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02 帚木(明融臨模本)
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HAHAKIGI
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光る源氏 十七歳夏の参議(宰相)兼近衛中将時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era in the summer at the age of 17
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2 |
第二章 女性体験談
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2 Experiences with girl friends
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2.1 |
第一段 女性体験談(左馬頭、嫉妬深い女の物語)
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2-1 Sama-no-Kami talks about a jealous girl friend
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2.1.1 |
「 はやう、まだいと下臈にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。 聞こえさせつるやうに、容貌などいとまほにも はべらざりしかば、 若きほどの好き心には、この人を とまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、 とかく紛れはべりしを、もの怨じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、 おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて、 かく数ならぬ身を見も放たで、 などかくしも思ふらむと、 心苦しき折々も はべりて、自然に心をさめらるるやうになむはべりし。
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「若いころ、まだ下級役人でございました時、愛しいと思う女性がおりました。申し上げましたように、容貌などもたいして優れておりませんでしたので、若いうちの浮気心から、この女性を生涯の伴侶とも思い決めませんで、通い所とは思いながら、物足りなくて、何かと他の女性にかかずらっておりましたところ、大変に嫉妬をいたしましたので、おもしろくなく、本当にこうではなくて、おっとりとしていたらば良いものをと思い思い、あまりにひどく厳しく疑いましたのも煩わしくて、このようなつまらない男に愛想もつかさず、どうしてこう愛しているのだろうと、気の毒に思う時々もございまして、自然と浮気心も収められるというふうでもございました。
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「ずっと前で、まだつまらぬ役をしていた時です。私に一人の愛人がございました。容貌などはとても悪い女でしたから、若い浮気な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わなかったのです。妻とは思っていましたが物足りなくて外に情人も持っていました。それでとても嫉妬をするものですから、いやで、こんなふうでなく穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われますと、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあって、自然身持ちが修まっていくようでした。
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"Hayau, mada ito gerahu ni haberi si toki, ahare to omohu hito haberi ki. Kikoye sase turu yau ni, katati nado ito maho ni mo habera zari sika ba, wakaki hodo no suki-gokoro ni ha, kono hito wo tomari ni tomo omohi-todome habera zu, yorube to ha omohi nagara, sau-zausiku te, tokaku magire haberi si wo, mono-wen-zi wo itaku si haberi sika ba, kokorodukinaku, ito kakara de, ohiraka nara masika ba to omohi tutu, amari ito yurusi naku utagahi haberi si mo urusaku te, kaku kazu nara nu mi wo mi mo hanata de, nado kaku simo omohu ram to, kokoro-gurusiki wori-wori mo haberi te, zinen ni kokoro wosame raruru yau ni nam haberi si.
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2.1.2 |
この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、 いかでこの人のためにはと ★、 なき手を出だし、後れたる筋の心をも、なほ口惜しくは見えじと 思ひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見、 つゆにても心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに、 進める方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜き容貌をも、 この人に見や疎まれむと、 わりなく思ひつくろひ、 疎き人に見えば、面伏せにや思はむと、憚り恥ぢて、みさをにもてつけて見馴るるままに、心もけしうはあらずはべりしかど、 ただこの憎き方一つなむ、心をさめずはべりし。
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この女の性格は、もともと自分の考えの及ばないことでも、何とかして夫のためにはと、無理算段をし、不得手な方面をも、やはりつまらない女だと見られまいと努力しては、何かにつけて、熱心に世話をし、少しでも意に沿わないことのないようにと思っていたうちに、気の勝った女だと思いましたが、何かと言うことをきくようになって柔らかくなってゆき、美しくない容貌についても、このわたしに嫌われやしまいかと、むやみに思って化粧し、親しくない人に顔を見せたならば、夫の面目が潰れやしまいかと、遠慮し恥じて、身嗜みに気をつけて生活しているうちに、性格も悪いというのではありませんでしたが、ただこの憎らしい性質一つだけは、収まりませんでした。
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この女というのは、自身にできぬものでも、この人のためにはと努力してかかるのです。教養の足りなさも自身でつとめて補って、恥のないようにと心がけるたちで、どんなにも行き届いた世話をしてくれまして、私の機嫌をそこねまいとする心から勝ち気もあまり表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折りますし、この顔で他人に逢っては、良人の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づきませんし、とにかく賢妻にできていましたから、同棲しているうちに利巧さに心が引かれてもいきましたが、ただ一つの嫉妬癖、それだけは彼女自身すらどうすることもできない厄介なものでした。
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Kono womna no aru yau, motoyori omohi-itara zari keru koto ni mo, ikade kono hito no tame ni ha to, naki te wo idasi, okure taru sudi no kokoro wo mo, naho kutiwosiku ha miye zi to omohi hagemi tutu, toni-kaku ni tuke te, mono mameyaka ni usiromi, tuyu nite mo kokoro ni tagahu koto ha naku mogana to omohe ri si hodo ni, susume ru kata to omohi sika do, tokaku ni nabiki te nayobi yuki, minikuki katati wo mo, kono hito ni mi ya utoma re m to, warinaku omohi tukurohi, utoki hito ni miye ba, omote-buse ni ya omoha m to, habakari hadi te, misawo ni mote-tuke te mi-naruru mama ni, kokoro mo kesiu ha ara zu haberi sika do, tada kono nikuki kata hito-tu nam, kokoro wosame zu haberi si.
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2.1.3 |
そのかみ思ひはべりしやう、 かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり ★、いかで懲るばかりのわざして、おどして、この方もすこしよろしくもなり、 さがなさもやめむと思ひて、 まことに憂しなども思ひて 絶えぬべき気色ならば、かばかり我に従ふ心ならば 思ひ懲りなむと 思うたまへ得て、ことさらに情けなくつれなき さまを見せて、 例の腹立ち怨ずるに、
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その当時に思いましたことには、このようにむやみにわたしに従いおどおどしている女のようだ、何とか懲りるほどの思いをさせて、脅かして、この嫉妬の方面も少しはまあまあになり、性悪な性格も止めさせようと思って、本当に辛いなどと思って別れてしまいそうな態度をとったならば、それほどわたしに連れ添う気持ちがあるならば懲りるだろうと存じまして、わざと薄情で冷淡な態度を見せて、例によって怒って恨み言をいってくる折に、
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当時私はこう思ったのです。とにかくみじめなほど私に参っている女なんだから、懲らすような仕打ちに出ておどして嫉妬を改造してやろう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど白分を愛している女なら、うまく自分の計画は成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出まして、例のとおり女がおこり出している時、
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Sonokami omohi haberi si yau, kau anagati ni sitagahi odi taru hito na' meri, ikade koru bakari no waza si te, odosi te, kono kata mo sukosi yorosiku mo nari, saganasa mo yame m to omohi te, makoto ni usi nado mo omohi te taye nu beki kesiki nara ba, kabakari ware ni sitagahu kokoro nara ba omohi kori na m to omou tamahe e te, kotosara ni nasakenaku turenaki sama wo mise te, rei no hara-dati wen-zuru ni,
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2.1.4 |
『 かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、 絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも、 念じてなのめに思ひなりて、 かかる心だに失せなば、いとあはれとなむ思ふべき。人並々にもなり、すこしおとなびむに添へて、 また並ぶ人なくあるべき』やうなど、かしこく教へたつるかなと 思ひたまへて、われたけく 言ひそしはべるに、 すこしうち笑ひて、
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『こんなに我が強いなら、どんなに夫婦の宿縁が深くとも、もう二度と逢うまい。最後と思うならば、このようなめちゃくちゃな邪推をするがよい。将来も長く連れ添おうと思うならば、辛いことがあっても、我慢してたいしたことなく思うようになって、このような嫉妬心さえ消えたならば、とても愛しい女と思おう。人並みに出世もし、もう少し一人前になったら、他に並ぶ人がない正妻になるであろう』などと、うまく教えたものよと存じまして、調子に乗って度を過ごして言いますと、少し微笑んで、
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『こんなあさましいことを言うあなたなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも私は別れる決心をする。この関係を破壊してよいのなら、今のような邪推でも何でももっとするがいい。将来まで夫婦でありたいなら、少々つらいことはあっても忍んで、気にかけないようにして、そして嫉妬のない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分にはあなたがりっぱな私の正夫人でありうるわけだ』などと、うまいものだと自分で思いながら利己的な主張をしたものですね。女は少し笑って、
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'Kaku ozomasiku ha, imiziki tigiri hukaku tomo, tayete mata mi zi. Kagiri to omoha ba, kaku warinaki mono-utagahi ha se yo. Yuku-saki nagaku miye m to omoha ba, turaki koto ari tomo, nen-zi te nanome ni omohi-nari te, kakaru kokoro dani use na ba, ito ahare to nam omohu beki. Hito-nami-nami ni mo nari, sukosi otonabi m ni sohe te, mata narabu hito naku aru beki.' yau nado, kasikoku wosihe taturu kana to omohi tamahe te, ware takeku ihi-sosi haberu ni, sukosi uti-warehi te,
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2.1.5 |
『 よろづに見立てなく、ものげなきほどを見過ぐして、人数なる世もやと待つ方は、 いとのどかに思ひなされて、 心やましくもあらず。 つらき心を忍びて、思ひ直らむ折を見つけむと、年月を重ねむあいな頼みは、 いと苦しくなむあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむある』
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『何かにつけて見栄えがしなく、一人前でないあいだをじっとこらえて、いつかは一人前にもなろうかと待っていることは、まことにゆっくりと待っていられますから、苦にもなりません。辛い浮気心を我慢して、その心がいつになったら直るのだろうかと、当てにならない期待をして年月を重ねていくことは、まことに辛くもありましょうから、お互いに別れるのによいときです』
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『あなたの貧弱な時代を我慢して、そのうち出世もできるだろうと待っていることは、それは待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思いません。あなたの多情さを辛抱して、よい良人になってくださるのを待つことは堪えられないことだと思いますから、そんなことをお言いになることになったのは別れる時になったわけです』
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'Yoroduni midatenaku, monogenaki hodo wo mi-sugusi te, hitokazu naru yo mo ya to matu kata ha, ito nodoka ni omohi-nasa re te, kokoro-yamasiku mo ara zu. Turaki kokoro wo sinobi te, omohi-nahora m wori wo mituke m to, tosituki wo kasane m aina-danomi ha, ito kurusiku nam aru bekere ba, katamini somuki nu beki kizami ni nam aru.'
