02 帚木(明融臨模本)


HAHAKIGI


光る源氏 十七歳夏の参議(宰相)兼近衛中将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era in the summer at the age of 17

1
第一章 雨夜の品定めの物語


1  Tales on men's experiences with girl friends in a rainy night

1.1
第一段 長雨の時節


1-1  A rainy night in the summer

1.1.1   光源氏、名のみことことしう言ひ消たれたまふ多かなるにいとど、かかる好きごとどもを、末の世にも聞き伝へて、 軽びたる名をや流さむと、忍びたまひける隠ろへごとをさへ、 語り伝へけむ人もの言ひさがなさよさるは、いといたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、 交野少将には 笑はれたまひけむかし
 光る源氏と、名前だけはご大層だが、非難されなさる取り沙汰が多いというのに、ますます、このような好色沙汰を、後世にも聞き伝わって、軽薄である浮き名を流すことになろうかと、隠していらっしゃった秘密事までを、語り伝えたという人のおしゃべりの意地の悪いことよ。とは言うものの、大変にひどく世間を気にし、まじめになさっていたところは、艶っぽくおもしろい話はなくて、交野少将からは笑われなさったことであろうよ。
 光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人が思われる。自然奔放な好色生活が想像される。しかし実際はそれよりずっと質素な心持ちの青年であった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間がおしゃべりであるからなのだ。自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。好色小説の中の交野の少将などには笑われていたであろうと思われる。
  Hikaru-Genzi, na nomi koto-kotosiu, ihi-keta re tamahu toga ohoka' naru ni, itodo, kakaru suki-goto-domo wo, suwe-no-yo ni mo kiki tutahe te, karobi taru na wo ya nagasa m to, sinobi tamahi keru kakurohe-goto wo sahe, katari tutahe kem hito no mono-ihi saganasa yo. Sa'ru ha, ito itaku yo wo habakari, mamedati tamahi keru hodo, nayobika ni wokasiki koto ha naku te, Katano-no-Seusyau ni ha waraha re tamahi kem kasi.
1.1.2   まだ中将などにものしたまひし時は内裏にのみさぶらひようしたまひて、 大殿には絶え絶えまかでたまふ。 忍ぶの乱れや と、疑ひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性にて、まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心に思しとどむる なむ、 あやにくにて、さるまじき御振る舞ひも うち混じりける
 まだ近衛中将などでいらっしゃったころは、内裏にばかりよく伺候していらっしゃって、大殿邸には途切れ途切れに退出なさる。お浮気事かと、お疑い申すこともあったが、そんなふうに浮気っぽいありふれた思いつきの色恋事などは好きでないご性格で、時たまには、やむにやまれない予想を狂わせる気苦労の多い恋を、お心に思いつめなさる性癖が、あいにくおありで、よろしくないご素行もないではなかった。
 中将時代にはおもに宮中の宿直所に暮らして、時たまにしか舅の左大臣家へ行かないので、別に恋人を持っているかのような疑いを受けていたが、この人は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。まれには風変わりな恋をして、たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。
  Mada Tyuuzyau nado ni monosi tamahi si toki ha, uti ni nomi saburahi you si tamahi te, Ohoi-dono ni ha taye-daye makade tamahu. Sinobu no midare ya to, utagahi kikoyuru koto mo ari sika do, sasimo adameki me nare taru utituke no suki-zukisisa nado ha konomasikara nu go-honzyau nite, mare ni ha, anagati ni hiki-tagahe kokoro-dukusi naru koto wo, mi-kokoro ni obosi-todomuru kuse nam, ayaniku nite, sa'rumaziki ohom-hurumahi mo uti-maziri keru.
注釈1光源氏名のみことことしう以下「語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ」まで、物語筆記編集者のそれまでの物語伝承者に対する批評。「光源氏」という呼称は、これが初見。これより先には「桐壺」巻に「光る君」と二度あった。ところで、この下に「と」という引用の格助詞があるべきところ、省筆されているのは、その表現性を重視すべきであろう。別本の陽明文庫本に「ひかる源氏の名のみ」(「光る源氏」の名前だけ)というように格助詞「の」を伴う異本があるが、別のニュアンスが出て来る。ここは、巻頭、「光源氏」とずばり提示して、読者をびっくりさせ、しばし間を置き、改めて享受者に、その経緯を語っていこうとした筆運びである。文章上無駄を省いて格調高く語り出すことにも成功した。それにしても、ここに物語られる内容は、「桐壺」巻の主人公像とはあまりにかけ離れた意外な一面であり、享受者をして驚かせる。この物語の成立の問題や表現性を考えさせる。参考、和辻哲郎「源氏物語について」(『日本精神史研究』所収、全集第四巻)。
【ことことしう】−形容詞「ことことし」は清音(日葡辞書)。下文に係らない。連用中止法で、逆接の意味で続く。本居宣長が「此下にてもじをそへて心得べし」(玉の小櫛、五)と指摘する。
1.1.1
注釈2言ひ消たれたまふ「光」の縁語で「言ひ消つ」と表現した(島津久基『講話』)。1.1.1
注釈3多かなるに形容詞「多し」の連体形の活用語尾「る」が「ん」と撥音化されて無表記されたという説と、終止形「多かり」の「り」がナ行音の前で撥音化して無表記になったという説とがある。「なり」は、伝聞推定の助動詞。「に」は、接続助詞。下文の「いとど」との文脈から添加の意である。別本の陽明文庫本の「おほかめるに」(多いように見えるのに)は、語り手の視覚による推量となる。『全書』『集成』『完訳』に「多いそうだのに」「多いようだのに」「多いということだのに」とある。聞く人は物語享受者であるともに、源氏自身もまた聞き知って、「名をや流さむと忍びたまひける」という文脈。なお、『対訳』『大系』は「たくさんあるのに」「多くあるのに」という「なり」のニュアンスを訳出せず、『評釈』は「多いのだのに」という「なり」を断定の意味で訳出する。1.1.1
注釈4いとどかかる好きごとどもを以下「名をや流さむ」まで全体を、源氏の自戒の念とも解釈しうる。その場合、「いとど」は「流さむ」に係る。また、「かかる好きごとども」とは、源氏が心中密かに思っている内容をさす。地の文とすれば、「いとど」は「聞き伝へて」に係り、物語伝承者の行為をいうことになる。「かかる好きごとども」は世の中に知られた源氏の色恋沙汰をさす。それは、いまだ語られていないが、物語伝承者と物語筆記編集者をそれを知っているので、このような語り方をしたことになる。両方に解釈しうるところは、両方に解釈して、その幅と含みをもって読んでいく。いずれにしても、物語享受者に期待感を抱かせる表現である。1.1.1
注釈5軽びたる名をや流さむ源氏の心。「や」(係助詞、疑問)、「む」(推量の助動詞)の主体者は源氏。それを、物語筆記編集者が間接的に伝える。1.1.1
注釈6語り伝へけむ人物語伝承者。「けむ」は過去推量の助動詞。伝承を伝え聞いての想像。1.1.1
注釈7もの言ひさがなさよ物語筆記編集者の物語伝承者のおしゃべりに対する非難。古注『河海抄』他に「ここにしも何匂ふらむ女郎花人の物言ひさがにくき世に」(拾遺集、雑秋、一〇九八、僧正遍昭)の和歌が指摘される。1.1.1
注釈8さるはいといたく「笑はれたまひけむかし」まで、物語筆記編集者の主人公光る源氏に対する批評。1.1.1
注釈9交野少将交野少将は昔物語に色好みの人物として有名。しかし、当時の物語享受者は、物語中の人物も歴史上の人物も厳密に区別していなかった。1.1.1
注釈10笑はれたまひけむかし物語筆記編集者がこの物語の主人公の行状に対して想像し(「けむ」)、かつ物語享受者に対し、同感を求め念を押した(「かし」)表現。1.1.1
注釈11まだ中将などにものしたまひし時は源氏が中将であることが初めて紹介される。中将は、従四位下相当官(定員、左右各一名)。「桐壺」巻では元服後でも「君」とあって、特に官職名で呼ばれていない。慣例によれば侍従となったか。「まだ」という語り方は、後の大将の物語を前提にした表現。古注『弄花抄』以下の注釈書に「まだ中将などに」から「うちまじりけり」までを草子地とする指摘(『孟津抄』)があるが、「まだ」「よう」「さしも」「あながちに」「あやにくにて」という表現には、物語筆記編集者の物語享受者を想定した語り方や物語の主人公に対する主観的判断が感じられなくもないが、物語伝承者と物語筆記編集者とを峻別することは難しい。「し」は、過去助動詞「き」(連体形)で、ここから、「けり」に代わって「き」が使われ出す。「ありしかど」にもある。物語筆記編集者の実際見聞した内容というニュアンスに近くなる。いよいよ物語の本題に入る。地の文(物語伝承者の話をそのまま筆記編集した文章)と考えてよい。1.1.2
注釈12内裏宮中。そこには父桐壺帝と憧れの継母藤壺がいる。1.1.2
注釈13大殿左大臣邸。そこには正妻の葵の上がいる。当時の結婚形態は夫が妻の家へ通うという通い婚形態であった。1.1.2
注釈14忍ぶの乱れや底本の明融臨模本には朱合点有り。「春日野の若紫の摺衣忍の乱れ限り知られず」(『伊勢物語』初段)の語句を引用。『源氏釈』が初指摘。『伊勢物語』初段の元服したばかりの色好みの主人公の世界を踏まえる。1.1.2
注釈15「さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性」と「まれにはあながちに引き違へ心尽くしなることを御心に思しとどむる癖」の相背反する性格づけが好色人の伝統を継承するこの物語の主人公固有性をかたどっている。参考、秋山虔「好色人と生活者」(『王朝の文学空間』所収)。1.1.2
注釈16あやにくにて「おりもおりというときに望ましからぬ方向に物事が起こって迷惑する状態」「おり悪く困ったことに」(小学館古語大辞典)。語り手の感想が言い込められている。挿入句。1.1.2
注釈17うち混じりける過去の助動詞「けり」で、序段を語り上げる。1.1.2
出典1 忍ぶの乱れ 春日野の若紫の摺衣忍ぶの乱れ限り知られず 古今六帖五-三三〇九 1.1.2
1.2
第二段 宮中の宿直所、光る源氏と頭中将


1-2  A night duty room in the Imperial Court

1.2.1   長雨晴れ間なきころ、内裏の御物忌さし続きて、いとど長居さぶらひたまふを、大殿にはおぼつかなく恨めしく思したれど、よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに 調じ出でたまひつつ、御息子の君たちただ この御宿直所の宮仕へを勤めたまふ。
 長雨の晴れ間のないころ、宮中の御物忌みが続いて、ますます長々と伺候なさるのを、大殿邸では待ち遠しく恨めしいとお思いになっていたが、すべてのご装束を何やかやと新しい様相に新調なさっては、ご子息の公達がひたすらこのご宿直所の宮仕えをお勤めになる。
 梅雨のころ、帝の御謹慎日が幾日かあって、近臣は家へも帰らずに皆宿直する、こんな日が続いて、例のとおりに源氏の御所住まいが長くなった。大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を恨めしくは思っていたが、やはり衣服その他贅沢を尽くした新調品を御所の桐壼へ運ぶのに倦むことを知らなんだ。左大臣の子息たちは宮中の御用をするよりも、源氏の宿直所への勤めのほうが大事なふうだった。
  Nagaame harema naki koro, Uti no ohom-monoimi sasi-tuduki te, itodo nagawi saburahi tamahu wo, Ohoi-dono ni ha obotukanaku uramesiku obosi tare do, yorodu no ohom-yosohi nanikure to medurasiki sama ni teu-zi-ide tamahi tutu, ohom-musuko no kimi-tati tada kono ohom-tonowi-dokoro no miyadukahe wo tutome tamahu.
1.2.2   宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、遊び戯れをも人よりは心安く、なれなれしく振る舞ひたり。右大臣のいたはりかしづきたまふ住み処は、この君もいともの憂くして、 好きがましきあだ人なり
 宮がお生みになった中将は、中でも親しくお馴染み申されて、遊び事や戯れ事においても誰よりも気安く、親密に振る舞っていた。右大臣が気を配ってお世話なさる住居には、この君もとても何となく気が進まずにいて、いかにも好色人らしい浮気人なのである。
 そのうちでも宮様腹の中将は最も源氏と親しくなっていて、遊戯をするにも何をするにも他の者の及ばない親交ぶりを見せた。大事がる舅の右大臣家へ行くことはこの人もきらいで、恋の遊びのほうが好きだった。
  Miya-bara-no-Tyuuzyau ha, naka ni sitasiku nare kikoye tamahi te, asobi tahabure wo mo hito yori ha kokoro-yasuku, nare-naresiku hurumahi tari. Migi-no-otodo no itahari kasiduki tamahu sumika ha, kono Kimi mo ito mono-uku si te, suki-gamasiki adabito nari.
1.2.3   里にても、わが方のしつらひまばゆくして、君の出で入りしたまふに うち連れきこえたまひつつ、夜昼、 学問をも遊びをももろともにして、 をさをさ立ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづから かしこまりもえおかず、心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ、睦れきこえたまひける。
 実家でも、ご自分の部屋の装飾を眩しくして、源氏の君がお出入りなさるのにいつもお供申し上げなさっては、昼も夜も、学問をも音楽をもご一緒申して、少しもひけをとらず、どこにでも親しくご一緒申し上げなさるうちに、自然と遠慮もしていられず、胸の中に思うことをも隠しきれず、お親しみ申されるのであった。
 結婚した男はだれも妻の家で生活するが、この人はまだ親の家のほうにりっぱに飾った居間や書斎を持っていて、源氏が行く時には必ずついて行って、夜も、昼も、学問をするのも、遊ぶのもいっしょにしていた。謙遜もせず、敬意を表することも忘れるほどぴったりと仲よしになっていた。
  Sato nite mo, waga kata no siturahi mabayuku si te, Kimi no ide-iri si tamahu ni uti-ture kikoye tamahi tutu, yoru hiru, gakumon wo mo asobi wo mo morotomoni si te, wosa-wosa tati-okure zu, iduku nite mo matuha re kikoye tamahu hodo ni, onodukara kasikomari mo e oka zu, kokoro no uti ni omohu koto wo mo kakusi-ahe zu nam, muture kikoye tamahi keru.
