、嬉しい気も混じって、大臣はお涙の乾く間もない。
  Daisyau-dono ha, kanasiki koto ni, koto wo sohe te, yononaka wo ito uki mono ni obosi-simi nure ba, tada nara nu ohom-atari no toburahi-domo mo, kokoro-usi to nomi zo, nabete obosa ruru. Win ni, obosi-nageki, toburahi kikoye sase tamahu sama, kaheri te omodatasige naru wo, uresiki se mo maziri te, Otodo ha ohom-namida no itoma nasi.
2.6.6  人の申すに従ひて、いかめしきことどもを、生きや返りたまふと、さまざまに残ることなく、かつ 損なはれたまふことどものあるを見る見るも、尽きせず思し惑へど、かひなくて 日ごろになれば、いかがはせむとて、鳥辺野に率てたてまつるほど、 いみじげなること、多かり。
 人の申すことに従って、大がかりなご祈祷によって、生き返りなさらないかと、さまざまにあらゆる方法を試み、また一方では傷んで行かれる様子を見ながらも、なおもお諦め切れずにいられたが、その効もなく何日にもなったので、もはや仕方がないと、鳥辺野にお送り申す時、ご悲嘆の極み、万端であった。
  Hito no mausu ni sitagahi te, ikamesiki koto-domo wo, iki ya kaheri tamahu to, sama-zama ni nokoru koto naku, katu sokonaha re tamahu koto-domo no aru wo miru miru mo, tuki se zu obosi-madohe do, kahinaku te hi-goro ni nari nure ba, ikaga ha se m tote, Toribeno ni wi te tatematuru hodo, imizige naru koto, ohokari.
注釈296秋の司召八月に行われる中央官の人事。なお、春には地方官の任命が行われる。2.6.1
注釈297労はり『完訳』は「自分の功労を申し立てて官位の昇進を望むこと。大臣らがそれを聞いて任免を勘案する」と注す。2.6.1
注釈298殿の内人少なに左大臣邸は男たちが宮中に出掛けていて人少なな状況。2.6.2
注釈299絶え入りたまひぬ葵の上、急死す。2.6.2
注釈300みな事破れたるやうなり万事ご破算になったようであるの意。2.6.2
注釈301ものにぞあたる『集成』は「ものにぶつかる。あわてふためく形容」と注す。2.6.3
注釈302やうやう変はりたまふことどものあれば死後、二三日も経てば、遺体もかなり腐敗してこよう。2.6.4
注釈303悲しきことにことを添へて『集成』は「(葵の上の死という)悲しいことに、(御息所の生霊という)厭わしいことが加わって」と注す。2.6.5
注釈304世の中をいと憂きものに思し染みぬれば『完訳』は「ここでは「世の中」は男女関係、「うし」は厭わしい気持。これまでも生霊を、「心憂」と思った源氏はあらためて、生霊にもなりかねぬ男女の愛執を厭うべきものと捉え直した」と注す。2.6.5
注釈305ただならぬ御あたり『完訳』は「愛人関係にある方々」と注す。2.6.5
注釈306心憂しとのみぞなべて『完訳』は「「のみぞなべて」の語勢に注意。すべての愛人たちを否定的にみる」と注す。2.6.5
注釈307日ごろになれば葵の上の死は八月十四日(「御法」巻)、葬送は二十余日で、その間七、八日くらいある。2.6.6
注釈308いみじげなる横山本は「いと〔補入〕いみしけなる」、池田本、肖柏本、三条西家本は「いといみしけなる」とある。書陵部本と榊原家本は大島本に同文。2.6.6
校訂21 瀬--を(を/$せ<朱>) 2.6.5
校訂22 損なはれ 損なはれ--そこな(な/+は<朱>)れ 2.6.6
2.7
第七段 葵の上の葬送とその後


2-7  Aoi's funeral and ever since

2.7.1  こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらにも申さず、后の宮、春宮などの御使、さらぬ所々のも参りちがひて、飽かずいみじき御とぶらひを聞こえたまふ。大臣はえ立ち上がりたまはず、
 あちらこちらのご葬送の人々や、寺々の念仏僧などが、大変広い野辺に隙間もない。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他所々の使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできになれず、
  Konata kanata no ohom-okuri no hito-domo, tera-dera no nenbutu-sou nado, sokora hiroki no ni tokoro mo nasi. Win wo ba sarani mo mausa zu, Kisai-no-Miya, Touguu nado no, ohom-tukahi, saranu tokoro-dokoro no mo mawiri-tigahi te, aka zu imiziki ohom-toburahi wo kikoye tamahu. Otodo ha e tati-agari tamaha zu,
2.7.2  「 かかる齢の末に、若く盛りの子に後れたてまつりて、もごよふこと」
 「このようにな晩年に、若くて盛りの娘に先立たれ申して、よろよろと這い回るとは」
  "Kakaru yohahi no suwe ni, wakaku sakari no ko ni okure tatematuri te, mogoyohu koto."
2.7.3  と恥ぢ泣きたまふを、ここらの人悲しう見たてまつる。
 と恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の人々が悲しく拝する。
  to hadi naki tamahu wo, kokora no hito kanasiu mi tatematuru.
2.7.4   夜もすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いともはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰りたまふ。
 一晩中たいそうな騷ぎの盛大な葬儀だが、まことにはかないご遺骨だけを後に残して、夜明け前早くにお帰りになる。
  Yomosugara imiziu nonosiri turu gisiki nare do, ito mo hakanaki ohom-kabane bakari wo ohom-nagori ni te, akatuki hukaku kaheri tamahu.
2.7.5  常のことなれど、 人一人か、あまたしも見たまはぬことなればにや、類ひなく 思し焦がれたり八月二十余日の有明なれば、空もけしきもあはれ少なからぬに、大臣の 闇に暮れ惑ひたまへるさまを見たまふも、ことわりにいみじければ、 空のみ眺められたまひて
 世の常のことだが、人一人か、多くは御覧になっていないから、譬えようもなくお悲しみになった。八月二十日余りの有明のころなので、空も風情も情趣深く感じられるところに、大臣が親心の闇に悲しみに沈んで取り乱していられる様子を御覧になるのも、ごもっともなことと痛ましいので、空ばかりが自然と眺められなさって、
  Tune no koto nare do, hito hitori ka, amata simo mi tamaha nu koto nare ba ni ya, taguhinaku obosi kogare tari. Hati-gwati nizihu-yo-niti no ariake nare ba, sora mo kesiki mo ahare sukunakara nu ni, Otodo no yami ni kure madohi tamahe ru sama wo mi tamahu mo, kotowari ni imizikere ba, sora nomi nagame rare tamahi te,
2.7.6  「 のぼりぬる煙はそれとわかねども
 「空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが
    "Nobori nuru keburi ha sore to waka ne domo
2.7.7   なべて雲居のあはれなるかな
  おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ
    nabete kumowi no ahare naru kana
2.7.8   殿におはし着きて、つゆまどろまれたまはず。年ごろの御ありさまを思し出でつつ、
 殿にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。年来のご様子をお思い出しになりながら、
  Tono ni ohasi tuki te, tuyu madoroma re tamaha zu. Tosi-goro no ohom-arisama wo obosi-ide tutu,
2.7.9  「 などて、つひにはおのづから見直したまひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと おぼえられたてまつりけむ。世を経て、疎く恥づかしきものに思ひて 過ぎ果てたまひぬる
 「どうして、最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気につけても、ひどいと思われ申してしまったのだろう。結婚生活中、親しめない気の置けるものと思って、お亡くなりになってしまったことよ」
  "Nado te, tuhi ni ha onodukara mi-nahosi tamahi te m to, nodoka ni omohi te, nahozari no susabi ni tuke te mo, turasi to oboye rare tatematuri tamahi kem. Yo wo he te, utoku hadukasiki mono ni omohi te sugi-hate tamahi nuru."
2.7.10  など、悔しきこと多く、 思しつづけらるれど、かひなし。にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「 われ先立たましかば、深くぞ染めたまはまし」と、思すさへ、
 などと、悔やまれることが多く、次々とお思い出しにならずにはいらっしゃれないが、効がない。鈍色の喪服をお召しになるのも、夢のような気がして、「自分が先立ったのならば、色濃くお染めになったろうに」と、お思いになるのまでが、
  nado, kuyasiki koto ohoku, obosi tuduke rarure do, kahi nasi. Nibame ru ohom-zo tatemature ru mo, yume no kokoti si te, "Ware saki-data masika ba, hukaku zo some tamaha masi." to, obosu sahe,
2.7.11  「 限りあれば薄墨衣浅けれど
 「きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが
    "Kagiri are ba usuzumi-goromo asakere do
2.7.12   涙ぞ袖を淵となしける
  涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている
    namida zo sode wo huti to nasi keru
2.7.13  とて、念誦したまへるさま、いとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦みたまひつつ、  と詠んで、念仏読経なさっている様子、ますます優美な感じが勝って、お経を声をひそめてお読みになりながら、
  tote, nenzu si tamahe ru sama, itodo namamekasisa masari te, kyau sinobi-yaka ni yomi tamahi tutu,
2.7.14 「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。若君を見たてまつりたまふにも、「 何に忍ぶの」と いとど露けけれど、「 かかる形見さへなからましかば」と、思し慰む。
 「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行慣れした法師よりも殊勝である。若君を拝見なさるにつけても、「何を忍ぶよすがに」と、ますます涙がこぼれ出て来たが、「このような子までがいなかったら」と、気をお紛らしになる。
  "Hohukai zanmai Hugen-daisi" to uti-notamahe ru, okonahi nare taru hohusi yori ha ke nari. Waka-Gimi wo mi tatematuri tamahu ni mo, "Nani ni sinobu no" to, itodo tuyu-ke kere do, "Kakaru katami sahe nakara masika ba." to, obosi nagusa mu.
2.7.15  宮はしづみ入りて、そのままに起き上がりたまはず、危ふげに見えたまふを、また思し騒ぎて、御祈りなどせさせたまふ。
 宮は沈み込んで、そのまま起き上がりなさらず、命も危なそうにお見えになるので、またお慌てになって、ご祈祷などをおさせになる。
  Miya ha sidumi iri te, sono mama ni oki-agari tamaha zu, ayahuge ni miye tamahu wo, mata obosi sawagi te, ohom-inori nado se sase tamahu.
2.7.16   はかなう過ぎゆけば、御わざのいそぎなどせさせたまふも、思しかけざりしことなれば、尽きせずいみじうなむ。なのめにかたほなるをだに、人の親はいかが思ふめる、ましてことわりなり。また、類ひおはせぬをだに、さうざうしく思しつるに、 袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。
 とりとめもなく月日が過ぎて行くので、ご法事の準備などをおさせになるのも、思いもなさらなかったことなので、悲しみは尽きず大変である。取るに足らない不出来な子供でさえ、人の親はどんなに辛く思うことだろう、まして、当然である。また、他に姫君がいらっしゃらないのさえ、物足りなくお思いになっていたのに、袖の上の玉が砕けたという事よりも残念である。
  Hakanau sugi-yuke ba, ohom-waza no isogi nado se sase tamahu mo, obosi-kake zari si koto nare ba, tuki se zu imiziu nam. Nanome ni kataho naru wo dani, hito no oya ha ikaga omohu meru, masite kotowari nari. Mata, taguhi ohase nu wo dani, sau-zausiku obosi turu ni, sode no uhe no tama no kudake tari kem yori mo, asamasige nari.