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2.1.6 |
と ねたげに言ふに、腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひはげましはべるに、 女もえをさめぬ筋にて、指ひとつを引き寄せて 喰ひてはべりしを、 おどろおどろしくかこちて、
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と憎らしげに言うので、腹立たしくなって、憎々しげな言葉を興奮して言いますと、女も黙っていられない性格で、指を一本引っ張って噛みついてまいりましたので、大げさに文句をつけて、
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そう口惜しそうに言ってこちらを憤慨させるのです。女も自制のできない性質で、私の手を引き寄せて一本の指にかみついてしまいました。私は『痛い痛い』とたいそうに言って、
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to netage ni ihu ni, haradatasiku nari te, nikuge naru koto-domo wo ihi-hagemasi haberu ni, womna mo e wosame nu sudi ni te, oyobi hito-tu wo hiki-yose te kuhi te haberi si wo, odoro-odorosiku kakoti te,
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2.1.7 |
『 かかる疵さへつきぬれば、いよいよ 交じらひをすべきにもあらず。辱めたまふめる官位、いとどしく 何につけてかは人めかむ。 世を背きぬべき身なめり』など言ひ脅して、『 さらば、今日こそは限りなめれ』と、この指をかがめて まかでぬ。
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『このような傷まで付いてしまったので、ますます役人生活もできるものでない。軽蔑なさるような官職で、ますます一層どのようにして出世して行けようか。出家しかない身のようだ』などと言い脅して、『それでは、今日という今日がお別れのようだ』と言って、この指を折り曲げて退出しました。
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『こんな傷までもつけられた私は杜会へ出られない。あなたに侮辱された小役人はそんなことではいよいよ人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろう』などとおどして、『じゃあこれがいよいよ別れだ』と言って、指を痛そうに曲げてその家を出て来たのです。
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'Kakaru kizu sahe tuki nure ba, iyo-iyo mazirahi wo su beki ni mo ara zu. Hadukasime tamahu meru tukasa-kurawi, itodosiku nani ni tuke te kaha hito-meka m. Yo wo somuki nu beki mi na' meri.' nado ihi-odosi te, 'Sa'raba, kehu koso ha kagiri na' mere.' to, kono oyobi wo kagame te makade nu.
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2.1.8 |
『 手を折りてあひ見しことを数ふれば
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『あなたとの結婚生活を指折り数えてみますと
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『手を折りて相見しことを数ふれば
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'Te wo wori te ahi-mi si koto wo kazohure ba
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2.1.9 |
これひとつやは君が憂きふし
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この一つだけがあなたの嫌な点なものか
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これ一つやは君がうきふし
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kore hito-tu ya ha kimi ga uki husi
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2.1.10 |
えうらみじ』
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恨むことはできますまい』
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言いぶんはないでしょう』
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E urami zi.'
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2.1.11 |
など言ひはべれば、 さすがにうち泣きて、
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などと言いますと、そうは言うものの涙ぐんで、
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と言うと、さすがに泣き出して、
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nado ihi habere ba, sasuga ni uti-naki te,
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2.1.12 |
『 憂きふしを心ひとつに数へきて
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『あなたの辛い仕打ちを胸の内に堪えてきましたが
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『うき節を心一つに数へきて
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'Uki husi wo kokoro hito-tu ni kazohe ki te
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2.1.13 |
こや君が手を別るべきをり』
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今は別れる時なのでしょうか』
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こや君が手を別るべきをり』
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ko ya kimi ga te wo wakaru beki wori
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2.1.14 |
など、言ひしろひはべりしかど、まことには変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経るまで消息も遣はさず、あくがれまかり歩くに、 臨時の祭の調楽 ★に、夜更けていみじう霙降る夜、 これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路と思はむ方は またなかりけり。
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などと、言い争いましたが、本当は別れようとは存じませんままに、何日も過ぎるまで便りもやらず、浮かれ歩いていたところ、臨時の祭の調楽で、夜が更けてひどく霙が降る夜、めいめい退出して分かれる所で、思いめぐらすと、やはり自分の家と思える家は他にはなかったのでしたなあ。
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反抗的に言ったりもしましたが、本心ではわれわれの関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていたのです。加茂の臨時祭りの調楽が御所であって、更けて、それは霙が降る夜なのです。皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないのです。
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nado, ihi-sirohi haberi sika do, makoto ni ha kaharu beki koto to mo omohi tamahe zu nagara, higoro huru made seusoko mo tukahasa zu, akugare makari ariku ni, rinzi-no-maturi no deugaku ni, yo huke te imiziu mizore huru yo, kore-kare makari akaruru tokoro nite, omohi megurase ba, naho ihedi to omoha m kata ha mata nakari keri.
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2.1.15 |
内裏わたりの旅寝すさまじかるべく、 気色ばめるあたりは そぞろ寒くや、と 思ひたまへられしかば、いかが思へると、気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人悪ろく爪喰はるれど、さりとも今宵日ごろの 恨みは解けなむ、と 思うたまへしに、 火ほのかに壁に背け、萎えたる衣どもの厚肥えたる、大いなる籠にうち掛けて、 引き上ぐべきものの帷子などうち上げて、 今宵ばかりやと、待ちけるさまなり。 さればよと、 心おごりするに、正身はなし。 さるべき女房どもばかりとまりて、『 親の家に、この夜さりなむ渡りぬる』と答へはべり。
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内裏あたりでの宿直は気乗りがしないし、気取った女の家は何となく寒くないだろうか、と存じられましたので、どう思っているだろうかと、様子見がてら、雪をうち払いながら、何となく体裁が悪くきまりも悪く思われるが、いくらなんでも今夜は数日来の恨みも解けるだろう、と存じましたところ、灯火を薄暗く壁の方に向け、柔らかな衣服の厚いのを、大きな伏籠にうち掛けて、引き上げておくべきの几帳の帷子などは引き上げてあって、今夜あたりはと、待っていた様子です。やはりそうであったよと、得意になりましたが、本人はいません。しかるべき女房連中だけが残っていて、『親御様の家に、今晩は行きました』と答えます。
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御所の宿直室で寝るのもみじめだし、また恋を風流遊戯にしている局の女房を訪ねて行くことも寒いことだろうと思われるものですから、どう思っているのだろうと様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いのですが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうわけだと思って、はいって行くと、暗い炉を壁のほうに向げて据え、暖かそうな柔らかい、綿のたくさんはいった着物を大きな炙り籠に掛けて、私が寝室へはいる時に上げる几帳のきれも上げて、こんな夜にはきっと来るだろうと待っていたふうが見えます。そう思っていたのだと私は得意になりましたが、妻自身はいません。何人かの女房だけが留守をしていまして、父親の家へちょうどこの晩移って行ったというのです。
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Uti watari no tabine susamazikaru beku, kesikibame ru atari ha sozoro samuku ya, to omohi tamahe rare sika ba, ikaga omohe ru to, kesiki mo mi-gatera yuki wo uti-harahi tutu, nama-hito-waroku tume kuha rure do, sa'ritomo koyohi higoro no urami ha toke na m, to omou tamahe si ni, hi honoka ni kabe ni somuke, naye taru kinu-domo no atugoye taru, ohoi naru ko ni uti-kake te, hiki-agu beki mono no katabira nado uti-age te, koyohi bakari ya to, mati keru sama nari. Sarebayo to, kokoro-ogori suru ni, syauzimi ha nasi. Saru-beki nyoubau-domo bakari tomari te, 'Oya no ihe ni, kono yosari nam watari nuru.' to kotahe haberi.
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2.1.16 |
艶なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いと ひたや籠もりに情けなかりしかば、あへなき心地して、さがなく許しなかりしも、 我を疎みねと思ふ方の心やありけむと、 さしも見たまへざりしことなれど、 心やましきままに思ひはべりしに、着るべき物、常よりも心とどめたる色あひ、しざまいとあらまほしくて、さすがに わが見捨ててむ後をさへなむ、思ひやり後見たりし。
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艶やかな和歌も詠まず、思わせぶりな手紙も書き残さず、もっぱらそっけなく無愛想であったので、拍子抜けした気がして、口やかましく容赦なかったのも、自分を嫌になってくれ、と思う気持ちがあったからだろうかと、そのようには存じられなかったのですが、おもしろくないままそう思ったのですが、着るべき物が、いつもより念を入れた色合いや、仕立て方がとても素晴らしくて、やはり離別した後までも、気を配って世話してくれていたのでした。
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艶な歌も詠んで置かず、気のきいた言葉も残さずに、じみにすっと行ってしまったのですから、つまらない気がして、やかましく嫉妬をしたのも私にきらわせるためだったのかもしれないなどと、むしゃくしゃするものですからありうべくもないことまで忖度しましたものです。しかし考えてみると用意してあった着物なども平生以上によくできていますし、そういう点では実にありがたい親切が見えるのです。自分と別れた後のことまでも世話していったのですからね、
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En naru uta mo yoma zu, kesikibame ru seusoko mo se de, ito hitaya-gomori ni nasake nakari sika ba, ahenaki kokoti si te, saganaku yurusi nakari si mo, ware wo utomi ne to omohu kata no kokoro ya ari kem to, sasimo mi tamahe zari si koto nare do, kokoro-yamasiki mama ni omohi haberi si ni, kiru beki mono, tune yori mo kokoro todome taru iro-ahi, si-zama ito aramahosiku te, sasuga ni waga mi-sute te m noti wo sahe nam, omohi-yari usiromi tari si.