1.2.4   つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵の雨に、殿上にもをさをさ人少なに、 御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに、大殿油近くて 書どもなど見たまふ。近き御厨子なる 色々の紙なる文どもを引き出でて、中将わりなく ゆかしがれば
 所在なく雨が一日中降り続いて、しっとりした夜の雨に、殿上の間でもろくに人少なで、ご宿直所もいつもよりはのんびりとした気分なので、大殿油を近くに寄せて漢籍などを御覧になる。近くの御厨子にあるさまざまな色彩の紙に書かれた手紙類を取り出して、中将がひどく見たがるので、
 五月雨がその日も朝から降っていた夕方、殿上役人の詰め所もあまり人影がなく、源氏の桐壼も平生より静かな気のする時に、灯を近くともしていろいろな書物を見ていると、その本を取り出した置き棚にあった、それぞれ違った色の紙に書かれた手紙の殻の内容を頭中将は見たがった。
  Turedure to huri kurasi te, simeyaka naru yohi no ame ni, tenzyau ni mo wosawosa hito-zukuna ni, ohom-tonowi-dokoro mo rei yori ha nodoyaka naru kokoti suru ni, ohotonabura tikaku te humi-domo nado mi tamahu. Tikaki mi-dusi naru iro-iro no kami naru humi-domo hiki-ide te, Tyuuzyau warinaku yukasigare ba,
1.2.5  「 さりぬべき、すこしは見せむ。 かたはなるべきもこそ
 「差し支えのないのを、少しは見せよう。不体裁なものがあってはいけないから」
 「無難なのを少しは見せてもいい。見苦しいのがありますから」
  "Sa'ri-nu-beki, sukosi ha mise m. Kataha naru beki mo koso."
1.2.6  と、許したまはねば、
 と、お許しにならないので、
 と源氏は言っていた。
  to, yurusi tamaha ne ba,
1.2.7  「 そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、 数ならねど、程々につけて、 書き交はしつつも見はべりなむ。おのがじし、恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ」
 「その気を許していて人に見られたら困ると思われなさ文こそ興味があります。普通のありふれたのは、つまらないわたしでも、身分相応に、互いにやりとりしては見ておりましょう。それぞれが、恨めしく思っている折々や、心待ち顔でいるような夕暮などの文が、見る価値がありましょう」
 「見苦しくないかと気になさるのを見せていただきたいのですよ。平凡な女の手紙なら、私には私相当に書いてよこされるのがありますからいいんです。特色のある手紙ですね、怨みを言っているとか、ある夕方に来てほしそうに書いて来る手紙、そんなのを拝見できたらおもしろいだろうと思うのです」
  "Sono utitoke te kataharaitasi to obosa re m koso yukasikere. Osinabe taru ohokata no ha, kazu nara ne do, hodo-hodo ni tuke te, kaki-kahasi tutu mo mi haberi na m. Onogazisi, uramesiki wori-wori, mati-gaho nara m yuhugure nado no koso, mi-dokoro ha ara me."
1.2.8  と怨ずれば、 やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやうにおほざうなる御厨子などにうち置き散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心安きなるべし。 片端づつ見るに、「 かくさまざまなる物どもこそはべりけれ」とて、 心あてにそれか、かれか」など問ふなかに、言ひ当つるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも、 をかしと思せど、言少なにて とかく紛らはしつつ、とり隠したまひつ。
 と怨み言をいうので、高貴な方からの絶対にお隠しにならねばならない文などは、このようになおざりな御厨子などにちょっと置いて散らかしていらっしゃるはずはなく、奥深く別にしまって置かれるにちがいないようだから、これらは二流の気安いものであろう。少しずつ見て行くと、「こんなにも、いろいろな手紙類がございますなあ」と言って、当て推量に「これはあの人か、あれはこの人か」などと尋ねる中で、言い当てるものもあり、外れているのをかってに推量して疑ぐるのも、おもしろいとお思いになるが、言葉少なに答えて何かと言い紛らわしては、取ってお隠しになった。
 と恨まれて、初めからほんとうに秘密な大事の手紙などは、だれが盗んで行くか知れない棚などに置くわけもない、これはそれほどの物でないのであるから、源氏は見てもよいと許した。
中将は少しずつ読んで見て言う。
 「いろんなのがありますね」
 自身の想像だけで、だれとか彼とか筆者を当てようとするのであった。上手に言い当てるのもある、全然見当違いのことを、それであろうと深く追究したりするのもある。そんな時に源氏はおかしく思いながらあまり相手にならぬようにして、そして上手に皆を中将から取り返してしまった。
  to wen-zure ba, yamgotonaku seti ni kakusi tamahu beki nado ha, kayau ni ohozau naru mi-dusi nado ni uti-oki tirasi tamahu beku mo ara zu, hukaku tori-oki tamahu beka' mere ba, ni-no-mati no kokoro-yasuki naru besi. Katahasi-dutu miru ni, "Kaku sama-zama naru mono-domo koso haberi kere" tote, kokoro-ate ni "Sore ka? Kare ka?" nado tohu naka ni, ihi-aturu mo ari, mote-hanare taru koto wo mo omohi-yose te utagahu mo, wokasi to obose do, koto-zukuna nite, tokaku magirahasi tutu, tori kakusi tamahi tu.
1.2.9  「 そこにこそ多く集へたまふらめ。 すこし見ばや。さてなむ、この厨子も 心よく開くべき」とのたまへば、
 「そなたこそ、たくさんお有りだろう。少し見たいね。そうしたら、この厨子も気持ちよく開けよう」とおっしゃると、
 「あなたこそ女の手紙はたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいものだ。そのあとなら棚のを全部見せてもいい」
  "Soko ni koso ohoku tudohe tamahu rame. Sukosi mi baya. Sate nam, kono dusi mo kokoro-yoku hiraku beki." to notamahe ba,
1.2.10  「 御覧じ所あらむこそ難くはべらめ」など 聞こえたまふついでに、「 女の、これはしもと難つくまじきは、難くもあるかなと、やうやうなむ 見たまへ知る。ただうはべばかりの情けに、手走り書き、をりふしの答へ心得て、うちしなどばかりは、 随分によろしきも多かり見たまふれど、そもまことにその方を取り出でむ選びに かならず漏るまじきは、いと難しや。わが心得たることばかりを、おのがじし心をやりて、人をば落としめなど、かたはらいたきこと多かり。
 「御覧になる値打のものは、ほとんどないしょう」などと申し上げなさる、そのついでに、「女性で、これならば良しと難点を指摘しようのない人は、めったにいないものだなあと、だんだんと分かってまいりました。ただ表面だけの風情で、手紙をさらさらと走り書きしたり、時節に相応しい返答を心得て、ちょっとするぐらいのは、身分相応にまあまあ良いと思う者は多くいると拝見しますが、それも本当にその方面の優れた人を選び出そうとすると、絶対に選に外れないという者は、本当にめったにないものですね。自分の得意なことばかりを、それぞれ得意になって、他人を貶めたりなどして、見ていられないことが多いです。
 「あなたの御覧になる価値のある物はないでしょうよ」
 こんな事から頭中将は女についての感想を言い出した。
 「これならば完全だ、欠点がないという女は少ないものであると私は今やっと気がつきました。ただ上っつらな感情で達者な手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧らしい人はずいぶんあるでしょうが、しかもそこを長所として取ろうとすれば、きっと合格点にはいるという者はなかなかありません。自分が少し知っていることで得意になって、ほかの人を軽蔑することのできる厭味な女が多いんですよ。
  "Go-ran-zi-dokoro ara m koso, kataku habera me." nado kikoye tamahu tuide ni, "Womna no, kore ha simo to nan tuku maziki ha, kataku mo aru kana to, yauyau nam mi tamahe siru. Tada uhabe bakari no nasake ni, te hasiri-kaki, worihusi no irahe kokoroe te, uti-si nado bakari ha, zuibun ni yorosiki mo ohokari to mi tamahure do, somo makoto ni sono kata wo tori-ide m erabi ni kanarazu moru maziki ha, ito katasi ya! Waga kokoroe taru koto bakari wo, onogazisi kokoro wo yari te, hito woba otosime nado, kataharaitaki koto ohokari.
1.2.11  親など立ち添ひもてあがめて、 生ひ先籠れる窓の内なるほどは、ただ片かどを聞き伝へて、 心を動かすこともあめり容貌をかしくうちおほどき、若やかにて紛るることなきほど、はかなき すさびをも、人まねに心を入るることもあるに、おのづから一つゆゑづけてし出づることもあり。
 親などが側で大切にかわいがって、将来性のある箱入娘時代は、ちょっとの才能の一端を聞き伝えて、関心を寄せることもあるようです。容貌が魅力的でおっとりしていて、若々しくて家事にかまけることのないうちは、ちょっとした芸事にも、人まねに一生懸命に稽古することもあるので、自然と一芸をもっともらしくできることもあります。
 親がついていて、大事にして、深窓に育っているうちは、その人の片端だけを知って男は自分の想像で十分補って恋をすることになるというようなこともあるのですね。顔がきれいで、娘らしくおおようで、そしてほかに用がないのですから、そんな娘には一つくらいの芸の上達が望めないこともありませんからね。
  Oya nado tati-sohi mote-agame te, ohisaki-komore ru mado no uti naru hodo ha, tada kata-kado wo kiki-tutahe te, kokoro wo ugokasu koto mo a' meri. Katati wokasiku uti-ohodoki, wakayaka nite magiruru koto naki hodo, hakanaki susabi wo mo, hitomane ni kokoro wo iruru koto mo aru ni, onodukara, hito-tu yuwe-duke te si-iduru koto mo ari.
1.2.12   見る人、後れたる方をば言ひ隠し、 さてありぬべき方をばつくろひて、まねび出だすに、『それ、しかあらじ』と、そらにいかがは推し量り思ひくたさむ。まことかと見もてゆくに、見劣りせぬやうは、 なくなむあるべき
 世話をする人は、劣った方面は隠して言わず、まあまあと言った方面をとりつくろって、それらしく言うので、『それは、そうではあるまい』と、見ないでどうしてあて推量で貶めることができましょう。本物かと思って付き合って行くうちに、がっかりしないというのは、きっとないでしょう」
 それができると、仲に立った人間がいいことだけを話して、欠点は隠して言わないものですから、そんな時にそれはうそだなどと、こちらも空で断定することは不可能でしょう、真実だろうと思って結婚したあとで、だんだんあらが出てこないわけはありません」
  Miru hito, okure taru kata wo ba ihi-kakusi, sate ari nu beki kata wo ba tukurohi te, manebi-idasu ni, 'Sore, sika ara zi' to, sora ni ikagaha osi-hakari omohi-kutasa m. Makoto ka to mi mote yuku ni, mi-otori se nu yau ha, naku nam aru beki."
1.2.13  と、うめきたる気色も 恥づかしげなれば、いとなべてはあらねど、 われ思し合はすることやあらむ、うちほほ笑みて、
 と言って、嘆息している様子も気遅れするようなので、全部が全部というのではないが、ご自身でもなるほどとお思いになることがあるのであろうか、ちょっと笑みを浮かべて、
 中将がこう言って歎息した時に、そんなありきたりの結婚失敗者ではない源氏も、何か心にうなずかれることがあるか微笑をしていた。
  to, umeki taru kesiki mo hadukasige nare ba, ito nabete ha ara ne do, ware obosi-ahasuru koto ya ara m, uti-hohowemi te,
1.2.14  「 その、片かどもなき人は、あらむや」とのたまへば、
 「その、一つの才能もない人というのは、いるものだろうか」とおっしゃると、
 「あなたが今言った、一つくらいの芸ができるというほどのとりえね、それもできない人があるだろうか」
  "Sono, kata-kado mo naki hito ha, ara m ya?" to notamahe ba,
1.2.15  「 いと、さばかりならむあたりには誰れかはすかされ寄りはべらむ。取るかたなく口惜しき際と、優なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数等しくこそはべらめ。人の 品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはひこよなかるべし。中の品になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」
 「さあ、それほどのような所には、誰が騙されて寄りつきましょうか。何の取柄もなくつまらない身分の者と、素晴らしいと思われるほどに優れた者とは、同じくらいございましょう。家柄が高く生まれると、家人に大切に育てられて、人目に付かないことも多く、自然とその様子が格別でしょう。中流の女性にこそ、それぞれの気質や、めいめいの考え方や趣向も見えて、区別されることがそれぞれに多いでしょう。下層の女という身分になると、格別関心もありませんね」
 「そんな所へは初めからだれもだまされて行きませんよ、何もとりえのないのと、すべて完全であるのとは同じほどに少ないものでしょう。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目だたないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思います。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てない」
  "Ito, sabakari nara m atari ni ha, tare kaha sukasa re yori habera m. Toru kata naku kutiwosiki kiha to, iu nari to oboyu bakari sugure taru to ha, kazu hitosiku koso habera me. Hito no sina takaku mumare nure ba, hito ni mote-kasiduka re te, kakururu koto ohoku, zinen ni sono kehahi koyonakaru besi. Naka-no-sina ni nam, hito no kokoro-gokoro, onogazisi no tate taru omomuki mo miye te, wakaru beki koto kata-gata ohokaru beki. Simo no kizami to ihu kiha ni nare ba, kotoni mimi tata zu kasi."
1.2.16  とて、 いと隈なげなる気色なるも、 ゆかしくて
 と言って、何でも知っている様子であるのも、興味が惹かれて、
 こう言って、通を振りまく中将に、源氏はもう少しその観察を語らせたく思った。
  tote, ito kumanage naru kesiki naru mo, yukasiku te,
1.2.17  「 その品々や、いかに。いづれを三つの品に置きてか分くべき。元の品高く生まれながら、身は沈み、位みじかくて 人げなき。また 直人上達部など までなり上り、我は顔にて家の内を飾り、人に劣らじと思へる。そのけぢめをば、いかが分くべき」
 「その身分身分というのは、どのように考えたらよいのか。どれを三つの階級に分け置くことができるのか。元の階層が高い生まれでありながら、今の身の上は落ちぶれ、位が低くて人並みでない人。また一方で普通の人で上達部などまで出世して、得意顔して邸の内を飾り、人に負けまいと思っている人。その区別は、どのように付けたらよいのだろうか」
 「その階級の別はどんなふうにつけるのですか。上、中、下を何で決めるのですか。よい家柄でもその娘の父は不遇で、みじめな役人で貧しいのと、並み並みの身分から高官に成り上がっていて、それが得意で贅沢な生活をして、初めからの貴族に負けないふうでいる家の娘と、そんなのはどちらへ属させたらいいのだろう」
  "Sono sina-zina ya, ika-ni? Idure wo mi-tu no sina ni oki te ka waku beki? Moto no sina takaku mumare nagara, mi ha sidumi, kurawi mizikaku te hitoge-naki. Mata naho-bito no kamdatime nado made nari-nobori, ware-ha-gaho nite ihe no uti wo kazari, hito ni otora zi to omohe ru. Sono kedime woba, ikaga waku beki?"
