09 葵(大島本)


AHUHI


光る源氏の二十二歳春から二十三歳正月まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from January at the age of 22 to January at the age of 23

1
第一章 六条御息所の物語 御禊見物の車争いの物語


1  Tale of Lady Rokujo  Aoi and Rokujo contest for the seat to viewing a parade

1.1
第一段 朱雀帝即位後の光る源氏


1-1  New Mikado accedes, Genji feels everything changed

1.1.1   世の中かはりて後、よろづもの憂く思され、御身の やむごとなさも添ふにや、軽々しき御忍び歩きもつつましうて、ここもかしこも、おぼつかなさの嘆きを重ねたまふ、報いにや、 なほ我につれなき人の御心 を、 尽きせずのみ思し嘆く
 御代替わりがあって後、何事につけ億劫にお思いになり、ご身分の高さも加わってか、軽率なお忍び歩きも遠慮されて、あちらでもこちらでも、ご訪問のない嘆きを重ねていらっしゃる、その罰であろうか、相変わらず自分に無情な方のお心を、どこまでもお嘆きになっていらっしゃる。
  Yononaka kahari te noti, yorodu mono-uku obosa re, ohom-mi no yamgotona-sa mo sohu ni ya, karu-garusiki ohom-sinobi-ariki mo tutumasiu te, koko mo kasiko mo, obotukana-sa no nageki wo kasane tamahu, mukuyi ni ya, naho ware ni turenaki hito no mi-kokoro wo, tuki se zu nomi obosi nageku.
1.1.2   今は、ましてひまなう、ただ人のやうにて添ひおはしますを、 今后心やましう思すにや、内裏にのみさぶらひたまへば、 立ち並ぶ人なう心やすげなり。折ふしに従ひては、御遊びなどを好ましう、 世の響くばかりせさせたまひつつ、今の御ありさましもめでたし。ただ、 春宮をぞいと恋しう思ひきこえたまふ。御後見のなきを、うしろめたう思ひきこえて、 大将の君によろづ聞こえつけたまふもかたはらいたきものから、うれしと思す
 今では、以前にも増して、臣下の夫婦のようにお側においであそばすのを、今后は不愉快にお思いなのか、宮中にばかり伺候していらっしゃるので、競争者もなく気楽そうである。折々につけては、管弦の御遊などを興趣深く、世間に評判になるほどに繰り返しお催しあそばして、現在のご生活のほうがかえって結構である。ただ、春宮のことだけをとても恋しく思い申し上げあそばす。ご後見役のいないのを、気がかりにお思い申されて、大将の君に万事ご依頼申し上げるにつけても、気の咎める思いがする一方で、嬉しいとお思いになる。
  Ima ha, masite hima-nau, tadaudo no yau ni te sohi ohasimasu wo, ima-Gisaki ha kokoro-yamasiu obosu ni ya, uti ni nomi saburahi tamahe ba, tati-narabu hito nau kokoro-yasu-ge nari. Wori-husi ni sitagahi te ha, ohom-asobi nado wo konomasiu, yo no hibiku bakari se sase tamahi tutu, ima no ohom-arisama si mo medetasi. Tada, Touguu wo zo ito kohisiu omohi kikoye tamahu. Ohom-usiromi no naki wo, usiro-metau omohi kikoye te, Daisyau-no-Kimi ni yorodu kikoye tuke tamahu mo, kataharaitaki monokara, uresi to obosu.
1.1.3   まことや、かの 六条御息所の御腹の 前坊の姫君斎宮にゐたまひにしかば、 大将の御心ばへもいと頼もしげなきを、「 幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし」と、かねてより思しけり。
 それはそうと、あの六条御息所のご息女の前坊の姫宮、斎宮にお決まりになったので、大将のご愛情もまことに頼りないので、「幼いありさまに託つけて下ろうかしら」と、前々からお考えになっているのだった。
  Makoto ya, kano Rokudeu-no-Miyasumdokoro no ohom-hara no Zenbau no Hime-Gimi, Saiguu ni wi tamahi ni sika ba, Daisyau no mi-kokoro-bahe mo ito tanomosi-ge naki wo, "Wosanaki ohom-arisama no usirometasa ni kototuke te kudari ya si na masi." to, kanete yori obosi keri.
1.1.4  院にも、 かかることなむと、聞こし召して、
 院におかれても、このような事情があると、お耳にあそばして、
  Win ni mo, kakaru koto nam to, kikosimesi te,
1.1.5  「 故宮のいとやむごとなく思し、時めかしたまひしものを、軽々しうおしなべたるさまに もてなすなるが、いとほしきこと。斎宮をも、この御子たちの列になむ思へば、いづかたにつけても、おろかならざらむこそよからめ。心のすさびにまかせて、かく好色わざするは、いと世のもどき負ひぬべきことなり」
 「故宮がたいそう重々しくお思いおかれ、ご寵愛なさったのに、軽々しく並の女性と同じように扱っているそうなのが、気の毒なこと。斎宮をも、わが皇女たちと同じように思っているのだから、どちらからいっても疎略にしないのがよかろう。気まぐれにまかせて、このような浮気をするのは、まことに世間の非難を受けるにちがいない事である」
  "Ko-Miya no ito yamgotonaku obosi, toki-mekasi tamahi si mono wo, karu-garusiu osinabe taru sama ni motenasu naru ga, itohosiki koto. Saiguu wo mo, kono miko-tati no tura ni nam omohe ba, idukata ni tuke te mo, oroka nara zara m koso yokara me. Kokoro no susabi ni makase te, kaku suki-waza suru ha, ito yo no modoki ohi nu beki koto nari."
1.1.6  など、御けしき悪しければ、わが御心地にも、 げにと思ひ知らるれば、かしこまりてさぶらひたまふ。
 などと、御機嫌悪いので、ご自分でも、仰せのとおりだと思わずにはいられないので、恐縮して控えていらっしゃる。
  nado, mi-kesiki asikere ba, waga mi-kokoti ni mo, geni to omohi-sira rure ba, kasikomari te saburahi tamahu.
1.1.7  「 人のため、恥ぢがましきことなく、いづれをもなだらかにもてなして、女の怨みな負ひそ」
 「相手にとって、恥となるようなことはせず、どの夫人をも波風が立たないように処遇して、女の恨みを受けてはならぬぞ」
  "Hito no tame, hadi-gamasiki koto naku, idure wo mo nadaraka ni motenasi te, womna no urami na ohi so!"
1.1.8  とのたまはするにも、「 けしからぬ心のおほけなさを聞こし召しつけたらむ時」と、恐ろしければ、かしこまりてまかでたまひぬ。
 と仰せになるにつけても、「不届きな大それた不埒さをお聞きつけあそばした時には」と恐ろしいので、恐縮して退出なさった。
  to notamahasuru ni mo, "Kesikara nu kokoro no ohokenasa wo kikosimesi-tuke tara m toki." to, osorosikere ba, kasikomari te makade tamahi nu.
1.1.9  また、かく院にも聞こし召し、のたまはするに、人の御名も、わがためも、好色がましういとほしきに、いとどやむごとなく、 心苦しき筋には思ひきこえたまへど、まだ 表はれては、わざともてなしきこえたまはず
 また一方、このように院におかれてもお耳に入れられ、御訓戒あそばされるのにつけ、相手のご名誉のためにも、自分にとっても、好色がましく困ったことであるので、以前にも増して大切に思い、気の毒にお思い申し上げていられるが、まだ表面立っては、特別にお扱い申し上げなさらない。
  Mata, kaku Win ni mo kikosimesi, notamahasuru ni, hito no ohom-na mo, waga tame mo, suki-gamasiu itohosiki ni, itodo yamgotonaku, kokoro-gurusiki sudi ni ha omohi kikoye tamahe do, mada arahare te ha, wazato motenasi kikoye tamaha zu.
1.1.10  女も、 似げなき御年のほどを恥づかしう思して、心とけたまはぬけしきなれば、それにつつみたるさまにもてなして、 院に聞こし召し入れ、世の中の人も知らぬなくなりにたるを、深うしもあらぬ御心のほどを、いみじう思し嘆きけり。
 女も、不釣り合いなお年のほどを恥ずかしくお思いになって、気をお許しにならない様子なので、それに遠慮しているような態度をとって、院のお耳にお入りあそばし、世間の人も知らない者がいなくなってしまったのを、深くもないご愛情のほどを、ひどくお嘆きになるのだった。
  Womna mo, nigenaki ohom-tosi no hodo wo hadukasiu obosi te, kokoro toke tamaha nu kesiki nare ba, sore ni tutumi taru sama ni motenasi te, Win ni kikosimesi-ire, yononaka no hito mo sira nu naku nari ni taru wo, hukau si mo ara nu mi-kokoro no hodo wo, imiziu obosi nageki keri.