2.7.17  大将の君は、二条院にだに、あからさまにも渡りたまはず、あはれに心深う思ひ嘆きて、行ひをまめにしたまひつつ、明かし暮らしたまふ。所々には、御文ばかりぞたてまつりたまふ。
 大将の君は、二条院にさえ、ほんの暫しの間もお行きにならず、しみじみと心深くお嘆きになって、勤行を几帳面になさりなさり、日夜お過ごしになる。所々の方々には、お手紙だけを差し上げなさる。
  Daisyau-no-Kimi ha, Nideu-no-win ni dani, akarasama ni mo watari tamaha zu, ahare ni kokoro-hukau omohi nageki te, okonahi wo mame ni si tamahi tutu, akasi kurasi tamahu. Tokoro-dokoro ni ha, ohom-humi bakari zo tatematuri tamahu.
2.7.18   かの御息所は斎宮は左衛門の司に入りたまひにければ、いとどいつくしき御きよまはりにことつけて、 聞こえも通ひたまはず憂しと思ひ染みにし世も、なべて厭はしうなりたまひて、「 かかるほだしだに添はざらましかば願はしきさまにもなりなまし」と 思すには、まづ 対の姫君の、さうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる。
 あの御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになったので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、お手紙も差し上げたりいただたりなさらない。嫌なと心底から感じられた世の中も、一切厭わしくなられて、「このような幼い子供さえいなかったなら、念願どおりになれように」と、お思いになるにつけては、まずは対の姫君が寂しくしていらっしゃるだろう様子を、ふとお思いやらずにはいらっしゃれない。
  Kano Miyasumdokoro ha, Saiguu no Sawemon-no-tukasa ni iri tamahi ni kere ba, itodo itukusiki ohom-kiyomahari ni kototuke te, kikoye mo kayohi tamaha zu. Usi to omohi-simi ni si yo mo, nabete itohasiu nari tamahi te, "Kakaru hodasi dani soha zara masika ba, negahasiki sama ni mo nari na masi." to obosu ni ha, madu Tai-no-Himegimi no, sau-zausiku te monosi tamahu ram arisama zo, huto obosi yara ruru.
2.7.19  夜は、御帳の内に一人臥したまふに、宿直の人々は近うめぐりてさぶらへど、かたはら寂しくて、「 時しもあれ」と寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り選りさぶらはせたまふ念仏の、暁方など、忍びがたし。
 夜は、御帳台の中に独りでお寝みになると、宿直の女房たちは近くを囲んで伺候しているが、独り寝は寂しくて、「折柄もまことだ」と寝覚めがちなので、声のよい僧ばかりを選んで伺候させていらっしゃる念仏が、暁方など、堪え難い思いである。
  Yoru ha, mi-tyau no uti ni hitori husi tamahu ni, tonowi no hito-bito ha tikau meguri te saburahe do, katahara sabisiku te, "Toki simo are" to ne-zame-gati naru ni, kowe sugure taru kagiri eri saburaha se tamahu nenbutu no, akatuki-gata nado, sinobi gatasi.
2.7.20  「 深き秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて往にけり。「 今めかしうも」とて、見たまへば、御息所の御手なり。
 「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。「優美な感じだ」と思って、御覧になると、御息所のご筆跡である。
  "Hukaki aki no ahare masari yuku kaze no oto, mi ni simi keru kana!" to, naraha nu ohom-hitori-ne ni akasi-kane tamahe ru asaborake no kiri watare ru ni, kiku no kesiki-bame ru eda ni, koki awo-nibi no kami naru humi tuke te, sasi-oki te ini keri. "Imamekasiu mo" tote, mi tamahe ba, Miyasumdokoro no ohom-te nari.
2.7.21  「 聞こえぬほどは、思し 知るらむや。
 「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。
  "Kikoye nu hodo ha, obosi-siru ram ya?
2.7.22    人の世をあはれと聞くも露けきに
  人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが
    Hito no yo wo ahare to kiku mo tuyu-keki ni
2.7.23   後るる袖を思ひこそやれ
  先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします
    okururu sode wo omohi koso yare
2.7.24  ただ今の空に思ひたまへあまりてなむ」
 ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、偲びかねまして」
  Tada ima no sora ni omohi tamahe amari te nam."
2.7.25  とあり。「 常よりも優にも書いたまへるかな」と、さすがに置きがたう見たまふものから、「 つれなの御弔ひや」と心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞こえざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべきことを思し乱る。
 とある。「いつもよりも優美にお書きになっているなあ」と、やはり下に置きにくく御覧になるものの、「誠意のないご弔問だ」と嫌な気がする。そうかといって、お返事を差し上げないのもお気の毒で、ご名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろとお案じになる。
  to ari. "Tune yori mo iu ni mo kai tamahe ru kana!" to, sasuga ni oki-gatau mi tamahu monokara, "Turena no ohom-toburahi ya!" to kokoro-usi. Saritote, kaki-taye oto-nau kikoye zara m mo itohosiku, hito no ohom-na no kuti nu beki koto wo obosi-midaru.
2.7.26  「 過ぎにし人は、とてもかくても、さるべきにこそはものしたまひけめ、何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、 わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし
 「亡くなった人は、いずれにせよ、そうなるべき運命でいらしたのだろうが、どうしてあのようなことを、まざまざと明瞭に見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、ご自分の気持ちながらも、やはりお思い直しになることはできないようである。
  "Sugi ni si hito ha, tote-mo kakute-mo, saru-beki ni koso ha monosi tamahi keme, nani ni saru koto wo, sada-sada to kezayaka ni mi kiki kem." to kuyasiki ha, waga mi-kokoro nagara, naho e obosi nahosu maziki na' meri kasi.
2.7.27  「 斎宮の御きよまはりもわづらはしくや」など、久しう思ひわづらひたまへど、「 わざとある御返りなくは、情けなくや」とて、紫のにばめる紙に、
 「斎宮のご潔斎につけても憚り多いことだろうか」などと、長い間お考えあぐねていらっしゃるが、「わざわざ下さった手紙のお返事しないのは、情愛がないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
  "Saiguu no ohom-kiyomahari mo wadurahasiku ya." nado, hisasiu omohi wadurahi tamahe do, "Wazato aru ohom-kaheri naku ha, nasake naku ya." tote, murasaki no nibame ru kami ni,
2.7.28  「 こよなうほど経はべりにけるを、思ひたまへおこたらずながら、 つつましきほどは、さらば、思し知るらむやとてなむ。
 「すっかりご無沙汰いたしましたが、常に心にお掛け申し上げておりながら、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。
  "Koyonau hodo he haberi ni keru wo, omohi tamahe okotara zu nagara, tutumasiki hodo ha, sara ba, obosi-siru ram ya tote nam.
2.7.29    とまる身も消えしもおなじ露の世に
  生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に
    Tomaru mi mo kiye si mo onazi tuyu no yo ni
2.7.30   心置くらむほどぞはかなき
  心の執着を残して置くことはつまらないことです
    kokoro oku ram hodo zo hakanaki
2.7.31   かつは思し消ちてよかし御覧ぜずもやとて、誰れにも
 お互いに執着をお捨てになって下さい。御覧いただけないかしらと、どなたにも」
  Katu ha obosi-keti te yo kasi. Go-ran-ze zu mo ya tote, tare ni mo."
2.7.32  と聞こえたまへり。
 と差し上げなさった。
  to kikoye tamahe ri.
2.7.33  里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、 ほのめかしたまへるけしきを、心の鬼にしるく見たまひて、「さればよ」と思すも、いといみじ。
 里においでになる時だったので、こっそりと御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心気にとがめていることがあったので、はっきりとご理解なさって、「やはりそうであったのか」とお思いになるにつけ、とても堪らない。
  Sato ni ohasuru hodo nari kere ba, sinobi te mi tamahi te, hono-mekasi tamahe ru kesiki wo, kokoro-no-oni ni siruku mi tamahi te, "Sareba yo!" to obosu mo, ito imizi.
2.7.34  「 なほ、いと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞こえありて、院にもいかに思さむ。 故前坊の、同じき御はらからと言ふなかにも、いみじう思ひ交はしきこえさせたまひて、この斎宮の御ことをも、ねむごろに聞こえつけ させたまひしかば、『 その御代はりにも、やがて見たてまつり 扱はむ』など、常にのたまはせて、『 やがて内裏住みしたまへ』と、たびたび聞こえさせたまひしをだに、 いとあるまじきこと、と思ひ離れにしを、 かく心よりほかに若々しきもの思ひをして、つひに憂き名をさへ流し果てつべきこと」
 「やはり、とてもこの上なく情けない身の上であったよ。このような噂が立って、院におかれてもどのようにお考えあそばされよう。故前坊の、同腹のご兄弟という中でも、たいそうお互いに仲好くあそばして、わが斎宮のご将来のことをも、こまごまとお頼み申し上げあそばしたので、『そのおん代わりに、そのままお世話申そう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、度々お勧め申し上げあそばしたことだけでも、まことに恐れ多いこと、と考えてもみなかったのに、このように意外にも年がいもなく物思いをして、遂には面目ない評判まで流してしまうに違いないこと」
  "Naho, ito kagirinaki mi no usa nari keri. Kayau naru kikoye ari te, Win ni mo ikani obosa m? Ko-zen-Bau no, onaziki ohom-harakara to ihu naka ni mo, imiziu omohi-kahasi kikoye sase tamahi te, kono Saiguu no ohom-koto wo mo, nemgoro ni kikoye tuke sase tamahi sika ba, 'Sono ohom-kahari ni mo, yagate mi tatematuri atukaha m.' nado, tune ni notamaha se te, 'Yagate uti-zumi si tamahe!' to, tabi-tabi kikoye sase tamahi si wo dani, ito aru maziki koto, to omohi hanare ni si wo, kaku kokoro yori hoka ni waka-wakasiki mono-omohi wo si te, tuhi ni uki-na wo sahe nagasi-hate tu beki koto."
2.7.35  と、思し乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。
 と、お悩みになると、やはりいつものような状態でおいでではない。
  to, obosi midaruru ni, naho rei no sama ni mo ohase zu.
2.7.36  さるは、おほかたの世につけて、心にくくよしある聞こえありて、昔より名高くものしたまへば、野の宮の御移ろひのほどにも、をかしう今めきたること多くしなして、「 殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくを、そのころの役になむする」など聞きたまひても、大将の君は、「 ことわりぞかし。ゆゑは飽くまでつきたまへるものを。もし、世の中に飽き果てて下りたまひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、 さすがに思されけり
 とはいえ、世間一般のことにつけては、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名でいらしたので、野の宮へのお移りの時にも、興趣ある当世風のことを多く考案し出して、「殿上人どもで風流な者などは、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、その頃の仕事としている」などとお聞きになっても、大将の君は、「もっともなことだ。風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、愛想をつかされてお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいに違いないだろう」と、やはりお思いになるのであった。
  Saruha, ohokata no yo ni tuke te, kokoro-nikuku yosi aru kikoye ari te, mukasi yori na-dakaku monosi tamahe ba, Nonomiya no ohom-uturohi no hodo ni mo, wokasiu imameki taru koto ohoku sinasi te, "Tenzyau-bito-domo no konomasiki nado ha, asa-yuhu no tuyu wake-ariku wo, sono-koro no yaku ni nam suru." nado kiki tamahi te mo, Daisyau-no-Kimi ha, "Kotowari zo kasi. Yuwe ha aku made tuki tamahe ru mono wo. Mosi, yononaka ni aki hate te kudari tamahi na ba, sau-zausiku mo aru beki kana!" to, sasuga ni obosa re keri.