1.2.18  と問ひたまふほどに、左馬頭、 藤式部丞、御物忌に籠もらむとて参れり。世の好き者にて物よく言ひとほれるを、中将待ちとりて、この品々をわきまへ定め争ふ。 いと聞きにくきこと多かり
 とお尋ねになっているところに、左馬頭や藤式部丞が御物忌に籠もろうとして参上した。当代の好色者で弁舌が達者なので、中将は待ち構えて、これらの品々の区別の議論を戦わす。まことに聞きにくい話が多かった。
 こんな質問をしている所へ、左馬頭と藤式部丞とが、源氏の謹慎日を共にしようとして出て来た。風流男という名が通っているような人であったから、中将は喜んで左馬頭を問題の中へ引き入れた。不謹慎な言葉もそれから多く出た。
  to tohi tamahu hodo ni, Hidari-no-Muma-no-kami, Tou-Sikibu-no-zyou, ohom-monoimi ni komora m tote mawire ri. Yo no suki-mono nite mono yoku ihi-tohore ru wo, Tyuuzyau mati-tori te, kono sina-zina wo wakimahe sadame arasohu. Ito kiki-nikuki koto ohokari.
注釈18長雨晴れ間なきころ物語が具体的に展開し始める。時は夏の五月雨の季節、宮中の物忌みも多く、外出するのも億劫になる折柄、何かと気晴しを考えたくなるころ。物語の主題と季節的背景が有効に働いている。1.2.1
注釈19調じ出でたまひつつ接続助詞「つつ」は上に「よろづの」「何くれと」があるので、「調じ出づ」という動作の反復の意を表すと共に下文の御息子の君たちの「勤めたまふ」という動作も平行して行われている様子を表す。1.2.1
注釈20この御宿直所の源氏の御宿直所、淑景舎(桐壺)。源氏を「この」という近称で呼称する。なお、青表紙本の大島本、伝冷泉為秀本には「御とのゐ所に」(御宿直所で)とある。その他の青表紙本、河内本、別本はすべて「--の」とある。『全集』『完訳』『新大系』が「に」とある本文を採用する。1.2.1
注釈21宮腹の中将は頭中将。母が桐壺帝の妹宮(三の宮)である。前の「桐壺」巻には「宮の御腹は蔵人少将にて」とあった。今は中将に昇進。1.2.2
注釈22好きがましきあだ人なり地の文とも読めるが、語り手の頭中将に対する批評が言い込められた表現。「あだ人」の語句について、『異本紫明抄』は「秋と言へばよそにぞ聞きしあだ人の我をふるせる名にこそありけれ」(古今集、恋五、八二四 、読人しらず)「あだ人もなきにはあらずありながら我が身にはまだ聞きぞ習はぬ」(後撰集、恋三、一一九七、左大臣)を指摘する。1.2.2
注釈23里にてもわが方ここの里は左大臣邸の源氏の部屋。1.2.3
注釈24うち連れきこえたまひつつ主語は頭中将。接続助詞「つつ」は同じ動作の反復・継続の意。1.2.3
注釈25学問「学門 ガクモン」(『色葉字類抄』)「学文 ガクモン」(『文明本節用集』)。1.2.3
注釈26をさをさ立ちおくれず副詞「をさをさ」は下の打消の助動詞「ず」と呼応して、少しも--ない、の意を表す。1.2.3
注釈27かしこまりもえおかず副詞「え」は下の打消の助動詞「ず」と呼応して、--できない、の意を表す。1.2.3
注釈28つれづれと降り暮らしてしめやかなる宵の雨に再び物語の現在に戻る。夏の雨の夜、場所は淑景舎(桐壺)の源氏の部屋。1.2.4
注釈29御宿直所宮中の淑景舎(桐壺)、源氏の部屋1.2.4
注釈30書どもなど見たまふ主語は源氏。この「書(ふみ)」は漢籍類。『新大系』は「手紙類をいろいろと。書物ではあるまい」と注す。1.2.4
注釈31色々の紙なる文どもを引き出でて主語は頭中将。この「文(ふみ)」は恋文。当時の恋文は美しい色の紙に仮名文字の連綿体散らし書きで書かれていた。1.2.4
注釈32ゆかしがれば「ゆかし」は、見たい、の意。頭中将は手紙の上包みを見ていたので、その中身を見たいのである。1.2.4
注釈33さりぬべき以下「かたはなるべきもこそ」まで、源氏の詞。連語「さりぬべし」は、動詞「さり」+完了の助動詞「ぬ」+推量の助動詞「べし」、そうなっても差し支えない、の意。1.2.5
注釈34かたはなるべきもこそ連語「もこそ」は、係助詞「も」+係助詞「こそ」は危惧・懸念を表す。下に「あれ」などの語が省略。1.2.5
注釈35その以下「見所はあらめ」まで、頭中将の詞。1.2.7
注釈36数ならねど頭中将が謙遜して自分のことをいう。1.2.7
注釈37書き交はしつつ接続助詞「つつ」は動作の反復・継続。1.2.7
注釈38やむごとなくせちに以下「心安きなるべし」まで、語り手の推量。推量の助動詞「べし」(当然の意)四度、「めり」(視覚による推量の意)一度、いずれも、語り手の源氏の行為に対する推量である。『帚木別注』他では、草子地と指摘する。1.2.8
注釈39片端づつ見るに以下、再び物語の現在に戻って語る。主語は頭中将。「づつ」は接尾語、また副助詞とも。手紙の一部分ずつを見ていく。1.2.8
注釈40かくさまざまなる物どもこそはべりけれ頭中将の詞。諸本「よく」とあるが、明融臨模本は「かく」と読める字形。「はべり」(動詞、丁寧の意を含む)+「けれ」(過去の助動詞、詠嘆の意、「こそ」を受け已然形)。「ございますなあ」という驚きのニュアンス。1.2.8
注釈41心あてに『河海抄』は「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(古今集、秋下、二七七 、凡河内躬恒)を指摘する。1.2.8
注釈42それかかれか頭中将の詞。その手紙は誰々からのものか、あの手紙は誰々からのものか。1.2.8
注釈43をかしと思せど主語は源氏。1.2.8
注釈44とかく紛らはしつつ接続助詞「つつ」は動作の反復・継続。何かとごまかしごまししては、の意。1.2.8
注釈45そこにこそ以下「開くべき」まで、源氏の詞。「そこ」は懇意な間柄で使う二人称の代名詞。源氏は頭中将と従兄弟、かつその妹を正妻に迎え入れており、大変に親密な間柄であることは既に語られている。年齢は、頭中将が上であるが、血筋、身分の上では、源氏が上である。1.2.9
注釈46すこし見ばや終助詞「ばや」は、話者の願望の意を表す。1.2.9
注釈47御覧じ所あらむこそ以下途中に「など聞こえたまふついでに」という地の文を介在させて、「なくなむあるべき」まで、頭中将の詞。「御覧ず」の主格は、あなた源氏。1.2.10
注釈48難くはべらめ係助詞「こそ」の結び「はべらめ」已然形。強調のニュアンスを添える。ほとんどないでしょう。1.2.10
注釈49聞こえたまふついでに申し上げる、その機会に、の意。1.2.10
注釈50女のこれはしもと「女(をんな)」は、「男(をとこ)」の対。「女(め)」はやや卑しめられたニュアンスを伴う。「をんな」は、成人女性一般をさす。とくに結婚適齢期に達した女性、結婚関係を持つ女性に対して使われる。ここは、女性一般をさす。副助詞「しも」は強調の意。下に「めでたし」などの語が省略。頭中将の女性論。最初に結論を述べ、以下詳細に語るというのが、当時の論法である。1.2.10
注釈51見たまへ知る「たまふ」は謙譲の補助動詞(下二段活用)。1.2.10
注釈52随分によろしきも多かり「随分」は身分相応に、の意。「よろし」は、まあまあ良い、の意。「良し」よりは劣る。「わろし」よりは上。1.2.10
注釈53見たまふれど「たまふ」は謙譲の補助動詞(下二段活用)已然形。1.2.10
注釈54かならず漏るまじきは副詞「かならず」は下に打消し推量の助動詞「まじ」と呼応して、必ずしも--とは限らない、の意を表す。1.2.10
注釈55生ひ先籠れる窓の内なるほどは明融臨模本は「まとの」に朱合点あり。『奥入』(自筆本)は「楊家有女初長成養在深窓人未識」(白氏文集、長恨歌)を指摘する(明融臨模本・大島本は「深宮」、流布本「白氏文集」では「深閨」とある)を指摘する。1.2.11
注釈56心を動かすこともあめり「あめり」は「あるめり」が撥音便化して「あんめり」となり「ん」が無表記化された形。推量の助動詞「めり」(主観的推量のニュアンス)は話者である頭中将の推測。1.2.11
注釈57容貌をかしく「をかし」は動詞「を(招)く」の形容詞形、好意をもって招き寄せたい、意。容貌に対しては、美しく心ひかれる、魅力的である、の意。1.2.11
注釈58見る人世話をする人。乳母や女房など。1.2.12
注釈59さてありぬべき方「さ」は、人に話してもよさそうな内容、「ぬ」(完了の助動詞、確述)、「べき」(推量の助動詞、当然)、「人に話しても確実に請け合えそうな」という、ニュアンス。1.2.12
注釈60なくなむあるべき係助詞「なむ」は「べき」(連体形)に係り強調のニュアンスを添える。「べき」(推量の助動詞、推量)、頭中将の確信に満ちた推量、「きっと--であろう」。1.2.12
注釈61恥づかしげなれば源氏が頭中将の自信満々なのを見て、気後れする。1.2.13
注釈62われ思し合はすることやあらむ「われ」は源氏をさす。「思し合はする」の主語は、源氏。「や」(終助詞、疑問)、「む」(推量の助動詞)の疑問や推量の言語主体者は語り手。ここは語り手の源氏の心理を推量した挿入句。1.2.13
注釈63その片かどもなき人はあらむや源氏の問い。1.2.14
注釈64いとさばかりならむあたりには以下「ことに耳たたずかし」まで、頭中将の詞。源氏の問いに対する答え。「さばかり」は「片かどもなき人」をさす。1.2.15
注釈65誰れかはすかされ寄りはべらむ反語表現の構文。誰がだまされ寄り付きましょうか、誰も騙されはしないの意。1.2.15
注釈66品高く生まれぬれば「ぬれば」は(完了の助動詞「ぬ」已然形+接続助詞「ば」)順接の確定条件。以下、女性を「上の品(かみのしな)」「中の品(なかのしな)」「下の品(しものしな)」の三階層に分ける。1.2.15
注釈67いと隈なげなる気色頭中将の様子。1.2.16
注釈68ゆかしくて主語は源氏。さらに聞きたい気持ち。1.2.16
注釈69その品々やいかに以下「いかが分くべき」まで、源氏の問い。没落貴族と成り上がり貴族とはどうなるのか。その身分身分の相違はどのように考えたらよいのか、の意。1.2.17
注釈70人げなき以下の「劣らじと思へる」とは並立。「--人げなき人と、--劣らじと思へる人との、そのけじめは」という構文。1.2.17
注釈71直人平凡な家柄の人、ここでは五位あるいは六位くらいの人を想定してよいか。なお、五位にも従五位下、従五位上、正五位下、正五位上の四段階がある。1.2.17
注釈72上達部大臣・大中納言・参議及び三位以上の人。1.2.17
注釈73藤式部丞青表紙本の明融臨模本、伝冷泉為秀本は「藤しきふのせう」、大島本は「藤式部のせ(そ)う」(「せ」を「そ」と訂正)。なお別本の国冬本には「藤式部大輔」(藤原の式部大輔、式部省の次官)とある。なお、八省の次官(すけ)は、大輔(たいふ)・少輔(せう、「せうふ」の転、「せふ」とも)、三等官の判官(ぞう、発音はジョウの直音化)は、大丞(だいぞう)・少丞(せうぞう)である。令の規定では、三等官は一般に「ぞう、ジョウ」と呼称され、役所によって「祐」(神祇官)「丞」(八省)「允」(寮)「佑」(司)「尉」(衛門府、兵衛府、検非遺使庁)「六位蔵人」(蔵人所)「判官」(勘解由使、斎院司)「掾」(国司)「掌侍」(女官)など、漢字の当て方はさまざまであるが、読み方は「じょう」である。たまたま、八省の場合、「少輔」(せう)と「判官」(そう)と「丞」(しよう)との仮名遣いが紛らわしいので、ここは、その誤りから生じた異文である。1.2.18
注釈74いと聞きにくきこと多かり語り手の登場人物たちの話の内容に対する評語。『一葉抄』他が草子地と指摘する。1.2.18
出典2 生ひ先籠れる窓の内なるほどは 楊家有女初長成 養在深窓人未識 白氏文集十二-五九六 長恨歌 1.2.11
校訂1 心よく 心よく--心き(き/$)よく 1.2.9
校訂2 すさび すさび--すま(ま/$さ)ひ 1.2.11
校訂3 まで まで--まてまて(まて<後出>/$)ひ 1.2.17
1.3
第三段 左馬頭、藤式部丞ら女性談義に加わる


1-3  Sama-no-Kami and Tou-Shikibu-no-Jo join them

1.3.1  「 なり上れども、もとよりさるべき筋ならぬは、世人の思へることも、さは言へど、なほことなり。また、元はやむごとなき筋なれど、世に経るたづき少なく、 時世に移ろひて、おぼえ衰へぬれば、心は心としてこと足らず、悪ろびたることども 出でくるわざなめれば、とりどりにことわりて、中の品にぞ置くべき。
 「成り上がっても、元々の相応しいはずの家柄でない者は、世間の人の心証も、そうは言っても、やはり格別です。また、元は高貴な家筋であるが、世間を渡る手づるが少なく、時勢におし流されて、声望も地に落ちてしまうと、気位だけは高くても思うようにならず、不体裁なことなどが生じてくるもののようですから、それぞれに分別して、中の品に置くのが適当でしょう。
 「いくら出世しても、もとの家柄が家柄だから世間の思わくだってやはり違う。またもとはいい家でも逆境に落ちて、何の昔の面影もないことになってみれば、貴族的な品のいいやり方で押し通せるものではなし、見苦しいことも人から見られるわけだから、それはどちらも中の品ですよ。
  "Nari-nobore domo, motoyori saru-beki sudi nara nu ha, yohito no omohe ru koto mo, saha ihe do, naho koto nari. Mata, moto ha yamgotonaki sudi nare do, yo ni huru taduki sukunaku, tokiyo ni uturohi te, oboye otorohe nure ba, kokoro ha kokoro to si te koto tara zu, warobi taru koto-domo ide-kuru waza na' mere ba, tori-dori ni kotowari te, naka-no-sina ni zo oku beki.