1.1.11   かかることを聞きたまふにも、 朝顔の姫君は、「 いかで、人に似じ」と深う思せば、はかなきさまなりし御返りなども、をさをさなし。さりとて、人憎く、はしたなくはもてなしたまはぬ御けしきを、君も、「 なほことなり」と思しわたる。
 このようなことをお聞きになるにつけても、朝顔の姫君は、「何としても、人の二の舞は演じまい」と固く決心なさっているので、ちょっとしたお返事なども、ほとんどない。そうかといって、憎らしく体裁悪い思いをさせなさらないご様子を、君も、「やはり格別である」と思い続けていらっしゃる。
  Kakaru koto wo kiki tamahu ni mo, Asagaho-no-Himegimi ha, "Ikade, hito ni ni zi." to hukau obose ba, hakanaki sama nari si ohom-kaheri nado mo, wosa-wosa nasi. Saritote, hito nikuku, hasitanaku ha motenasi tamaha nu mi-kesiki wo, Kimi mo, "Naho koto nari." to obosi wataru.
1.1.12   大殿には、かくのみ定めなき御心を、 心づきなしと思せど、あまりつつまぬ御けしきの、 いふかひなければにやあらむ、深うも怨じきこえたまはず。 心苦しきさまの御心地に悩みたまひて、もの心細げに思いたり。 めづらしくあはれと思ひきこえたまふ。 誰れも誰れもうれしきものから、ゆゆしう思して、さまざまの御つつしみせさせたてまつりたまふ。かやうなるほどに、いとど御心のいとまなくて、 思しおこたるとはなけれど、とだえ多かるべし。
 大殿では、このようにばかり当てにならないお心を、気にくわないとお思いになるが、あまり大っぴらなご態度が、言っても始まらないと思ってであろうか、深くもお恨み申し上げることはなさらない。苦しい気分に悩みなさって、何となく心細く思っていらっしゃる。珍しく愛しくお思い申し上げになる。どなたもどなたも嬉しいことと思う一方で、不吉にもお思いになって、さまざまな御物忌みをおさせ申し上げなさる。このような時、ますますお心の余裕がなくなって、お忘れになるというのではないが、自然とご無沙汰が多いにちがいないであろう。
  Ohoi-dono ni ha, kaku nomi sadame naki mi-kokoro wo, kokoro-duki-nasi to obose do, amari tutuma nu mi-kesiki no, ihukahinakere ba ni ya ara m, hukau mo wen-zi kikoye tamaha zu. Kokoro-gurusiki sama no mi-kokoti ni nayami tamahi te, mono-kokoro-bosoge ni oboi tari. Medurasiku ahare to omohi kikoye tamahu. Tare mo tare mo uresiki mono kara, yuyusiu obosi te, sama-zama no ohom-tutusimi se sase tatematuri tamahu. Kayau naru hodo ni, itodo mi-kokoro no itoma naku te, obosi okotaru to ha nakere do, todaye ohokaru besi.
注釈1世の中かはりて後御代替わりがあってから後の意。この巻は「花宴」巻から二年後、源氏大将の物語が語られる。源氏二十二歳。その間に、「紅葉賀」巻に予告された御譲位が行われ、新帝に源氏の兄、朱雀院が即位。右大臣家一派が権力を持った時代となる。まずは政治状況の変化を語る。1.1.1
注釈2やむごとなさも添ふにや「花宴」巻の宰相の中将から大将に昇進。なお書陵部本は「そひ給へは」とある。河内本が「そひ給へは」、また別本の御物本は「そひたまえは」、陽明文庫本は「そひ給ては」とあり、いずれも「給ふ」(尊敬の補助動詞)がある。書陵部本は河内本または別本によったものであろう。1.1.1
注釈3なほ我につれなき人の御心藤壷をさす。『奥入』は「我を思ふ人を思はぬむくいにやわが思ふ人の我を思はぬ」(古今集、雑体、一〇四一、読人しらず)を指摘。1.1.1
注釈4尽きせずのみ思し嘆く主語は源氏。1.1.1
注釈5今はましてひまなうただ人のやうに主語は藤壷。桐壷帝の御譲位後は、以前にもましていつもぴたりと臣下の夫婦のように桐壷院のお側にいられるの意。1.1.2
注釈6今后新帝の御即位によって皇太后になった弘徽殿の女御。新しく后になったというニュアンスがある。1.1.2
注釈7心やましう思すにや語り手の挿入句。弘徽殿女御の心中を推測。1.1.2
注釈8立ち並ぶ人なう心やすげなり藤壷をいう。1.1.2
注釈9世の響くばかりせさせたまひつつ主語は桐壷院。「つつ」は同じ動作の繰り返しを表す。たびたびお催しあそばすの意。1.1.2
注釈10春宮桐壷院の第十皇子、実は源氏と藤壷の御子。1.1.2
注釈11大将の君によろづ聞こえつけたまふも主語は桐壷院。「大将の君」は源氏をさす。初めて大将の位の昇進したことが紹介される。桐壷院は東宮の後見に源氏を付ける。1.1.2
注釈12かたはらいたきものからうれしと思す主語は源氏。気が咎めるとともにうれしくも思う複雑な気持ち。1.1.2
注釈13まことやかの『弄花抄』は「記者の詞也」と指摘。『孟津抄』は「紫式部か聞及たるやうに書也草子地也」と指摘。『集成』は「ああ、そうそう。物語の中で別の話題に移る時に用いる言葉」と注す。以下、六条御息所の物語。1.1.3
注釈14六条御息所「夕顔」巻に「六条わたりの御忍びありきのころ」、「若紫」巻に「おはする所は六条京極わたりにて」、「末摘花」巻に「六条わたりにだに離れまさり給ふめれば」とあった人。「御息所」という呼称から、天皇や皇太子の妃で、皇子や皇女を生んだ方という意が籠められる。1.1.3
注釈15前坊の姫君前皇太子。桐壷院の弟。立坊後、まもなく亡くなった。その姫宮。大島本以外の青表紙本諸本「ひめ君」とある。『集成』『完訳』共に「姫宮」と訂正する。1.1.3
注釈16斎宮にゐたまひにし斎宮は伊勢へ下向するまでに三年の潔斎が必要なので、「花宴」巻から「葵」巻の間に、二年の空白が存在する。1.1.3
注釈17大将の御心ばへもいと頼もしげなきを六条御息所の心情にそった立場からの語り。1.1.3
注釈18幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし六条御息所の心と地の文とが一体化した表現だが、「下りやしなまし」は、はっきりとした御息所の心。1.1.3
注釈19かかることなむとこのようなことの意。語り手が話しの内容を要約した間接話法。1.1.4
注釈20故宮の以下「世のもどき負ひぬべきことなり」まで、桐壷院の諌めの詞。1.1.5
注釈21もてなすなるが「なる」(伝聞推定の助動詞)、桐壷院が仄聞しているニュアンス。1.1.5
注釈22げに源氏の心。なるほど仰せのとおりだの意。1.1.6
注釈23人のため以下「女の怨みな負ひそ」まで、桐壷院の御訓戒。1.1.7
注釈24けしからぬ心のおほけなさを聞こし召しつけたらむ時源氏の心中。藤壷との件をさす。1.1.8
注釈25心苦しき筋『集成』は「申しわけないこと」と解し、『完訳』は「おいたわしいこと」と解す。1.1.9
注釈26表はれてはわざともてなしきこえたまはず『集成』は「表立っては、正妻としてのお扱いをしてお上げにならない」の意に解し、『完訳』は「公然と正式な結婚の形に」と注す。1.1.9
注釈27似げなき御年のほど「賢木」巻に六条御息所は三十歳とあり、その時、源氏は二十三歳。七歳年上である。現在、源氏二十二、御息所二十九。1.1.10
注釈28院に横山本と肖柏本は「ゐんにも」とある。『完訳』は「以下「なりにたる」まで挿入句」と注す。1.1.10
注釈29かかることを以下、朝顔姫君の物語を挿入し、葵の上懐妊を語る。1.1.11
注釈30朝顔の姫君「帚木」巻に登場。源氏が朝顔に和歌を結んで贈った女性。桃園式部卿宮の姫君。1.1.11
注釈31いかで人に似じ朝顔の姫君の心。1.1.11
注釈32なほことなり源氏の感想。『集成』は「やはり人とは違っている」の意に、『完訳』は「なびかぬ姫君にかえって執心」と注す。1.1.11
注釈33大殿左大臣邸。なお、大島本は「おほ殿」とある。池田本と肖柏本は「い」を補入する。1.1.12
注釈34心づきなし葵の上の心。1.1.12
注釈35いふかひなければにやあらむ語り手の推測を交えた挿入句。1.1.12
注釈36心苦しきさまの御心地に悩みたまひて懐妊による悪阻の苦しみをさす。1.1.12
注釈37めづらしくあはれ源氏の心。『完訳』は「結婚九年目にはじめて葵の上が懐妊したことへの感動。これにより、葵の上に対する愛着が喚起」と注す。1.1.12
注釈38誰れも誰れもうれしきものから左大臣家の人々をさす。横山本は「たれたれもうれしきものから」、肖柏本は「たれも〔も−補入〕たれもうれしき物から」、三条西家本は「うれしきものからたれもたれも」とある。肖柏本は横山本系統の本文を書本としている。1.1.12
注釈39思しおこたるとはなけれど六条御息所を。1.1.12
出典1 我につれなき人の 我を思ふ人を思はぬ報いにや我が思ふ人の我を思はぬ 古今集雑体-一〇四一 読人しらず 1.1.1
1.2
第二段 新斎院御禊の見物


1-2  Viewing a parade, Aoi and Rokujo contest for the seat

1.2.1   そのころ、斎院も下りゐたまひて后腹の女三宮ゐたまひぬ 帝、后と、ことに思ひきこえたまへる宮なれば、 筋ことになりたまふを、いと苦しう思したれど、 こと宮たちのさるべきおはせず。儀式など、常の 神わざなれど、いかめしうののしる。 祭のほど、限りある公事に添ふこと多く、見所こよなし。人がらと見えたり。
 そのころ、斎院も退下なさって、皇太后腹の女三の宮がおなりになった。帝、大后と、特にお思い申し上げていらっしゃる宮なので、神にお仕えする身におなりになるのを、まことに辛くおぼし召されたが、他の姫宮たちで適当な方がいらっしゃらない。儀式など、規定の神事であるが、盛大な騷ぎである。祭の時は、規定のある公事に付け加えることが多くあり、この上ない見物である。お人柄によると思われた。
  Sonokoro, Saiwin mo ori-wi tamahi te, Kisaki-bara no Womna-Sam-no-Miya wi tamahi nu. Mikado, Kisaki to, koto ni omohi kikoye tamahe ru Miya nare ba, sudi koto ni nari tamahu wo, ito kurusiu obosi tare do, koto-miya tati no saru beki ohase zu. Gisiki nado, tune no kam-waza nare do, ikamesiu nonosiru. Maturi no hodo, kagiri aru ohoyake-goto ni sohu koto ohoku, mi-dokoro koyonasi. Hitogara to miye tari.