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2.1.17 |
さりとも、絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて、 とかく言ひはべりしを、 背きもせずと、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、 かかやかしからず答へつつ、ただ、『 ありしながらは、 えなむ見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなむ、あひ見るべき』など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲らさむの心にて、『しかあらためむ』とも言はず、 いたく綱引きて ★見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きて、 はかなくなりはべりにしかば、 ▼ 戯れにくくなむおぼえはべりし。
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そうは言っても、すっかり愛想をつかすようなことはあるまいと存じまして、いろいろと言ってみましたが、別れるでもなくと、探し出させようと行方を晦ますのでもなく、きまり悪くないように返事をしいし、ただ、『以前のような心のままでは、とても我慢できません。改心して落ち着くならば、また一緒に暮らしましょう』などと言いましたが、そうは言っても思い切れまいと存じましたので、少し懲らしめようという気持ちから、『そのように改めよう』とも言わず、ひどく強情を張って見せていたところ、とてもひどく思い嘆いて、亡くなってしまいましたので、冗談もほどほどにと存じられました。
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彼女がどうして別れうるものかと私は慢心して、それからのち手紙で交渉を姶めましたが、私へ帰る気がないでもないようだし、まったく知れない所へ隠れてしまおうともしませんし、あくまで反抗的態度を取ろうともせず、『前のようなふうでは我慢ができない、すっかり生活の態度を変えて、一夫一婦の道を取ろうとお言いになるのなら』と言っているのです。そんなことを言っても負げて来るだろうという自信を持って、しばらぐ懲らしてやる気で、一婦主義になるとも言わず、話を長引かせていますうちに、非常に精神的に苦しんで死んでしまいましたから、私は自分が責められてなりません。
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Sa'ritomo, tayete omohi-hanatu yau ha ara zi to omou tamahe te, tokaku ihi haberi si wo, somuki mo se zu to, tadune madohasa m tomo kakure sinobi zu, kakayakasikara zu irahe tutu, tada, 'Arisi-nagara ha, e nam mi-sugusu maziki. Aratame te nodoka ni omohi-nara ba nam, ahi-miru beki.' nado ihi si wo, sa'ritomo e omohi hanare zi to omohi tamahe sika ba, sibasi korasa m no kokoro nite, 'Sika aratame m' tomo iha zu, itaku tuna-biki te mise si ahida ni, ito itaku omohi nageki te, hakanaku nari haberi ni sika ba, tahabure-nikuku nam oboye haberi si.
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2.1.18 |
ひとへにうち頼みたらむ方は、さばかりにて ありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる。はかなきあだ事をもまことの大事をも、 言ひあはせたるにかひなからず、 龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」
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一途に生涯頼みとするような女性としては、あの程度で確かに良いと思い出さずにはいられません。ちょっとした風流事でも実生活上の大事でも、相談してもしがいがなくはなく、龍田姫と言っても不似合いでなく、織姫の腕前にも劣らないその方面の技術をもっていて、行き届いていたのでした」
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家の妻というものは、あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出されます。風流ごとにも、まじめな間題にも話し相手にすることができましたし、また家庭の仕事はどんなことにも通じておりました。染め物の立田姫にもなれたし、七夕の織姫にもなれたわけです」
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Hitoheni uti-tanomi tara m kata ha, sabakari nite ari nu beku nam omohi tamahe ide raruru. Hakanaki ada-goto wo mo makoto no daizi wo mo, ihi-ahase taru ni kahinakara zu, Tatuta-Hime to iha m ni mo tukinakara zu, Tanabata no te ni mo otoru maziku sono kata mo gu-si te, urusaku nam haberi si."
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2.1.19 |
とて、いとあはれと 思ひ出でたり。 中将、
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と言って、とてもしみじみと思い出していた。中将が、
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と語った左馬頭は、いかにも亡き妻が恋しそうであった。
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tote, ito ahare to omohi-ide tari. Tyuuzyau,
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2.1.20 |
「 その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、 長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、 またしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、 露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、難き世とは定めかねたるぞや」
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「その織姫の技量はひとまずおいても、永い夫婦の契りだけにはあやかりたいものだったね。なるほど、その龍田姫の錦の染色の腕前には、誰も及ぶ者はいないだろうね。ちょっとした花や紅葉といっても、季節の色合いが相応しくなく、はっきりとしていないのは、何の見映えもなく、台なしになってしまうものだ。そうだからこそ、難しいものだと決定しかねるのですな」
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「技術上の織姫でなく、永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかったですね。立田姫もわれわれには必要な神様だからね。男にまずい服装をさせておく細君はだめですよ。そんな人が早く死ぬんだから、いよいよ良妻は得がたいということになる」
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"Sono Tanabata no tati nuhu kata wo nodome te, nagaki tigiri ni zo aye masi. Geni, sono Tatuta-Hime no nisiki ni ha, mata siku mono ara zi. Hakanaki hana momidi to ihu mo, wori-husi no iro-ahi tukinaku, haka-bakasikara nu ha, tuyu no haye naku kiye nuru waza nari. Sa aru ni yori, kataki yo to ha sadame-kane taru zo ya."
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2.1.21 |
と、言ひはやしたまふ。
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と、話をはずまされる。
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中将は指をかんだ女をほめちぎった。
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to, ihi-hayasi tamahu.
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出典6 |
綱引きて |
引き寄せばただにはよらで春駒の綱引するぞなはたつと聞く |
拾遺集雑賀-一一八五 平定文 |
2.1.17 |
出典7 |
戯れにくく |
ありぬやと心みがてらあひ見ねばたはぶれにくきまでぞ恋しき |
古今集俳諧歌-一〇二五 読人しらず |
2.1.17 |
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2.2 |
第二段 左馬頭の体験談(浮気な女の物語)
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2-2 Sama-no-Kami talks about a wanton girl friend
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2.2.1 |
「 さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み、走り書き、掻い弾く爪音、手つき口つき、みなたどたどしからず、見聞きわたりはべりき。見る目もこともなくはべりしかば、 このさがな者を、うちとけたる方にて、時々隠ろへ 見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。この人亡せて後、 いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく艶に好ましきことは、 目につかぬ所あるに、うち頼むべくは見えず、 かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心交はせる 人ぞありけらし。
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「ところで、また同じころに、通っていました女は、人品も優れ気の働かせ方もまことに嗜みがあると思われるように、素早く歌を詠み、すらすらと書き、掻いつま弾く琴の音色、その腕前や詠みぶりが、みな確かであると、見聞きしておりました。見た目にも無難でございましたので、先程の嫉妬深い女を気の置けない通い所にして、時々隠れて逢っていました間は、格段に気に入っておりました。今の女が亡くなって後は、どうしましょう、かわいそうだとは思いながらも死んでしまったものは仕方がないので、頻繁に通うようになってみますと、少し派手で婀娜っぽく風流めかしていることは、気に入らないところがあったので、頼りにできる女とは思わずに、途絶えがちにばかり通っておりましたら、こっそり心を通じている男がいたらしいのです。
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「その時分にまたもう一人の情人がありましてね、身分もそれは少しいいし、才女らしく歌を詠んだり、達者に手紙を書いたりしますし、音楽のほうも相当なものだったようです。感じの悪い容貌でもありませんでしたから、やきもち焼きのほうを世話女房にして置いて、そこへはおりおり通って行ったころにはおもしろい相手でしたよ。あの女が亡くなりましたあとでは、いくら今さら愛惜しても死んだものはしかたがなくて、たびたびもう一人の女の所へ行くようになりますと、なんだか体裁屋で、風流女を標榜している点が気に入らなくて、一生の妻にしてもよいという気はなくなりました。あまり通わなくなったころに、もうほかに恋愛の相手ができたらしいのですね、
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"Sate, mata onazi koro, makari kayohi si tokoro ha, hito mo tati-masari kokorobase makoto ni yuwe ari to miye nu beku, uti-yomi, hasiri-kaki, kai-hiku tuma-oto, te-tuki kuti-tuki, mina tado-tadosikara zu, mi kiki watari haberi ki. Miru me mo koto mo naku haberi sika ba, kono sagana mono wo, uti-toke taru kata nite, toki-doki kakurohe mi haberi si hodo ha, koyonaku kokoro tomari haberi ki. Kono hito use te noti, ikagaha se m, ahare nagara mo sugi nuru ha kahinaku te, siba-siba makari naruru ni ha, sukosi mabayuku en ni konomasiki koto ha, me ni tuka nu tokoro aru ni, uti-tanomu beku ha miye zu, kare-gare ni nomi mise haberu hodo ni, sinobi te kokoro kahase ru hito zo ari ke' rasi.
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2.2.2 |
神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、 ある上人来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、 大納言の家にまかり泊まらむとするに、この人言ふやう、『 今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき』 とて、 この女の家はた、避きぬ道なりければ ★、 荒れたる崩れより池の水かげ見えて、 月だに宿る住処を 過ぎむもさすがにて、 下りはべりぬかし。
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神無月の時節ごろ、月の美しかった夜に、内裏から退出いたしますに、ある殿上人が来合わせて、わたしの車に同乗していましたので、大納言殿の家へ行って泊まろうとすると、この人が言うことには、『今宵は、わたしを待っているだろう女が、妙に気にかかるよ』と言って、先程の女の家は、なんとしても通らなけれならない道に当たっていたので、荒れた築地塀の崩れから池の水に月の光が映っていて、月でさえ泊まるこの宿をこのまま通り過ぎてしまうのも惜しいというので、降りたのでございました。
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十一月ごろのよい月の晩に、私が御所から帰ろうとすると、ある殿上役人が来て私の車へいっしょに乗りました。私はその晩は父の大納言の家へ行って泊まろうと思っていたのです。途中でその人が、『今夜私を待っている女の家があって、そこへちょっと寄って行ってやらないでは気が済みませんから』と言うのです。私の女の家は道筋に当たっているのですが、こわれた土塀から池が見えて、庭に月のさしているのを見ると、私も寄って行ってやっていいという気になって、その男の降りた所で私も降りたものです。
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Kamnaduki no korohohi, tuki omosirokari si yo, Uti yori makade haberu ni, aru Uhebito ki-ahi te, kono kuruma ni ahi-nori te habere ba, Dainagon no ihe ni makari tomara m to suru ni, kono hito ihu yau, 'Koyohi hito matu ram yado nam, ayasiku kokoro-gurusiki' tote, kono womna no ihe hata, yoki nu miti nari kere ba, are taru kudure yori ike no midu kage miye te, tuki dani yadoru sumika wo sugi m mo sasuga nite, ori haberi nu kasi.