1.3.2  受領と言ひて、人の国のことにかかづらひ営みて、品定まりたる中にも、またきざみきざみありて、中の品の けしうはあらぬ、選りで出でつべきころほひなり。 なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの、世のおぼえ口惜しからず、もとの根ざし卑しからぬ、やすらかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。
 受領と言って、地方の政治に掛かり切りにあくせくして、階層の定まった中でも、また段階段階があって、中の品で悪くはない者を、選び出すことができる時勢です。なまじっかの上達部よりも非参議の四位連中で、世間の信望もまんざらでなく、元々の生まれも卑しくない人が、あくせくせずに暮らしているのが、いかにもさっぱりした感じですよ。
 受領といって地方の政治にばかり関係している連中の中にもまたいろいろ階級がありましてね、いわゆる中の品として恥ずかしくないのがありますよ。また高官の部類へやっとはいれたくらいの家よりも、参議にならない四位の役人で、世間からも認められていて、もとの家柄もよく、富んでのんきな生活のできている所などはかえって朗らかなものですよ。
  Zuryau to ihi te, hito-no-kuni no koto ni kakadurahi itonami te, sina sadamari taru naka ni mo, mata kizami-kizami ari te, naka-no-sina no kesiu ha ara nu, eri-ide tu beki korohohi nari. Nama-nama no kamdatime yori mo hi-samgi no si-wi-domo no, yo no oboye kutiwosikara zu, moto no nezasi iyasikara nu, yasuraka ni mi wo motenasi hurumahi taru, ito kaharaka nari ya!
1.3.3  家の内に足らぬことなど、 はたなかめるままに、省かずまばゆきまでもてかしづける女などの、おとしめがたく生ひ出づるもあまたあるべし。 宮仕へに出で立ちて、思ひかけぬ幸ひとり出づる例ども多かりかし」 など言へば
 暮らしの中で足りないものなどは、やはりないようなのにまかせて、けちらずに眩しいほど大切に世話している娘などが、非難のしようがないほどに成長しているのもたくさんいるでしょう。宮仕えに出て来て、思いもかけない幸運を得た例などもたくさんあるものです」などと言うと、
 不足のない暮らしができるのですから、倹約もせず、そんな空気の家に育った娘に軽蔑のできないものがたくさんあるでしょう。宮仕えをして思いがけない幸福のもとを作ったりする例も多いのですよ」
 左馬頭がこう言う。
  Ihe no uti ni tara nu koto nado, hata naka' meru mama ni, habuka zu mabayuki made mote-kasiduke ru musume nado no, otosime-gataku ohi-iduru mo amata aru besi. Miya-dukahe ni ide-tati te, omohi-kake nu saihahi tori-iduru tamesi-domo ohokari kasi." nado ihe ba,
1.3.4  「 すべて、にぎははしきによるべきななり」とて、 笑ひたまふを
 「およそ、金持ちによるべきだということだね」と言って、お笑いになるのを、
 「それではまあ何でも金持ちでなければならないんだね」
 と源氏は笑っていた。
  "Subete, nigihahasiki ni yoru beki na' nari." tote, warahi tamahu wo,
1.3.5  「 異人の言はむように、心得ず仰せらる」と、 中将憎む
 「他の人が言うように、意外なことをおっしゃる」と言って、中将は憎らしがる。
 「あなたらしくないことをおっしゃるものじゃありませんよ」
 中将はたしなめるように言った。左馬頭はなお話し続けた。
  "Koto-hito no iha m yau ni, kokoroe zu ohose raru." to, Tyuuzyau nikumu.
1.3.6  「 元の品、時世のおぼえうち合ひ、やむごとなきあたりの内々のもてなしけはひ後れたらむは、 さらにも言はず、何をしてかく生ひ出でけむと、言ふかひなくおぼゆべし。うち合ひてすぐれたらむもことわり、これこそは さるべきこととおぼえて、めづらかなることと心も驚くまじ。 なにがしが及ぶべきほどならねば、上が上は うちおきはべりぬ。
 「元々の階層と、時勢の信望が兼ね揃い、高貴な家で内々の振る舞いや様子が劣っているようなのは、まったく今更言うまでもないが、どうしてこう育てたのだろうと、残念に思われましょう。兼ね揃って優れているのも当たり前で、この女性こそは当然のことだと思われて、珍しいことだと気持ちも動かないでしょう。わたくしごとき者の手の及ぶ範囲ではないので、上の品の上は措いておきましょう。
 「家柄も現在の境遇も一致している高貴な家のお嬢さんが凡庸であった場合、どうしてこんな人ができたのかと情けないことだろうと思います。そうじゃなくて地位に相応なすぐれたお嬢さんであったら、それはたいして驚きませんね。当然ですもの。私らにはよくわからない社会のことですから上の品は省くことにしましょう。
  "Moto no sina, tokiyo no oboye uti-ahi, yamgotonaki atari no uti-uti no motenasi kehahi okure tara m ha, sarani mo iha zu, nani wo si te kaku ohi-ide kem to, ihukahinaku oboyu besi. Uti-ahi te sugure tara m mo kotowari, kore koso ha saru-beki koto to oboye te, meduraka naru koto to kokoro mo odoroku mazi. Nanigasi ga oyobu beki hodo nara ne ba, kami ga kami ha uti-oki haberi nu.
1.3.7  さて、世にありと人に知られず、 さびしくあばれたらむ 葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ。 いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなむ、あやしく心とまるわざなる。
 ところで、世間で人に知られず、寂しく荒れたような草深い家に、思いも寄らないいじらしいような女性がひっそり閉じ籠められているようなのは、この上なく珍しく思われましょう。どうしてまあ、こんな人がいたのだろうと、想像していたことと違って、不思議に気持ちが引き付けられるものです。
 こんなこともあります。世間からはそんな家のあることなども無視されているような寂しい家に、思いがけない娘が育てられていたとしたら、発見者は非常にうれしいでしょう。意外であったということは十分に男の心を引くカになります。
  Sate, yo ni ari to hito ni sira re zu, sabisiku abare tara m mugura no kado ni, omohi no hoka ni rauta-ge nara m hito no todira re tara m koso, kagirinaku medurasiku ha oboye me. Ikade, hata kakari kem to, omohu yori tagahe ru koto nam, ayasiku kokoro tomaru waza naru.
1.3.8  父の年老い、ものむつかしげに太りすぎ、兄の顔憎げに、 思ひやりことなることなき閨の内にいといたく思ひあがり、はかなくし出でたることわざも、ゆゑなからず見えたらむ、片かどにても、 いかが思ひの外にをかしからざらむ
 父親が年を取り、見苦しく太り過ぎ、兄弟の顔が憎々しげで、想像するにたいしたこともない家の奥に、とてもたいそう誇り高く、ちょっとした芸事でも、雅趣ありげに見えるようなのは、生かじりの才能であっても、どうして意外なことでおもしろくないことがありましょうか。
 父親がもういいかげん年寄りで、醜く肥った男で、風采のよくない兄を見ても、娘は知れたものだと軽蔑している家庭に、思い上がった娘がいて、歌も上手であったりなどしたら、それは本格的なものではないにしても、ずいぶん興味が持てるでしょう。
  Titi no tosi oyi, mono-mutukasige ni hutori-sugi, seuto no kaho nikuge ni, omohi-yari koto naru koto naki neya no uti ni, ito itaku omohi-agari, hakanaku si-ide taru koto-waza mo, yuwe nakara zu miye tara m, kata-kado nite mo, ikaga omohi no hoka ni wokasikara zara m.
1.3.9   すぐれて疵なき方の選びにこそ及ばざらめ、 さる方にて 捨てがたきものをは
 特別に欠点のない方面の女性選びは実現難しいでしょうが、それはそうした者として捨てたものではないな」
 完全な女の選にははいりにくいでしょうがね」
  Sugurete kizu naki kata no erabi ni koso oyoba zara me, saru kata nite sute-gataki mono wo ha."
1.3.10  とて、式部を見やれば、 わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにや、とや心得らむ、ものも言はず。
 と言って、式部を見やると、自分の妹たちがまあまあの評判であることを思っておっしゃるのか、と受け取ったのであろうか、何とも言わない。
 と言いながら、同意を促すように式部丞のほうを見ると、自身の妹たちが若い男の中で相当な評判になっていることを思って、それを暗に言っているのだと取って、式部丞は何も言わなかった。
  tote, Sikibu wo miyare ba, waga imouto-domo no yorosiki kikoye aru wo omohi te notamahu ni ya, to ya kokorou ram, mono mo iha zu.
1.3.11  「 いでや、上の品と思ふにだに難げなる世を」と、君は思すべし 白き御衣どもの なよらかなるに、直衣ばかりを しどけなく着なしたまひて、紐なども うち捨てて、添ひ臥したまへる御火影、いとめでたく、 女にて見たてまつらまほしこの御ためには上が上を選り出でても、なほ飽くまじく見えたまふ。
 「さてどんなものか、上の品と思う中でさえ難しい世の中なのに」と、源氏の君はお思いのようである。白いお召物で柔らかな物の上に、直衣だけを気楽な感じにお召しになって、紐なども結ばずに、物に寄り掛かっていらっしゃる灯影は、とても素晴らしく、女性として拝したいくらいだ。この源氏の君のおんためには、上の上の女性を選び出しても、猶も満足ではなさそうにお見受けされる。
 そんなに男の心を引く女がいるであろうか、上の品にはいるものらしい女の中にだって、そんな女はなかなか少ないものだと自分にはわかっているがと源氏は思っているらしい。柔らかい白い着物を重ねた上に、袴は着けずに直衣だけをおおように掛けて、からだを横にしている源氏は平生よりもまた美しくて、女性であったらどんなにきれいな人だろうと思われた。この人の相手には上の上の品の中から選んでも飽き足りないことであろうと見えた。
  "Ideya, kami-no-sina to omohu dani katage naru yo wo!" to, Kimi ha obosu besi. Siroki ohom-zo-domo no nayoraka naru ni, nahosi bakari wo sidokenaku ki-nasi tamahi te, himo nado mo uti-sute te, sohi-husi tamahe ru ohom-hokage, ito medetaku, womna nite mi tatematura mahosi. Kono ohom-tame ni ha kami ga kami wo eri-ide te mo, naho aku maziku miye tamahu.
1.3.12  さまざまの人の上どもを 語り合はせつつ
 さまざまな女性について議論し合っていって、
 「ただ世間の人として見れば無難でも、実際自分の妻にしようとすると、合格するものは見つからないものですよ。男だって官吏になって、お役所のお勤めというところまでは、だれもできますが、実際適所へ適材が行くということはむずかしいものですからね。しかしどんなに聡明な人でも一人や二人で政治はできないのですから、上官は下僚に助けられ、下僚は上に従って、多数の力で役所の仕事は済みますが、
  Sama-zama no hito-no-uhe-domo wo katari-ahase tutu,
1.3.13  「 おほかたの世につけて見るには咎なきも、わがものとうち頼むべきを選らむに、多かる中にも、 えなむ思ひ定むまじかりける男の朝廷に仕うまつり、はかばかしき 世のかためとなるべきも、まことの器ものとなるべきを取り出ださむには、かたかるべしかし。されど、賢しとても、一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば、 上は下に輔けられ、下は上になびきて、こと広きに譲ろふらむ
 「通り一遍の仲として付き合っているには欠点がなくい女でも、わが伴侶として信頼できる女性を選ぼうとするには、たくさんいる中でも、なかなか決め難いものですなあ。男性が朝廷にお仕えし、しっかりとした世の重鎮となるような方々の中でも、真の優れた政治家と言えるような人物を数え上げるとなると、難しいことでしょうよ。しかし、賢者と言っても、一人や二人で世の中の政治を執り行えるものではありませんから、上の人は下の者に助けられ、下の者は上の人に従って、政治の事は広いものですから互いに委ね合っていくのでしょう。
 一家の主婦にする人を選ぶのには、ぜひ備えさせねばならぬ資格がいろいろと幾つも必要なのです。これがよくてもそれには適しない。少しは譲歩してもまだなかなか思うような人はない。世間の多数の男も、いろいろな女の関係を作るのが趣味ではなくても、生涯の妻を捜す心で、できるなら一所懸命になって自分で妻の教育のやり直しをしたりなどする必要のない女はないかとだれも思うのでしょう。
  "Ohokata no yo ni tuke te miru ni ha toga naki mo, waga mono to uti-tanomu beki wo era m ni, ohokaru naka ni mo, e nam omohi-sadamu mazikari keru. Wonoko no ohoyake ni tukaumaturi, haka-bakasiki yo-no-katame to naru beki mo, makoto no utuha-mono to naru beki wo tori-idasa m ni ha, katakaru besi kasi. Saredo, kasikosi tote mo, hitori hutari yononaka wo maturi-goti siru beki nara ne ba, kami ha simo ni tasuke rare, simo ha kami ni nabiki te, koto hiroki ni yudurohu ram.