注釈309かかる齢の末に以下「もごよふこと」まで、左大臣の詞。2.7.2
注釈310夜もすがらいみじうののしりつる儀式当時の葬儀は夕方に野辺送りして一晩中かけて荼毘にふし、明け方に遺骨を拾って帰る。漆黒の闇夜を焦がす火葬の炎と煙そして帰りがけの朝露は葬儀に参列した人々には心に深く残る。2.7.4
注釈311人一人かあまたしも見たまはぬことなれば『集成』は「(人の死に目に遭うのは)一人ぐらいか、その程度で、多くは経験なさらぬことだからであろうか。源氏は今まで、三歳の時に母、六歳の時に祖母に死別しているが、直接死に目に遭ったのは夕顔だけである」と指摘する。2.7.5
注釈312思し焦がれたり『完訳』は「火葬の縁語」と注す。2.7.5
注釈313八月二十余日の有明葵の上の葬送は八月二十余日。二十三夜月に近い月が空にかかり、有明の月となって西の空に残るころ。<BR/>【余日】−大島本は「よ日」とある。『集成』『完訳』は「よにち」と訓じる。2.7.5
注釈314闇に暮れ惑ひ「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集、雑一、一一〇二、藤原兼輔)を踏まえた表現。2.7.5
注釈315空のみ眺められたまひて『全集』『集成』『完訳』は「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ」(古今集、恋四、七四三、酒井人真)を引歌として指摘。2.7.5
注釈316のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居のあはれなるかな源氏の独詠歌。『完訳』は「形見の空という引歌の発想から連続して、火葬の煙が雲と化した空全体を哀傷風景とした歌」と注す。2.7.6
注釈317殿におはし着きて「殿」は左大臣邸をさす。なお大島本と榊原家本は「殿にをはしつきて」とあるが、その他の諸本は「殿におはしつきても」とある。『集成』『完訳』は「殿におはしつきても」と訂正する。2.7.8
注釈318などてつひには以下「過ぎ果てたまひぬる」まで、源氏の心。『集成』は「などて」は「おぼえられたてまつりけむ」に掛る」と注す。2.7.9
注釈319おぼえられたてまつりけむ「おぼえ」の主体は源氏。「られ」(受身の助動詞)「たてまつり」(謙譲の補助動詞、源氏の葵の上に対する敬意)。わたしは葵の上から思われ申したのだろうか、の意。『完訳』は「お仕向け申したのだろう」と訳す。2.7.9
注釈320過ぎ果てたまひぬる連体中止の余情を残した表現。悔恨の気持ち。2.7.9
注釈321思しつづけらるれど「らるれ」(自発の助動詞)。お思い出しにならずにはいらっしゃれない、の意。2.7.10
注釈322われ先立たましかば深くぞ染めたまはまし源氏の仮想。「ましかば--まし」は反実仮想の構文。2.7.10
注釈323限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける源氏の独詠歌。「淵」と「藤(衣)」を掛ける。2.7.11
注釈324何に忍ぶのと『源氏釈』は「結び置きし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし」(後撰集、雑二、一一八七、兼輔朝臣の母が乳母)を指摘する。2.7.14
注釈325いとど露けけれど『集成』は「秋の縁でいう」と注す。『完訳』は「「忍び草」の縁」と注す。季節は晩秋である。2.7.14
注釈326かかる形見さへなからましかば源氏の心。「形見」は若君(夕霧)をさす。2.7.14
注釈327袖の上の玉の砕けたりけむよりも『集成』は「当時の諺か。出典未詳」。『完訳』も「出典があるらしいが、未詳」と注す。『源氏釈』(書陵部本)は「捧掌上之珠 摧心中之丹」とあるが出典未詳。『白氏文集』に「何意見掌上珠化為眼中砂」(巻第二、一一七一)とある。2.7.16
注釈328かの御息所は「いとどしき御きよまりに」に掛かる。2.7.18
注釈329斎宮は左衛門の司に宮中の初齋院が左衛門府に設けられた。2.7.18
注釈330聞こえも通ひたまはず主語は源氏。「も」(副助詞)は強調の意。2.7.18
注釈331憂しと思ひ染みにし世主語は源氏。『新大系』は「この「世」は世俗一般。前には「かなしきことに事を添へて、世の中をいとうき物に」と愛憐の厭わしさを思ったが、ここでは人間世界一般への厭わしさを深刻に思う」と注す。2.7.18
注釈332かかるほだしだに添はざらましかば以下「なりなまし」まで、源氏の心中。「かかるほだし」は若君(夕霧)をさす。「ましかば--まし」の反実仮想の構文。古注では「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集、雑下、九五五、物部吉名)を指摘。2.7.18
注釈333願はしきさま出家生活をさす。『完訳』は「ここに端を発する源氏の道心は、生涯、意識の底にあり続ける」と注す。2.7.18
注釈334思すには横山本、池田本、三条西家本、書陵部本は「おほすに」とある。榊原家本と肖柏本は大島本と同文。河内本、別本も大島本と同文。出家生活を願う一方で現世に執着する源氏の精神構造は「若紫」巻の北山の段がまず最初に想起される。2.7.18
注釈335対の姫君紫の君をさす。西の対の屋に住んでいるのでこう呼ぶ。2.7.18
注釈336時しもあれ『源氏釈』は「時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを」(古今集、哀傷、八三九、壬生忠岑)を指摘、現行の注釈書でも引歌として指摘するが、他に「時しもあれ秋しも人の別るればいとど袂ぞ露けかりける」(拾遺集、別、三〇八、読人しらず)という和歌もある。2.7.19
注釈337深き秋の以下「身にしみけるかな」まで、源氏の心。晩秋、源氏と御息所、和歌を贈答しあう。2.7.20
注釈338今めかしうも源氏の感想。『集成』は「気の利いたことをすると思って。折にふさわしく、紙の色まで気を配っていることをいう」と注す。『完訳』は「新鮮で、気のきいた感じ」と注す。2.7.20
注釈339聞こえぬほどは以下「思ひたまへあまりてなむ」まで、御息所の手紙文と和歌。2.7.21
注釈340人の世をあはれと聞くも露けきに後るる袖を思ひこそやれ御息所の贈歌。「聞く」に「菊」を響かす。「菊」「露」は縁語。2.7.22
注釈341常よりも優にも書いたまへるかな源氏の感想。『完訳』は「能筆の人」と注す。「いう」は「優」の字音。2.7.25
注釈342つれなの御弔ひや源氏の感想。『集成』は「知らぬ顔して弔問なさることだ」の意に解す。2.7.25
注釈343過ぎにし人は以下「けざやかに見聞きけむ」まで、源氏の心中。2.7.26
注釈344わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし『湖月抄』は「草子の地也」と指摘。『完訳』も「源氏が自ら御息所への気持を変えがたいとする、語り手の推測」と注す。<BR/>【わが心】−大島本は「我御心」。横山本は「我御心」とミセケチ、池田本と三条西家本は「我心」とあり底本と同文。<BR/>【思し直す】−御息所を厭う気持ちを元にもどすことをさす。<BR/>【なめりかし】−「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞)「かし」(終助詞)は語り手の推測。2.7.26
注釈345斎宮の御きよまはりもわづらはしくや源氏の心。2.7.27
注釈346わざとある御返りなくは情けなくや源氏の心。2.7.27
注釈347こよなうほど経はべりにけるを以下「誰れにも」まで、源氏の手紙文。2.7.28
注釈348つつましきほど喪中の間をさす。2.7.28
注釈349とまる身も消えしもおなじ露の世に心置くらむほどぞはかなき源氏の返歌。「止まる」「消え」「置く」は「露」の縁語。『完訳』は「生きとまる自分と死んだ葵の上を、ともに無常の身として一般化した表現。「心おく」は思いつめる意で、御息所の怨念を暗示する」と注す。2.7.29
注釈350かつは思し消ちてよかし「かつは」について、『集成』は「かたがた、あなたもその執着(私の身の上を思いやって下さること)を、おさまし下さいませ」という「かたがた」の意に解し、『完訳』は「思いつめるのも無理はないが」と解す。2.7.31
注釈351御覧ぜずもやとて誰れにも手紙文の結び。『集成』は「(喪中の身からの手紙は)御覧にならぬかもしれないと思って、私の方も(これ以上多くは申し上げません)」の意に解す。『完訳』は「私のほうでもほんのしるしばかり」と訳す。2.7.31
注釈352ほのめかしたまへるけしきを『集成』は「源氏の返事は、表面自分の気持を述べながら「心置く」「おぼし消ちてよ」など、御息所が怨霊になったことを暗に批判している」と注す。2.7.33
注釈353なほいと限りなき身の以下「流し果てつべきこと」まで、御息所の心中。『完訳』は「以下、御息所の心情に即する」と注す。2.7.34
注釈354故前坊の同じき御はらから桐壷院と故前坊は兄弟。2.7.34
注釈355その御代はり故前坊をさす。父親代わりに。2.7.34
注釈356やがて内裏住みしたまへ『集成』は「自然、桐壷院の寵愛を受けることも含まれる」と注す。2.7.34
注釈357いとあるまじきこと桐壷院から寵愛を受けることをさす。2.7.34
注釈358かく心よりほかに若々しき『完訳』は「院の誘いを固く辞退したわりには、の気持。大人げないと思う」と注す。2.7.34
注釈359殿上人どもの以下「そのころの役になむする」まで、噂。2.7.36
注釈360ことわりぞかし以下「あるべきかな」まで、源氏の心。2.7.36
注釈361さすがに思されけり『新大系』は「御息所を「さすがに」断念できない執着」と注す。2.7.36
出典8 闇に暮れ惑ひ 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひにけるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 2.7.5
出典9 空のみ眺められ 大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ 古今集恋四-七四三 酒井人真 2.7.5
出典10 何に忍ぶの 結びおきし形見の子だになかりせば何に忍の草を摘ままし 後撰集雑二-一一八七 兼忠が母の乳母 2.7.14
出典11 時しもあれ 時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを 古今集哀傷-八九三 壬生忠岑 2.7.19
校訂23 はかなう はかなう--はら(ら/$か<朱>)なう 2.7.16
校訂24 知るらむ 知るらむ--し(し/+る<朱>)らむ 2.7.21
校訂25 させ させ--さ(さ/$さ<朱>) 2.7.34
校訂26 扱はむ 扱はむ--あつる(つる/$つか<朱>)はむ 2.7.34
2.8
第八段 三位中将と故人を追慕する


2-8  Genji grieves over Aoi's death with her brother

2.8.1   御法事など過ぎぬれど、正日までは、なほ籠もりおはす。ならはぬ御つれづれを、 心苦しがりたまひて三位中将は常に参りたまひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、また例の乱りがはしきことをも聞こえ出でつつ、慰めきこえたまふに、 かの内侍ぞ、うち笑ひたまふくさはひにはなるめる。大将の君は、
 ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは、やはり引き籠もっていらっしゃる。経験したことのない所在なさを、お気の毒に思われなさって、三位の中将は、毎日お部屋に参上なさっては、世間話など、真面目な話や、また例の好色めいた話などをも申し上げて、お気持ちをお慰め申し上げなさる中で、あの典侍の話は、お笑い種になるようである。大将の君は、
  Mi-hohuzi nado sugi nure do, syauniti made ha, naho komori ohasu. Naraha nu ohom-ture-dure wo, kokoro-gurusigari tamahi te, Samwi-no-Tyuuzyau ha, tune ni mawiri tamahi tutu, yononaka no ohom-monogatari nado, mameyaka naru mo, mata rei no midari-gahasiki koto wo mo kikoye-ide tutu, nagusame kikoye tamahu ni, kano Naisi zo, uti-warahi tamahu kusahahi ni ha naru meru. Daisyau-no-Kimi ha,
2.8.2  「あな、いとほしや。 祖母殿の上、ないたう軽めたまひそ」
 「ああ、お気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑なさるな」
  "Ana, itohosi ya! Oba-otodo-no-uhe, na itau karome tamahi so."