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2.2.3 |
もとよりさる心を交はせるにやありけむ、 この男いたくすずろきて、 門近き廊の簀子だつものに尻かけて、とばかり 月を見る。 菊いとおもしろく移ろひわたり、風に競へる紅葉の乱れなど、あはれと、げに見えたり。
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以前から心を交わしていたのでしょうか、この男はとてもそわそわして、中門近くの渡廊の簀子のような所に腰を掛けて、暫く月を見ています。菊は一面にとても色美しく変色しており、風に勢いづいた紅葉が散り乱れているのなど、美しいものだなあと、なるほど思われました。
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その男のはいって行くのはすなわち私の行こうとしている家なのです。初めから今日の約束があったのでしょう。男は夢中のようで、のぼせ上がったふうで、門から近い廊の室の縁側に腰を掛けて、気どったふうに月を見上げているんですね。それは実際白菊が紫をぼかした庭へ、風で紅葉がたくさん降ってくるのですから、身にしむように思うのも無理はないのです。
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Motoyori saru kokoro wo kahase ru ni ya ari kem, kono wotoko itaku suzuroki te, kado tikaki rau no sunoko-datu mono ni siri kake te, tobakari tuki wo miru. Kiku ito omosiroku uturohi watari, kaze ni kihohe ru momidi no midare nado, ahare to, geni miye tari.
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2.2.4 |
懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし、『 ▼ 蔭もよし』など つづしり謡ふほどに、よく鳴る和琴を、 調べととのへたりける、うるはしく掻き合はせたりしほど、けしうはあらずかし。 律の調べは、女のものやはらかに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清く澄める月に折つきなからず。男いたくめでて、簾のもとに歩み来て、
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懐にあった横笛を取り出して吹き鳴らし、『月影も良い』などと合い間合い間に謡うと、良い音のする和琴を、調子が調えてあったもので、きちんと合奏していたところは、悪くはありませんでした。律の調子は、女性がもの柔らかく掻き鳴らして、御簾の内側から聞こえて来るのも、今風の楽の音なので、清く澄んでいる月にふさわしくなくもありません。その男はひどく感心して、御簾の側に歩み寄って、
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男は懐中から笛を出して吹きながら合い間に『飛鳥井に宿りはすべし蔭もよし』などと歌うと、中ではいい音のする倭琴をきれいに弾いて合わせるのです。相当なものなんですね。律の調子は女の柔らかに弾くのが御簾の中から聞こえるのもはなやかな気のするものですから、明るい月夜にはしっくり合っています。男はたいへんおもしろがって、琴を弾いている所の前へ行って、
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Hutokoro nari keru hue tori-ide te huki narasi, 'Kage mo yosi' nado tudusiri utahu hodo ni, yoku naru wagon wo, sirabe totonohe tari keru, uruhasiku kaki-ahase tari si hodo, kesiu ha ara zu kasi. Riti-no-sirabe ha, womna no mono-yaharaka ni kaki-narasi te, su no uti yori kikoye taru mo, imameki taru mono no kowe nare ba, kiyoku sume ru tuki ni wori tukinakara zu. Wotoko itaku mede te, su no moto ni ayumi ki te,
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2.2.5 |
『 庭の紅葉こそ、踏み分けたる跡もなけれ』 などねたます。菊を折りて、
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『庭の紅葉を、踏み分けた跡がないですね』などと嫌がらせを言います。菊を手折って、
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『紅葉の積もり方を見るとだれもおいでになった様子はありませんね。あなたの恋人はなかなか冷淡なようですね』などといやがらせを言っています。菊を折って行って、
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'Niha no momidi koso, humi-wake taru ato mo nakere' nado netama su. Kiku wo wori te,
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2.2.6 |
『 琴の音も月もえならぬ宿ながら
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『琴の音色も月も素晴らしいお宅ですが
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『琴の音も菊もえならぬ宿ながら
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'Koto no ne mo tuki mo e nara nu yado nagara
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2.2.7 |
つれなき人をひきやとめける
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薄情な方を引き止めることができなかったようですね
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つれなき人を引きやとめける。
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turenaki hito wo hiki ya tome keru
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2.2.8 |
悪ろかめり』など言ひて、『 今ひと声、 聞きはやすべき人のある時、 手な残いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、女、いたう声つくろひて、
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悪いことを言ったかしら』などと言って、『もう一曲、喜んで聞きたいというわたしがいる時に、弾き惜しみなさいますな』などと、ひどく色っぽく言いかけますと、女は、声をとても気取って出して、
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だめですね』などと言ってまた『いい聞き手のおいでになった時にはもっとうんと弾いてお聞かせなさい』こんな嫌味なことを言うと、女は作り声をして
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waroka' meri.' nado ihi te, 'Ima hito kowe, kiki-hayasu beki hito no aru toki, te na nokoi tamahi so.' nado, itaku azare-kakare ba, womna itau kowe tukurohi te,
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2.2.9 |
『 木枯に吹きあはすめる笛の音を
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『冷たい木枯らしに合うようなあなたの笛の音を
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『こがらしに吹きあはすめる笛の音を
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'Kogarasi ni huki-ahasu meru hue no ne wo
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2.2.10 |
ひきとどむべき言の葉ぞなき』
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引きとどめる術をわたしは持ち合わせていません』
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引きとどむべき言の葉ぞなき』
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hiki-todomu beki koto-no-ha zo naki
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2.2.11 |
となまめき交はすに、 憎くなるをも知らで、また、 箏の琴を盤渉調に調べて、今めかしく掻い弾きたる爪音、かどなきにはあらねど、 まばゆき心地なむしはべりし。ただ時々うち語らふ 宮仕へ人などの、あくまでさればみ好きたるは、 さても見る限りはをかしくもありぬべし。 時々にても、さる所にて忘れぬよすがと 思ひたまへむには、頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて、その夜のことに ことつけてこそ、まかり絶えにしか。
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と色っぽく振る舞い合います。憎らしくなってきたのも知らずに、今度は、筝の琴を盤渉調に調えて、今風に掻き鳴らす爪音は、才能が無いではないが、目を覆いたい気持ちが致しました。ただ時々に言葉を交わす宮仕え人などで、どこまでも色っぽく風流なのは、そうであっても付き合うには興味もありましょう。時々であっても、通い妻として生涯の伴侶と致しますには、頼りなく風流すぎると嫌気がさして、その夜のことに口実をつくって、通うのをやめてしまいました。
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などと言ってふざけ合っているのです。私がのぞいていて憎らしがっているのも知らないで、今度は十三絃を派手に弾き出しました。才女でないことはありませんがきざな気がしました。遊戯的の恋愛をしている時は、宮中の女房たちとおもしろおかしく交際していて、それだけでいいのですが、時々にもせよ愛人として通って行く女がそんなふうではおもしろくないと思いまして、その晩のことを口実にして別れましたがね。
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to namameki kahasu ni, nikuku naru wo mo sira de, mata, syau-no-koto wo bansiki-deu ni sirabe te, imamekasiku kai-hiki taru tuma-oto, kado naki ni ha ara ne do, mabayuki kokoti nam si haberi si. Tada toki-doki uti-katarahu miyadukahe-bito nado no, akumade sarebami suki taru ha, sate mo miru kagiri ha wokasiku mo ari nu besi. Toki-doki nite mo, saru tokoro nite wasure nu yosuga to omohi tamahe m ni ha, tanomosige naku sasi-sugui tari to kokoro-oka re te, sono yo no koto ni kototuke te koso, makari taye ni sika.
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2.2.12 |
この二つのことを 思うたまへあはするに、 若き時の心にだに、なほ さやうにもて出でたることは、 いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。今より後は、まして さのみなむ思ひたまへらるべき。 御心のままに、 折らば落ちぬべき萩の露、 拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰 ★などの、艶にあえかなる 好き好きしさのみこそ、をかしく思さるらめ、今さりとも、 七年あまりがほどに思し知りはべなむ。なにがしがいやしき諌めにて、好きたわめらむ女に 心おかせたまへ。 過ちして、見む人の ★かたくななる名をも立てつべきものなり」
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この二つの例を考え合わせますと、若い時の考えでさえも、やはりそのように派手な女の例は、とても不安で頼りなく思われました。今から以後は、いっそうそのようにばかり思わざるを得ません。お気持ちのままに、手折るとこぼれ落ちてしまいそうな萩の露や、拾ったと思うと消えてしまう玉笹の上の霰などのような、しゃれていてか弱く風流なのばかりが、興味深くお思いでしょうが、今はそうであっても、七年余りのうちにお分かりになるでしょう。わたくしめごとき、わたくしごとき卑賤の者の忠告として、色っぽくなよなよとした女性にはお気をつけなさいませ。間違いを起こして、相手の男の愚かな評判までも立ててしまうものです」
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この二人の女を比べて考えますと、若い時でさえもあとの風流女のほうは信頼のできないものだと知っていました。もう相当な年配になっている私は、これからはまたそのころ以上にそうした浮華なものがきらいになるでしょう。いたいたしい萩の露や、落ちそうな笹の上の霰などにたとえていいような艶な恋人を持つのがいいように今あなたがたはお思いになるでしょうが、私の年齢まで、まあ七年もすればよくおわかりになりますよ、私が申し上げておきますが、風流好みな多情な女には気をおつけなさい。三角関係を発見した時に良人の嫉妬で問題を起こしたりするものです」
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Kono huta-tu no koto wo omou tamahe ahasuru ni, wakaki toki no kokoro ni dani, naho sayau ni mote-ide taru koto ha, ito ayasiku tanomosigenaku oboye haberi ki. Ima yori noti ha, masite sa nomi nam omohi tamahe raru beki. Mi-kokoro no mama ni, wora ba oti nu beki hagi no tuyu, hiroha ba kiye na m to miru tama-zasa no uhe no arare nado no, en ni ayeka naru suki-zukisisa nomi koso, wokasiku obosa ru rame, ima sa'ritomo, nana-tose amari ga hodo ni obosi-siri habe' na m. Nanigasi ga iyasiki isame ni te, suki tawame ram womna ni kokoro-oka se tamahe. Ayamati si te, mi m hito no katakuna naru na wo mo tate tu beki mono nari."
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2.2.13 |
と戒む。中将、例のうなづく。君すこしかた笑みて、 さることとは思すべかめり。
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と、忠告する。頭中将は例によってうなずく。源氏の君は少し微笑んで、そういうものだろうとお思いのようである。
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左馬頭は二人の貴公子に忠言を呈した。例のように中将はうなずく。少しほほえんだ源氏も左馬頭の言葉に真理がありそうだと思うらしい。
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to imasimu. Tyuuzyau, rei no unaduku. Kimi sukosi kata-wemi te, saru koto to ha obosu beka' meri.
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2.2.14 |
「 いづ方につけても、人悪ろくはしたなかりける身物語かな」とて、うち笑ひおはさうず。
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「どちらの話にしても、体裁の悪くみっともない体験談だね」と言って、皆でどっと笑い興じられる。
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あるいは二つともばかばかしい話であると笑っていたのかもしれない。
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"Idukata ni tuke te mo, hito-waroku hasitanakari keru mi-monogatari kana!" tote, uti-warahi ohasauzu.