1.3.14   狭き家の内の主人とすべき人一人を思ひめぐらすに、足らはで悪しかるべき大事どもなむ、かたがた多かる。 とあればかかり、あふさきるさにてなのめにさてもありぬべき人の 少なきを、好き好きしき心のすさびにて、人のありさまをあまた見合はせむの好みならねど、ひとへに思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくは、わが力入りをし直しひきつくろふべき所なく、心にかなふやうにもやと、選りそめつる人の、定まりがたきなるべし。
 狭い家の中の主婦とすべき女性一人について思案すると、できないでは済まされないいくつもの大事が、こまごまと多くあります。ああ思えばこうであったり、何かと食い違って、不十分ながらにもまあまあやって行けるような女性が少ないので、浮気心の勢いのままに、世の女性の有様をたくさん見比べようとの好奇心ではないが、ひたすら伴侶としたいばかりに、同じことなら、自ら骨を折って直したり教えたりしなければならないような所がなく、気に入るような女性はいないものかと、選り好みしはじめた人が、なかなか相手が決まらないのでしょう。
 必ずしも理想に近い女ではなくても、結ばれた縁に引かれて、それと一生を共にする、そんなのはまじめな男に見え、また捨てられない女も世間体がよいことになります。しかし世間を見ると、そう都合よくはいっていませんよ。お二方のような貴公子にはまして対象になる女があるものですか。私などの気楽な階級の者の中にでも、これと打ち込んでいいのはありませんからね。
  Sebaki ihe no uti no aruzi to su beki hito hitori wo omohi-megurasu ni, taraha de asikaru beki daizi-domo nam, kata-gata ohokaru. Toareba-kakari, ahusa-kirusa ni te, nanome ni sate mo ari nu beki hito no sukunaki wo, suki-zukisiki kokoro no susabi ni te, hito no arisama wo amata mi-ahase m no konomi nara ne do, hitohe ni omohi sadamu beki yorube to su bakari ni, onaziku ha, waga tikara-iri wo si nahosi hiki-tukurohu beki tokoro naku, kokoro ni kanahu yau ni mo ya to, eri-some turu hito no, sadamari-gataki naru besi.
1.3.15  かならずしもわが思ふにかなはねど、 見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、さて、保たるる女のためも、 心にくく 推し量らるるなりされど、何か、世のありさまを見たまへ集むるままに、心に及ばずいとゆかしきこともなしや。 君達の上なき御選びには、まして、いかばかりの人かは 足らひたまはむ
 必ずしも自分の理想通りではないが、いったん見初めた前世の約束だけを破りがたく思い止まっている人は、誠実であると見え、そうして、一緒にいる女性のためにも、奥ゆかしいものがあるのだろうと自然と推量されるものです。しかし、なあに、世の中の夫婦の有様をたくさん拝見していくと、想像以上にたいして羨ましいと思われることもありませんよ。公達の最上流の奥方選びには、なおさらのこと、どれほどの女性がお似合いになりましょうか。
 見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には蘆手のような簡単な文章を上手に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけて置いて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して行って話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのですよ。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。
  Kanarazu-simo waga omohu ni kanaha ne do, mi-some turu tigiri bakari wo sute-gataku omohi tomaru hito ha, mono-mameyaka nari to miye, sate, tamota ruru womna no tame mo, kokoro-nikuku osihakara ruru nari. Saredo, nani ka, yo no arisama wo mi tamahe atumuru mama ni, kokoro ni oyoba zu ito yukasiki koto mo nasi ya! Kimdati no kami naki ohom-erabi ni ha, masite, ikabakari no hito kaha tarahi tamaha m.
1.3.16  容貌きたなげなく、 若やかなるほどの、おのがじしは塵もつかじと身をもてなし、文を書けど、おほどかに言選りをし、墨つきほのかに心もとなく 思はせつつ、またさやかにも見てしがなとすべなく待たせ、わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど、息の下にひき入れ 言少ななるが、いとよく もて隠すなりけり。なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、 とりなせば、あだめく。これをはじめの難とすべし。
 容貌がこぎれいで、若々しい年頃で、自分自身では塵もつけまいと身を振る舞い、手紙を書いても、おっとりと言葉選びをし、墨付きも淡く関心を持たせ持たせし、もう一度はっきりと見たいものだとじれったく待たせ、わずかばかりの声を聞く程度に言い寄っても、息を殺して声小さく言葉少ななのが、とてもよく欠点を隠すものですなあ。艶っぽくて女性的だと見えると、度を越して情趣にこだわって、調子を合わせると、浮わつきます。これを、第一の難点と言うべきでしょう。
 妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりもかまわないで、額髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。
  Katati kitanage naku, wakayaka naru hodo no, onogazisi ha tiri mo tuka zi to mi wo motenasi, humi wo kake do, ohodoka ni kotoeri wo si, sumi-tuki honoka ni kokoromotonaku omohase tutu, mata sayaka ni mo mi te si gana to subenaku mata se, waduka naru kowe kiku bakari ihiyore do, iki no sita ni hiki-ire koto-zukuna naru ga, ito yoku mote-kakusu nari keri. Nayobika ni womnasi to mire ba, amari nasake ni hiki-kome rare te, torinase ba, adameku. Kore wo hazime no nan to su besi.
1.3.17   事が中に、なのめなるまじき人の後見の方は、 もののあはれ知り過ぐし、はかなきついでの情けあり、をかしきに進める方なくてもよかるべしと 見えたるに、また、 まめまめしき筋を立てて耳はさみがちに美さうなき家刀自の、ひとへにうちとけたる後見 ばかりをして
 家事の中で、疎かにできない夫の世話という点では、物の情趣が度を過ごし、ちょっとした折の風情があり、趣味性に過度になるのはなくてもよいことだろうと思われますが、また一方で、家事一点張りで、額髪を耳挟みがちに飾り気のない主婦で、ひたすら世帯じみた世話だけをして。
 お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまりません。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いて見たい、こんなことを思っているとそとででも独笑が出ますし、一人で涙ぐまれもします。また自分のことでないことに公憤を起こしまして、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、けれども自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思うと、横を向いて一人で思い出し笑いをしたり、かわいそうなものだなどと独言を言うようになります。そんな時に何なんですかと突っ慳貧に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか。
  Koto ga naka ni, nanome naru maziki hito no usiromi no kata ha, mono no ahare siri sugusi, hakanaki tuide no nasake ari, wokasiki ni susume ru kata naku te mo yokaru besi to miye taru ni, mata, mame-mamesiki sudi wo tate te mimi hasami-gati ni bisau naki ihetouzi no, hitohe ni utitoke taru usiromi bakari wo si te.
1.3.18   朝夕の出で入りにつけても、公私の人のたたずまひ、善き悪しきことの、目にも耳にもとまるありさまを、 疎き人に、わざとうちまねばむやは近くて 見む人の聞きわき思ひ知るべからむに語りも合はせばやと、うちも笑まれ、涙もさしぐみ、もしは、あやなき おほやけ腹立たしく 、心ひとつに思ひあまること など多かるを、 何にかは聞かせむと思へば、うちそむかれて、人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、『あはれ』とも、 うち独りごたるるに、『何ごとぞ』など、あはつかにさし仰ぎ ゐたらむは、 いかがは口惜しからぬ
 朝夕の出勤や帰宅につけても、公事や私事での他人の振る舞いや、善いこと悪いことで、目にも耳にも止まった有様を、親しくもない他人にわざわざそっくり話して聞かせたりしましょうか。親しい妻で理解してくれそうな者とこそ語り合いたいものだと思われ、つい微笑まれたり、涙ぐんだり、あるいはまた、無性に公憤をおぼえたり、胸の内に収めておけないことが多くあるのを、理解のない妻に、何で聞かせようか、聞かせてもしかたがない、と思いますと、ついそっぽを向きたくなって、人知れない思い出し笑いがこみ上げ、『ああ』とも、つい独り言を洩らすと、『何事ですか』などと、間抜けた顔で見上げるようなのは、どうして残念に思われないでしょうか。
 ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものです。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものです。一緒にいる時は可憐さが不足を補って、それでも済むでしょうが、家を離れている時に用事を言ってやりましても何ができましょう。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできません。ですからそんなのもまただめです。平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあります」
  Asa-yuhu no ide-iri ni tuke te mo, ohoyake watakusi no hito no tatazumahi, yoki asiki koto no, me ni mo mimi ni mo tomaru arisama wo, utoki hito ni, wazato uti-maneba m ya ha. Tikaku te mi m hito no kiki-waki omohi-siru bekara m ni katari mo ahase baya to, uti mo wema re, namida mo sasigumi, mosi ha, ayanaki ohoyake haradatasiku, kokoro hitotu ni omohi-amaru koto nado ohokaru wo, nani ni ka ha kika se m to omohe ba, uti-somuka re te, hito sire nu omohi-ide-warahi mo se rare, 'Ahare' to mo, uti-hitori-gota ruru ni, 'Nani-goto zo?' nado, ahatuka ni sasi-ahugi wi tara m ha, ikaga ha kutiwosikara nu.
1.3.19   ただひたふるに子めきて柔らかならむ人を、とかくひきつくろひては などか見ざらむ。心もとなくとも、直し所ある心地すべし。げに、さし向ひて見むほどは、 さてもらうたき方に罪ゆるし見るべきを、立ち離れてさるべきことをも言ひやり、 をりふしにし出でむわざのあだ事にもまめ事にも、わが心と思ひ得ることなく深きいたりなからむは、いと口惜しく頼もしげなき咎や、なほ苦しからむ。常はすこしそばそばしく心づきなき人の、 をりふしにつけて出でばえするやうもありかし」
 ただひたすら子供っぽくて柔軟な女を、いろいろと教え諭してはどうして妻としないでいられようか。心配なようでも、きっと直し甲斐のある気持ちがするでしょう。なるほど、一緒に生活するぶんには、そんなふうでもかわいらしさに欠点も許され世話をしてやれようが、離れていては必要な用事などを言いやり、時節に行なうような事柄の風流事にも実用事などにも、自分では判断ができず深い思慮がないのは、まことに残念で頼りにならない欠点が、やはり困ったものでしょう。普段はちょっと無愛想で親しみの持てない女性が、何かの事に思わぬでき映えを発揮するようなこともありますからね」
 こんなふうな通な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深い歎息をした。
  Tada hitahuru ni ko-meki te yaharaka nara m hito wo, tokaku hiki-tukurohi te ha nado ka mi zara m. Kokoro-motonaku tomo, nahosi-dokoro aru kokoti su besi. Geni, sasi-mukahi te mi m hodo ha, satemo rautaki kata ni tumi yurusi miru beki wo, tati-hanare te saru-beki koto wo mo ihi-yari, worihusi ni si-ide m waza no ada-goto ni mo mame-goto ni mo, waga kokoro to omohi-uru koto naku hukaki itari nakara m ha, ito kutiwosiku tanomosige naki toga ya, naho kurusikara m. Tune ha sukosi soba-sobasiku kokoro-dukinaki hito no, worihusi ni tuke te ide-baye suru yau mo ari kasi."
1.3.20  など、 隈なきもの言ひも、定めかねていたくうち嘆く。
 などと、至らない所のない論客も、結論を出しかねて大きく溜息をつく。
  nado, kumanaki mono-ihi mo, sadame-kane te itaku uti-nageku.