1.2.2   御禊の日上達部など、数定まりて仕うまつりたまふわざなれど、おぼえことに、容貌ある限り、下襲の色、表の袴の紋、馬鞍までみな調へたり。とりわきたる宣旨にて、 大将の君も仕うまつりたまふ。かねてより、物見車心づかひしけり。
 御禊の日、上達部など、規定の人数で供奉なさることになっているが、声望が格別で、美しい人ばかりが、下襲の色、表袴の紋様、馬の鞍のまですべて揃いの支度であった。特別の宣旨が下って、大将の君も供奉なさる。かねてから、見物のための車が心待ちしているのであった。
  Go-kei no hi, Kamdatime nado, kazu sadamari te tukau-maturi tamahu waza nare do, oboye koto ni, katati aru kagiri, sita-gasane no iro, uhe-no-hakama no mon, muma kura made mina totonohe tari. Tori-waki taru senzi nite, Daisyau-no-Kimi mo tukau maturi tamahu. Kanete yori, monomi-guruma kokoro-dukahi si keri.
1.2.3  一条の大路、所なく、むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々にし尽くしたるしつらひ、人の袖口さへ、いみじき見物なり。
 一条大路は、隙間なく、恐ろしいくらいざわめいている。ほうぼうのお桟敷に、思い思いに趣向を凝らした設定、女性の袖口までが、大変な見物である。
  Itideu-no-ohodi, tokoro-naku, mukutukeki made sawagi tari. Tokoro-dokoro no ohom-saziki, kokoro-gokoro ni si-tukusi taru siturahi, hito no sode-guti sahe imiziki mi-mono nari.
1.2.4  大殿には、かやうの御歩きもをさをさしたまはぬに、御心地さへ悩ましければ、思しかけざりけるを、若き人びと、
 大殿におかれては、このようなご外出をめったになさらない上に、ご気分までが悪いので、考えもしなかったが、若い女房たちが、
  Ohoi-dono ni ha, kayau no ohom-ariki mo wosa-wosa si tamaha nu ni, mi-kokoti sahe nayamasi kere ba, obosi-kake zari keru wo, wakaki hito-bito,
1.2.5  「 いでや。おのがどちひき忍びて見はべらむこそ、栄なかるべけれ。 おほよそ人だに、今日の物見には、 大将殿をこそは、あやしき山賤さへ見たてまつらむとすなれ。遠き国々より、妻子を引き具しつつも参うで来なるを。御覧ぜぬは、いとあまりもはべるかな」
 「さあ、どんなものでしょうか。わたくしどもだけでこっそり見物するのでは、ぱあっとしないでしょう。関係のない人でさえ、今日の見物には、まず大将殿をと、賎しい田舎者までが拝見しようと言うことですよ。遠い国々から、妻子を引き連れ引き連れして上京して来ると言いますのに。御覧にならないのは、あまりなことでございますわ」
  "Ide ya! Onoga-doti hiki-sinobi te mi habera m koso, haye nakaru bekere! Ohoyoso-bito dani, kehu no mono-mi ni ha, Daisyau-dono wo koso ha, ayasiki yamagatu sahe mi tatematura m to su nare. Tohoki kuni-guni yori, me-ko wo hiki-gusi tutu mo maude ku naru wo. Go-ran-ze nu ha, ito amari mo haberu kana!"
1.2.6  と言ふを、大宮聞こしめして、
 と言うのを、大宮もお聞きあそばして、
  to ihu wo, Oho-Miya kikosimesi te,
1.2.7  「 御心地もよろしき隙なり。さぶらふ人びともさうざうしげなめり」
 「ご気分も少しよろしい折です。お仕えしている女房たちもつまらなそうです」
  "Mi-kokoti mo yorosiki hima nari. Saburahu hito-bito mo sau-zausi-ge na' meri."
1.2.8  とて、にはかにめぐらし仰せたまひて、見たまふ。
 と言って、急にお触れを廻しなさって、ご見物なさる。
  tote, nihaka ni megurasi ohose tamahi te, mi tamahu.
1.2.9   日たけゆきて儀式もわざとならぬさまにて出でたまへり。隙もなう立ちわたりたるに、 よそほしう引き続きて立ちわづらふよき女房車多くて、 雑々の人なき隙を思ひ定めて、皆さし退けさするなかに、 網代のすこしなれたるが、下簾のさまなどよしばめるに、いたう引き入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫など、ものの色、いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車、二つあり。
 日が高くなってから、お支度も特別なふうでなくお出かけになった。隙間もなく立ち混んでいる所に、物々しく引き連ねて場所を探しあぐねる。身分の高い女車が多いので、下々の者のいない隙間を見つけて、みな退けさせた中に、網代車で少し使い馴れたのが、下簾の様子などが趣味がよいうえに、とても奥深く乗って、わずかに見える袖口、裳の裾、汗衫などの衣装の色合、とても美しくて、わざと質素にしている様子がはっきりと分かる車が、二台ある。
  Hi take yuki te, gisiki mo wazato nara nu sama ni te ide tamahe ri. Hima mo nau tati watari taru ni, yosohosiu hiki-tuduki te tati wadurahu. Yoki nyoubau-guruma ohoku te, zahu-zahu no hito naki hima wo omohi sadame te, mina sasi-noke sasuru naka ni, anziro no sukosi nare taru ga, sita-sudare no sama nado yosi-bame ru ni, itau hiki-iri te, honoka naru sode-guti, mo no suso, kazami nado, mono no iro, ito kiyora ni te, kotosara ni yature taru kehahi siruku miyuru kuruma, huta-tu ari.
1.2.10  「 これは、さらに、さやうにさし退けなどすべき御車にもあらず
 「この車は、決して、そのように押し退けたりしてよいお車ではありませぬ」
  "Kore ha, sarani, sayau ni sasi-noke nado subeki mi-kuruma ni mo ara zu."
1.2.11  と、口ごはくて、手触れさせず。 いづかたにも、若き者ども酔ひ過ぎ、立ち騒ぎたるほどのことは、えしたためあへず。おとなおとなしき御前の人びとは、「かくな」など言へど、えとどめあへず。
 と、言い張って、手を触れさせない。どちらの側も、若い供人同士が酔い過ぎて、争っている事なので、制止することができない。年輩のご前駆の人々は、「そんなことするな」などと言うが、とても制止することができない。
  to, kuti-gohaku te, te hure sase zu. Idu-kata ni mo, wakaki mono-domo wehi-sugi, tati-sawagi taru hodo no koto ha, e sitatame ahe zu. Otona-otonasiki go-zen no hito-bito ha, "Kaku na!" nado ihe do, e todome-ahe zu.