2.8.3  といさめたまふものから、常にをかしと思したり。
 とお諌めになる一方で、いつも面白いと思っていられた。
  to isame tamahu monokara, tune ni wokasi to obosi tari.
2.8.4   かの十六夜の、さやかならざりし秋のことなど、さらぬも、さまざまの好色事どもを、かたみに隈なく言ひあらはしたまふ、果て果ては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもしたまひけり。
 あの十六夜の、はっきりしなかった秋の事件など、その他の事などの、いといろな浮気話を互いに暴露なさい合う、しまいには、世の無常を言い言いして、涙をお漏らしになったりするのであった。
  Kano izayohi no, sayaka nara zari si aki no koto nado, saranu mo, sama-zama no suki-goto-domo wo, katamini kuma-naku ihi arahasi tamahu, hate-hate ha, ahare naru yo wo ihi-ihi te, uti-naki nado mo si tamahi keri.
2.8.5   時雨うちして、ものあはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣、指貫、うすらかに 衣更へして、いと雄々しうあざやかに、心恥づかしきさまして参りたまへり。
 時雨が降って、何となくしみじみとした夕方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫を、薄い色に衣更えして、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じをし参上なさった。
  Sigure uti-si te, mono-ahare naru yuhu-tu-kata, Tyuuzyau-no-Kimi, nibi-iro no nahosi, sasinuki, usuraka ni koromo-gahe si te, ito wowosiu azayaka ni, kokoro-hadukasiki sama si te mawiri tamahe ri.
2.8.6  君は、西のつまの高欄におしかかりて、霜枯れの前栽見たまふほどなりけり。風荒らかに吹き、時雨さとしたるほど、涙もあらそふ心地して、
 君は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を御覧になっているところであった。風が荒々しく吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、
  Kimi ha, nisi no tuma no kauran ni osi-kakari te, simo-gare no sensai mi tamahu hodo nari keri. Kaze araraka ni huki, sigure sa to si taru hodo, namida mo arasohu kokoti si te,
2.8.7  「 雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず
 「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
  "Ame to nari kumo to ya nari ni kem, ima ha sira zu."
2.8.8  と、うちひとりごちて、頬杖つきたまへる御さま、「 女にては、見捨てて亡くならむ魂かならずとまりなむかし」と、色めかしき心地に、うちまもられつつ、近うついゐたまへれば、しどけなくうち乱れたまへるさまながら、紐ばかりをさし直したまふ。
 と、独り言をいって、頬杖を突いていられるお姿、「女であったら、先立った魂もきっと留まろう」と、色っぽい気持ちで、ついじっと見つめられながら、近くにお座りになると、おくつろぎの姿でいられながらも、入れ紐だけをさし直しなさる。   to, uti-hitorigoti te, tura-duwe tuki tamahe ru ohom-sama, "Womna ni te ha, mi-sute te naku nara m tamasihi kanarazu tomari na m kasi." to, iro-mekasiki kokoti ni, uti-mamora re tutu, tikau tui-wi tamahe re ba, sidokenaku uti-midare tamahe ru sama nagara, himo bakari wo sasi nahosi tamahu.
2.8.9  これは、今すこしこまやかなる夏の御直衣に、紅のつややかなるひき重ねて、やつれたまへるしも、見ても飽かぬ心地ぞする。
 こちらは、もう少し濃い鈍色の夏のお直衣に、紅色の光沢のある袿を下襲して、地味なお姿でいらっしゃるのが、かえって見飽きない感じがする。
  Kore ha, ima sukosi komayaka naru natu no ohom-nahosi ni, kurenawi no tuyayaka naru hiki-kasane te, yature tamahe ru simo, mi te mo aka nu kokoti zo suru.
2.8.10  中将も、いとあはれなるまみに眺めたまへり。
 中将も、とても悲しそうなまなざしでぼんやりと見ていらっしゃる。
  Tyuuzyau mo, ito ahare naru mami ni nagame tamahe ri.
2.8.11  「 雨となりしぐるる空の浮雲を
 「妹が時雨となって降る空の浮雲を
    "Ame to nari sigururu sora no uki-gumo wo
2.8.12   いづれの方とわきて眺めむ
  どちらの方向の雲と眺めようか
    idure no kata to waki te nagame m
2.8.13   行方なしや
 行く方も分からないな」
  Yukuhe nasi ya!"
2.8.14  と、独り言のやうなるを、
 と独り言のようなのを、
  to, hitori-goto no yau naru wo,
2.8.15  「 見し人の雨となりにし雲居さへ
 「妻が雲となり雨となってしまった空までが
    "Mi si hito no ame to nari ni si kumowi sahe
2.8.16   いとど時雨にかき暮らすころ
  ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ
    itodo sigure ni kaki-kurasu koro
2.8.17  とのたまふ御けしきも、浅からぬほどしるく見ゆれば、
 とお詠みになるご様子も、浅くない気持ちがはっきりと窺えるので、
  to notamahu mi-kesiki mo, asakara nu hodo siruku miyure ba,
2.8.18  「 あやしう、年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを、院など、居立ちてのたまはせ、大臣の御もてなしも心苦しう、大宮の御方ざまに、もて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしも ふり捨てたまはで、もの憂げなる御けしきながら、ありへたまふなめりかしと、いとほしう見ゆる折々ありつるを、まことに、やむごとなく重きかたは、ことに思ひきこえたまひけるなめり」
 「妙にここ数年来は、さほどではなかったご愛情を、院などにおかれても、じっとしてはおれず御教訓あそばし、大臣のご待遇もお気の毒であり、大宮のお血筋からいっても、切れない縁であるなど、どちらからいっても関係が深いので、お捨てになることができずに、何となく気の進まないご様子のままで、今まで過ごして来られたようだと、気の毒に見えたことも時々あったが、ほんとうに、正妻としては、格別にお考え申されていらしたようだ」
  "Ayasiu, tosi-goro ha ito si mo ara nu mi-kokorozasi wo, Win nado, wi-tati te notamaha se, Otodo no ohom-motenasi mo kokoro-gurusiu, Oho-Miya no ohom-kata zama ni, mote-hanaru maziki nado, kata-gata ni sasi-ahi tare ba, e simo huri-sute tamaha de, mono-uge naru mi-kesiki nagara, ari he tamahu na' meri kasi to, itohosiu miyuru wori-wori ari turu wo, makoto ni, yamgotonaku omoki kata ha, koto ni omohi kikoye tamahi keru na' meri."
2.8.19  と見知るに、いよいよ口惜しうおぼゆ。よろづにつけて 光失せぬる心地して、屈じ いたかりけり。
 と分かると、ますます惜しまれてならない。何かにつけて光が消えたような気がして、元気をなくしていた。
  to mi siru ni, iyo-iyo kutiwosiu oboyu. Yorodu ni tuke te hikari use nuru kokoti si te, kun-zi itakari keri.
2.8.20  枯れたる下草のなかに、龍胆、撫子などの、咲き出でたるを 折らせたまひて、中将の立ちたまひぬる後に、 若君の御乳母の宰相の君して、
 枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが咲き出したのを折らせなさって、中将がお帰りになった後に、若君の御乳母の宰相の君に持たせて、
  Kare taru sita-kusa no naka ni, rindau, nadesiko nado no, saki-ide taru wo wora se tamahi te, Tyuuzyau no tati tamahi nuru noti ni, Waka-Gimi no ohom-menoto no Saisyau-no-Kimi si te,
2.8.21  「 草枯れのまがきに残る撫子を
 「草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を
    "Kusa-gare no magaki ni nokoru nadesiko wo
2.8.22   別れし秋のかたみとぞ見る
  秋に死別れた方の形見と思います
    wakare si aki no katami to zo miru
2.8.23   にほひ劣りてや御覧ぜらるらむ
 美しさは劣ると御覧になりましょうか」
  Nihohi otori te ya go-ran-ze raru ram."
2.8.24  と聞こえたまへり。げに何心なき御笑み顔ぞ、いみじううつくしき。宮は、吹く風につけてだに、木の葉よりけにもろき御涙は、 まして、とりあへたまはず
 と差し上げなさった。なるほど無邪気な微笑み顔はたいそうかわいらしい。宮は、吹く風につけてさえ、木の葉よりも脆いお涙は、それ以上で、手に取ることさえおできになれない。
  to kikoye tamahe ri. Geni nani-gokoro naki ohom-wemi-gaho zo, imiziu utukusiki. Miya ha, huku kaze ni tuke te dani, konoha yori keni moroki ohom-namida ha, masite, tori-ahe zu.
2.8.25  「 今も見てなかなか袖を朽たすかな
 「ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております
    "Ima mo mi te naka-naka sode wo kutasu kana
2.8.26    垣ほ荒れにし大和撫子
  垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので
    kakiho are ni si yamato-nadesiko
2.8.27   なほ、いみじうつれづれなれば朝顔の宮に、「 今日のあはれは、さりとも見知りたまふらむ」と推し量らるる御心ばへなれば、暗きほどなれど、聞こえたまふ。絶え間遠けれど、 さのものとなりにたる御文なれば、咎なくて御覧ぜさす。 空の色したる唐の紙に、
 依然として、ひどく所在のない気がするので、朝顔の宮に、「今日の物悲しさは、そうはいってもお分りになられるであろう」と推察されるお心の方なので、暗くなった時分であるが、差し上げなさる。たまにしかないが、それが普通になってしまったお便りなので、気にも止めず御覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
  Naho, imiziu ture-dure nare ba, Asagaho-no-Miya ni, "Kehu no ahare ha, saritomo mi-siri tamahu ram." to osi-hakara ruru mi-kokorobahe nare ba, kuraki hodo nare do, kikoye tamahu. Tayema tohokere do, sa no mono to nari ni taru ohom-humi nare ba, toga naku te go-ran-ze sasu. Sora no iro si taru kara no kami ni,
2.8.28  「 わきてこの暮こそ袖は露けけれ
 「とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております
    "Waki te kono kure koso sode ha tuyu-ke kere
2.8.29   もの思ふ秋はあまた経ぬれど
  今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが
    mono omohu aki ha amata he nure do
2.8.30   いつも時雨は
 いつも時雨の頃は」
  Itumo sigure ha."
2.8.31  とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「 過ぐしがたきほどなり」と人も聞こえ、みづからも思されければ、
 とある。ご筆跡などの入念にお書きになっているのが、いつもより見栄えがして、「放って置けない時です」と女房も申し上げ、ご自身もそのようにお思いになったので、
  to ari. Ohom-te nado no kokoro todome te kaki tamahe ru, tune yori mo mi-dokoro ari te, "Sugusi gataki hodo nari." to hito mo kikoye, midukara mo obosa re kere ba,
2.8.32  「 大内山を、思ひやりきこえながら、えやは 」とて、
 「お引き籠もりのご様子を、お察し申し上げながら、とても」とあって、
  "Ohouti-yama wo, omohi-yari kikoye nagara, e ya ha." tote,
2.8.33  「 秋霧に立ちおくれぬと聞きしより
 「秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが
    "Akigiri ni tati-okure nu to kiki si yori
2.8.34   しぐるる空もいかがとぞ思ふ
  それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます
    sigururu sora mo ikaga to zo omohu
2.8.35  とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。
とだけ、かすれた墨跡で、気のせいか奥ゆかしい。
  to nomi, honoka naru sumi tuki ni te, omohi-nasi kokoro-nikusi.