注釈75なり上れども以下「多かりかし」まで、話者を(1)左馬頭とする説(講話・全書・対訳・対校・大系・評釈・全集・集成)と、(2)頭中将とする説(完訳・新大系・古典セレクション)がある。物語の経緯(左馬頭は今参上したばかり)、三階級説の提示と未説明部分を残すこと、話中の人物に対する身分意識(話者は身分のある人)などから、頭中将の三階級説として読んでみたい。1.3.1
注釈76時世に移ろひて時勢に流されて、の意。1.3.1
注釈77出でくるわざなめれば「なめれ」は「なるめれ」の「る」が撥音便化して「なんめれ」となり、さらに「ん」が無表記化された形。話者の断定と主観的推量のニュアンス。1.3.1
注釈78けしうはあらぬ悪くはない者を。すなわち相当によい者、かなりの者。1.3.2
注釈79なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの「なまじっかの上達部(三位)よりも非参議の四位連中で」という発言は、左馬頭などの発言としてはやや不遜な言い方になろう。頭中将なら許容されよう。1.3.2
注釈80はたなかめるままに副詞「はた」は、また、やはり、の意。「なかめる」は「なかるめる」が撥音便化して「ん」が無表記化した形。推量の助動詞「めり」は話者の主観的推量のニュアンスを表す。1.3.3
注釈81宮仕へに出で立ちて「宮仕へ」には、女房として出仕するというばかりでなく、帝の妃として仕えるという意もある。ここは後者の意。例えば、桐壺更衣の例などがある。1.3.3
注釈82など言へば以上の話者には敬語が付いていない。1.3.3
注釈83すべてにぎははしきによるべきななり源氏の間の手。「ななり」は「なるなり」(断定の助動詞+推量の助動詞)が撥音便化して「ん」が無無表記化した形。1.3.4
注釈84笑ひたまふを源氏の動作には「たまふ」という尊敬の補助動詞が付いて他の人々と区別される。1.3.4
注釈85異人の言はむように心得ず仰せらる頭中将の詞。源氏の君らしからぬ発言だ、という意。1.3.5
注釈86中将憎む頭中将には、敬語が付かない。他者と区別するときは、「中将」と明記している。1.3.5
注釈87元の品以下「捨てがたきものをば」まで、左馬頭の詞。『新大系』は「引き続き頭中将の言か。それとも左馬頭の言か。複数の発言からなる議論とも取れる」と注す。一般的には左馬頭の詞とする。1.3.6
注釈88さらにも言はず副詞「さらに」は舌の「ず」と呼応して、まったく--ない、の意。全然論外である。1.3.6
注釈89さるべきこととおぼえて「さる」は「すぐれたらむ」をさす。1.3.6
注釈90なにがしが及ぶべきほどならねば「なにがし」は、謙遜の自称。左馬頭の詞と知られる。1.3.6
注釈91葎の門『伊勢物語』『宇津保物語』などに、零落した人の家に意外に美しい女を見つけ出した話がある。それらをふまえる。1.3.7
注釈92いかではたかかりけむと「いかで--けむ」疑問表現の構文。「かかり」は、このような場所にこのような女性が、という内容をさす。「けむ」(過去推量の助動詞、「いかで」を受けて連体形)、どうして、このような場所にこのような素晴しい女性がいたのだろうと。1.3.7
注釈93思ひやりことなることなき閨の内に「思ひやり」は、よそから想像して、の意。格別すばらしいとも思われない家の奥に。1.3.8
注釈94いといたく思ひあがり「思ひあがり」は、気位が高い、誇り高い、の意で、貴族としては賞賛される態度。1.3.8
注釈95いかが思ひの外にをかしからざらむ「いかが--む」反語表現の構文。意外にも興味が惹かれる、の意。1.3.8
注釈96すぐれて疵なき方の選びにこそ「すぐれて」は、副詞「すぐれて」特に、とりわけ、ひときわ、の意と動詞「すぐれ」+接続助詞「て」、優れていて、の意と解せる。前者の意で解す。『新大系』は「正妻に決定する場合には及第しないにせよ、その程度の女としては、の意」と注す。1.3.9
注釈97さる方にて父親は老人で見苦しく太り過ぎ、兄弟も憎々しげな様子、思っても大したことのなさそうな家に、誇り高く暮らして、書、和歌、琴などの芸事なども雅趣ありげにこなし、生かじりの才能が窺える女性をさす。1.3.9
注釈98捨てがたきものをは「をは」は、間投助詞「を」+終助詞「は」、共に詠嘆の意を表す。捨てたものではないなあ、の意。「をば」を格助詞「を」目的格+係助詞「は」濁音化(動作の対象を取り立てて強調する意)と解すると、「捨てたものではない人をば」どうするのか、それを受ける語句がない。『古典セレクション』は「「を」は間投助詞で詠嘆、「は」は係助詞で感動を表す。「をは」として文末にあるときは詠嘆を表す」と注す(待井新一も同説)。1.3.9
注釈99わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにやとや心得らむ「わが」は式部丞をさす。式部丞の娘たちが結構な評判であるのを。「思ひてののたまふ」の主語は左馬頭。「に」(断定の助動詞)「や」(間投助詞、疑問)、下に「あらむ」などの語句が省略された形。式部丞の心中。「心得」の、左馬頭の動作を断定し疑問に思う主体者は、式部丞。左馬頭は思っておっしゃるのだろうかと式部丞は合点する。「と」(格助詞、引用)の下接の「や」(間投助詞、疑問)の疑問の主体は、語り手の疑問でる。「らむ」(推量の助動詞、視界外)の推量する主体者も、語り手。「--のであろう」。この文全体の最後は、語り手による登場人物式部丞の態度に対する推量が言い込められた表現で統括されている。1.3.10
注釈100いでや上の品と思ふにだに難げなる世をと君は思すべし「いでや」は「君」(源氏)の反発をこめた気持ちの発語。「思す」は「思ふ」の尊敬語。「べし」(推量の助動詞、推量)の推量する人は語り手。「確かに--と思っているようだ」のニュアンス。『首書源氏物語所引或抄』は「源氏の心を地より云なり」と指摘した。1.3.11
注釈101白き御衣どもの以下、源氏の服装や態度を描写する。1.3.11
注釈102なよらか明融臨模本では本文が「なよか」とあり、「ら」と「よ」がそれぞれ朱筆で左右行間に補入されている。右側に朱筆で補入された「ら」を採用した。1.3.11
注釈103しどけなく着なしたまひてわざとだらしなくお召しになって、の意。1.3.11
注釈104女にて見たてまつらまほし主語は一座の男たち。源氏を女性として拝見したい。源氏は中性的な容貌姿態をしていたのであろう。1.3.11
注釈105この御ためには源氏をさす。1.3.11
注釈106語り合はせつつ「語り合はす」は比較しながら議論する、意。接続助詞「つつ」は動作の反復の意。議論し合い議論し合いして、の意。1.3.12
注釈107おほかたの世につけて以下「出でばえするやうもありかし」まで、左馬頭の詞。理想的な女性は少ないことを説く。「世」は男女の仲、「見る」は男女の交りをする、結婚する、の意であるから、ここは、世間一般の男女の仲についていうのではなく、自分の身の上に、通り一遍の男と女の仲としての付き合っていくには、の意。1.3.13
注釈108えなむ思ひ定むまじかりける副詞「え」--打消推量の助動詞「まじかり」で不可能の意。係助詞「なむ」--過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。係結びの法則、強調のニュアンスを表す。1.3.13
注釈109男の朝廷に以下、男性官吏の国政の運営の難しさを例にあげて、やがて家政の運営の難しさへと進めていく論法である。1.3.13
注釈110世のかためとなるべきもまことの器ものとなるべき「--べき、--べき」という並立の文章表現である。「世の固め」は世の中を治めること。国家の柱石。男性官吏でも国家の柱石となり大器を見つけ出すのは難しいと、結論から述べる。1.3.13
注釈111上は下に輔けられ下は上になびきてこと広きに譲ろふらむ「広きに」の「に」は接続助詞、順接、原因理由を表す。広いので、の意。「譲ろふ」は「譲る」に「ひ」(接尾語)が付いて、反復継続の意を表す動詞。推量の助動詞「らむ」視界外推量のニュアンス。推量者は話者左馬頭。『評釈』は「十七条憲法」の「上行下靡」を指摘した。すなわち「三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。(中略)是以君言臣承。上行下靡」<三に曰く。詔を承りては必ず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。(中略)是を以て君言ふをば臣承る。上行ふときは下靡く>(訓読は『日本思想大系』による)。漢籍には、『論語』「顔淵」に「君子之徳風也、小人之徳草也。草尚之風必偃」<君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草は之の風を尚びて必ず偃す>、『説苑』「君道」に「上之化下、猶風靡草」<上の下を化するは、猶風の草を靡かすがごとし>などとある。1.3.13
注釈112狭き家の内以下、国政の運営に対して、家庭経営と女性について述べて行く。1.3.14
注釈113とあればかかりあふさきるさにて明融臨模本は「あふさきるさにて」に朱合点有り。『源氏釈』は「そゑにとてとすればかかりかくすればあないひしらずあふさきるさに」(古今集、俳諧、一〇六〇、読人しらず)を指摘した(ただし、第一句が「しかありと」または「しかあれは」とある)。『古今集』の本文は「とすればかかり」であるが、『源氏物語』の本文では「とあればかかり」とするものが多い。「あふさきるさ」は、一方が良ければ一方が悪いこと、行き違って物事がうまく行かないさま。1.3.14
注釈114なのめにさてもありぬべき【なのめにさても】−十分とは言えなくても、不十分ながらも、の意。
【さてもありぬべき】−「さ」は家庭の主婦として。「ぬ」(完了の助動詞、確述)+「べき」(推量の助動詞、可能)、家庭の主婦として必ずやって行けるだろう、のニュアンス。
1.3.14
注釈115少なきを接続助詞「を」原因理由を表す。--ので、の意。1.3.14
注釈116見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人「契り」は前世からの約束。後に登場する光る源氏の息子である夕霧がその典型的な人。1.3.15
注釈117推し量らるるなり「るる」自発の助動詞。「なり」断定の助動詞。自然と想像されるのです、の意。1.3.15
注釈118されど何か「何か」は下に係っていく語がない。よって、「何か」は感動詞、なんの、なあに、の意。「いやなあに、どうしてどうして。上のことを軽く打消し、反対のことを述べるときに用いる語」(待井新一)。1.3.15
注釈119君達のここでは、源氏や頭中将を念頭において言った表現である。1.3.15
注釈120足らひたまはむ推量の助動詞「む」連体形、推量の意。「いかばかりの人かは」と呼応して、疑問の意となる。反語とまではいえまい。1.3.15
注釈121若やかなるほどの格助詞「の」同格を表す。若々しい年頃で、の意。1.3.16
注釈122思はせつつ接続助詞「つつ」動作の反復・継続を表す。1.3.16
注釈123言少ななるが「少な」形容詞、語幹、断定の助動詞「なる」連体形。以上の文の主語となっている。1.3.16
注釈124もて隠すなりけり過去の助動詞「けり」詠嘆を表す。1.3.16
注釈125とりなせばあだめく「とりなせば」の主語は男、「あだめく」の主語は相手の女。相手の情趣に合わせて機嫌をとっていると、女はますます色っぽい態度をとるようになってくる、の意。1.3.16
注釈126事が中に妻の仕事の中で。1.3.17
注釈127もののあはれ知り過ぐし風流性に傾き過ぎるタイプの女性評。1.3.17
注釈128見えたるに接続助詞「に」逆接の意。1.3.17
注釈129まめまめしき筋を立てて家事一点張りのタイプの女性評。1.3.17
注釈130ばかりをしてこれを受ける述語がない。したがって、ここで文が切れる。こうした女も困ったものだ、の意が下に略されている。1.3.17
注釈131朝夕の出で入りにつけても以下、「まめまめしき筋を立てて耳はさみがちに美さうなき家刀自」の具体的な振る舞いの例。1.3.18
注釈132疎き人にわざとうちまねばむやは係助詞「やは」反語の意を表す。親しくない他人にわざわざそっくり話して聞かせようか、そのようなことはしない、親しい妻と思えばこそ聞かせようとするのだ、意。1.3.18
注釈133見む人妻をいう。1.3.18
注釈134おほやけ腹立たしく(1)「おほやけはらだたしき」(集成)、(2)「おほやけばら立たしき」(完訳)。「公腹立つ」の語例は、『枕草子』二六八段にある。その形容詞形の「公腹立たし」であるが、どう連濁するか判然としない。1.3.18
注釈135何にかは聞かせむ反語表現。「聞きわき思ひ知らぬ」妻であったら、の文意が省略されている。理解のない妻に、何で聞かせようか、聞かせてもしかたがない、の意。1.3.18
注釈136うち独りごたるるに「るる」自発の助動詞。接続助詞「に」順接の意。1.3.18
注釈137いかがは口惜しからぬ反語表現。どうして残念に思わないことがあろうか、そう思わずにはいられない、の意。以上、実務一点張りの妻の場合、家事や日常生活に埋没している妻の論。後に、夕霧の妻である雲居雁の例がこれに近い(「横笛」「夕霧」巻)。1.3.18
注釈138ただひたふるに子めきて『色葉字類抄』(院政期)には「ヒタフル」と清音である。以下、まだ型にはまっていない女性についての論。紫の上の例がこれに近いであろう。1.3.19
注釈139などか見ざらむ反語表現。「見る」は結婚する意。どうして結婚しないでいられようか、そうするのも悪くないことだ、の意。1.3.19
注釈140さてもらうたき方に連語「さても」の「さ」は「心もとなくとも」をさす。1.3.19
注釈141をりふし「時節 ヲリフシ」(『名義抄』)。1.3.19
注釈142隈なきもの言ひも『河海抄』は「思ふてふ人の心のくまごとに立ち隠れつつ見る由もがな」(古今集、俳諧、一〇三八、読人しらず)を指摘した。「隈なき」の語から連想される和歌である。1.3.20
出典3 とあればかかり、あふさきるさにて そゑにとてとすればかかりかくすればあないひ知らずあふさきるさに 古今集俳諧歌-一〇六〇 読人しらず 1.3.14
校訂4 うち うち--(/+うち) 1.3.6
校訂5 さびしく さびしく--(/+さ)ひしく 1.3.7
校訂6 思ふ 思ふ--おもしつ(しつ/$ふ<朱>) 1.3.11
校訂7 なよらか なよらか--なよ(よ/+ら<右>、+よ<左><朱>)か 1.3.11
校訂8 うち うち--そ(そ/$う)ち 1.3.11
校訂9 心にくく 心にくく--心にくし(し/=く<朱>) 1.3.15
校訂10 近くて 近くて--ちかえ(え/$く)て 1.3.18
校訂11 腹立たしく 腹立たしく--はら(はら/$)はらたゝしく 1.3.18
校訂12 など など--*なむと 1.3.18
校訂13 ゐたらむ ゐたらむ--ね(ね/ゐ<朱>)たらむ 1.3.18
1.4
第四段 女性論、左馬頭の結論


1-4  Sama-no-Kami's conclusion

1.4.1  「 今は、ただ、品にもよらじ。容貌をば さらにも言はじ。いと口惜しく ねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむ よるべをぞ、つひの頼み所には思ひおくべかりけるあまりのゆゑよし心ばせ うち添へたらむをば、よろこびに思ひ、すこし 後れたる方あらむをも、あながちに求め加へじ。うしろやすくのどけき 所だに強くは、うはべの情けは、おのづから もてつけつべきわざをや
 「今は、ただもう、家柄にもよりません。容貌はまったく問題ではありません。ひどく意に満たないひねくれた性格でさえなければ、ただひたすら実直で、落ち着いた心の様子がありそうな女性を、生涯の伴侶としては考え置くのがよいですね。余分な情趣を解する心や気立てのよさが加わっているようなのを、それを幸いと思い、少し足りないところがあるようなのも、無理に期待し要求するまい。安心できてのんびりとした性格さえはっきりしていれば、表面的な情趣は、自然と身に付けることができるものですからね。
 「ですからもう階級も何も言いません。容貌もどうでもいいとします。片よった性質でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思います。その上に少し見識でもあれば、満足して少しの欠点はあってもよいことにするのですね。安心のできる点が多ければ、趣味の教育などはあとからできるものですよ。
  "Ima ha, tada, sina ni mo yora zi. Katati wo ba sarani mo iha zi. Ito kutiwosiku nedike-gamasiki oboye dani naku ha, tada hitohe ni mono-mameyaka ni, siduka naru kokoro no omomuki nara m yorube wo zo, tuhi no tanomi-dokoro ni ha omohi-oku bekari keru. Amari no yuwe-yosi kokoro-base uti-sohe tara m wo ba, yorokobi ni omohi, sukosi okure taru kata ara m wo mo, anagati ni motome kuhahe zi. Usiro-yasuku nodokeki tokoro dani tuyoku ha, uhabe no nasake ha, onodukara mote-tuke tu beki waza wo ya.
1.4.2  艶に もの恥ぢして、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、心一つに思ひあまる時は、言はむかたなくすごき言の葉、あはれなる歌を詠みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどに はひ隠れぬるをり
 思わせぶりにはにかんで見せて、恨み言をいうべきことをも見知らないふうに我慢して、表面は何げなく平静を装い、胸に収めかね思いあまった時には、何とも言いようのないほどの恐ろしい言葉や、哀切な和歌を詠み残し、思い出になるにちがいない形見を残して、深い山里や、辺鄙な海浜などに姿を隠してしまう女がいます。
 上品ぶって、恨みを言わなければならぬ時も知らぬ顔で済ませて、表面は賢女らしくしていても、そんな人は苦しくなってしまうと、凄文句や身にしませる歌などを書いて、思い出してもらえる材料にそれを残して、遠い郊外とか、まったく世間と離れた海岸とかへ行ってしまいます。
  En ni mono-hadi si te, urami ihu beki koto wo mo mi-sira nu sama ni sinobi te, uhe ha turenaku misawo dukuri, kokoro-hitotu ni omohi-amaru toki ha, ihamkata-naku sugoki kotonoha, ahare naru uta wo yomi-oki, sinoba ru beki katami wo todome te, hukaki yamazato, yo-banare taru umidura nado ni hahi-kakure nuru wori.