1.2.12  斎宮の御母御息所、 もの思し乱るる慰めにもやと、 忍びて出でたまへるなりけり。つれなしつくれど、おのづから見知りぬ。
 斎宮の御母御息所が、何かと悩んでいられる気晴らしにもなろうかと、こっそりとお出かけになっているのであった。何気ないふうを装っているが、自然と分かった。
  Saiguu no ohom-haha Miyasumdokoro, mono-obosi midaruru nagusame ni mo ya to, sinobi te ide tamahe ru nari keri. Turenasi tukure do, onodukara mi siri nu.
1.2.13  「 さばかりにては、さな言はせそ
 「それくらいの者に、そのような口はきかせぬぞ」
  "Sabakari ni te ha, sa na iha se so."
1.2.14  「 大将殿をぞ、豪家には思ひきこゆらむ
 「大将殿を、笠に着ているつもりなのだろう」
  "Daisyau-dono wo zo, gauke ni ha omohi kikoyu ram."
1.2.15  など言ふを、 その御方の人も混じればいとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、 知らず顔をつくる
 などと言うのを、その方の供人も混じっているので、気の毒にとは思いながら、仲裁するのも面倒なので、知らない顔をする。
  nado ihu wo, sono ohom-kata no hito mo mazire ba, itohosi to mi nagara, youi se m mo wadurahasikere ba, sira-zu-gaho wo tukuru.
1.2.16  つひに、御車ども立て続けつれば、ひとだまひの奥におしやられて、物も見えず。 心やましきをばさるものにてかかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと、限りなし。榻などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人悪ろく、くやしう、「 何に、来つらむ」と思ふにかひなし。 物も見で帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに、
 とうとう、お車を立ち並べてしまったので、副車の奥の方に押しやられて、何も見えない。悔しい気持ちはもとより、このような忍び姿を自分と知られてしまったのが、ひどく悔しいこと、この上ない。榻などもみなへし折られて、場違いな車の轂に掛けたので、またとなく体裁が悪く悔しく、「いったい何しに、来たのだろう」と思ってもどうすることもできない。見物を止めて帰ろうとなさるが、抜け出る隙間もないでいるところに、
  Tuhini, mi-kuruma-domo tate-tuduke ture ba, hitodamahi no oku ni osi-yara re te, mono mo miye zu. Kokoro-yamasiki wo ba saru mono nite, kakaru yature wo sore to sira renuru ga, imiziu netaki koto, kagiri nasi. Sidi nado mo mina osi-wora re te, suzuro naru kuruma no dou ni uti-kake tare ba, mata nau hito-waroku kuyasiu, "Nani ni, ki tura m" to omohu ni kahi nasi. Mono mo mi de kahera m to si tamahe do, tohori-ide m mo hima naki ni,
1.2.17  「 事なりぬ
 「行列が来た」
  "Koto nari nu."
1.2.18  と言へば、 さすがに、つらき人の 御前渡りの待たるるも、 心弱しや。「 笹の隈」にだにあらねばにや 、つれなく過ぎたまふにつけても、 なかなか御心づくしなり
 と言うので、そうは言っても、恨めしい方のお通り過ぎが自然と待たれるというのも、意志の弱いことよ。「笹の隈」でもないからか、そっけなくお通り過ぎになるにつけても、かえって物思いの限りを尽くされる。
  to ihe ba, sasuga ni, turaki hito no o-mahe-watari no mata ruru mo, kokoro-yowasi ya! Sasano kuma ni dani ara ne ba ni ya, turenaku sugi tamahu ni tuke te mo, naka-naka mi-kokoro-dukusi nari.
1.2.19   げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり。大殿のは、しるければ、まめだちて渡りたまふ。御供の人びとうちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。
 なるほど、いつもより趣向を凝らした幾台もの車が、自分こそはと競って見せている出衣の下簾の隙間隙間も、何くわぬ顔だが、ほほ笑みながら流し目に目をお止めになる者もいる。大殿の車は、それとはっきり分かるので、真面目な顔をしてお通りになる。お供の人々がうやうやしく、敬意を表しながら通るのを、すっかり無視されてしまった有様、この上なく堪らなくお思いになる。
  Geni, tune yori mo konomi totonohe taru kuruma-domo no, ware mo ware mo to nori kobore taru sita-sudare no sukima-domo mo, sara-nu kaho nare do, hoho-wemi tutu sirime ni todome tamahu mo ari. Ohoi-dono no ha, sirukere ba, mame-dati te watari tamahu. Ohom-tomo no hito-bito uti-kasikomari, kokoro-bahe ari tutu wataru wo, osi-keta re taru arisama, koyonau obosa ru.
1.2.20  「 影をのみ御手洗川のつれなきに
 「今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで
    "Kage wo nomi mi-tarasi-gaha no turenaki ni
1.2.21   身の憂きほどぞ いとど知らるる
  そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる
    mi no uki hodo zo itodo sira ruru
1.2.22  と、涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま、容貌の、「 いとどしう出でばえを見ざらましかば」と思さる。
 と、思わず涙のこぼれるのを、女房の見る目も体裁が悪いが、目映いばかりのご様子、容貌が、「一層の晴れの場でのお姿を見なかったら」とお思いになる。
  to, namida no koboruru wo, hito no miru mo hasitanakere do, me mo aya naru ohom-sama, katati no, "Itodosiu ide-baye wo mi zara masika ba." to obosa ru.
1.2.23  ほどほどにつけて、装束、人のありさま、いみじくととのへたりと見ゆるなかにも、上達部はいとことなるを、一所の御光にはおし消たれためり。 大将の御仮の随身に、殿上の将監などのすることは常のことにもあらず、めづらしき行幸などの折のわざなるを、今日は右近の蔵人の将監仕うまつれり。 さらぬ御随身どもも、容貌、姿、まばゆくととのへて、世にもてかしづかれたまへるさま、木草もなびかぬはあるまじげなり。
 身分に応じて、装束、供人の様子、たいそう立派に整えていると見える中でも、上達部はまことに格別であるが、お一方のご立派さには圧倒されたようである。大将の臨時の随身に、殿上人の将監などが務めることは通例ではなく、特別の行幸などの折にあるのだが、今日は右近の蔵人の将監が供奉申している。それ以外の御随身どもも、容貌、姿、眩しいくらいに整えて、世間から大切にされていらっしゃる様子、木や草も靡かないものはないほどである。
  Hodo-hodo ni tuke te, syauzoku, hito no arisama, imiziku totonohe tari to miyuru naka ni mo, Kamdatime ha ito koto naru wo, hito-tokoro no ohom-hikari ni ha osi-keta re ta'meri. Daisyau no ohom-kari no zuizin ni, Tenzyau-no-Zyou nado no suru koto ha tune no koto ni mo ara zu, medurasiki gyaugau nado no wori no waza naru wo, kehu ha Ukon-no-Kuraudo-no-Zyou tukau mature ri. Sara nu mi-zuizin-domo mo, katati, sugata, mabayuku totonohe te, yo ni motenasi kasidukare tamahe ru sama, ki kusa mo nabika nu ha aru mazi-ge nari.
1.2.24  壷装束などいふ姿にて、女房の卑しからぬや、また尼などの世を背きけるなども、 倒れまどひつつ、物見に出でたるも、例は、「 あながちなりや、あなにく」と見ゆるに、 今日はことわりに、口うちすげみて、髪着こめたるあやしの者どもの、手をつくりて、額にあてつつ見たてまつりあげたるも。 をこがましげなる賤の男まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑みさかえたり。何とも見入れたまふまじき、えせ受領の娘などさへ、心の限り尽くしたる車どもに乗り、さまことさらび心げさうしたるなむ、をかしきやうやうの見物なりける。
 壷装束などという姿をして、女房で賎しくない者や、また尼などの世を捨てた者なども、倒れたりふらついたりしながら見物に出て来ているのも、いつもなら、「よせばいいのに、ああみっともない」と思われるのに、今日は無理もないことで、口もとがすぼんで、髪を着込んだ下女どもが、手を合わせて、額に当てながら拝み申し上げているのも。馬鹿面した下男までが、自分の顔がどんな顔になっているのかも考えずに嬉色満面でいる。まったくお目を止めになることもないつまらない受領の娘などまでが、精一杯飾り立てた車に乗り、わざとらしく気取っているのが、おもしろいさまざまな見物であった。
  Tubo-syauzoku nado ihu sugata ni te, nyoubau no iyasikara nu ya, mata ama nado no yo wo somuki keru nado mo, tahure madohi tutu, mono-mi ni ide taru mo, rei ha, "Anagati nari ya, ana niku." to miyuru ni, kehu ha kotowari ni, kuti uti-sugemi te, kami ki-kome taru ayasi no mono-domo no, te wo tukuri te, hitahi ni ate tutu mi tatematuri age taru mo. Woko-gamasi-ge naru sidunowo made, onoga kaho no nara m sama wo ba sira de wemi sakaye tari. Nani to mo mi-ire tamahu maziki, ese-zuryau no musume nado sahe, kokoro no kagiri tukusi taru kuruma-domo ni nori, sama kotosarabi kokoro-gesau si taru nam, wokasiki yau-yau no mi-mono nari keru.