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出典8 |
蔭もよし |
飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 蔭もよし 御甕<みもひ>も寒し 御秣<みまくさ>もよし |
催馬楽-飛鳥井 |
2.2.4 |
出典9 |
玉笹の上 |
いづこにか宿りとるらむあさひこがさすや岡辺の玉笹の上に |
古今六帖一-二六九 |
2.2.12 |
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2.3 |
第三段 頭中将の体験談(常夏の女の物語)
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2-3 Tou-no-Chujo talks about a shy girl friend
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2.3.1 |
中将、
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中将は、
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「私もばか者の話を一つしよう」 中将は前置きをして語り出した。 「私がひそかに情人にした女というのは、見捨てずに置かれる程度のものでね、長い関係になろうとも思わずにかかった人だったのですが、馴れていくとよい所ができて心が惹かれていった。たまにしか行かないのだけれど、とにかく女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるわけのこちらの態度だがと、自分のことだけれど気のとがめる時があっても、その女は何も言わない。久しく間を置いて逢っても始終来る人といるようにするので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。
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Tyuuzyau,
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2.3.2 |
「 なにがしは、痴者の物語をせむ ★」とて、「 いと忍びて見そめたりし人の、 さても見つべかりしけはひなりしかば、 ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを、 さばかりになれば、 うち頼めるけしきも見えき。頼むにつけては、 恨めしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、 見知らぬやうにて、久しきとだえをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ 朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、 心苦しかりしかば、 頼めわたることなどもありきかし。
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「わたしは、馬鹿な体験談をお話しましょう」と言って、「ごくこっそりと通い始めた女で、そうした関係を長く続けてもよさそうな様子だったので、長続きのする仲とは存じられませんでしたが、馴れ親しんで行くにつれて、愛しいと思われましたので、途絶えがちながらも忘れられない女と存じておりましたが、それほどの仲になると、わたしを頼りにしている様子にも見えました。頼りにするとなると、恨めしく思っていることもあるだろうと、我ながら思われる折々もございましたが、女は気に掛けぬふうをして、久しく通って行かないのを、こういうたまにしか来ない男とも思っていないで、ただ朝夕にいつも心に掛けているという態度に見えて、いじらしく思えたので、ずっと頼りにしているようにと言ったこともあったのでした。
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父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が何かの場合に見えて可憐な女でした。こんなふうに穏やかなものだから、久しく訪ねて行かなかった時分に、ひどいことを私の妻の家のほうから、ちょうどまたそのほうへも出入りする女の知人を介して言わせたのです。私はあとで聞いたことなんだ。
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"Nanigasi ha, sire-mono no monogatari se m" tote, "Ito sinobi te mi-some tari si hito no, sate mo mi tu bekari si kehahi nari sika ba, nagarahu beki mono to simo omohi tamahe zari sika do, nare yuku mama ni, ahare to oboye sika ba, taye-daye wasure nu mono ni omohi tamahe si wo, sabakari ni nare ba, uti-tanome ru kesiki mo miye ki. Tanomu ni tuke te ha, uramesi to omohu koto mo ara m to, kokoro nagara oboyuru wori-wori mo haberi si wo, mi-sira nu yau nite, hisasiki todaye wo mo, kau tamasaka naru hito to mo omohi tara zu, tada asa-yuhu ni mote-tuke tara m arisama ni miye te, kokoro-gurusikari sika ba, tanome wataru koto nado mo ari ki kasi.
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2.3.3 |
親もなく、いと心細げにて、 さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、 この見たまふるわたりより、 情けなくうたてあることをなむ、 さるたよりありてかすめ言はせたりける、 後にこそ聞きはべりしか。
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親もなく、とても心細い様子で、それならばこの人だけをと、何かにつけて頼りにしている様子もいじらしげでした。このようにおっとりしていることに安心して、長い間通って行かないでいたころ、わたしの妻の辺りから、情けのないひどいことを、ある手づるがあってそれとなく言わせたことを、後になって聞きました。
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そんなかわいそうなことがあったとも知らず、心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、女はずいぶん心細がって、私との間に小さな子なんかもあったもんですから、煩悶した結果、撫子の花を使いに持たせてよこしましたよ」 中将は涙ぐんでいた。
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Oya mo naku, ito kokoro-bosoge ni te, saraba kono hito koso ha to, koto ni hure te omohe ru sama mo rautage nari ki. Kau nodokeki ni odasiku te, hisasiku makara zari si koro, kono mi tamahuru watari yori, nasake naku utate aru koto wo nam, saru tayori ari te kasume iha se tari keru, noti ni koso kiki haberi sika.
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2.3.4 |
さる憂きことやあらむとも知らず、心には忘れずながら、消息などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて心細かりければ、 幼き者などもありしに思ひわづらひて、 撫子の花を折りておこせたりし」とて涙ぐみたり。
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そのような辛いことがあったのかとも知らず、心中では忘れていないとはいうものの、便りなども出さずに長い間おりましたところ、すっかり悲観して不安だったので、幼い子供もいたので思い悩んで、撫子の花を折って、送って寄こしました」と言って涙ぐんでいる。
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「どんな手紙」 と源氏が聞いた。
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Saru uki koto ya ara m to mo sira zu, kokoro ni ha wasure zu nagara, seusoko nado mo se de hisasiku haberi si ni, muge ni omohi siwore te kokoro-bosokari kere ba, wosanaki mono nado mo ari si ni omohi-wadurahi te, nadesiko no hana wo wori te okose tari si." tote namida-gumi tari.
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2.3.5 |
「 さて、その文の言葉は」と問ひたまへば、
|
「それで、その手紙には」とお尋ねになると、
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「なに、平凡なものですよ。
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"Sate, sono humi no kotoba ha?" to tohi tamahe ba,
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2.3.6 |
「 いさや、 ことなることもなかりきや。
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「いや、格別なことはありませんでしたよ。
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『山がつの垣は荒るともをりをりに
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"Isaya, koto naru koto mo nakari ki ya.
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2.3.7 |
『 山がつの垣ほ荒るとも折々に
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『山家の垣根は荒れていても時々は
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哀れはかけよ撫子の露』
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'Yamagatu no kakiho aru tomo wori-wori ni
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2.3.8 |
あはれはかけよ撫子の露』
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かわいがってやってください撫子の花を』
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ってね。私はそれで行く気になって、行って見ると、例のとおり穏やかなものなんですが、少し物思いのある顔をして、秋の荒れた庭をながめながら、そのころの虫の声と同じような力のないふうでいるのが、なんだか小説のようでしたよ。
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ahare ha kake yo nadesiko no tuyu
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2.3.9 |
思ひ出でしままに まかりたりしかば、例の うらもなきものから、いと物思ひ顔にて、 荒れたる家の露しげきを眺めて、 虫の音に競へるけしき、 昔物語めきておぼえはべりし。
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思い出したままに行きましたところ、いつものように無心なようでいながら、ひどく物思い顔で、荒れた家の露のしっとり濡れているのを眺めて、虫の鳴く音と競うかのように泣いている様子は、昔物語めいて感じられました。
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『咲きまじる花は何れとわかねども
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Omohi-ide si mama ni makari tari sika ba, rei no ura mo naki monokara, ito mono-omohi-gaho ni te, are taru ihe no tuyu sigeki wo nagame te, musi no ne ni kihohe ru kesiki, mukasi-monogatari-meki te oboye haberi si.
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2.3.10 |
『 咲きまじる色はいづれと分かねども
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『庭にいろいろ咲いている花はいずれも皆美しいが
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なほ常夏にしくものぞなき』
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'Saki-maziru iro ha idure to waka ne domo
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2.3.11 |
なほ 常夏にしくものぞなき』
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やはり常夏の花が一番美しく思われます』
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子供のことは言わずに、まず母親の機嫌を取ったのですよ。
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naho tokonatu ni siku mono zo naki
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2.3.12 |
大和撫子をばさしおきて、 まづ『塵をだに ★』など、親の心をとる。
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大和撫子のことはさておいて、まず『せめて塵だけは払おう』などと、親の機嫌を取ります。
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『打ち払ふ袖も露けき常夏に
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Yamatonadesiko wo ba sasi-oki te, madu 'tiri wo dani' nado, oya no kokoro wo toru.
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2.3.13 |
『 うち払ふ袖も露けき常夏に
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『床に積もる塵を払う袖を涙に濡れている常夏に
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嵐吹き添ふ秋も来にけり』
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'Uti-harahu sode mo tuyu-keki tokonatu ni
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2.3.14 |
あらし吹きそふ秋も来にけり』
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さらに激しい風の吹きつける秋までが来ました』
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こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨むふうもありません。うっかり涙をこぼしても恥ずかしそうに紛らしてしまうのです。恨めしい理由をみずから追究して考えていくことが苦痛らしかったから、私は安心して帰って来て、またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなってしまったのです。
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arasi huki sohu aki mo ki ni keri
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2.3.15 |
とはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。涙をもらし落としても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、 つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、 心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、 跡もなくこそかき消ちて失せにしか。
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とさりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるようにも見えません。涙をもらし落としても、とても恥ずかしそうに遠慮がちに取り繕い隠して、薄情を恨めしく思っているということを知られるのが、とてもたまらないらしいことのように思っていたので、気楽に構えて、再び通わずにいましたうちに、跡形なく姿を晦ましていなくなってしまったのでした。
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まだ生きておれば相当に苦労をしているでしょう。私も愛していたのだから、もう少し私をしっかり離さずにつかんでいてくれたなら、そうしたみじめな目に逢いはしなかったのです。長く途絶えて行かないというようなこともせず、妻の一人として待遇のしようもあったのです。撫子の花と母親の言った子もかわいい子でしたから、どうかして捜し出したいと思っていますが、今に手がかりがありません。
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to hakanage ni ihi-nasi te, mame-mamesiku urami taru sama mo miye zu. Namida wo morasi otosi te mo, ito hadukasiku tutumasige ni magirahasi kakusi te, turaki wo mo omohi-siri keri to miye m ha, warinaku kurusiki mono to omohi tari sika ba, kokoro-yasuku te, mata todaye-oki haberi si hodo ni, ato mo naku koso kaki-keti te use ni sika.