1.4.3   童にはべりし時女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれに悲しく、心深きことかなと、 涙をさへなむ落としはべりし。今思ふには、いと軽々しく、ことさらびたることなり。心ざし深からむ男をおきて、 見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし、 心を見むとするほどに、長き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。『心深しや』など、ほめたてられて、あはれ進みぬれば、 やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどは、いと心澄めるやうにて、世に 返り見すべくも思へらず。『 いで、あな悲し。かくはた思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人来とぶらひ、ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落とせば、使ふ人、古御達など、『君の御心は、あはれなりけるものを。あたら御身を』など言ふ。みづから額髪をかきさぐりて、 あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、 折々ごとにえ念じえず、悔しきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと、見たまひつべし。 濁りにしめるほどよりも、なま浮かびにては 、かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる。絶えぬ宿世浅からで、尼にもなさで 尋ね取りたらむもやがてあひ添ひて、とあらむ折もかからむきざみをも、 見過ぐしたらむ仲こそ、契り深くあはれならめ、我も人も、うしろめたく 心おかれじやは
 子供でございましたころ、女房などが物語を読んでいたのを聞いて、とても気の毒に悲しく、何と深く思いつめたことかと、涙までを落としました。今から思うと、とても軽薄で、わざとらしいことです。愛情の深い夫を残して、たとえ目の前に薄情なことがあっても、夫の気持ちを分からないかのように姿をくらまして、夫を慌てさせ、本心を見ようとするうちに、一生の後悔となるのは、大変につまらないことです。『深い考えだ』などと、褒め立てられて、気持ちが昂じてしまうと、そのまま尼になってしまいますよ。思い立った当座は、まことに気持ちも悟ったようで、世俗の生活を振り返ってみようなどとは思わない。『まあ、何とおいたわしい。こうもご決心されたとは』などと言ったように、知り合いの人が見舞いに来たり、すっかり嫌だとも諦めてない夫が、聞きつけて涙を落とすと、召使いや、老女たちなどが、『殿のお気持ちは、愛情深かったのに。惜しいおん身を』などと言う。自分でも額髪を触って、手応えなく心細いので、泣顔になってしまう。堪えても涙がこぼれ出してしまうと、何かの時々には我慢もできず、後悔も多いようなので、仏もかえって未練がましいと、きっと御覧になるでしょう。濁世に染まっている間よりも、生悟りは、かえって悪道に堕ちさ迷うことになるに違いなく思われます。切っても切れない前世からの宿縁も浅くなく、尼にもさせず捜し出したような仲も、そのまま連れ添うことになって、あのような時にもこのような時にも、知らないふうにしているような夫婦仲こそ、宿縁も深く愛情も厚いと言えましょうに、自分も相手も、不安で自然と気をつかわずにいられましょうか。
 子供の時に女房などが小説を読んでいるのを聞いて、そんなふうの女主人公に同情したものでしてね、りっぱな態度だと涙までもこぼしたものです。今思うとそんな女のやり方は軽佻で、わざとらしい。自分を愛していた男を捨てて置いて、その際にちょっとした恨めしいことがあっても、男の愛を信じないように家を出たりなどして、無用の心配をかけて、そうして男をためそうとしているうちに取り返しのならぬはめに至ります。いやなことです。りっぱな態度だなどとほめたてられると、図に乗ってどうかすると尼なんかにもなります。その時はきたない未練は持たずに、すっかり恋愛を清算した気でいますが、まあ悲しい、こんなにまであきらめておしまいになってなどと、知った人が訪問して言い、真底から憎くはなっていない男が、それを聞いて泣いたという話などが聞こえてくると、召使や古い女房などが、殿様はあんなにあなたを思っていらっしゃいますのに、若いおからだを尼になどしておしまいになって惜しい。こんなことを言われる時、短くして後ろ梳きにしてしまった額髪に手が行って、心細い気になると自然に物思いをするようになります。忍んでももう涙を一度流せばあとは始終泣くことになります。御弟子になった上でこんなことでは仏様も末練をお憎みになるでしょう。俗であった時よりもそんな罪は深くて、かえって地獄へも落ちるように思われます。また夫婦の縁が切れずに、尼にはならずに、良人に連れもどされて来ても、自分を捨てて家出をした妻であることを良人に忘れてもらうことはむずかしいでしょう。悪くてもよくてもいっしょにいて、どんな時もこんな時も許し合って暮らすのがほんとうの夫婦でしょう。一度そんなことがあったあとでは真実の夫婦愛がかえってこないものです。
  Waraha ni haberi si toki, nyoubau nado no monogatari yomi si wo kiki te, ito ahare ni kanasiku, kokoro-hukaki koto kana to, namida wo sahe nam otosi haberi si. Ima omohu ni ha, ito karu-garusiku, kotosarabi taru koto nari. Kokorozasi hukakara m wotoko wo oki te, miru me no mahe ni turaki koto ari tomo, hito no kokoro wo mi-sira nu yau ni nige-kakure te, hito wo madohasi, kokoro wo mi m to suru hodo ni, nagaki yo no mono-omohi ni naru, ito adikinaki koto nari. 'Kokoro hukasi ya!' nado, home-tate rare te, ahare susumi nure ba, yagate ama ni nari nu kasi. Omohi-tatu hodo ha, ito kokoro sume ru yau ni te, yo ni kaherimi su beku mo omohe ra zu. 'Ide, ana kanasi! Kaku hata obosi nari ni keru yo!' nado yau ni, ahi-sire ru hito ki toburahi, hitasura ni usi to mo omohi-hanare nu wotoko, kiki-tuke te namida otose ba, tukahu hito, huru-gotati nado, 'Kimi no mi-kokoro ha, ahare nari keru mono wo! Atara ohom-mi wo!' nado ihu. Midukara hitahi-gami wo kaki-saguri te, ahenaku kokoro-bosokere ba, uti-hisomi nu kasi. Sinobure do namida kobore-some nure ba, wori-wori goto ni e nen-zi e zu, kuyasiki koto ohoka' meru ni, hotoke mo naka-naka kokoro-gitanasi to, mi tamahi tu besi. Nigori ni sime ru hodo yori mo, nama-ukabi nite ha, kaherite asiki miti ni mo tadayohi nu beku zo oboyuru. Taye nu sukuse asakara de, ama ni mo nasa de tadune tori tara m mo, yagate ahi-sohi te, to-ara m wori mo kakara m kizami wo mo, mi-sugusi tara m naka koso, tigiri hukaku ahare nara me, ware mo hito mo, usirometaku kokoro-oka re zi yaha!
1.4.4  また、なのめに移ろふ方 あらむ人を恨みて、 気色ばみ背かむはたをこがましかりなむ心は移ろふ方ありとも見そめし心ざしいとほしく思はばさる方のよすが思ひてもありぬべきにさやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。
 また、いいかげんに愛情も冷めてきたような夫を恨んで、態度に表わして離縁するようなのは、これまたばかげたことでしょう。愛情が他の女に移ることがあったとしても、結婚した当初の愛情をいとしく思うならば、そうした縁の伴侶と思っていることもきっとあるでしょうに、そのようなごたごたから、夫婦の仲まで切れてしまうのです。
 また男の愛がほんとうにさめている場合に家出をしたりすることは愚かですよ。恋はなくなっていても妻であるからと思っていっしょにいてくれた男から、これを機会に離縁を断行されることにもなります。
  Mata, nanome ni uturohu kata ara m hito wo urami te, kesikibami somuka m, hata wokogamasikari na m. Kokoro ha uturohu kata ari tomo, misome si kokorozasi itohosiku omoha ba, saru-kata no yosuga ni omohi te mo ari nu beki ni, sayau nara m tadiroki ni, taye nu beki waza nari.
1.4.5   すべて、よろずのことなだらかに、怨ずべきことをば見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多くは、 わが心も見る人からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも、心安くらうたきやうなれど、おのづから 軽き方にぞおぼえはべるかし 繋がぬ舟の浮きたる例も、 げにあやなし。さははべらぬか」
 総じて、どのようなことでも心穏やかに、嫉妬することは知っている様子にほのめかし、恨み言をいうべき場合にもかわいらしくそれとなく言えば、それによって、愛情も一段と増すことでしょう。一般に、自分の浮気心も妻の態度から収まりもするのです。あまりやたらに勝手にさせ放任しておくのも、気が楽でかわいらしいようだが、いつのまにか軽く見られるものです。繋がない舟の譬えもあり、なるほど思慮がない。そうではございませんか」
 なんでも穏やかに見て、男にほかの恋人ができた時にも、全然知らぬ顔はせずに感情を傷つけない程度の怨みを見せれば、それでまた愛を取り返すことにもなるものです。浮気な習慣は妻次第でなおっていくものです。あまりに男に自由を与えすぎる女も、男にとっては気楽で、その細君の心がけがかわいく思われそうでありますが、しかしそれもですね、ほんとうは感心のできかねる妻の態度です。つながれない船は浮き歩くということになるじゃありませんか、ねえ」
  Subete, yorodu no koto nadaraka ni, wen-zu beki koto wo ba mi-sire ru sama ni honomekasi, uramu bekara m husi wo mo nikukara zu kasume-nasa ba, sore ni tuke te, ahare mo masari nu besi. Ohoku ha, waga kokoro mo miru hito kara wosamari mo su besi. Amari muge ni uti-yurube mihanati taru mo, kokoro-yasuku rautaki yau nare do, onodukara karoki kata ni zo oboye haberu kasi. Tunaga nu hune no uki taru tamesi mo, geni ayanasi. Sa ha habera nu ka?"
1.4.6   と言へば中将うなづく
 と言うと、中将は頷く。
 中将はうなずいた。
  to ihe ba, Tyuuzyau unaduku.
1.4.7  「 さしあたりてをかしともあはれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ、大事なるべけれ。 わが心あやまちなくて見過ぐさばさし直してもなどか見ざらむとおぼえたれど、 それさしもあらじ。ともかくも、 違ふべきふしあらむを、のどやかに見忍ばむよりほかに、ますこと あるまじかりけり
 「今さし当たって、美しいとも気立てがよいとも思って気に入っているような男が、不安な疑いがあるのは重大でしょう。自分が乱心せずに大目に見てやっていたら、気持ちを変えて添い遂げないこともないだろうと思われますが、そうとばかりも言えまい。いずれにしても、夫婦仲がうまくいかないようことがあってもそれを、気長にじっと堪えているより以外に、良い手段はないようですな」
 「現在の恋人で、深い愛着を覚えていながらその女の愛に信用が持てないということはよくない。自身の愛さえ深ければ女のあやふやな心持ちも直して見せることができるはずだが、どうだろうかね。方法はほかにありませんよ。長い心で見ていくだけですね」
  "Sasiatari te, wokasi to mo ahare to mo kokoro ni ira m hito no, tanomosi-ge naki utagahi ara m koso, daizi naru bekere. Waga kokoro ayamati naku te mi-sugusa ba, sasi-nahosi te mo nadoka mi zara m to oboye tare do, sore sasimo ara zi. Tomo-kakumo, tagahu beki husi ara m wo, nodoyaka ni mi-sinoba m yori hoka ni, masu koto aru mazikari keri."
1.4.8  と言ひて、 わが妹の姫君は、 この定めにかなひたまへりと思へば、 君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬを、さうざうしく 心やましと思ふ。馬頭、物定めの博士になりて、 ひひらきゐたり。中将は、このことわり聞き果てむと、心入れて、 あへしらひゐたまへり
 と言って、自分の妹の姫君は、この結論に当てはまっていらっしゃると思うと、源氏の君が居眠りをして意見をさし挟みなさらないのを、物足りなく不満に思う。左馬頭がこの評定の博士になって、さらに弁じ立てていた。頭中将は、この弁論を最後まで聴こうと、熱心になって、受け答えしていらっしゃった。
 と頭中将は言って、自分の妹と源氏の中はこれに当たっているはずだと思うのに、源氏が目を閉じたままで何も言わぬのを、物足らずも口惜しくも思った。左馬頭は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしきりに相槌を打っているのであった。
  to ihi te, waga imouto no Hime-Gimi ha, kono sadame ni kanahi tamahe ri to omohe ba, Kimi no uti-neburi te, kotoba maze tamaha nu wo, sau-zausiku kokoro-yamasi to omohu. Muma-no-Kami, mono sadame no hakase ni nari te, hihiraki wi tari. Tyuuzyau ha, kono kotowari kiki-hate m to, kokoro ire te, ahesirahi wi tamahe ri.
1.4.9  「 よろづのことによそへて思せ。 木の道の匠のよろづの物を心にまかせて 作り出だすも 臨時のもてあそび物の、その物と 跡も定まらぬはそばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目 移りてをかしきもあり。大事として、まことに うるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なく し出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる。
 「いろいろのことに引き比べてお考えくだされ。木工の道の匠がいろいろの物を思いのままに作り出すのも、その場限りの趣向の物で、そうした型ときまりのないものは、見た目には洒落ているのも、なるほどこういうふうにも作るのだと、時々に従って趣向を変えて、目新しいのに目が移って趣のあるものもあります。重大な物として、本当にれっきとした人の調度類で装飾とする、一定の様式というようなのがあるものを立派に作り上げることは、やはり本当の名人は、違ったものだと見分けられるものでございます。
 「まあほかのことにして考えてごらんなさい。指物師がいろいろな製作をしましても、一時的な飾り物で、決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われますが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を上手にこしらえ上げるのは名人でなければできないことです。
  "Yorodu no koto ni yosohe te obose. Ki no miti no takumi no yorodu no mono wo kokoro ni makase te tukuri-idasu mo, rinzi no mote-asobi mono no, sono mono to ato mo sadamara nu ha, soba-tuki sare-bami taru mo, geni kau mo si tu bekari keri to, toki ni tuke tutu sama wo kahe te, imamekasiki ni me uturi te wokasiki mo ari. Daizi to si te, makoto ni uruhasiki hito no teudo no kazari to suru, sadamare ru yau aru mono wo nan naku si-iduru koto nam, naho makoto no mono-no-zyauzu ha, sama koto ni miye-wakare haberu.