1.2.25  まして、ここかしこにうち忍びて通ひたまふ所々は、人知れずのみ数ならぬ嘆きまさるも、 多かり
 まして、あちらこちらのお忍びでお通いになる方々は、人数にも入らない嘆きを募らせる方も多かった。
  Masite, koko-kasiko ni uti-sinobi te kayohi tamahu tokoro-dokoro ha, hito-sire-zu nomi kazu nara nu nageki masaru mo, ohokari.
1.2.26   式部卿の宮、桟敷にてぞ見たまひける。
 式部卿の宮は、桟敷で御覧になった。
  Sikibukyau-no-Miya, saziki nite zo mi tamahi keru.
1.2.27  「 いとまばゆきまで ねびゆく人の容貌かな。神などは目もこそ とめたまへ
 「まこと眩しいほどにお美しくなって行かれるご器量よ。神などは魅入られるやも」
  "Ito mabayuki made nebi yuku hito no katati kana! Kami nado ha me mo koso tome tamahe."
1.2.28  と、ゆゆしく思したり。 姫君は、年ごろ 聞こえわたりたまふ御心ばへの世の人に似ぬを、
 と、不吉にお思いになっていた。姫君は、数年来お手紙をお寄せ申していらっしゃるお気持ちが世間の男性とは違っているのを、
  to, yuyusiku obosi tari. Hime-Gimi ha, tosi-goro kikoye watari tamahu mi-kokoro-bahe no yo no hito ni ni nu wo,
1.2.29  「 なのめならむにてだにあり。まして、 かうしも、いかで
 「並の男でさえこれだけ深い愛情をお持ちならば。ましてや、こんなにも、どうして」
  "Nanome nara m ni te dani ari. Masite, kau si mo, ikade."
1.2.30  と御心とまりけり。いとど近くて見えむまでは思しよらず。若き人びとは、聞きにくきまでめできこえあへり。
 と、お心が惹かれた。それ以上近づいてお逢いなさろうとまではお考えにならない。若い女房たちは、聞き苦しいまでにお褒め申し上げていた。
  to mi-kokoro tomari keri. Itodo tikaku te miye m made ha obosi yora zu. Wakaki hito-bito ha, kiki-nikuki made mede kikoye aheri.
1.2.31   祭の日は、大殿にはもの見たまはず。 大将の君、かの御車の所争ひを、 まねび聞こゆる人ありければ、「 いといとほしう憂し」と思して、
 祭の日は、大殿におかれてはご見物なさらない。大将の君、あのお車の場所争いをそっくりご報告する者があったので、「とても気の毒に情けない」とお思いになって、
  Maturi no hi ha, Ohoi-dono ni ha mono mi tamaha zu. Daisyau-no-Kimi, kano mi-kuruma no tokoro-arasohi wo, manebi kikoyuru hito ari kere ba, "Ito itohosiu usi" to obosi te,
1.2.32  「 なほ、あたら重りかにおはする人の、ものに情けおくれ、すくすくしきところつきたまへるあまりに、 みづからはさしも思さざりけめども、 かかる仲らひは情け交はすべきものとも思いたらぬ 御おきてに従ひて、 次々よからぬ人のせさせたるならむかし。御息所は、心ばせの いと恥づかしく、よしありておはするものを、いかに思し憂じにけむ」
 「やはり、惜しいことに重々しい方でいらっしゃる人が、何事にも情愛に欠けて、無愛想なところがおありになるあまり、ご自身はさほどお思いにならなかったようだが、このような妻妾の間柄では情愛を交わしあうべきだともお思いでないお考え方に従って、引き継いで下々の者が争いをさせたのであろう。御息所は、気立てがとてもこちらが気が引けるほど奥ゆかしく、上品でいらっしゃるのに、どんなに嫌な思いをされたことだろう」
  "Naho, atara omorika ni ohasuru hito no, mono ni nasake okure, suku-sukusiki tokoro tuki tamahe ru amari ni, midukara ha sa si mo obosa zari keme domo, kakaru nakarahi ha nasake kahasu beki mono to mo oboi tara nu ohom-okite ni sitagahi te, tugi-tugi yokara nu hito no se sase taru nara m kasi. Miyasumdokoro ha, kokoro-base no ito hadukasiku, yosi ari te ohasuru mono wo, ikani obosi-um-zi ni kem."
1.2.33  と、いとほしくて、参うでたまへりけれど、 斎宮のまだ本の宮におはしませば、榊の憚りにことつけて、心やすくも対面したまはず。ことわりとは思しながら、「 なぞや、かくかたみにそばそばしからでおはせかし」と、うちつぶやかれたまふ。
 と、気の毒に思って、お見舞いに参上なさったが、斎宮がまだ元の御殿にいらっしゃるので、神事の憚りを口実にして、気安くお会いなさらない。もっともなことだとはお思いになるが、「どうして、こんなにお互いによそよそしくなさらずいらっしゃればよいものを」と、ついご不満が呟かれる。
  to, itohosiku te, maude tamahe ri kere do, Saiguu no mada moto no miya ni ohasimase ba, sakaki no habakari ni kototuke te, kokoro-yasuku mo taimen si tamaha zu. Kotowari to ha obosi nagara, "Nazo ya, kaku katami ni soba-sobasikara de ohase kasi." to, uti-tubuyaka re tamahu.
注釈40そのころ斎院も下りゐたまひて系図不詳の人。桐壷帝譲位によって斎院を退下。1.2.1
注釈41后腹の女三宮ゐたまひぬ弘徽殿大后腹の女三宮。「花宴」巻に女一宮とともに紹介された人。1.2.1
注釈42帝后桐壷院と弘徽殿大后をさす。上皇をも「帝」と呼称する。「きさき」を榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本では「后」と表記する。1.2.1
注釈43筋ことに神に仕える身をいう。1.2.1
注釈44こと宮たちの--神わざなれど横山本と榊原家本はナシ。両本の同系統であることを示す例である。1.2.1
注釈45祭のほど賀茂祭。四月中の酉の日に行われる。1.2.1
注釈46御禊の日斎院の二度目の御禊。祭に先立ち賀茂川で御禊を行い、祭の当日は上下両社に参拝し、以後紫野の斎院に入る。1.2.2
注釈47上達部など数定まりて二度目の御禊は、大納言一名、中納言一名、参議二名の計四名が供奉する(延喜式)。1.2.2
注釈48大将の君源氏。源氏はこの時、参議兼大将である。参議の一人として供奉する。1.2.2
注釈49いでやおのがどち以下「いとあまりもhべるかな」まで、女房の詞。1.2.5
注釈50おほよそ人関係のない人。源氏とは無関係の人の意。1.2.5
注釈51大将殿女房たちは源氏を「大将殿」と呼称する。1.2.5
注釈52御心地もよろしき隙なり以下「さうざうしげなめり」まで、大宮の詞。1.2.7
注釈53日たけゆきて以下、葵の上と六条御息所の車争いの物語。1.2.9
注釈54儀式もわざとならぬさまにて『集成』は「お支度も改まったふうにはなさらずに」と解し、『完訳』は「高貴な葵の上の外出の作法」と注す。1.2.9
注釈55よそほしう引き続きて立ちわづらふ葵の上一行の車をさす。『集成』は「美々しく何台も続いたまま場所を探しかねている」と解し、『完訳』は「車の装束をいかめしく整え、列をなして」と注す。相手に威圧感を与えるような様子に車の列をなしての意。1.2.9
注釈56雑々の人なき隙『完訳』は「車副などの雑人のことか」と注す。1.2.9
注釈57網代大島本は「あんしろ」とある。網代車のこと。檜の薄板や竹を網代に組んで屋形や側面を張り、彩色や文様を施した車。人目をはばかる私的な外出時に多く用いられた。1.2.9
注釈58これはさらにさやうにさし退けなどすべき御車にもあらず六条御息所方供人の詞。1.2.10
注釈59もの思し乱るる慰めにもや六条御息所の心。『完訳』は「源氏ゆえの物思いが源氏の姿を見れば慰められるかと。源氏への未練を人に知られまいとする」と注す。六条御息所はこっそりと源氏の姿を見ようと忍び姿で見物に出かけたのである。1.2.12
