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04 夕顔(大島本)
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YUHUGAHO
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光る源氏の十七歳夏から立冬の日までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the summer to the first day in the winter at the age of 17
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2 |
第二章 空蝉の物語
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2 Tale of Utsusemi
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2.1 |
第一段 空蝉の夫、伊予国から上京す
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2-1 Utsusemi's husband comes up to Kyoto from Iyo
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2.1.1 |
さて、かの空蝉の あさましくつれなきを、この世の人には 違ひて思すに、 おいらかならましかば、 心苦しき過ちにても やみぬべきを、いとねたく、負けてやみなむを、心にかからぬ折なし。 かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、 ありし「雨夜の品定め」の後、いぶかしく思ほしなる品々あるに、いとど隈なくなりぬる 御心なめりかし。
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ところで、あの空蝉のあきれるほど冷淡だったのを、今の世間一般の女性とは違っているとお思いになると、素直であったならば、気の毒な過ちをしたと思ってやめられようが、まことに悔しく、振られて終わってしまいそうなのが、気にならない時がない。このような並々の女性までは、お思いにならなかったのだが、先日の「雨夜の品定め」の後は、興味をお持ちになった階層階層があることによって、ますます残る隈なくご関心をお持ちになったようであるよ。
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源氏は空蝉の極端な冷淡さをこの世の女の心とは思われないと考えると、あの女が言うままになる女であったなら、気の毒な過失をさせたということだけで、もう過去へ葬ってしまったかもしれないが、強い態度を取り続けられるために、負けたくないと反抗心が起こるのであるとこんなふうに思われて、その人を忘れている時は少ないのである。これまでは空爆階級の女が源氏の心を引くようなこともなかったが、あの雨夜の品定めを聞いて以来好奇心はあらゆるものに動いて行った。
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Sate, kano Utusemi no asamasiku turenaki wo, kono yo-no-hito ni ha tagahi te obosu ni, oyiraka nara masika ba, kokoro-gurusiki ayamati ni te mo yami nu beki wo, ito netaku, make te yami na m wo, kokoro ni kakara nu wori nasi. Kayau no nami-nami made ha omohosi-kakara zari turu wo, arisi "Amayo no sina-sadame" no noti, ibukasiku omohosi naru sina-zina aru ni, itodo kuma-naku nari nuru mi-kokoro na' meri kasi.
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2.1.2 |
うらもなく待ちきこえ顔なる 片つ方人を、 あはれと思さぬにしもあらねど、 つれなくて聞きゐたらむことの恥づかしければ、「 まづ、こなたの心見果てて」と思すほどに、 伊予介上りぬ。
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疑いもせずにお待ち申しているもう一人の女を、いじらしいとお思いにならないわけではないが、何くわぬ顔で聞いていたろうことが恥ずかしいので、「まずは、この女の気持ちを見定めてから」とお思いになっているうちに、伊予介が上京してきた。
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何の疑いも持たずに一夜の男を思っているもう一人の女を憐まないのではないが、冷静にしている空蝉にそれが知れるのを、恥ずかしく思って、いよいよ望みのないことのわかる日まではと思ってそれきりにしてあるのであったが、そこへ伊予介が上京して来た。
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Ura mo naku mati kikoye gaho naru kata-tu-kata-bito wo, ahare to obosa nu ni simo ara ne do, turenaku te kiki wi tara m koto no hadukasikere ba, "Madu, konata no kokoro mi-hate te" to obosu hodo ni, Iyo-no-Suke nobori nu.
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2.1.3 |
まづ急ぎ参れり。舟路のしわざとて、すこし黒みやつれたる旅姿、 いとふつつかに心づきなし。されど、 人もいやしからぬ筋に、容貌などねびたれど、きよげにて、ただならず、 気色よしづきてなどぞありける。
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まっさきに急いで参上した。船路のせいで、少し黒く日焼けしている旅姿は、とてもぶこつで気に入らない。けれど、人品も相当な血筋で、容貌などは年はとっているが、小綺麗で、普通の人とは違って、風雅のたしなみなどがそなわっているのであった。
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そして真先に源氏の所へ伺候した。長い旅をして来たせいで、色が黒くなりやつれた伊予の長官は見栄も何もなかった。しかし家柄もいいものであったし、顔だちなどに老いてもなお整ったところがあって、どこか上品なところのある地方官とは見えた。
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Madu isogi mawire ri. Huna-miti no siwaza tote, sukosi kuromi yature taru tabi-sugata, ito hututuka ni kokoro-dukinasi. Saredo, hito mo iyasikara nu sudi ni, katati nado nebitare do, kiyoge ni te, tada-nara-zu, kesiki yosi-duki te nado zo ari keru.
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2.1.4 |
国の 物語など申すに、「 湯桁はいくつ」と、 問はまほしく思せど、 あいなくまばゆくて、 御心のうちに思し出づることもさまざまなり。
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任国の話などを申すので、「伊予の湯の湯桁はいくつあるか」と、お尋ねしたくお思いになるが、わけもなく正視できなくて、お心の中に思い出されることもさまざまである。
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任地の話などをしだすので、湯の郡の温泉話も聞きたい気はあったが、何ゆえとなしにこの人を見るときまりが悪くなって、源氏の心に浮かんでくることは数々の罪の思い出であった。
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Kuni no monogatari nado mausu ni, "Yugeta ha iku-tu?" to, toha mahosiku obose do, ahinaku mabayuku te, mi-kokoro no uti ni obosi-iduru koto mo sama-zama nari.