2.8.36  何ごとにつけても、 見まさりはかたき世なめるを、つらき人しもこそと、あはれにおぼえたまふ人の御心ざまなる。
 どのような事柄につけても、見勝りがするのは難しいのが世の常のようなのに、冷たい人にかえって、お心が惹かれなさるご性質の方なのである。
  Nani-goto ni tuke te mo, mi-masari ha kataki yo na' meru wo turaki hito si mo koso to, ahare ni oboye tamahu mi-kokoro-zama naru.
2.8.37  「 つれなながら、さるべき折々のあはれを過ぐしたまはぬ、これこそ、かたみに情けも見果つべきわざなれ。なほ、ゆゑづきよしづきて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの難も出で来けり。 対の姫君を、さは生ほし立てじ」と思す。「 つれづれにて恋しと思ふらむかし」と、忘るる折なけれど、ただ女親なき子を、置きたらむ心地して、見ぬほど、うしろめたく、「 いかが思ふらむ」とおぼえぬぞ、心やすきわざなりける。
 「すげないお扱いながらも、しかるべき時節折々の情趣はお見逃しなさらない、こういう間柄こそ、お互いに情愛を最後まで交わし合うことができるものだ。やはり、教養があり風流好みで、人目にも付くくらいなのは、よけいな欠点も出て来るものだ。対の姫君を、決してそのようには育てまい」とお考えになる。「所在なく恋しく思っていることだろう」と、お忘れになることはないが、まるで母親のない子を、一人残して来ているような気がして、会わない間は、気がかりで、「どのように嫉妬しているだろうか」と心配がないのは、気楽なことであった。
  "Turena nagara, saru-beki wori-wori no ahare wo sugusi tamaha nu, kore koso, katami ni nasake mo mi-hatu beki waza nare. Naho, yuwe-duki yosi-duki te, hito-me ni miyu bakari naru ha, amari no nan mo ide-ki keri. Tai-no-Himegimi wo, sa ha ohosi-tate zi." to obosu. "Ture-dure ni te kohi si to omohu ram kasi." to, wasururu wori nakere do, tada me-oya naki ko wo, oki tara m kokoti si te, mi nu hodo, usiro-metaku, "Ikaga omohu ram?" to oboye nu zo, kokoro-yasuki waza nari keru.
2.8.38  暮れ果てぬれば、大殿油近く参らせたまひて、 さるべき限りの人びと、御前にて物語などせさせたまふ。
 日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに燈させなさって、しかるべき女房たちばかり、御前で話などをおさせになる。
  Kure-hate nure ba, ohotonabura tikaku mawira se tamahi te, saru-beki kagiiri no hito-bito, o-mahe ni te monogatari nado se sase tamahu.
2.8.39   中納言の君といふは、年ごろ忍び思ししかど、この御思ひのほどは、なかなかさやうなる筋にもかけたまはず。「 あはれなる御心かな」と見たてまつる。おほかたにはなつかしううち語らひたまひて、
 中納言の君というのは、数年来こっそりとご寵愛なさっていたが、この喪中の間は、かえってそのような色めいた相手にもお考えにならない。「やさしいお心の方だわ」と拝している。その他のことでは親しくお話しかけになって、
  Tiunagon-no-Kimi to ihu ha, tosi-goro sinobi obosi sika do, kono ohom-omohi no hodo ha, naka-naka sayau naru sudi ni mo kake tamaha zu. "Ahare naru mi-kokoro kana!" to mi tatematuru. Ohokata ni ha natukasiu uti-katarahi tamahi te,
2.8.40  「 かう、この日ごろ、ありしよりけに、誰も誰も紛るるかたなく、 見なれ見なれて、えしも常にかからずは、恋しからじや。 いみじきことをばさるものにて、ただ うち思ひめぐらすこそ、耐へがたきこと多かりけれ」
 「こうして、ここ数日は、以前にも増して、誰も彼も他に気を紛らすこともなく、互いに毎日顔を会わせ顔を会わせしていたから、今後いつもこうすることができないのは、恋しいと思わないだろうか。まこと悲しいことはしかたがないとして、あれこれと考えめぐらしてみると、悲しくて堪らないことがたくさんあるなあ」
  "Kau, kono hi-goro, ari si yori keni, tare mo tare mo magiruru kata naku, minare-minare te, e si mo tune ni kakara zu ha, kohisi kara zi ya. Imiziki koto wo ba saru mono ni te, tada uti-omohi-megurasu koso, tahe gataki koto ohokari kere."
2.8.41  とのたまへば、いとどみな泣きて、
 とおっしゃると、ますます皆が泣いて、
  to notamahe ba, itodo mina naki te,
2.8.42  「 いふかひなき御ことは、ただかきくらす心地しはべるは、さるものにて、 名残なきさまにあくがれ果てさせたまはむ ほど、思ひたまふるこそ」
 「今さら申してもしかたのないおん方の事は、ただ心も真っ暗に閉ざされた心地がいたしますのは、それはそれとして、すっかりお離れになってしまわれると、存じられますことが」
  "Ihukahi naki ohom-koto ha, tada kaki-kurasu kokoti si haberu ha, saru mono ni te, nagori naki sama ni akugare-hate sase tamaha m hodo, omohi tamahuru koso."
2.8.43  と、聞こえもやらず。 あはれと見わたしたまひて、
 と、最後まで申し上げきれない。かわいそうにとお見渡しになって、
  to, kikoye mo yara zu. Ahare to mi-watasi tamahi te,
2.8.44  「 名残なくは、いかがは。心浅くも取りなしたまふかな。心長き人だにあらば、見果てたまひなむものを。命こそはかなけれ」
 「すっかり見限るようなことは、どうして。薄情者とお思いだな。気長な人さえいてくれたら、いつかは分かってくださろうものを。寿命は無常だからね」
  "Nagori-naku ha, ikaga ha? Kokoro-asaku mo tori-nasi tamahu kana! Kokoro-nagaki hito dani ara ba, mi-hate tamahi na m mono wo. Inoti koso hakanakere."
2.8.45  とて、燈をうち眺めたまへるまみの、うち濡れたまへるほどぞ、めでたき。
 と言って、燈火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
  tote, hi wo uti-nagame tamahe ru mami no, uti-nure tamahe ru hodo zo, medetaki.
2.8.46   とりわきてらうたくしたまひし小さき童の、親どももなく、いと心細げに思へる、ことわりに見たまひて、
 とりわけかわいがっていらした小さい童女で、両親もいなくて、とても心細く思っているのを、もっともだと御覧になって、
  Toriwaki te rautaku si tamahi si tihisaki waraha no, oya-domo mo naku, ito kokoro-bosoge ni omohe ru, kotowari ni mi tamahi te,
2.8.47  「 あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ」
 「あてきは、今からはわたしを頼らねばならない人のようだね」
  "Ateki ha, ima ha ware wo koso ha omohu beki hito na' mere."
2.8.48  とのたまへば、いみじう泣く。ほどなき衵、人よりは黒う染めて、黒き汗衫、萱草の袴など着たるも、をかしき姿なり。
 とおっしゃると、たいそう泣く。小さい衵、誰よりも濃く染めて、黒い汗衫、萱草色の袴などを着ているのも、かわいらしい姿である。
  to notamahe ba, imiziu naku. Hodo naki akome, hito yori ha kurou some te, kuroki kazami, kwamzau no hakama nado ki taru mo, wokasiki sugata nari.
2.8.49  「 昔を忘れざらむ人は、つれづれを忍びても、幼なき人を見捨てず、ものしたまへ。見し世の名残なく、人びとさへ離れなば、たつきなさもまさりぬべくなむ」
 「故人を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、幼君を見捨てないで、お仕えして下さい。生前の面影もなく、女房たちまでが出て行ってしまったなら、訪ね来るよすがもない思いがますますしようから」
  "Mukasi wo wasure zara m hito ha, ture-dure wo sinobi te mo, wosanaki hito wo mi-sute zu, monosi tamahe. Mi si yo no nagori naku, hito-bito sahe kare na ba, tatuki-nasa mo masari nu beku nam."
2.8.50  など、みな心長かるべきことどもをのたまへど、「 いでや、いとど待遠にぞなりたまはむ」と思ふに、いとど心細し。
 などと、皆に気長く留まることをおっしゃるが、「さあ、ますます間遠になられることだろう」と思うと、ますます心細い。
  nado, mina kokoro-nagakaru beki koto-domo wo notamahe do, "Ide ya, itodo mati-doho ni zo nari tamaha m." to omohu ni, itodo kokoro-bososi.
2.8.51  大殿は、人びとに、際々ほど置きつつ、はかなきもてあそびものども、また、まことにかの御形見なるべきものなど、わざとならぬさまに取りなしつつ、皆配らせたまひけり。
 大殿は、女房たちに、身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な道具や、また、本当のお形見となるような物などを、改まった形にならないように心づかいして、一同にお配らせになるのであった。
  Ohoi-dono ha, hito-bito ni, kiha-giha hodo oki tutu, hakanaki mote-asobi mono-domo, mata, makoto ni kano ohom-katami naru beki mono nado, wazato nara nu sama ni torinasi tutu, mina kubara se tamahi keri.