注釈60忍びて出でたまへるなりけり『細流抄』は「草子地の便に書也」と指摘。『完訳』も「語り手が御息所の存在にはじめて気づいたとして語る」と注す。1.2.12
注釈61さばかりにてはさな言はせそ葵の上方の従者の詞。『完訳』は「葵の上方と対等には自己主張をさせまいとする」と注す。1.2.13
注釈62大将殿をぞ豪家には思ひきこゆらむ葵の上方の従者の詞。『集成』は「源氏の愛人である御息所に対する当てこすりの言葉」と注す。1.2.14
注釈63その御方の人も混じれば源氏の従者をさす。葵の上方の従者に混じっている意。大島本に「ましれは」とあるが、多くの青表紙本諸本は「ましれはゝ」。『集成』『完訳』は「まじれれば」と訂正する。1.2.15
注釈64いとほし「御方の人」、すなわち源氏方の供人が六条御息所を。1.2.15
注釈65知らず顔をつくる主語は「御方の人」。1.2.15
注釈66心やましきをばさるものにて『集成』は「胸のおさまらぬことはもとより」と解し、『完訳』は「憤懣の思いはもちろんだが」の意に解す。1.2.16
注釈67かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと、限りなし『完訳』は「心底にある源氏への未練を、源氏の正妻に見すかされた屈辱感」と注す。1.2.16
注釈68何に来つらむ六条御息所の心。反語表現。1.2.16
注釈69物も見で帰らむ六条御息所の心。1.2.16
注釈70事なりぬ供人の詞。行列が来たの意。1.2.17
注釈71さすがに『完訳』は「以下、御息所の、反転して源氏の姿に見入ろうとする気持」と指摘。1.2.18
注釈72御前渡り『完訳』は「「前渡り」は、自分を顧みるべき人が目前を素通りすること。そうと知りながら心待ちする気弱さ」と注す。1.2.18
注釈73心弱しや語り手の六条御息所に対する評言。『岷江入楚』は「御息所の心中を察してかけり」と指摘。『評釈』は「物語を語る女房が物語を語る立場をはなれて、批評を加えた部分」と指摘する。1.2.18
注釈74笹の隈にだにあらねばにや『源氏釈』は「笹の隈桧の隈川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」(古今集、大歌所御歌、一〇八〇、ひるめの歌)を指摘。『集成』は「源氏の姿を見たいと思うが、ここは「笹の隈」でさえないから、源氏が馬もとめず見向きもせずに通り過ぎられるにつけても」と解す。1.2.18
注釈75なかなか御心づくしなり『完訳』は「なまじちらとお姿を拝しただけにかえって心も尽きはてる思いでいらっしゃる」の意に解す。1.2.18
注釈76げに『完訳』は「かねてより物見車心つかひしけり」を受けると指摘する。1.2.19
注釈77影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる六条御息所の独詠歌。「みたらし」の「み」は「見る」と「御手洗川」の掛詞。「うき」は「憂き」と「浮き」の掛詞。「影」「浮き」は「川」の縁語。『完訳』は「影を宿すだけの川の流れに、己が身の薄幸を形象。「憂し」は運命の痛恨」と指摘する。1.2.20
注釈78いとどしう以下「見ざらましかば」まで、六条御息所の心。『集成』は「一層、晴れの場でのお引き立ちになるすばらしさを見なかったら、どんなに心残りなことだろうと(御息所は)お思いになる」と注す。『完訳』は「うち砕かれた御息所の心が、源氏の麗姿を見てわずかに慰められる」と注す。1.2.22
注釈79大将の御仮の随身大将の随身は定員六名。1.2.23
注釈80さらぬ御随身どもも定員以外の随身。1.2.23
注釈81倒れまどひつつ大島本は「たうれまとひつゝ」とあるが、独自異文。他の青表紙諸本は「たふれまろひつつ」とある。『集成』『完訳』は「倒れ転びつつ」と訂正する。1.2.24
注釈82あながちなりやあなにく語り手の批評。いかにもひどすぎる、ああ、みっともないの意。1.2.24
注釈83今日はことわりに今日は源氏が供奉しているので、それを見ようとするのは無理ないことだの意。1.2.24
注釈84をこがましげなる『完訳』は「だらしない表情になっている。「をこがましげなる」は上を受ける述語で、しかも下に続く修飾語」と注す。1.2.24
注釈85多かり大島本は「おほかり」とある。横山本、池田本、肖柏本、三条西家本と書陵部本は「おほかりけり」。榊原家本が大島本と同文。河内本、別本は横山本等と同文。『集成』は「多かり」のまま。『完訳』は「多かりけり」と訂正する。1.2.25
注釈86式部卿の宮朝顔の姫君の父宮。桃園式部卿の宮。1.2.26
注釈87いとまばゆきまで以下「目もこそとめたまへ」まで、式部卿の宮の感想。1.2.27
注釈88ねびゆく横山本は「ね(ね=を)ひゆく」と傍記。榊原家本と池田本は「おひゆく」(生ひゆく)。三条西家本は「お(お$ね)ひゆく」と訂正。肖柏本や書陵部本は大島本と同文。河内本と別本の御物本は「おひゆく」。陽明文庫本はナシ。1.2.27
注釈89とめたまへ横山本は「とめ(め=まり)たまへと」、池田本は「とまり(まり=め)給へ(へ=はめ)と」、肖柏本と三条西家本は「とまりたまへと」とある。榊原家本や書陵部本は大島本と同文。河内本と別本の陽明文庫本は「とゝめ給へと」とある。1.2.27
注釈90姫君は式部卿の宮の姫君、朝顔の姫君とも呼称される。「帚木」巻に初出。1.2.28
注釈91聞こえわたりたまふ主語は源氏。1.2.28
注釈92なのめならむにてだにあり以下「いかで」まで、姫君の心。『集成』は「(男の容姿が)かりに並々であっても、(あの手紙の主と思えば)心がひかれずにいられないのに」の意に解し、『完訳』は「女は平凡な相手にさえ動じやすいのに、まして相手が源氏では」と注す。1.2.29
注釈93かうしもいかで『集成』は「どうしてこんなに美しいのか」の意に解す。1.2.29
注釈94祭の日は賀茂祭の当日。源氏、葵の上と六条御息所との車争いの事件を耳にする。1.2.31
注釈95大将の君横山本、池田本、肖柏本、三条西家本は「大将の君は」と係助詞「は」がある。榊原家本や書陵部本は大島本と同文。1.2.31
注釈96まねび聞こゆる人ありければ「まねび」はそっくり、そのまま、というニュアンス。『完訳』は「逐一申し上げる者があったので」の意に解す。1.2.31
注釈97いといとほしう憂し源氏の心。『集成』は「見苦しく情けない」の意に解し、『完訳』は「「いとほしう」は、御息所への憐憫の情。「う(憂)し」は、葵の上への嫌悪の気持」と注す。1.2.31
注釈98なほ、あたら重りかに以下「思し憂じにけむ」まで、源氏の心中。『完訳』は「以下、葵の上評。「情おくる」は、細かな情愛に欠ける意。「すくすくし」は、やさしさのない意」と注す。1.2.32
注釈99みづからは『完訳』は「自分では大してひどいことをしたと思わないのだろうが。直接の文脈は「次々よからぬ人の」に続く」と注す。1.2.32
注釈100かかる仲らひ一夫多妻制の妻妾の関係。1.2.32
注釈101御おきて横山本に「御心をきて」とある。『集成』は「御心掟」と訂正する。ご意向、の意。1.2.32
注釈102次々よからぬ人のせさせたるならむかし『集成』は「段々と下々の者が起させた争いなのであろう。下々の者の中に不心得者がいたのであろうという意」と注し、『完訳』は「身分も教養もない低い女房・召使」と注す。1.2.32
注釈103斎宮のまだ本の宮におはしませば斎宮に卜定されたが、まだ初斎院に入らず、本邸(六条の自邸)にいらっしゃるという意。1.2.33
注釈104なぞやかくかたみにそばそばしからでおはせかし源氏の心。『集成』は「どうしたことだ、お二人ともよそよそしくなさらなくてもよいのに」の意に解す。1.2.33
出典2 笹の隈 笹の隈桧隈川に駒とめてしばし水かへ影だに見む 古今集大歌所御歌-一〇八〇 ひるめの歌 1.2.18
校訂1 后腹の 后腹の--きさきはし(し/$ら<朱>)の 1.2.1
校訂2 よき よき--(/+よき<朱>) 1.2.9
校訂3 いづかたにも いづかたにも--いつかた(た/+に)も 1.2.11
校訂4 さばかりにては さばかりにては--さはかりて(て/$にて)は 1.2.13
校訂5 いとど いとど--いと(と/+と<朱>) 1.2.21
校訂6 いと いと--(/+いと) 1.2.32
1.3
第三段 賀茂祭の当日、紫の君と見物


1-3  Genji views Kamo-matsuri with Murasaki

1.3.1   今日は、二条院に離れおはして、祭見に出でたまふ。西の対に渡りたまひて、惟光に車のこと仰せたり。
 今日は、二条の院に離れていらして、祭を見物にお出かけになる。西の対にお渡りになって、惟光に車のことをお命じになってある。
  Kehu ha, Nideu-no-win ni hanare ohasi, maturi mi ni ide tamahu. Nisi-no-tai ni watari tamahi te, Koremitu ni kuruma no koto ohose tari.