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2.1.5 |
「 ものまめやかなる大人を、 かく思ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。げに、これぞ、なのめならぬ 片はなべかりける ★」と、 馬頭の諌め思し出でて、 いとほしきに、「 つれなき心はねたけれど、人のためは、あはれ」と思しなさる。
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「実直な年配者を、このように思うのも、いかにも馬鹿らしく後ろ暗いことであるよ。いかにも、これが、尋常ならざる不埒なことだった」と、左馬頭の忠告をお思い出しになって、気の毒なので、「冷淡な気持ちは憎いが、夫のためには、立派だ」とお考え直しになる。
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まじめな生一本の男と対っていて、やましい暗い心を抱くとはけしからぬことである。人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを左馬頭の言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが、この良人のためには尊敬すべき態度であると思うようになった。
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"Mono-mameyaka naru otona wo, kaku omohu mo, geni wokogamasiku, usirometaki waza nari ya! Geni, kore zo, nanome nara nu kata ha na' bekari keru." to, Muma-no-Kami no isame obosi-ide te, itohosiki ni, "Turenaki kokoro ha netakere do, hito no tame ha, ahare." to obosi-nasa ru.
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2.1.6 |
「 娘をばさるべき人に預けて、 北の方をば率て下りぬべし」と、聞きたまふに、ひとかたならず心あわたたしくて、「 今一度はえあるまじきことにや」と、小君を語らひたまへど、 人の心を合せたらむことにてだに、軽らかにえしも紛れたまふまじきを、まして、 似げなきことに思ひて、 今さらに見苦しかるべし、と思ひ離れたり。
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「娘を適当な人に縁づけて、北の方を連れて下るつもりだ」と、お聞きになると、あれやこれやと気持ちが落ち着かなくて、「もう一度逢うことができないものだろうか」と、小君に相談なさるが、相手が同意したようなことでさえ、軽々とお忍びになるのは難しいのに、まして、相応しくない関係と思って、今さら見苦しかろうと、思い絶っていた。
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伊予介が娘を結婚させて、今度は細君を同伴して行くという噂は、二つとも源氏が無関心で聞いていられないことだった。恋人が遠国へつれられて行くと聞いては、再会を気長に待っていられなくなって、もう一度だけ逢うことはできぬかと、小君を味方にして空蝉に接近する策を講じたが、そんな機会を作るということは相手の女も同じ目的を持っている場合だっても困難なのであるのに、空蝉のほうでは源氏と恋をすることの不似合いを、思い過ぎるほどに思っていたのであるから、この上罪を重ねようとはしないのであって、とうてい源氏の思うようにはならないのである。
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"Musume wo ba saru-beki hito ni aduke te, Kitanokata wo ba wi te kudari nu besi." to, kiki tamahu ni, hitokata-nara-zu kokoro awatatasiku te, "Ima hito-tabi ha e aru maziki koto ni ya?" to, Ko-Gimi wo katarahi tamahe do, hito no kokoro wo ahase tara m koto nite dani, karoraka ni e simo magire tamahu maziki wo, masite, nigenaki koto ni omohi te, imasara ni migurusikaru besi, to omohi hanare tari.
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2.1.7 |
さすがに、 絶えて 思ほし忘れなむことも、いと言ふかひなく、憂かるべきことに思ひて、さるべき折々の御答へなど、 なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、 目とまるべきふし加へなどして、 あはれと思しぬべき人のけはひなれば、 つれなくねたきものの、忘れがたきに思す。
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そうは言っても、すっかりお忘れになられることも、まことにつまらなく、嫌にちがいないことと思って、しかるべき折々のお返事など、親しく度々差し上げては、何気ない書きぶりに詠み込まれた返歌は、不思議とかわいらしげに、お目に止まるようなことを書き加えなどして、恋しく思わずにはいられない人の様子なので、冷淡で癪な女と思うものの、忘れがたい人とお思いになっている。
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空蝉はそれでも自分が全然源氏から忘れられるのも非常に悲しいことだと思って、おりおりの手紙の返事などに優しい心を見せていた。なんでもなく書く簡単な文字の中に可憐な心が混じっていたり、芸術的な文章を書いたりして源氏の心を惹くものがあったから、冷淡な恨めしい人であって、しかも忘れられない女になっていた。
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Sasugani, taye te omohosi wasure na m koto mo, ito ihukahinaku, ukaru beki koto ni omohi te, sarubeki wori-wori no ohom-irahe nado, natukasiku kikoye tutu, nage no hude-dukahi ni tuke taru koto-no-ha, ayasiku rautage ni, me tomaru beki husi kuhahe nado si te, ahare to obosi nu beki hito no kehahi nare ba, turenaku netaki mono no, wasure-gataki ni obosu.
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2.1.8 |
いま一方は、 主強くなるとも、変らずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、 とかく聞きたまへど、 御心も動かずぞありける。
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もう一人は、たとえ夫が決まったとしても、変わらず心を許しそうに見えたのを当てにして、いろいろとお聞きになるが、お心も動かさないのであった。
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もう一人の女は他人と結婚をしても思いどおりに動かしうる女だと思っていたから、いろいろな噂を聞いても源氏は何とも思わなかった。
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Ima hito-kata ha, nusi tuyoku naru tomo, kahara zu uti-toke nu beku miye si sama naru wo tanomi te, tokaku kiki tamahe do, mi-kokoro mo ugoka zu zo ari keru.
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Last updated 6/25/2003 渋谷栄一校訂(C)(ver.1-3-1) Last updated 6/25/2003 渋谷栄一注釈(ver.1-2-1) |
Last updated 6/25/2203 渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-1) |
現代語訳 | 与謝野晶子 |
電子化 | 上田英代(古典総合研究所) |
底本 | 角川文庫 全訳源氏物語 |
渋谷栄一訳 との突合せ | 宮脇文経 2003年8月14日 |
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Last updated 6/25/2003 Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-4-1) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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