注釈362御法事など過ぎぬれど正日まではなほ籠もりおはす『完訳』は「四十九日の法事を繰りあげて行ったか。「正日」は四十九日」と注す。源氏は四十九日忌までは左大臣邸に籠っている。2.8.1
注釈363心苦しがりたまひて主語は下文の三位中将。2.8.1
注釈364三位中将葵の上の兄。三位昇進は初見。2.8.1
注釈365かの内侍ぞ源典侍をさす。2.8.1
注釈366祖母殿の上『集成』は「「祖母殿」は、源典侍のあだ名のようなものらしい」と注す。2.8.2
注釈367かの十六夜のさやかならざりし秋のこと「『完訳』は「あの十六夜の月に、はっきりとは見えなかった秋の夜のこと。末摘花の巻の、源氏が初めて末摘花を訪れ、暗い中で頭の中将に見つけられた時のことをいう。「十六夜の月をかしきほどに」「曇りがちにはべるめり」「月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど」などとあった。ただし時節は春であったが、ここではこの時の季節に合せて秋のことにした」と注す。2.8.4
注釈368時雨うちして、ものあはれなる暮つ方季節は晩秋から初冬に移る。そのある日の夕暮れ。2.8.5
注釈369衣更へして十月一日の冬の衣裳への衣更。2.8.5
注釈370雨となり雲とやなりにけむ今は知らず源氏の詞。『劉夢得外集』第一「有所嗟」の詩句「相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知」を口ずさむ。2.8.7
注釈371女にては以下「とまりなむかし」まで、三位中将の心。2.8.8
注釈372雨となりしぐるる空の浮雲をいづれの方とわきて眺めむ三位中将の贈歌。「うき雲」は「憂き」を掛ける。2.8.11
注釈373行方なしや歌に添えた詞。『集成』は「(宋玉の「高唐賦序」には、神女は朝には雲となり夕には雨となって朝々暮々陽台の下におりますと言ったが)葵の上は行方も知れずになってしまったことだ、と独りごとのように言うのに」と注す。2.8.13
注釈374見し人の雨となりにし雲居さへいとど時雨にかき暮らすころ源氏の返歌。贈歌中の「雨」「時雨」「雲」の語句を用いて、自分の気持ちもあなたと同じだと言って返す。2.8.15
注釈375あやしう以下「きこえたまひけるなめり」まで、三位中将の感懐。2.8.18
注釈376光失せぬる心地して『完訳』は「源氏が左大臣家と縁遠くなること。「光」は、源氏の美徳の象徴」と注す。2.8.19
注釈377折らせたまひて主語は源氏。「せ」(使役の助動詞)。童あるいは女童をして。2.8.20
注釈378若君の御乳母の宰相の君若君(夕霧)の乳母。2.8.20
注釈379草枯れのまがきに残る撫子を別れし秋のかたみとぞ見る源氏から大宮への贈歌。『完訳』は「「なでしこ」は愛児の象徴で若君を、「秋」は亡き葵の上をさす。行く秋の哀感に、逝った妻への悲傷をかたどり、咲き残る撫子に形見の子への愛着をこめた表現」と注す。2.8.21
注釈380にほひ劣りてや御覧ぜらるらむ歌に添えた詞。『完訳』は「亡き親の君よりは美しさが劣っていると御覧になりましょうか」の意に訳す。2.8.23
注釈381ましてとりあへたまはず『完訳』は「なおさらのこととて、その御文を手にとることもおできになれない」と訳す。2.8.24
注釈382今も見てなかなか袖を朽たすかな垣ほ荒れにし大和撫子大宮の返歌。「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集、恋四、六九五、読人しらず)が引歌として指摘される。2.8.25
注釈383なほいみじうつれづれなれば源氏、朝顔の姫宮と和歌を贈答しあう。2.8.27
注釈384朝顔の宮「帚木」巻初出、「葵」巻にも「朝顔の姫君はいかで人に似じと」と「姫君は年ごろわたりきこえたまふ御心ばへの」とに登場。2.8.27
注釈385今日のあはれはさりとも見知りたまふらむ源氏の心。『完訳』は「日ごろはどんなに自分(源氏)につれない態度を示していても」の意に解す。2.8.27
注釈386さのものとなりにたる『集成』は「それが普通になってしまった」と注す。『完訳』は「時折思い起したように便りが来るような関係をいう」と注す。2.8.27
注釈387空の色ただ今の空の色。時雨時の薄墨色の意。2.8.27
注釈388わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまた経ぬれど源氏の朝顔の宮への贈歌。2.8.28
注釈389いつも時雨は歌に添えた詞。『源氏釈』は「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき」(出典未詳)を指摘。2.8.30
注釈390過ぐしがたきほどなり女房の詞。『集成』は「ご返歌なしではすまされない場合です」の意に解す。2.8.31
注釈391大内山を思ひやりきこえながらえやは朝顔の返事。歌の前文。『源氏釈』は「白雲の九重にしも立ちつるは大内山といへばなりけり」(新勅撰集、雑四、一二六七、兼輔)を指摘。『集成』は「「大内山」は御室山の別称。宇多上皇が出家後篭られたので、源氏の勤行一途の生活を喩えてこういったものか。「えやは」は、「どうして--できようか、とてもできない」の意の連語。「えやは聞こゆべき」を略した言い方」と注す。2.8.32
注釈392秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ朝顔の宮の返歌。『河海抄』は「色ならば移るばかりもそめてまし思ふ心をえやは見せける」(後撰集、恋二、六三一、貫之)を指摘。「霧」「たち」は縁語。2.8.33
注釈393見まさりはかたき世なめるを『集成』は「(長く付き合って)見まさりするという女性はめったにないようだのに」の意に解す。『完訳』は「見まさりのするということはなかなかむずかしいのが世の常であろうが」の意に解す。2.8.36
注釈394つれなながら以下「生ほし立てじ」まで、源氏の心中。2.8.37
注釈395対の姫君紫の君をいう。2.8.37
注釈396つれづれにて恋しと思ふらむかし源氏の心。紫の君の気持ちを推測。2.8.37
注釈397いかが思ふらむ源氏の心。「思ふ」は嫉妬心をいう。2.8.37
注釈398中納言の君葵の上の女房。源氏の召人。2.8.39
注釈399あはれなる御心かな中納言の君の心。源氏賞賛。2.8.39
注釈400かうこの日ごろ以下「多かりけれ」まで、源氏の詞。2.8.40
注釈401見なれ見なれて『源氏釈』は「水(み)なれ木のみなれそなれて離れなば恋しからむや恋しからじや」(出典未詳)を指摘する。2.8.40
注釈402いみじきこと葵の上との死別をいう。2.8.40
注釈403うち思ひめぐらすこそ『完訳』は「人生の愛別陸についてあれこれ考えてみると」と注す。2.8.40
注釈404いふかひなき御ことは以下「たまふるこそ」まで、中納言の君の詞。葵の上の死をいう。2.8.42
注釈405名残なきさまにあくがれ果てさせたまはむ源氏が四十九日忌以後、左大臣邸からすっかり立ち去ってしまうことをいう。2.8.42
注釈406あはれ源氏の心。女房たちを気の毒に思う。2.8.43
注釈407名残なくは以下「はかなけれ」まで、源氏の詞。2.8.44
注釈408とりわきてらうたくしたまひし主語は故葵の上。2.8.46
注釈409あてきは以下「思ふべき人なめれ」まで、源氏の詞。葵の上付きの小童女の名、「貴君(あてき)」。両親がいないことをという。2.8.47
注釈410昔を忘れざらむ人は以下「まさりぬべくなむ」まで、源氏の詞。2.8.49
注釈411いでやいとど以下「なりたまはむ」まで、女房たちの心。2.8.50
出典12 雨となり雲とやなりにけむ、今は知らず 旦為朝雲 暮為行雨 文選十九-五六 高唐賦 宋玉 2.8.7
相逢相笑尽如夢 為雨為雲今不知 劉夢得外集一-有所嗟
出典13 垣ほ荒れにし大和撫子 あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和撫子 古今集恋四-六九五 読人しらず 2.8.26
出典14 いつも時雨は 神無月いつも時雨は降りしかどかく袖くたす折はなかりき 源氏釈所引、出典未詳 2.8.30
出典15 大内山を 白雲の九重に立つ峰なれば大内山といふにぞありける 新勅撰集雑四-一二六五 藤原兼輔 2.8.32
出典16 見なれ見なれて みなれ木の見慣れそなれて離れなば恋しからむや恋しからじや 源氏釈所引、出典未詳 2.8.40
校訂27 ふり捨て ふり捨て--ふま(ま/$<朱>)りすて 2.8.18
校訂28 いたかり いたかり--いあ(あ/$たか<朱>)り 2.8.19
校訂29 さるべき さるべき--さるへ(へ/+き<朱>) 2.8.38
校訂30 果て 果て--(/+は)て 2.8.42
2.9
第九段 源氏、左大臣邸を辞去する


2-9  Genji leaves Sadaijin's residence

2.9.1   君は、かくてのみも、いかでかはつくづくと過ぐしたまはむとて、院へ参りたまふ。御車さし出でて、御前など参り集るほど、折知り顔なる時雨うちそそきて、木の葉さそふ風、あわたたしう吹き払ひたるに、御前にさぶらふ人々、ものいと心細くて、すこし隙ありつる袖ども湿ひわたりぬ。
 君は、こうしてばかりも、どうしてぼんやりと日を送っていらっしゃれようかと思って、院へ参内なさる。お車を引き出して、前駆の者などが参上する間に、悲しみを知っているかのような時雨がはらはらと降って、木の葉を散らす風、急に吹き払って、御前に伺候している女房たち、何となくとても心細くて、少し乾く間もあった袖が再び湿っぽくなってしまった。
  Kimi ha, kakute nomi mo, ikade ka ha tuku-duku to sugusi tamaha m tote, Win he mawiri tamahu. Mi-kuruma sasi-ide te, go-zen nado mawiri atumaru hodo, wori-siri-gaho naru sigure uti-sosoki te, konoha sasohu kaze, awatatasiu huki-harahi taru ni, o-mahe ni saburahu hito-bito, mono ito kokoro-bosoku te, sukosi hima ari turu sode-domo uruhi watari nu.
2.9.2   夜さりは、やがて二条院に泊りたまふべしとて、侍ひの人びとも、かしこにて待ちきこえむとなるべし、おのおの立ち出づるに、今日にしもとぢむまじきことなれど、またなくもの悲し。
 晩は、そのまま二条の院にお泊まりになる予定とあって、侍所の人々も、あちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ出立するので、今日が最後というのではないが、またとなく物悲しい。
  Yosari ha, yagate Nideu-no-win ni tomari tamahu besi tote, saburahi no hito-bito mo, kasiko nite mati kikoye m to naru besi, ono-ono tati-iduru ni, kehu ni simo todimu maziki koto nare do, mata naku mono-ganasi.
2.9.3  大臣も宮も、今日のけしきに、また悲しさ改めて思さる。宮の御前に御消息聞こえたまへり。
 大臣も宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。宮のおん許へお手紙を差し上げなさった。
  Otodo mo Miya mo, kehu no kesiki ni, mata kanasisa aratame te obosa ru. Miya no o-mahe ni ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
2.9.4  「 院におぼつかながりのたまはするにより、今日なむ参りはべる。あからさまに立ち出ではべるにつけても、今日までながらへはべりにけるよと、乱り心地のみ動きてなむ、聞こえさせむもなかなかにはべるべければ、そなたにも参りはべらぬ」
 「院におかれても御心配あそばされおっしゃりますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、悲しみに掻き乱されるばかりの気がするので、ご挨拶申し上げるのも、かえって悲しく思われるに違いないので、そちらにはお伺い致しません」
  "Win ni obotukanagari notamahasuru ni yori, kehu nam mawiri haberu. Akarasama ni tati-ide haberu ni tuke te mo, kehu made nagarahe haberi ni keru yo to, midari-gokoti nomi ugoki te nam, kikoye sase m mo naka-naka ni haberu bekere ba, sonata ni mo mawiri habera nu."
2.9.5  とあれば、いとどしく宮は、目も見えたまはず、沈み入りて、御返りも聞こえたまはず。
 とあるので、ますます宮は、目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
  to are ba, itodosiku Miya ha, me mo miye tamaha zu, sidumi iri te, ohom-kaheri mo kikoye tamaha zu.
2.9.6  大臣ぞ、やがて渡りたまへる。いと堪へがたげに思して、 御袖も引き放ちたまはず。見たてまつる人々もいと悲し。
 大臣が、さっそくお越しになった。とても我慢できそうになくお悲しみで、お袖から顔をお放しなさらない。拝見している女房たちもまことに悲しい。
  Otodo zo, yagate watari tamahe ru. Ito tahe-gatage ni obosi te, ohom-sode mo hiki-hanati tamaha zu. Mi tate maturu hito-bito mo ito kanasi.