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2.3.16 |
まだ世にあらば、 はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはす けしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、 さるものにしなして 長く見るやうもはべりなまし。 かの撫子のらうたくはべりしかば、 いかで尋ねむと思ひたまふるを、 今もえこそ聞きつけはべらね。
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まだ生きていれば、みじめな生活をしていることでしょう。愛しいと思っていましたころに、うるさいくらいにまつわり付くような様子に見えたならば、こういうふうには行方不明にはさせなかったものを。こんなにも途絶えはせずに、通い妻の一人として末永く関係を保つこともあったでしょうに。あの撫子がかわいらしうございましたので、何とか捜し出したいものだと存じておりますが、今でも行方を知ることができません。
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これはさっきの話のたよりない性質の女にあたるでしょう。素知らぬ顔をしていて、心で恨めしく思っていたのに気もつかず、私のほうではあくまでも愛していたというのも、いわば一種の片恋と言えますね。もうぼつぼつ今は忘れかけていますが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々はつらい悲しい思いをしているだろうと思われます。これなどは男に永久性の愛を求めようとせぬ態度に出るもので、確かに完全な妻にはなれませんね。
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Mada yo ni ara ba, hakanaki yo ni zo sasurahu ram. Ahare to omohi si hodo ni, wadurahasige ni omohi-matohasu kesiki miye masika ba, kaku mo akugarasa zara masi. Koyonaki todaye-oka zu, saru mono ni si-nasi te nagaku miru yau mo haberi na masi. Kano nadesiko no rautaku haberi sika ba, ikade tadune m to omohi tamahuru wo, ima mo e koso kiki-tuke habera ne.
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2.3.17 |
これこそのたまへるはかなき例なめれ。 つれなくてつらしと思ひけるも知らで、 あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際に、 かれはたえしも思ひ離れず、折々人やりならぬ胸焦がるる夕べも あらむとおぼえはべり。 これなむ、え保つまじく頼もしげなき方なりける。
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これがおっしゃられた頼りない女の例でしょう。平気をよそおって辛いと思っているのも知らないで、愛し続けていたのも、無益な片思いでした。今はだんだん忘れかけて行くころになって、あの女は女でまたわたしを忘れられず、時折自分のせいで胸を焦がす夕べもあるであろうと思われます。この女は、永続きしそうにない頼りない例でしたなあ。
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だからよく考えれば、左馬頭のお話の嫉妬深い女も、思い出としてはいいでしょうが、今いっしょにいる妻であってはたまらない。どうかすれば断然いやになってしまうでしょう。琴の上手な才女というのも浮気の罪がありますね。私の話した女も、よく本心の見せられない点に欠陥があります。どれがいちばんよいとも言えないことは、人生の何のこともそうですがこれも同じです。何人かの女からよいところを取って、悪いところの省かれたような、そんな女はどこにもあるものですか。吉祥天女を恋人にしようと思うと、それでは仏法くさくなって困るということになるだろうからしかたがない」 中将がこう言ったので皆笑った。
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Kore koso notamahe ru hakanaki tamesi na' mere. Turenaku te turasi to omohi keru mo sira de, ahare taye zari si mo, yaku naki kata-omohi nari keri. Ima yau-yau wasure-yuku kiha ni, kare hata e simo omohi hanare zu, wori-wori hito-yari nara nu mune kogaruru yuhube mo ara m to oboye haberi. Kore nam, e tamotu maziku tanomosigenaki kata nari keru.
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2.3.18 |
されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見むには わづらはしくよ、よくせずは、 飽きたきこともありなむや。 琴の音すすめけむかどかどしさも、好きたる罪重かるべし。 この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに 思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそ。とりどりに 比べ苦しかるべき。このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、 いづこにかはあらむ。 吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気づき、 くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ」 とて、皆笑ひぬ。
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それだから、あの嫉妬深い女も、思い出される女としては忘れ難いけれども、実際に結婚生活を続けて行くのにはうるさいしね、悪くすると、嫌になることもありましょうよ。琴が素晴らしい才能だったという女も、浮気な欠点は重大でしょう。この頼りない女も、疑いが出て来ましょうから、どちらが良いとも結局は決定しがたいのだ。男女の仲は、ただこのようなものだ。それぞれに優劣をつけるのは難しいことで。このそれぞれの良いところばかりを身に備えて、非難される点を持たない女は、どこにいましょうか。吉祥天女に思いをかけようとすれば、抹香臭くなり、人間離れしているのも、また、おもしろくないでしょう」と言って、皆笑った。
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Sareba, kano sagana-mono mo, omohi-ide aru kata ni wasuregatakere do, sasiatari te mi m ni ha wadurahasiku yo, yoku se zu ha, akitaki koto mo ari na m ya! Koto no ne susume kem kado-kadosisa mo, suki taru tumi omokaru besi. Kono kokoromotonaki mo, utagahi sohu bekere ba, idure to tuhini omohi-sadame zu nari nuru koso. Yononaka ya, tada kaku koso. Tori-dori ni kurabe kurusikaru beki. Kono sama-zama no yoki kagiri wo tori gu-si, nan-zu beki kusahahi maze nu hito ha, iduko ni kaha ara m. Kitizyau-tennyo wo omohi-kake m to sure ba, hohuke-duki, kususikara m koso, mata, wabisikari nu bekere." tote, mina warahi nu.
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出典10 |
『塵をだに』 |
塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花 |
古今集夏-一六七 凡河内躬恒 |
2.3.12 |
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2.4 |
第四段 式部丞の体験談(畏れ多い女の物語)
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2-4 Tou-Shikibu-no-Jo talks about a clever girl friend
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2.4.1 |
「 式部がところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ語り申せ」と 責めらる。
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「式部のところには、変わった話があろう。少しずつ、話して聞かせよ」と催促される。
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「式部の所にはおもしろい話があるだろう、少しずつでも聞きたいものだね」 と中将が言い出した。
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"Sikibu ga tokoro ni zo, kesiki aru koto ha ara m. Sukosi-dutu katari mause." to seme raru.
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2.4.2 |
「 下が下の中には、なでふことか、聞こし召しどころはべらむ」
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「下の下のわたくしめごとき者には、何の、お聞きあそばす話がありましょう」
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「私どもは下の下の階級なんですよ。おもしろくお思いになるようなことがどうしてございますものですか」
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"Simo ga simo no naka ni ha, nadehu koto ka, kikosimesi dokoro habera m."
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2.4.3 |
と言へど、 頭の君、まめやかに「遅し」と責めたまへば、 何事をとり申さむと思ひめぐらすに、
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と言うけれど、頭中将の君が、真面目に「早く早く」とご催促なさるので、何をお話し申そうかと思案したが、
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式部丞は話をことわっていたが、頭中将が本気になって、早く早くと話を責めるので、 「どんな話をいたしましてよろしいか考えましたが、こんなことがございます。
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to ihe do, Tou-no-Kimi, mameyaka ni "Ososi" to seme tamahe ba, nanigoto wo tori mausa m to omohi megurasu ni,
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2.4.4 |
「 まだ文章生にはべりし時、 かしこき女の例をなむ 見たまへし。かの、 馬頭の 申したまへるやうに、公事をも言ひあはせ、私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く、才の際なまなまの博士恥づかしく、すべて口あかすべくなむはべらざりし。
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「まだ文章生でございました時、畏れ多い女性の例を拝見しました。先程、左馬頭が申されましたように、公事をも相談し、私生活の面での心がけも考え廻らすこと深く、漢学の才能はなまじっかの博士が恥ずかしくなる程で、万事口出すことは何もございませんでした。
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まだ文章生時代のことですが、私はある賢女の良人になりました。さっきの左馬頭のお話のように、役所の仕事の相談相手にもなりますし、私の処世の方法なんかについても役だつことを教えていてくれました。学問などはちょっとした博士などは恥ずかしいほどのもので、私なんかは学問のことなどでは、前で口がきけるものじゃありませんでした。
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"Mada Monzyau-no-syau ni haberi si toki, kasikoki womna no tamesi wo nam mi tamahe si. Kano, Uma-no-kami no mausi tamahe ru yau ni, ohoyake-goto wo mo ihi-ahase, watakusi-zama no yo ni sumahu beki kokoro-okite wo omohi-megurasa m kata mo itari hukaku, zae no kiha nama-nama no hakase hadukasiku, subete kuti akasu beku nam habera zari si.