1.3.2  「 女房出で立つや
 「女房たちも出かけますか」
  "Nyoubau ide-tatu ya?"
1.3.3  とのたまひて、姫君のいとうつくしげにつくろひたてておはするを、うち笑みて見たてまつりたまふ。
 とおっしゃって、姫君がとてもかわいらしげにおめかししていらっしゃるのを、ほほ笑みながら拝見なさる。
  to notamahi te, Hime-Gimi no ito utukusi-ge ni tukurohi-tate te ohasuru wo, uti-wemi te mi tatematuri tamahu.
1.3.4  「 君は、いざたまへ。もろともに見むよ
 「あなたは、さあいらっしゃい。一緒に見物しようよ」
  "Kimi ha, iza tamahe. Morotomoni mi m yo."
1.3.5  とて、御髪の常よりもきよらに見ゆるを、かきなでたまひて、
 と言って、お髪がいつもより美しく見えるので、かき撫でなさって、
  tote, mi-gusi no tune yori mo kiyora ni miyuru wo, kaki-nade tamahi te,
1.3.6  「 久しう削ぎたまはざめるを、今日は、吉き日ならむかし
 「長い間、お切り揃えにならなかったようだが、今日は、日柄も吉いのだろうかな」
  "Hisasiu sogi tamaha za' meru wo kehu ha, yoki hi nara m kasi."
1.3.7  とて、 暦の博士召して、 問はせなどしたまふほどに、
 と言って、暦の博士をお呼びになって、時刻を調べさせたりしていらっしゃる間に、
  tote, Koyomi-no-Hakase mesi te, toki toha se nado si tamahu hodo ni,
1.3.8  「 まづ、女房出でね
 「まずは、女房たちから出発だよ」
  "Madu, nyoubau ide ne."
1.3.9  とて、童の姿どものをかしげなるを御覧ず。いとらうたげなる髪どものすそ、はなやかに削ぎわたして、浮紋の表の袴にかかれるほど、けざやかに見ゆ。
 と言って、童女の姿態のかわいらしいのを御覧になる。とてもかわいらしげな髪の裾、皆こざっぱりと削いで、浮紋の表の袴に掛かっている様子が、くっきりと見える。
  tote, waraha no sugata-domo no wokasi-ge naru wo go-ran zu. Ito rauta-ge naru kami-domo no suso, hanayaka ni sogi-watasi te, uki-mon no uhe-no-hakama ni kakare ru hodo, kezayaka ni miyu.
1.3.10  「 君の御髪は、我削がむ」とて、「 うたて、所狭うもあるかな。いかに生ひやらむとすらむ
 「あなたのお髪は、わたしが削ごう」と言って、「何と嫌に、たくさんあるのだね。どんなに長くおなりになることだろう」
  "Kimi no mi-gusi ha, ware soga m." tote, "Utate, tokoro-seu mo aru kana! Ikani ohi-yara m to su ram?"
1.3.11  と、削ぎわづらひたまふ。
 と、削ぐのにお困りになる。
  to, sogi wadurahi tamahu.
1.3.12  「 いと長き人も、額髪はすこし短うぞあめるを、むげに後れたる筋のなきや、あまり情けなからむ」
 「とても髪の長い人も、額髪は少し短めにあるようだのに、少しも後れ毛のないのも、かえって風情がないだろう」
  "Ito nagaki hito mo, hitahi-gami ha, sukosi mizikau zo a' meru wo, muge ni okure taru sudi no naki ya, amari nasake nakara m."
1.3.13  とて、削ぎ果てて、「 千尋」と祝ひきこえたまふを、 少納言、「 あはれにかたじけなし」と見たてまつる。
 と言って、削ぎ終わって、「千尋に」とお祝い言をお申し上げになるのを、少納言、「何とももったいないことよ」と拝し上げる。
  tote, sogi-hate te, "Ti-hiro" to ihahi kikoye tamahu wo, Seunagon, "Ahare ni katazikenasi" to mi tatematuru.
1.3.14  「 はかりなき千尋の底の海松ぶさの
 「限りなく深い海の底に生える海松のように
    "Hakari naki tihiro no soko no miru-busa no
1.3.15   生ひゆくすゑは我のみぞ見む
  豊かに成長してゆく黒髪はわたしだけが見届けよう
    ohi-yuku suwe ha ware nomi zo mi m
1.3.16  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
1.3.17  「 千尋ともいかでか知らむ定めなく
 「千尋も深い愛情を誓われてもがどうして分りましょう
    "Tihiro to mo ikade ka sira m sadame naku
1.3.18   満ち干る潮ののどけからぬに
  満ちたり干いたり定めない潮のようなあなたですもの
    miti hiru siho no nodokekara nu ni
1.3.19  と、ものに書きつけておはするさま、 らうらうじきものから、若うをかしきを、めでたしと思す。
 と、何かに書きつけていられる様子、いかにも物慣れている感じがするが、初々しく美しいのを、素晴らしいとお思いになる。
  to, mono ni kaki tuke te ohasuru sama, rau-rauziki mono kara, wakau wokasiki wo, medetasi to obosu.
1.3.20   今日も、所もなく立ちにけり馬場の御殿のほどに立てわづらひて、
 今日も、隙間のなく立ち並んでいるのであった。馬場殿の付近に止めあぐねて、
  Kehu mo, tokoro mo naku tati ni keri. Mumaba-no-otodo no hodo ni tate wadurahi te,
1.3.21  「 上達部の車ども多くて、もの騒がしげなるわたりかな
 「上達部たちの車が多くて、何となく騒がしそうな所だな」
  "Kamdatime no kuruma-domo ohoku te, mono-sawagasi-ge naru watari kana!"
1.3.22  と、 やすらひたまふに、よろしき女車の、 いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、 人を招き寄せて
 と、ためらっていらっしゃると、まあまあの女車で、派手に袖口を出している所から、扇を差し出して、供人を招き寄せて、
  to, yasurahi tamahu ni, yorosiki womna-guruma no, itau nori kobore taru yori, ahugi sasi-ide te, hito wo maneki yose te,
1.3.23  「 ここにやは立たせたまはぬ。所避りきこえむ
 「ここにお止めになりませんか。場所をお譲り申しましょう」
  "Koko ni ya ha tata se tamaha nu? Tokoro sari kikoye m."
1.3.24  と聞こえたり。「 いかなる好色者ならむ」と思されて、所もげによきわたりなれば、引き寄せさせたまひて、
 と申し上げた。「どのような好色な人だろう」とついお思われなさって、場所もなるほど適した所なので、引き寄させなさって、
  to kikoye tari. "Ika naru suki-mono nara m?" to obosa re te, tokoro mo geni yoki watari nare ba, hiki-yose sase tamahi te,
1.3.25  「 いかで得たまへる所ぞと、ねたさになむ
 「どのようにしてお取りになった所かと、羨ましくて」
  "Ikade e tamahe ru tokoro zo to, netasa ni nam."
1.3.26  とのたまへば、 よしある扇のつまを折りて
 とおっしゃると、風流な桧扇の端を折って、
  to notamahe ba, yosi aru ahugi no tuma wo wori te,
1.3.27  「 はかなしや人のかざせる葵ゆゑ
 「あら情けなや、他の人と同車なさっているとは
    "Hakanasi ya hito no kazase ru ahuhi yuwe
1.3.28   神の許しの今日を待ちける
  神の許す今日の機会を待っていましたのに
    kami no yurusi no kehu mati keru
1.3.29   注連の内には
 神域のような所には」
  Sime no uti ni ha."
1.3.30  とある手を思し出づれば、 かの典侍なりけり。「 あさましう、旧りがたくも今めくかな」と、憎さに、 はしたなう
 とある筆跡をお思い出しになると、あの典侍なのであった。「あきれた、相変わらず風流めかしているなあ」と、憎らしい気がして、無愛想に、
  to aru te wo obosi-idure ba, kano Naisi-no-Suke nari keri. "Asamasiu, huri-gataku mo imameku kana!" to, nikusa ni, hasitanau,
1.3.31  「 かざしける心ぞあだにおもほゆる
 「そのようにおっしゃるあなたの心こそ当てにならないものと思いますよ
    "Kazasi keru kokoro zo ada ni omohoyuru
1.3.32   八十氏人になべて逢ふ日を
  たくさんの人々に誰彼となく靡くものですから
    yaso-udi-bito ni nabete ahu hi wo
1.3.33  女は、「 つらし」と思ひきこえけり。
 女は、「ひどい」とお思い申し上げるのであった。
  Womna ha, "Turasi" to omohi kikoye keri.