2.9.7  大将の君は、 世を思しつづくること、いとさまざまにて、泣きたまふさま、あはれに心深きものから、いとさまよくなまめきたまへり。大臣、久しうためらひたまひて、
 大将の君は、世の中をお思い続けなさること、とてもあれこれとあって、お泣になる様子、しみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美でいらっしゃる。大臣は、長い間かかって涙をお抑えになって、
  Daisyau-no-Kimi ha, yo wo obosi tudukuru koto, ito sama-zama ni te, naki tamahu sama, ahare ni kokoro-hukaki monokara, ito sama yoku namameki tamahe ri. Otodo, hisasiu tamerahi te,
2.9.8  「 齢のつもりには、さしもあるまじきことにつけてだに、涙もろなるわざにはべるを、まして、干る世なう思ひたまへ惑はれはべる心を、えのどめはべらねば、人目も、いと乱りがはしう、心弱きさまにはべるべければ、院などにも参りはべらぬなり。ことのついでには、さやうにおもむけ奏せさせたまへ。いくばくもはべるまじき老いの末に、うち捨てられたるが、つらうもはべるかな」
 「年をとると、たいしたことでもないことに対してさえ、涙もろくなるものでございますのに。まして、涙の乾く間もなくかきくらされている心を、とても鎮めることができませんので、人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好にきっと見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。お話のついでには、そのように取りなして奏上なさって下さい。いくらもありそうにない年寄の身で、先立たれたのが辛いのでございますよ」
  "Yohahi no tumori ni ha, sa simo aru maziki koto ni tuke te dani, namida-moro naru waza ni haberu wo. Masite, hiru yo nau omohi tamahe madoha re haberu kokoro wo, e nodome habera ne ba, hito-me mo, ito midarigahasiu, kokoro-yowaki sama ni haberu bekere ba, Win nado ni mo mawiri habera nu nari. Koto no tuide ni ha, sayau ni omomuke sou-se sase tamahe. Ikubaku mo haberu maziki oyi no suwe ni, uti-sute rare taru ga, turau mo haberu kana!"
2.9.9  と、せめて思ひ静めてのたまふけしき、いとわりなし。君も、たびたび鼻うちかみて、
 と無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。君も何度も鼻をかんで、
  to, semete omohi sidume te notamahu kesiki, ito warinasi. Kimi mo, tabi-tabi hana uti-kami te,
2.9.10  「 後れ先立つほどの定めなさは、世のさがと見たまへ知りながら、さしあたりておぼえはべる心惑ひは、類ひあるまじきわざとなむ。院にも、ありさま奏しはべらむに、推し量らせたまひてむ」と聞こえたまふ。
 「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりますものの、直接我が身のこととして感じられます悲しみは、譬えようもないものだと。院におかれても、ご様子を奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」とお答え申し上げになる。
  "Okure saki-datu hodo no sadame nasa ha, yo no saga to mi tamahe siri nagara, sasi-atari te oboye haberu kokoro-madohi ha, taguhi naki waza to nam. Win ni mo, arisama sou-si habera m ni, osi-hakara se tamahi te m." to kikoye tamahu.
2.9.11  「 さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」と、そそのかしきこえたまふ。
 「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、お促し申し上げなさる。
  "Saraba, sigure mo hima-naku haberu meru wo, kure nu hodo ni." to, sosonokasi kikoye tamahu.
2.9.12   うち見まはしたまふに、御几帳の後、障子のあなたなどのあき 通りたるなどに、女房三十人ばかりおしこりて、濃き、薄き鈍色どもを着つつ、皆いみじう心細げにて、うちしほれたれつつゐ集りたるを、いとあはれ、と見たまふ。
 お見回しなさると、御几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同にひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、とてもかわいそうに、と御覧になる。
  Uti-mi-mahasi tamahu ni, mi-kityau no usiro, syauzi no anata nado no aki tohori taru nado ni, nyoubau sam-zihu-nin bakari osi-kori te, koki, usuki nibi-iro domo wo ki tutu, mina imiziu kokoro-bosoge ni te, uti-sihotare tutu wi atumari taru wo, ito ahare, to mi tamahu.
2.9.13  「 思し捨つまじき人もとまりたまへれば、さりとも、もののついでには立ち寄らせたまはじやなど、慰めはべるを、 ひとへに思ひやりなき女房などは、今日を限りに、思し捨てつる故里と思ひ屈じて、長く別れぬる悲しびよりも、ただ時々馴れ仕うまつる年月の名残なかるべきを、嘆きはべるめるなむ、ことわりなる。うちとけおはしますことははべらざりつれど、さりともつひにはと、 あいな頼めしはべりつるを。げにこそ、心細き夕べにはべれ」
 「お見捨てになるはずもない人が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りあそばさないはずがないなどと、自ら慰めておりますが、もっぱら思慮の浅い女房などは、今日を最後の日と、お捨てになった過去の家と悲観して、永遠の別れとなった悲しみよりも、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月の跡形もなくなってしまうのを、嘆いているようなのが、もっともに思われます。くつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
  "Obosi-sutu maziki hito mo tomari tamahe re ba, saritomo, mono no tuide ni ha tati-yora se tamaha zi ya nado, nagusame haberu wo, hitohe ni omohi-yari naki nyoubau nado ha, kehu wo kagiri ni, obosi-sute turu hurusato to omohi kun-zi te, nagaku wakare nuru kanasibi yori mo, tada toki-doki nare tukau-maturu tosi-tuki no nagori nakaru beki nageki haberu meru nam, kotowari naru. Uti-toke ohasimasu koto ha habera zari ture do, saritomo tuhi ni ha to, aina-danome si haberi turu wo. Geni koso, kokoro-bosoki yuhube ni habere."
2.9.14  とても、泣きたまひぬ。
 と言いながら、お泣きになった。
  tote mo, naki tamahi nu.
2.9.15  「 いと浅はかなる人びとの嘆きにもはべるなるかな。まことに、 いかなりともと、のどかに思ひたまへつるほどは、おのづから御目離るる折もはべりつらむを、なかなか今は、何を頼みにてかはおこたりはべらむ。今御覧じてむ」
 「とても思慮の浅い女房たちの嘆きでございますな。仰せのとおり、どうあろうともいずれはと、気長に存じておりました間は、自然とご無沙汰致した時もございましたが、かえって今では、何を心頼みしてご無沙汰ができましょうか。いずれお分りになろう」
  "Ito asahaka naru hito-bito no nageki ni mo haberu naru kana! Makoto ni, ika nari to mo to, nodoka ni omohi tamahe turu hodo ha, onodukara ohom-me karuru wori mo haberi tura m wo, naka-naka ima ha, nani wo tanomi ni te ka ha okotari habera m. Ima go-ran-zi te m."
2.9.16  とて出でたまふを、大臣見送りきこえたまひて、 入りたまへるに、御しつらひよりはじめ、ありしに変はることもなけれど、 空蝉のむなしき心地ぞしたまふ。
 と言ってお出になるのを、大臣はお見送り申し上げなさって、お入りになると、お飾りをはじめとして、昔のころと変わったところはないが、蝉の脱殻のような心地がなさる。
  tote ide tamahu wo, Otodo mi-okuri kikoye tamahi te, iri tamahe ru ni, ohom-siturahi yori hazime, ari si ni kaharu koto mo nakere do, utusemi no munasiki kokoti zo si tamahu.
2.9.17  御帳の前に、御硯などうち散らして、手習ひ捨てたまへるを取りて、目をおししぼりつつ見たまふを、若き人々は、悲しきなかにも、 ほほ笑むあるべし。あはれなる古言ども、唐のも大和のも書きけがしつつ、 草にも真名にも、さまざまめづらしきさまに書き混ぜたまへり。
 御帳台の前に、お硯などが散らかしてあって、手習いのお捨てになっていたのを拾って、目を絞めて涙を堪えながら御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいるのだろう。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜていらっしゃった。
  Mi-tyauno mahe ni, ohom-suzuri nado uti-tirasi te, tenarahi sute tamahe ru wo tori te, me wo osi-sibori tutu mi tamahu wo, wakaki hito-bito ha, kanasiki naka ni mo, hoho-wemu aru besi. Ahare naru huru-koto-domo, kara no mo yamato no mo kaki-kegasi tutu, sau ni mo mana ni mo, sama-zama medurasiki sama ni kaki maze tamahe ri.
2.9.18  「 かしこの御手や
 「みごとなご筆跡だ」
  "Kasiko no ohom-te ya!"
2.9.19  と、空を仰ぎて眺めたまふ。よそ人に見たてまつりなさむが、 惜しきなるべし。「 旧き枕故き衾、誰と共にか」とある所に、
 と、空を仰いでぼんやりとしていらっしゃる。他人として拝見することになるのが、残念に思われるのだろう。「旧き枕故き衾、誰と共にか」とあるところに、
  to, sora wo ahugi te nagame tamahu. Yoso-bito ni mi tatematuri nasa m ga, wosiki naru besi. "Huruki makura huruki husuma, tare to tomo ni ka?" to aru tokoro ni,
2.9.20  「 なき魂ぞいとど悲しき寝し床の
 「亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう
    "Naki tama zo itodo kanasiki nesi toko no
2.9.21   あくがれがたき心ならひに
  共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから
    akugare gataki kokoro narahi ni
2.9.22  また、「 霜の花白し」とある所に、
 また、「霜の華白し」とあるところに、
  mata, "Simo no hana sirosi" to aru tokoro ni,
2.9.23  「君なくて 塵つもりぬる常夏
 「あなたが亡くなってから塵の積もった床に
    "Kimi naku te tiri tumori nuru tokonatu no
2.9.24   露うち払ひいく夜寝ぬらむ
  涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか
    tuyu uti-harahi iku-yo ne nu ram
2.9.25   一日の花なるべし、枯れて混じれり。
 先日の花なのであろう、枯れて混じっていた。
  Hito-hi no hana naru besi, kare te mazire ri.
2.9.26  宮に御覧ぜさせたまひて、
 宮に御覧に入れなさって、
  Miya ni go-ran-ze sase tamahi te,
2.9.27  「 いふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しき類ひ、世になくやはと、思ひなしつつ、契り長からで、かく心を惑はすべくてこそはありけめと、かへりてはつらく、前の世を思ひやりつつなむ、覚ましはべるを、ただ、日ごろに添へて、恋しさの堪へがたきと、この大将の君の、今はとよそになりたまはむなむ、飽かずいみじく思ひたまへらるる。一日、二日も 見えたまはず、かれがれにおはせしをだに、飽かず胸いたく思ひはべりしを、朝夕の光失ひては、いかでかながらふべからむ」
 「今さら言ってもしかたのないことはさておいて、このような悲しい逆縁の例は、世間にないことではないと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように心を悲しませるために生まれて来たのであろうかと、かえって辛く、前世の因縁に思いを馳せながら、覚まそうとしていますが、ただ、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれないのと、この大将の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
  "Ihukahinaki koto wo ba saru mono ni te, kakaru kanasiki taguhi, yo ni naku ya ha to, omohi-nasi tutu, tigiri nagakara de, kaku kokoro wo madohasu beku te koso ha ari keme to, kaheri te ha turaku, saki no yo wo omohi-yari tutu nam, samasi haberu wo, tada, hi-goro ni sohe te, kohisisa no tahe-gataki to, kono Daisyau-no-Kimi no, ima ha to yoso ni nari tamaha m nam, aka-zu imiziku omohi tamahe raruru. Hito-hi, hutu-ka mo miye tamaha zu, kare-gare ni ohase si wo dani, aka-zu mune itaku omohi haberi si wo, asa-yuhu no hikari usinahi te ha, ikade ka nagarahu bekara m."
2.9.28  と、御声もえ忍びあへたまはず泣いたまふに、 御前なるおとなおとなしき人など、いと悲しくて、さとうち泣きたる、 そぞろ寒き夕べのけしきなり
 と、お声も抑えきれずお泣きになると、御前に控えている年輩の女房など、とても悲しくて、わっと泣き出すのは、何となく寒々とした夕べの情景である。
  to, ohom-kowe mo e sinobi-ahe tamaha zu nai tamahu ni, o-mahe naru otona-otonasiki hito nado, ito kanasiku te, sato uti-naki taru, sozoro-samuki yuhube no kesiki nari.