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2.4.5 |
それは、ある博士のもとに 学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、主人のむすめども多かりと 聞きたまへて、はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを、親聞きつけて、盃持て出でて、 『 わが両つの途歌ふを聴け』となむ、 聞こえごちはべりしかど、 をさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚りて、さすがにかかづらひはべりしほどに、 いとあはれに思ひ後見、寝覚の語らひにも、身の才つき、朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて、いときよげに消息文にも 仮名といふもの書きまぜず、 むべむべしく言ひまはしはべるに、おのづからえまかり絶えで、その者を師としてなむ、わづかなる 腰折文作ることなど習ひはべりしかば、今にその 恩は忘れはべらねど、なつかしき妻子とうち頼まむには、無才の人、なま悪ろならむ振る舞ひなど 見えむに、 恥づかしくなむ見えはべりし。まいて君達の御ため、はかばかしく したたかなる御後見は、 何にかせさせたまはむ。はかなし、口惜し、とかつ見つつも、ただわが心につき、 宿世の引く方はべるめれば、 男しもなむ、仔細なきものははべめる」
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それは、ある博士のもとで学問などを致そうと思って、通っておりましたころに、主人の博士には娘が多くいるとお聞き致しまして、ちょっとした折に言い寄りましたところ、父親が聞きつけて、盃を持って出て来て、『わたしが両つの途を歌うのを聴け』と謡いかけてきましたが、少しも結婚してもよいと思って通っていませんで、あの父親の気持ちに気兼ねして、そうは言うもののかかずらっておりましたところ、とても情け深く世話をし、閨房の語らいにも、身に学問がつき、朝廷に仕えるのに役立つ学問的なことを教えてくれて、とても見事に手紙文にも仮名文字というものを書き交ぜず、本格的に漢文で表現しますので、ついつい別れることができずに、その女を先生として、下手な漢詩文を作ることなどを習いましたので、今でもその恩は忘れませんが、慕わしい妻として頼りにするには、無学のわたしは、どことなく劣った振る舞いなど見られましょうから、恥ずかしく思われました。ましてあなた様方の御ためには、しっかりして手ぬかりのない奥方様は、何の必要がおありあそばしましょうか。つまらない、残念だ、と一方では思いながらも、ただ自分の気に入り、宿縁もあるようでございますので、男という者は、他愛のないもののようでございます」
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それはある博士の家へ弟子になって通っておりました時分に、先生に娘がおおぜいあることを聞いていたものですから、ちょっとした機会をとらえて接近してしまったのです。親の博士が二人の関係を知るとすぐに杯を持ち出して白楽天の結婚の詩などを歌ってくれましたが、実は私はあまり気が進みませんでした。ただ先生への遠慮でその関係はつながっておりました。先方では私をたいへんに愛して、よく世話をしまして、夜分寝んでいる時にも、私に学問のつくような話をしたり、官吏としての心得方などを言ってくれたりいたすのです。手紙は皆きれいな字の漢文です。仮名なんか一字だって混じっておりません。よい文章などをよこされるものですから別れかねて通っていたのでございます。今でも師匠の恩というようなものをその女に感じますが、そんな細君を持つのは、学問の浅い人間や、まちがいだらけの生活をしている者にはたまらないことだとその当時思っておりました。またお二方のようなえらい貴公子方にはそんなずうずうしい先生細君なんかの必要はございません。私どもにしましても、そんなのとは反対に歯がゆいような女でも、気に入っておればそれでいいのですし、前生の縁というものもありますから、男から言えばあるがままの女でいいのでございます」
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Sore ha, aru hakase no moto ni gakumon nado si haberu tote, makari kayohi si hodo ni, aruzi no musume-domo ohokari to kiki tamahe te, hakanaki tuide ni ihi-yori te haberi si wo, oya kiki-tuke te, sakaduki mote-ide te, 'Waga huta-tu no miti utahu wo kike.' to nam, kikoyegoti haberi sika do, wosa-wosa utitoke te mo makara zu, kano oya no kokoro wo habakari te, sasugani kakadurahi haberi si hodo ni, ito ahare ni omohi usiromi, nezame no katarahi ni mo, mi no zae tuki, ohoyake ni tukaumaturu beki miti-mitisiki koto wo wosihe te, ito kiyoge ni seusoko-bumi ni mo kanna to ihu mono kaki maze zu, mube-mubesiku ihimahasi haberu ni, onodukara e makari taye de, sono mono wo si to si te nam, waduka naru kosiwore-bumi tukuru koto nado narahi haberi sika ba, ima ni sono on ha wasure habera ne do, natukasiki saisi to uti-tanoma m ni ha, muzai no hito, nama-waro nara m hurumahi nado miye m ni, hadukasiku nam miye haberi si. Maite kimdati no ohom-tame, haka-bakasiku sitataka naru ohom-usiromi ha, nani ni ka se sase tamaha m. Hakanasi, kutiwosi, to katu mi tutu mo, tada waga kokoro ni tuki, sukuse no hiku kata haberu mere ba, wonoko simo nam, sisai naki mono ha habe' meru."
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2.4.6 |
と申せば、 残りを言はせむとて、「 さてさてをかしかりける女かな」とすかいたまふを、心は得ながら、 鼻のわたりをこづきて語りなす。
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と申し上げるので、続きを言わせようとして、「それにしてもまあ、何と興味ある女だろうか」と、おだてなさるのを、そうとは知りながらも、鼻のあたりをおかしなかっこうさせて語り続ける。
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これで式部丞が口をつぐもうとしたのを見て、頭中将は今の話の続きをさせようとして、 「とてもおもしろい女じゃないか」 と言うと、その気持ちがわかっていながら式部丞は、自身をばかにしたふうで話す。
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to mause ba, nokori wo iha se m tote, "Sate sate wokasikari keru womna kana!" to sukai tamahu wo, kokoro ha e nagara, hana no watari okoduki te katari-nasu.
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2.4.7 |
「 さて、いと久しくまからざりしに、もののたよりに立ち寄りてはべれば、常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき 物越しにてなむ逢ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、 よきふしなりとも思ひたまふるに、このさかし人はた、軽々しきもの怨じすべきにもあらず、 世の道理を思ひとりて恨みざりけり。
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「そうして、ずいぶん長く行きませんでしたが、何かのついでに立ち寄ってみましたところ、いつものくつろいだ部屋にはおりませんで、不愉快な物を隔てて逢のでございます。嫉妬しているのかと、ばかばかしくもあり、また、別れるのにちょうど良い機会だと存じましたが、この畏れ多い女という者は、軽々しい嫉妬をするはずもなく、男女の仲を心得ていて恨み言を言いませんでした。
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「そういたしまして、その女の所へずっと長く参らないでいました時分に、その近辺に用のございましたついでに、寄って見ますと、平生の居間の中へは入れないのです。物越しに席を作ってすわらせます。嫌味を言おうと思っているのか、ばかばかしい、そんなことでもすれば別れるのにいい機会がとらえられるというものだと私は思っていましたが、賢女ですもの、軽々しく嫉妬などをするものではありません。人情にもよく通じていて恨んだりなんかもしやしません。
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"Sate, ito hisasiku makara zari si ni, mono no tayori ni tatiyori te habere ba, tune no utitoke wi taru kata ni ha habera de, kokoroyamasiki mono-gosi nite nam ahi te haberu. Husuburu ni ya to, wokogamasiku mo, mata, yoki husi nari to mo omohi tamahuru ni, kono sakasi-bito hata, karo-garosiki mono-wen-zi su beki ni mo ara zu, yo no dauri wo omohi-tori te urami zari keri.
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2.4.8 |
声もはやりかにて言ふやう、
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声もせかせかと言うことには、
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しかも高い声で言うのです。
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Kowe mo hayarika ni te ihu yau,
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2.4.9 |
『 月ごろ、風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、 え対面賜はらぬ。目のあたりならずとも、さるべからむ雑事らは承らむ』
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『数月来、風邪が重いのに堪え兼ねて、極熱の薬草を服して、大変に臭いので、面会は御遠慮申し上げます。直接にでなくても、しかるべき雑用などは承りましょう』
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『月来、風病重きに堪えかね極熱の草薬を服しました。それで私はくさいのでようお目にかかりません。物越しででも何か御用があれば承りましょう』
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'Tuki-goro, hubyau omoki ni tahe-kane te, gokuneti no sauyaku wo buku-si te, ito kusaki ni yori nam, e taimen tamahara nu. Manoatari nara zu tomo, saru-bekara m zauzi-ra ha uketamahara m.'
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2.4.10 |
と、いとあはれにむべむべしく言ひはべり。 答へに何とかは。ただ、『 承りぬ』とて、立ち出ではべるに、 さうざうしくやおぼえけむ、
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と、いかにも殊勝にもっともらしく言います。返事には何と言えようか。ただ、『承知しました』とだけ言って、立ち去ります時に、物足りなく思ったのでしょうか、
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ってもっともらしいのです。ばかばかしくて返辞ができるものですか、私はただ『承知いたしました』と言って帰ろうとしました。でも物足らず思ったのですか
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to, ito ahare ni mube-mubesiku ihi haberi. Irahe ni nani to kaha. Tada, 'Uketamahari nu' tote, tati-ide haberu ni, sau-zausiku ya oboye kem,
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2.4.11 |
『 この香失せなむ時に立ち寄りたまへ』と高やかに言ふを、聞き過ぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたち添へるも術なくて、 逃げ目をつかひて、
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『この臭いが消えた時にお立ち寄り下さい』と声高に言うのを、聞き捨てるのも気の毒ですが、しばしの間でもためらっている場合でもありませんので、言うとおり、その臭いまでが、ぷんぷんと漂って来るのも堪りませんので、きょろきょろと逃げ時をうかがって、
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『このにおいのなくなるころ、お立ち寄りください』とまた大きな声で言いますから、返辞をしないで来るのは気の毒ですが、ぐずぐずもしていられません。なぜかというと草薬の蒜なるものの臭気がいっぱいなんですから、私は逃げて出る方角を考えながら、
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'Kono ka use na m toki ni tati-yori tamahe.' to takayaka ni ihu wo, kiki-sugusa m mo itohosi, sibasi yasurahu beki ni, hata habera ne ba, geni sono nihohi sahe, hanayaka ni tati-sohe ru mo subenaku te, nigeme wo tukahi te,
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2.4.12 |
『 ささがにのふるまひしるき夕暮れに
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『蜘蛛の動きでわたしの来ることがわかっているはずの夕暮に
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『ささがにの振舞ひしるき夕暮れに
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'Sasagani no hurumahi siruki yuhugure ni
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2.4.13 |
ひるま過ぐせといふがあやなさ
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蒜が臭っている昼間が過ぎるまでまで待てと言うのは訳がわかりません
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ひるま過ぐせと言ふがあやなき。
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hiruma suguse to ihu ga aya nasa
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2.4.14 |
いかなることつけぞや』
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どのような口実ですか』
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何の口実なんだか』
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Ikanaru koto-tuke zo ya?'
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2.4.15 |
と、 言ひも果てず走り出ではべりぬるに、 追ひて、
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と、言い終わらず逃げ出しましたところ、追いかけて、
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と言うか言わないうちに走って来ますと、あとから人を追いかけさせて返歌をくれました。
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to, ihi mo hate zu hasiri-ide haberi nuru ni, ohi te,
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2.4.16 |
『 逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば
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『逢うことが一夜も置かずに逢っている夫婦仲ならば
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『逢ふことの夜をし隔てぬ中ならば
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'Ahu koto no yo wo si hedate nu naka nara ba
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2.4.17 |
ひる間も何かまばゆからまし』
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蒜の臭っている昼間逢ったからとてどうして恥ずかしいことがありましょうか』
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ひるまも何か眩ゆからまし』
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hiruma mo nani ka mabayukara masi
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2.4.18 |
さすがに口疾くなどははべりき」
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さすがに返歌は素早うございました」
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というのです。歌などは早くできる女なんでございます」
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Sasuga ni kuti-toku nado ha haberi ki."
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2.4.19 |
と、 しづしづと申せば、君達あさましと思ひて、「嘘言」とて笑ひたまふ。
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と、落ち着いて申し上げるので、公達は興醒めに思って、「嘘だ」と言ってお笑いになる。
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式部丞の話はしずしずと終わった。貴公子たちはあきれて、
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to, sidu-sidu to mause ba, kimi-tati asamasi to omohi te, "Sora-goto" tote warahi tamahu.