1.3.34  「 悔しくもかざしけるかな名のみして
 「ああ悔しい、葵に逢う日を当てに楽しみにしていたのに
    "Kuyasiku mo kazasi keru kana na nomi si te
1.3.35   人だのめなる草葉ばかりを
  わたしは期待を抱かせるだけの草葉に過ぎないのですか
    hito danome naru kusaba bakari wo
1.3.36  と聞こゆ。 人と相ひ乗りて、簾をだに上げたまはぬを、 心やましう思ふ人多かり
 と申し上げる。女性と同車しているので、簾をさえお上げにならないのを、妬ましく思う人々が多かった。
  to kikoyu. Hito to ahi-nori te, sudare wo dani age tamaha nu wo, kokoro-yamasiu omohu hito ohokari.
1.3.37  「 一日の御ありさまのうるはしかりしに、今日うち乱れて歩きたまふかし。誰ならむ。 乗り並ぶ人けしうはあらじはや」と、推し量りきこゆ。「 挑ましからぬ、かざし争ひかな」と、さうざうしく思せど、 かやうにいと 面なからぬ人はた、人相ひ乗りたまへるにつつまれて、はかなき御いらへも、心やすく聞こえむも、まばゆしかし。
 「先日のご様子が端麗でご立派であったのに、今日はくだけていらっしゃること。誰だろう。一緒に乗っている人は、悪くはない人に違いない」と、推量申し上げる。「張り合いのない、かざしの歌争いであったな」と、物足りなくお思いになるが、この女のように大して厚かましくない人は、やはり女性が相乗りなさっているのに自然と遠慮されて、ちょっとしたお返事も、気安く申し上げるのも、面映ゆいに違いない。
  "Hito-hi no ohom-arisama no uruhasikari si ni, kehu uti-midare te ariki tamahu kasi. Tare nara m? Nori narabu hito, kesiu ha arazi ha ya!" to, osi-hakari kikoyu. "Idomasikara nu, kazasi arasohi kana!" to, sau-zausiku obose do, kayau ni ito omo-nakara nu hito hata, hito ahi-nori tamahe ru ni tutuma re te, hakanaki ohom-irahe mo, kokoro-yasuku kikoye m mo, mabayusi kasi.
注釈105今日は二条院に離れおはして「離れ」は葵の上からのニュアンスをこめる。紫の上と祭見物に出掛ける。1.3.1
注釈106女房出で立つや源氏の詞。『集成』は「女房たちは見物に行くかね。「女房」とは、紫の上づきの童女たちを戯れに大人扱いしたもの。後出の「まづ女房出でね」も同様」と注す。1.3.2
注釈107君はいざたまへもろともに見むよ源氏の詞。1.3.4
注釈108久しう削ぎたまはざめるを今日は吉き日ならむかし源氏の詞。髪の裾を切り揃えるのに吉日を選んだ。1.3.6
注釈109暦の博士陰陽寮所属の官人。暦博士。1.3.7
注釈110髪を切り揃えるのに適当な時刻。1.3.7
注釈111まづ女房出でね源氏の詞。『集成』は「出ておいで」の意に解し、『完訳』は「先に出なさい」の意に解す。1.3.8
注釈112君の御髪は我削がむ源氏の詞。1.3.10
注釈113うたて所狭うもあるかないかに生ひやらむとすらむ源氏の詞。髪は豊富で長いのを良しとした。1.3.10
注釈114いと長き人も以下「あまり情けなからむ」まで、源氏の詞。1.3.12
注釈115千尋源氏の予祝の詞。1.3.13
注釈116少納言紫の上の乳母。「若紫」巻に初出。1.3.13
注釈117あはれにかたじけなし少納言の乳母の心。1.3.13
注釈118はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆくすゑは我のみぞ見む源氏の贈歌。あなたの豊かな将来はわたしだけだ見届けましょうの意。1.3.14
注釈119千尋ともいかでか知らむ定めなく満ち干る潮ののどけからぬに紫の上の返歌。「千尋」の語句を受けて返す。『完訳』は「「満ち干る潮」の深浅動揺する景によって、源氏の「千尋」の情愛も頼りがたいと切り返した」と注す。1.3.17
注釈120らうらうじきものから『集成』は「大人びた様子ながら」と解し、『完訳』は「「らうらうじ」は巧者の意。返歌の機転に、手応えをおぼえる」と注す。1.3.19
注釈121今日も所もなく立ちにけり祭当日。一条大路の様子。御禊の日同様に、見物の車でびっしり埋まっている。1.3.20
注釈122馬場の御殿左近の馬場。一条西洞院にある。1.3.20
注釈123上達部の車ども多くてもの騒がしげなるわたりかな源氏の独語。1.3.21
注釈124やすらひたまふに『完訳』は「車の進みをおゆるめになると」と訳す。1.3.22
注釈125いたう乗りこぼれたるより『集成』は「派手に袖口を出したのから」の意に解し、『完訳』は「袖口などがこぼれ出てずいぶん大勢乗っている中から」の意に解す。1.3.22
注釈126人を招き寄せて源氏の従者をさす。1.3.22
注釈127ここにやは立たせたまはぬ所避りきこえむ源典侍の詞。1.3.23
注釈128いかなる好色者ならむ源氏の心。『集成』は「しゃれ物」の意に解し、『完訳』は「自分から声をかける行為を根拠に、相当の好色女と推測」と注し、「物好き」と訳す。1.3.24
注釈129いかで得たまへる所ぞとねたさになむ源氏の詞。『完訳』は「憎らしいほど好都合な場所、と声をかけて相手の反応を待つ」と注す。1.3.25
注釈130よしある扇のつまを折りて風流な桧扇の端を折って。1.3.26
注釈131はかなしや人のかざせる葵ゆゑ神の許しの今日を待ちける源典侍の贈歌。「あふひ」は「逢ふ日」と「葵」の掛詞。「かざす」は葵祭に頭に葵を挿したことに因む。「人のかざせる」とは、既に人の物となってしまっているの意で、他の女と同車していることをいう。1.3.27
注釈132注連の内には歌に添えた言葉。注連の内側には、入って行けませんの意。1.3.29
注釈133かの典侍なりけり源典侍をいう。「紅葉賀」巻に初出。源氏の驚きを語り手が同じく驚いて語ったもの。1.3.30
注釈134あさましう旧りがたくも今めくかな源氏の感想。『集成』は「年がいもなく若やいでいることかと」の意に解す。1.3.30
注釈135はしたなうそっけなくのニュアンス。1.3.30
注釈136かざしける心ぞあだにおもほゆる八十氏人になべて逢ふ日を源氏の返歌。「かざす」を受けて、「かざしける心」と相手(源典侍)の誰にでも靡く心だと切り返す。1.3.31
注釈137つらし『集成』は「ひどいお言葉」の意に解し、『完訳』は「恨めしいお方」の意に解す。1.3.33
注釈138悔しくもかざしけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを源典侍の返歌。期待外れでしたの意。『花鳥余情』他の旧注では「行き帰る八十氏人の玉鬘かけてぞ頼むあふひてふ名を」(後撰集、夏、一六一、読人しらず)を指摘。『集成』は「榊葉の香をかぐはしみ尋め来れば八十氏人ぞ円居せりける」(古今集、神楽歌、五七七)を指摘する。1.3.34
注釈139人と相ひ乗りて主語は源氏。1.3.36
注釈140心やましう思ふ人多かり『完訳』は「典侍もこの一人。典侍のように積極的に恨まずとも、愛人たちもそれ以上に嫉妬を強めていよう」と注す。一般の見物客の女性の心であろう。1.3.36
注釈141一日の御ありさまの以下「あらじはや」まで、「心やましうおもふ人」の推測。1.3.37
注釈142乗り並ぶ人源氏と同車する人の意。1.3.37
注釈143けしうはあらじはや『集成』は「悪くはあるまいの意」と注す。『完訳』は「それ相当のお方にちがいない」と訳す。1.3.37
注釈144挑ましからぬ、かざし争ひかな源氏の心。「かざし」は源典侍との歌の贈答の語句をさす。1.3.37
注釈145かやうに源典侍をさす。1.3.37
注釈146面なからぬ人『集成』は「あつかましくない人」と解し、『完訳』は「典侍のように恥知らずでない人。源氏の愛人たち一般をさす」と注す。1.3.37
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 5/6/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/9/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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