2.9.29  若き人びとは、所々に群れゐつつ、おのがどち、あはれなることどもうち語らひて、
 若い女房たちは、あちこちにかたまって、お互いに悲しいことを話し合って、
  Wakaki hito-bito ha, tokoro-dokoro ni mure wi tutu, onoga-doti, ahare naru koto-domo uti-katarahi te,
2.9.30  「 殿の思しのたまはするやうに若君を見たてまつりてこそは、慰むべかめれと思ふも、いとはかなきほどの御形見にこそ」
 「殿がお考えになりおっしゃるように、若君をお育て申して、慰めることができようとは思いますが、とても幼いお形見で」
  "Tono no obosi-notamaha suru yau ni, Waka-Gimi wo mi tatematuri te koso ha, nagusamu beka' mere to omohu mo, ito hakanaki hodo no ohom-katami ni koso."
2.9.31  とて、おのおの、「 あからさまにまかでて、参らむ」と言ふもあれば、かたみに別れ惜しむほど、 おのがじしあはれなることども多かり。
 と言って、それぞれが、「しばらく里に下がって、また参上しよう」と言う者もいるので、互いに別れを惜しんだりする折、それぞれ物悲しい事が多かった。
  tote, ono-ono, "Akarasama ni makade te, mawira m." to ihu mo are ba, katami ni wakare wosimu hodo, onogazisi ahare naru koto-domo ohokari.
2.9.32   院へ参りたまへれば、
 院へ参上なさると、
  Win he mawiri tamahe re ba,
2.9.33  「 いといたう面痩せにけり。精進にて日を経るけにや
 「とてもひどく面やつれしたな。御精進の日々を過ごしたからか」
  "Ito itau omo-yase ni keri! Syauzin ni te hi wo huru ke ni ya?"
2.9.34  と、心苦しげに思し召して、御前にて物など参らせたまひて、とやかくやと思し扱ひきこえさせたまへるさま、あはれにかたじけなし。
 と、お気の毒に御心配あそばして、御前においてお食事などを差し上げなさって、あれやこれやとお心を配ってお世話申し上げあそばす様子、身にしみてもったいない。
  to, kokoro-gurusige ni obosimesi te, o-mahe nite mono nado mawira se tamahi te, toya-kakuya to obosi atukahi kikoye sase tamahe ru sama, ahare ni katazikenasi.
2.9.35   中宮の御方に参りたまへれば、人びと、めづらしがり見たてまつる。命婦の君して、
 中宮の御方に参上なさると、女房たちが、珍しく思ってお目にかかる。命婦の君を通じて、
  Tyuuguu no ohom-kata ni mawiri tamahe re ba, hito-bito, medurasigari mi tatematuru. Myaubu-no-Kimi si te,
2.9.36  「 思ひ尽きせぬことどもを、ほど経るにつけてもいかに
 「悲しみの尽きないことですが、日が経つにつけてもご心中いかばかりかと」
  "Omohi tuki se nu koto-domo wo, hodo huru ni tuke te mo ikani?"
2.9.37  と、御消息聞こえたまへり。
 と、お伝え申し上げあそばした。
  to, ohom-seusoko kikoye tamahe ri.
2.9.38  「 常なき世は、おほかたにも思うたまへ知りにしを、目に近く見はべりつるに、いとはしきこと多く思うたまへ乱れしも、たびたびの御消息に慰めはべりてなむ、今日までも」
 「無常の世は、一通りは存じておりましたが、身近に体験致しますと、嫌なことが多く思い悩みましたのも、度々のご弔問に慰められまして、今日までも」
  "Tune naki yo ha, ohokata ni mo omou tamahe siri ni si wo, me ni tikaku mi haberi turu ni, itohasiki koto ohoku omou tamahe midare si mo, tabi-tabi no ohom-seusoko ni nagusame haberi te nam, kehu made mo."
2.9.39  とて、 さらぬ折だにある 御けしき取り添へて、いと心苦しげなり。無紋の表の御衣に、鈍色の御下襲、 纓巻きたまへるやつれ姿、はなやかなる御装ひよりも、なまめかしさまさりたまへり。
 と言って、何でもない時でさえ持っているお悩みを取り重ねて、とてもおいたわしそうである。無紋の袍のお召物に、鈍色の御下襲、巻纓をなされた喪服のお姿は、華やかな時よりも、優美さが勝っていらっしゃった。
  tote, saranu wori dani aru mi-kesiki tori-sohe te, ito kokoro-gurusige nari. Mu-mon no uhe no ohom-zo ni, nibi-iro no ohom-sita-gasane, ei maki tamahe ru yature sugata, hanayaka naru ohom-yosohi yori mo namamekasisa masari tamahe ri.
2.9.40   春宮にも久しう参らぬおぼつかなさなど、聞こえたまひて、夜更けてぞ、まかでたまふ。
 春宮にも、久しく参上致さなかった気がかりさなど、お申し上げなさって、夜が更けてからご退出なさる。
  Touguu ni mo hisasiu mawira nu obotukanasa nado, kikoye tamahi te, yo huke te zo, makade tamahu.
注釈412君はかくてのみも源氏、参院、左大臣邸を離れる。2.9.1
注釈413夜さりはやがて二条院に泊りたまふべし源氏の従者が聞いていた内容。2.9.2
注釈414院におぼつかながりのたまはするに以下「参りはべらぬ」まで、源氏の大宮への手紙文。2.9.4
注釈415御袖も引き放ちたまはず『完訳』は「涙をぬぐう動作を繰り返す」と注す。2.9.6
注釈416世を『集成』は「人の世をさまざま思い続けられて。「世」は、葵の上との死別や、残された若君、左大臣夫妻とのこと」と注す。『完訳』は「深い道心を抱いてしまった後の、人生無常の思い」と注す。2.9.7
注釈417齢のつもりには以下「つらうもはべるかな」まで、左大臣の詞。2.9.8
注釈418後れ先立つほどの定めなさ以下「推し量らせたまひてむ」まで、源氏の詞。『源氏釈』は「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つ例なるらむ」(新古今集、哀傷、七五七、僧正遍照)を指摘。現行の注釈書でも引歌として指摘する。2.9.10
注釈419さらば以下「暮れぬほどに」まで、左大臣の詞。2.9.11
注釈420うち見まはしたまふに主語は源氏。以下、源氏の目を通した叙述。2.9.12
注釈421思し捨つまじき以下「夕べにはべれ」まで、左大臣の詞。若君(夕霧)のいることをさす。2.9.13
注釈422ひとへに思ひやりなき女房などは『集成』は「思い詰めてあとさきの考えられない女房などは」と注す。2.9.13
注釈423あいな頼めしはべりつるを『集成』は「(女房たちに)空しい期待を持たせていましたのに」と注す。2.9.13
注釈424いと浅はかなる人びとの以下「今御覧じてむ」まで、源氏の詞。2.9.15
注釈425いかなりとも『集成』は「どうあろうとも(いつか私の気持は分って下さるであろう)と」と注し、『完訳』は「葵の上の生前に遡り、彼女が今うちとけないにしても、やがては」と注す。2.9.15
注釈426入りたまへるに左大臣が源氏の部屋に。2.9.16
注釈427空蝉のむなしき心地『集成』は「「空蝉の」は、「むなし」に言いかかる枕詞的な用法」と注す。また「うちはへて音を鳴きくらす空蝉のむなしき恋も我はするかな」(後撰集、夏、一九二、読人しらず)を引歌として指摘する。2.9.16
注釈428ほほ笑むあるべし語り手の推量。2.9.17
注釈429草にも真名にも草仮名や漢字。2.9.17
注釈430かしこの御手や源氏のみごとな筆跡に対する左大臣の感想。2.9.18
注釈431惜しきなるべし語り手の推量。『細流抄』は「草子地也」と指摘。2.9.19
注釈432旧き枕故き衾、誰と共にか『長恨歌』の一句「鴛鴦瓦冷霜花重、旧枕故衾誰与共」の訓読。2.9.19
注釈433なき魂ぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたき心ならひに源氏の独詠歌。2.9.20
注釈434霜の花白し上の『長恨歌』の一句「重し」を「白し」と改めたとされる。2.9.22
注釈435君なくて塵つもりぬる常夏の露うち払ひいく夜寝ぬらむ源氏の独詠歌。「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花」(古今集、夏、一六七、凡河内躬恒)が引歌として指摘される。「とこ」は「常夏」と「床」の掛詞。2.9.23
注釈436一日の花なるべし語り手の推量。『集成』は「先日、歌につけて大宮にさし上げられた時、手折られた花なのであろう」と注す。2.9.25
注釈437いふかひなきことをば以下「ながらふべからむ」まで、左大臣の詞。2.9.27
注釈438御前なる大宮の御前をいう。2.9.28
注釈439そぞろ寒き夕べのけしきなり『完訳』は「人々の悲嘆が、夕暮の寒々とした情景として捉えられる」と注す。2.9.28
注釈440殿の思しのたまはするやうに以下「御形見にこそ」まで、女房の詞。「殿」は左大臣をさすという説(集成・完訳)と源氏という説がある。源氏は女房たちに「昔を忘れざらむ人はつれづれを忍びても幼き人を見捨てずものしたまへ」と言っていた。2.9.30
注釈441あからさまにまかでて参らむ女房の詞。2.9.31
注釈442院へ桐壷院の仙洞御所をいう。2.9.32
注釈443いといたう面痩せにけり精進にて日を経るけにや院の心中。2.9.33
注釈444中宮の御方に藤壷をいう。2.9.35
注釈445思ひ尽きせぬことどもをほど経るにつけてもいかに藤壷の文。『集成』は「何かと悲しみの尽きぬことですが、時が経つにつけてさぞかし」の意に解すが、『完訳』は「この私も悲しみの尽きぬ思いの数々をかかえておりますが、時がたつにつけてもどれほどにかお寂しく」の意に解す。自分のことを言うので、「思ひ尽きせぬこと」に敬語が無い。2.9.36
注釈446常なき世は以下「今日まても」まで、源氏の詞。2.9.38
注釈447御けしき源氏の藤壷に対する満たされない憂愁をさす。2.9.39
注釈448纓巻きたまへるやつれ姿大将としての正装である。源氏の恋にやつれた姿を「はなやかなる御装ひよりも、なまめかしさまさりたまへり」と評す。2.9.39
注釈449春宮にも久しう参らぬおぼつかなさ源氏の詞、語り手の要約による間接話法。2.9.40
出典17 後れ先立つほどの定めなさ 末の露もとの滴や世の中の後れ先立つためしなるらむ 新古今集哀傷-七五七 僧正遍昭 2.9.10
出典18 旧き枕故き衾、誰と共にか 鴛鴦瓦冷霜花重 旧枕故衾誰与共 白氏文集十二-五九六 長恨歌 2.9.19
出典19 塵つもりぬる常夏 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花 古今集夏-一六七 凡河内躬恒 2.9.23
校訂31 通り 通り--とおる(る/$り<朱>) 2.9.12
校訂32 見え 見え--見(見/+え) 2.9.27
校訂33 若君 若君--我(我/#わか)君 2.9.30
校訂34 おのがじし おのがじし--(/+を)のかしゝ 2.9.31
校訂35 面痩せ 面痩せ--おもひ(ひ/$<朱>)やせ 2.9.33
校訂36 さらぬ さらぬ--さな(な/$<朱>)らぬ 2.9.39
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/9/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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