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2.4.20 |
「 いづこのさる女かあるべき。おいらかに 鬼とこそ向かひゐたらめ。むくつけきこと」
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「どこにそのような女がいようか。おとなしく鬼と向かい合っていたほうがましだ。気持ちが悪い話よ」
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「うそだろう」 と爪弾きをして見せて、
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"Iduko no saru womna ka aru beki. Oyiraka ni oni to koso mukahi wi tara me. Mukutukeki koto!"
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2.4.21 |
と 爪弾きをして、「言はむ方なし」と、式部をあはめ憎みて、
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と爪弾きして、「何とも評しようがない」と、藤式部丞を軽蔑し非難して、
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式部をいじめた。
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to tumahaziki wo si te, "Iha-m-kata-nasi" to, Sikibu wo ahame nikumi te,
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2.4.22 |
「 すこしよろしからむことを申せ」と責めたまへど、
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「もう少しましな話を申せ」とお責めになるが、
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「もう少しよい話をしたまえ」
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"Sukosi yorosikara m koto wo mause." to seme tamahe do,
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2.4.23 |
「 これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。
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「これ以上珍しい話がございましょうか」と言って、澄ましている。
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「これ以上珍しい話があるものですか」 式部丞は退って行った。
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"Kore yori medurasiki koto ha saburahi na m ya." tote, wori.
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2.4.24 |
「 すべて男も女も悪ろ者は、わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へるこそ、いとほしけれ。
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「すべて男も女も未熟者は、少し知っている方面のことをすっかり見せようと思っているのが、困ったものです。
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「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。
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"Subete wotoko mo womna mo waro-mono ha, waduka ni sire ru kata no koto wo nokori naku mise tukusa m to omohe ru koso, itohosikere.
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2.4.25 |
三史五経、道々しき方を、明らかに 悟り明かさむこそ、愛敬なからめ ★、 などかは、女といはむからに、世にあることの公私につけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然に多かるべし。
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三史五経といった学問的な方面を、本格的に理解するというのは、好感の持てないことですが、どうして女だからといって、世の中の公私の事々につけて、まったく知りませんできませんと言っていられましょうか。本格的に勉強しなくても、少しでも才能のあるような人は、耳から目から入って来ることが、自然に多いはずです。
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三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。
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Sam-si go-kyau, miti-mitisiki kata wo, akiraka ni satori akasa m koso, aigyau nakara me, nado-kaha, womna to iha m kara ni, yo ni aru koto no ohoyake watakusi ni tuke te, muge ni sira zu itara zu simo ara m. Wazato narahi maneba ne do, sukosi mo kado ara m hito no, mimi ni mo me ni mo tomaru koto, zinen ni ohokaru besi.
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2.4.26 |
さるままには、真名を走り書きて、さるまじきどちの女文に、なかば過ぎて書きすすめたる、 あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり。心地にはさしも思はざらめど、 おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈の中にも、 多かることぞかし。
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そのようなことから、漢字をさらさらと走り書きして、お互いに書かないはずの女どうしの手紙文にも、半分以上書き交ぜているのは、ああ何と厭味な、この人が女らしかったらいいのになあと思われます。気持ちの上ではそんなにも思わないでしょうが、自然とごつごつした声に読まれ読まれして、わざとらしく感じられます。上流の中にも多く見られることです。
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自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢宇が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味になるものです。これは貴婦人もするまちがった趣味です。
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Saru mama ni ha, manna wo hasiri-kaki te, saru-maziki-doti no womna-bumi ni, nakaba sugi te kaki susume taru, ana utate, kono hito no tawoyaka nara masika ba to miye tari. Kokoti ni ha sasimo omoha zara me do, onodukara koha-gohasiki kowe ni yomi-nasa re nado si tutu, kotosarabi tari. Zyaurahu no naka ni mo, ohokaru koto zo-kasi.
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2.4.27 |
歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき古言をも初めより 取り込みつつ、 すさまじき折々、 詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。返しせねば情けなし、 えせざらむ人ははしたなからむ。
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和歌を詠むことを鼻にかけている人が、そのまま和歌のとりことなって、趣のある古歌を初句から取り込み取り込みして、相応しからぬ折々に、それを詠みかけて来ますのは、不愉快なことです。返歌しないと人情がないし、出来ないような人は体裁が悪いでしょう。
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歌詠みだといわれている人が、あまりに歌にとらわれて、むずかしい故事なんかを歌の中へ入れておいて、そんな相手になっている暇のない時などに詠みかけてよこされるのはいやになってしまうことです、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。
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Uta yomu to omohe ru hito no, yagate uta ni matuha re, wokasiki huru-koto wo mo hazime yori tori-komi tutu, susamaziki wori-wori, yomi-kake taru koso, mono-monosiki koto nare. Kahesi se ne ba nasakenasi, e se zara m hito ha hasitanakara m.
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2.4.28 |
さるべき節会など、 五月の節に急ぎ参る朝、 何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、 九日の宴に、まづ難き詩の心を思ひめぐらして暇なき折に、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、さならでもおのづから、 げに後に思へばをかしくもあはれにも あべかりけることの、その折につきなく、目にとまらぬなどを、推し量らず詠み出でたる、なかなか心後れて見ゆ。
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しかるべき節会などで、五月の節会に急いで参内する朝に、落ち着いて分別などしていられない時に、素晴らしい根にかこつけてきたり、重陽の節会の宴会のために、何はともあれ難しい漢詩の趣向を思いめぐらしていて暇のない折に、菊の露にかこつけたような、相応しからぬことに付き合わせ、そういう場合ではなくとも自然と、なるほどと後から考えればおもしろくもしみじみともあるはずのものが、その場合には相応しくなく、目にも止まらないのを、察しもせずに詠んで寄こすのは、かえって気がきかないように思われます。
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宮中の節会の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。 そんな時に菖蒲に寄せた歌が贈られる、九月の菊の宴に作詩のことを思って一所懸命になっている時に、菊の歌。こんな思いやりのないことをしないでも場合さえよければ、真価が買ってもらえる歌を、今贈っては目にも留めてくれないということがわからないでよこしたりされると、ついその人が軽蔑されるようになります。
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Sarubeki setiwe nado, satuki-no-seti ni isogi mawiru asita, nani no ayame mo omohi-sidume rare nu ni, e nara nu ne wo hiki-kake, kokonuka-no-en ni, madu kataki si no kokoro wo omohi-megurasi te itoma naki wori ni, kiku no tuyu wo kakoti-yose nado yau no, tukinaki itonami ni ahase, sa nara de mo onodukara, geni noti ni omohe ba wokasiku mo ahare ni mo a' bekari keru koto no, sono wori ni tukinaku, me ni tomara nu nado wo, osihakara zu yomi-ide taru, naka-naka kokoro okure te miyu.
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2.4.29 |
よろづのことに、 などかは、さても、とおぼゆる折から、時々、思ひわかぬばかりの心にては、 よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき。
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万事につけて、どうしてそうするのか、そうしなくとも、と思われる折々に、時々、分別できない程度の思慮では、気取ったり風流めかしたりしないほうが無難でしょう。
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何にでも時と場合があるのに、それに気がつかないほどの人間は風流ぶらないのが無難ですね。
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Yorodu no koto ni, nado-kaha, satemo, to oboyuru wori-kara, toki-doki, omohi-waka nu bakari no kokoro ni te ha, yosi-bami nasake-data zara m nam meyasukaru beki.
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2.4.30 |
すべて、 心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、 言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは 過ぐすべくなむあべかりける」
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総じて、心の中では知っているようなことでも、知らない顔をして、言いたいことも、一つ二つは言わないでおくのが良いというものでしょう」
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知っていることでも知らぬ顔をして、言いたいことがあっても機会を一、二度ははずして、そのあとで言えばよいだろうと思いますね」
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Subete, kokoro ni sire ra m koto wo mo, sira-zu-gaho ni motenasi, iha mahosikara m koto wo mo, hito-tu huta-tu no husi ha sugusu beku nam a' bekari keru."
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2.4.31 |
と言ふにも、 君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。「 これに足らず ★またさし過ぎたることなく ものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。
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と言うにつけても、源氏の君は、お一方の御様子を、胸の中に思い続けていらっしゃる。「この結論に足りないことまた出過ぎたところもない方でいらっしゃるなあ」と、比類ないことにつけても、ますます胸がいっぱいになる。
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こんなことがまた左馬頭によって言われている間にも、源氏は心の中でただ一人の恋しい方のことを思い続けていた。藤壼の宮は足りない点もなく、才気の見えすぎる方でもないりっぱな貴女であるとうなずきながらも、その人を思うと例のとおりに胸が苦しみでいっぱいになった。
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to ihu ni mo, Kimi ha, hito hitori no ohom-arisama wo, kokoro no uti ni omohi tuduke tamahu. "Kore ni tara zu mata sasi-sugi taru koto naku monosi tamahi keru kana!" to, arigataki ni mo, itodo mune hutagaru.
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2.4.32 |
いづ方により果つともなく、果て果ては あやしきことどもになりて、 明かしたまひつ。
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どういう結論に達するというでもなく、最後は聞き苦しい話に落ちて、夜をお明かしになった。
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いずれがよいのか決められずに、ついには筋の立たぬものになって朝まで話し続けた。
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Idu-kata ni yori-hatu to mo naku, hate-hate ha ayasiki koto-domo ni nari te, akasi tamahi tu.
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出典11 |
『わが両つの途歌ふを聴け』 |
富家女易嫁 嫁早軽其夫 貧家女難嫁 嫁晩孝於姑 |
白氏文集二-七五 議婚 |
2.4.5 |
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Last updated 6/25/2003 渋谷栄一校訂(C)(ver.1-4-1) Last updated 6/25/2003 渋谷栄一注釈(C)(ver.1-3-1) |
Last updated 6/25/2003 渋谷栄一訳(C)(ver.1-4-1) |
現代語訳 | 与謝野晶子 |
電子化 | 上田英代(古典総合研究所) |
底本 | 角川文庫 全訳源氏物語 |
渋谷栄一訳 との突合せ | 宮脇文経 2003年8月14日 |
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Last updated 6/25/2003 Written in Japnese roman letters by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-5-1)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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