1.4.10  また 絵所に上手多かれど、 墨がきに選ばれて次々にさらに劣りまさるけぢめ、ふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる の姿、唐国のはげしき獣の形、 目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、 さてありぬべし
 また、画工司に名人が多くいますが、墨描きに選ばれて、順々に見るとまったく優劣の判断は、ちょっと見ただけではつきません。けれども、人の見ることもできない蓬莱山や、荒海の恐ろしい魚の形や、唐国の猛々しい獣の形や、目に見えない鬼の顔などで、仰々しく描いた物は、想像のままに格別に目を驚かして、実物には似ていないでしょうが、それはそれでよいでしょう。
 また絵所に幾人も画家がいますが、席上の絵の描き手に選ばれておおぜいで出ます時は、どれがよいのか悪いのかちょっとわかりませんが、非写実的な蓬莱山とか、荒海の大魚とか、唐にしかいない恐ろしい獣の形とかを描く人は、勝手ほうだいに誇張したもので人を驚かせて、それは実際に遠くてもそれで通ります。
  Mata we-dokoro ni zyauzu ohokare do, sumi-gaki ni eraba re te, tugi-tugi ni sarani otori masaru kedime, huto simo miye wakare zu. Kakaredo, hito no mi oyoba nu Hourai-no-yama, ara-umi no ikare ru iwo no sugata, Karakuni no hagesiki kedamono no katati, me ni miye nu oni no kaho nado no, odoro-odorosiku tukuri taru mono ha, kokoro ni makase te hitokiha me odorokasi te, ziti ni ha ni zara me do, sate ari nu besi.
1.4.11   世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家居ありさま、 げにと見え、なつかしくやはらいだる方などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山の景色、木深く世離れて畳みなし、 け近き籬の内をば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいと勢ひことに、悪ろ者は及ばぬ所多かめる。
 どこでも見かける山の姿や、川の流れや、見なれた人家の様子は、なるほどそれらしいと見えて、親しみやすくおだやかな方面などを心落ち着いた感じに配して、険しくない山の風景や、こんもりと俗塵を離れて幾重にも重ねたり、近くの垣根の中については、それぞれの心配りや配置などを、名人は大変に筆力も格別で、未熟な者は及ばない点が多いようです。
 普通の山の姿とか、水の流れとか、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を写生的におもしろく混ぜて描き、われわれの近くにあるあまり高くない山を描き、木をたくさん描き、静寂な趣を出したり、あるいは人の住む邸の中を忠実に描くような時に上手と下手の差がよくわかるものです。
  Yo no tune no yama no tatazumahi, midu no nagare, me ni tikaki hito no ihewi arisama, geni to miye, natukasiku yaharaidaru kata nado wo siduka ni kaki maze te, sukuyoka nara nu yama no kesiki, ko-bukaku yo-banare te tatami-nasi, ke-dikaki magaki no uti wo ba, sono kokoro sirahi okite nado wo nam, zyauzu ha ito ikihohi koto ni, waro-mono ha oyoba nu tokoro ohoka' meru.
1.4.12   手を書きたるにも、深きことはなくて、 ここかしこの点長に走り書き、そこはかとなく 気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに 書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたび とり並べて見れば、なほ 実になむよりける
 文字を書いたものでも、深い素養はなくて、あちらこちらが、点長にしゃれた走り書きをし、どことなく気取っているようなのは、ちょっと見ると才気がありひとかどのように見えますが、やはり正当の書法を丹念に習得しているものは、表面的な筆法は隠れていますが、もう一度取り比べて見ると、やはり本物の方に心が惹き付けられるものですな。
 字でもそうです。深味がなくて、あちこちの線を長く引いたりするのに技巧を用いたものは、ちょっと見がおもしろいようでも、それと比べてまじめに丁寧に書いた字で見栄えのせぬものも、二度目によく比べて見れば技巧だけで書いた字よりもよく見えるものです。
   Te wo kaki taru ni mo, hukaki koto ha naku te, koko-kasiko no, ten-naga ni hasiri-kaki, sokohakatonaku kesikibame ru ha, uti-miru ni kado-kadosiku kesikidati tare do, naho makoto no sudi wo komayaka ni kaki e taru ha, uhabe no hude kiye te miyure do, ima hito-tabi tori narabe te mire ba, naho ziti ni nam yori keru.
1.4.13   はかなきことだにかくこそはべれまして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば、 え頼むまじく思うたまへ得てはべるそのはじめのこと、好き好きしくとも申しはべらむ
 つまらない芸事でさえこうでございます。まして人の気持ちの、折々に様子ぶっているような見た目の愛情は、信用がおけないものと存じております。その最初の例を、好色がましいお話ですが申し上げましょう」
 ちょっとしたことでもそうなんです、まして人間の問題ですから、技巧でおもしろく思わせるような人には永久の愛が持てないと私は決めています。好色がましい多情な男にお思いになるかもしれませんが、以前のことを少しお話しいたしましょう」
  Hakanaki koto dani kaku koso habere. Masite hito no kokoro no, toki ni atari te kesikibame ra m miru me no nasake wo ba, e tanomu maziku omou tamahe e te haberu. Sono hazime no koto, suki-zukisiku to mo mausi habera m."
1.4.14   とて、近くゐ寄れば君も目覚ましたまふ中将いみじく信じて、頬杖をつきて向かひゐたまへり。 法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、 かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける
 と言って、にじり寄るので、源氏の君も目をお覚ましになる。中将はひどく本気になって、頬杖をついて向かい合いに座っていらっしゃる。法師が世の中の道理を説いて聞かせているような所の感じがするのも、もう一方ではおもしろいが、このような折には、それぞれがうちとけたお話などを隠しておくことができないのであった。
 と言って、左馬頭は膝を進めた。源氏も目をさまして聞いていた。中将は左馬頭の見方を尊重するというふうを見せて、頬杖をついて正面から相手を見ていた。坊様が過去未来の道理を説法する席のようで、おかしくないこともないのであるが、この機会に各自の恋の秘密を持ち出されることになった。
  tote, tikaku wi yore ba, Kimi mo me samasi tamahu. Tyuuzyau imiziku sin-zi te, tura-due wo tuki te, mukahi wi tamahe ri. Nori-no-si no yo no kotowari toki kikase m tokoro no kokoti suru mo, katu ha wokasikere do, kakaru tuide ha, ono-ono mutugoto mo e sinobi todome zu nam ari keru.
注釈143今はただ以下「さははべらぬか」まで、左馬頭の詞。夫婦間の寛容と知性を説く。1.4.1
注釈144さらにも言はじ副詞「さらに」--打消推量の助動詞「じ」、決して--ない、少しも--ない、の意を表す。1.4.1
注釈145ねぢけがましきおぼえだになくは副助詞「だに」は下に打消しの語を伴って、最低限・最小限のニュアンスを添える。「なくは」(形容詞、連用形+係助詞「は」)は仮定条件を表す。「--さえなければ」の意。『河海抄』は「奈良山の児の手柏のふたおもてとににもかくにもねぢけ人かも」(古今六帖六、かしは、四三〇三)を指摘した。「ねぢけ」の語から連想される和歌である。1.4.1
注釈146よるべをぞつひの頼み所には思ひおくべかりける係助詞「ぞ」は「べかりける」(推量の助動詞「べし」当然の意、連用形+過去の助動詞「けり」連体形、詠嘆の意)に係る。1.4.1
注釈147あまりのゆゑよし心ばせ「あまり」は余分の意。「ゆゑ」は教養・趣味の意。「よし」は情趣・風情の意。「ゆゑよし」は趣きを解する洗練された様子、奥ゆかしいさま。「心ばせ」の語に関して、青表紙本系の池田本、伝冷泉為秀本、三条西家本、別本群の陽明文庫本は「心はえ」とする。「心ばせ」は、機知、機転、気づかい、気立て、といったニュアンスが強い。「心ばへ」は、性質、心づかい、趣向、趣味、といったニュアンスが強い。1.4.1
注釈148うち添へたらむをば推量の助動詞「む」連体形、仮定・婉曲の意味。下に「女」などの語が省略されている。格助詞「を」目的格+係助詞「は」濁音化した形、動作の対象を取り立てて強調するニュアンスを表す。加わっているような女をば、の意。「よろこびに思ひ」に係る。1.4.1
注釈149後れたる方あらむをも推量の助動詞「む」仮定・婉曲の意味。少し劣っている方面があるようでも、の意。係助詞「も」は同類を表す。「求め加へじ」に係る。1.4.1
注釈150所だに強くは副助詞「だに」は最低限・最小限の希望ぼ意を表す。「強く」(連用形)+係助詞「は」仮定条件を表す。「おのづからもてつけつべき」に係る。1.4.1
注釈151もてつけつべきわざをや「もてつけ」+「つ」(完了の助動詞、確述)+「べき」(推量の助動詞、可能)+「わざ」+「をや」(間投助詞+終助詞、詠嘆、強い感動の意を表す)。身に付けることがきっとできるものだからな、の意。1.4.1
注釈152はひ隠れぬるをり完了の助動詞「ぬる」連体形のと動詞「をり」の間に「女」などの語が省略されている。青表紙本系の明融臨模本、松浦本、池田本、伝冷泉為秀本は「はひかくれぬるおり」とあり、一方、大島本は「はひかくれぬるおりかし」とあり、三条西家本や書陵部本、河内本系は「はひかくれぬるかし」とある。別本群の陽明文庫本は「はひかくれぬるをり」、国冬本は「はひかくれぬるを」とある。ただ、明融臨模本には「ぬる」と「おり」との間の右傍らに墨筆で「かし」とあり、早くから本文の混乱があったようである。1.4.2
注釈153童にはべりし時「はべり」は自動詞ラ変活用。丁寧語。過去の助動詞「し」(「き」連体形)は、自らの体験を表す。以下、左馬頭の子供のころの体験談。1.4.3
注釈154女房などの物語読みしを聞きて国宝『源氏物語絵巻』「東屋」第一段に、一人の女房が物語を読み上げているのを、浮舟は絵を見ながら、また中君は髪を梳かせながら、周囲の女房らとともに聞いている様子が描かれている。1.4.3
注釈155涙をさへ副助詞「さへ」は添加の意を表す。1.4.3
注釈156見る目の前につらきことありとも挿入句として置かれている。接続助詞「とも」は仮定条件を表す。たとえ--ても、の意。1.4.3
注釈157心を見むとするほどに下に、夫婦の縁が切れて、の意が省略されている。1.4.3
注釈158やがて尼になりぬかし副詞「やがて」は、そのままの意。「ぬかし」(完了の助動詞「ぬ」確述+終助詞「かし」念押し)1.4.3
注釈159返り見すべくも思へらず係助詞「も」強調の意。「思へらず」に係る。「思へ」已然形+完了の助動詞「ら」未然形+打消の助動詞「ず」。1.4.3
注釈160いであな悲しかくはた思しなりにけるよ知り合いの人の同情したことば。1.4.3
注釈161あへなく心細ければ尼削ぎして髪が短くなっているので。1.4.3
注釈162折々ごとにえ念じえず副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。「念ず」は堪える、我慢する、意。1.4.3
注釈163濁りにしめるほどよりもなま浮かびにては明融臨模本は「にこりに」に朱合点有り。『源氏釈』は「はちす葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(古今集、夏、一六五、僧正遍正)を指摘した。生半可な悟りようではかえって悪道に堕ちることになる、の意。光る源氏(作者紫式部のと言ってもよい)の出家観は「御法」巻(第一章一段)に語られている。1.4.3
注釈164尋ね取りたらむも推量の助動詞「む」仮定・婉曲の意。係助詞「も」は「契り深くあはれならめ」に係る。1.4.3
注釈165やがて青表紙本系の大島本と別本群の国冬本には、この語の次に「そのおもひいてうらめしきふしあらんやあしくもよくも」(その時の思い出に恨めしいことがあるのだろうか、良くも悪くも)の句がある。1.4.3
注釈166見過ぐしたらむ仲こそ係助詞「こそ」は「契り深くあはれならめ」に係る。推量の助動詞「め」已然形、下文に続く逆接用法。下の文との間に、それにも関わらず家出したりすると、の意が省略されている。1.4.3
注釈167心おかれじやは自発の助動詞「れ」未然形、打消推量の助動詞「じ」終止形、係助詞「やは」反語の意。自然と気をつかわずにいられましょうか、気をつかわずにはいられません、の意。また、自然と気まずくならないでしょうか、気まずくならずにはいられません、の意。1.4.3
注釈168気色ばみ背かむ推量の助動詞「む」連体形、仮定・婉曲の意。下に「ことは」などの語句が省略されている。1.4.4
注釈169はたをこがましかりなむ副詞「はた」は、「ある一面についを認めながら、それとは別の一面について述べる語」(小学館古語大辞典)の用法。それはそれとしてまた、の意。完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」推量の意。1.4.4
注釈170心は移ろふ方ありとも接続助詞「とも」は、動詞の終止形に接続して逆接の仮定条件を表す。--があったとしても、の意。1.4.4
注釈171見そめし心ざしいとほしく思はば接続助詞「ば」は未然形の下に接続して仮定条件を表す。1.4.4
注釈172さる方のよすが「さる方」は「見そめし心ざし」をさす。1.4.4
注釈173思ひてもありぬべきに係助詞「も」強調の意、「ありぬべき」に係る。完了の助動詞「ぬ」確述の意、推量の助動詞「べき」当然の意、接続助詞「に」逆接の意を表す。きっとあるでしょうに、の意。1.4.4
注釈174さやうならむたぢろきに「さやうならむ」は「人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし」や「あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬ」、「移ろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ」など、女の態度をさす。1.4.4
注釈175すべて、よろずのこと以下、左馬頭の結論。夫の浮気に対する妻の賢い身の処し方が述べられる。1.4.5
注釈176わが心も見る人から「わが心」は夫の浮気心、「見る人」は妻をさす。1.4.5
注釈177軽き方にぞおぼえはべるかし妻が軽く見られる、意。1.4.5
注釈178繋がぬ舟の浮きたる例明融臨模本は「つなかぬふねの」に朱合点有り。『源氏釈』は「観身岸額離根草論命江頭不繋船」(和漢朗詠集、無常、七九〇 、羅維)を指摘。なお、『文選』に「泛乎若不繋之船」(巻十三)、『荘子』に「汎若不繋之舟」(列禦寇)ともある。1.4.5
注釈179げにあやなし副詞「げに」は「繋がぬ舟の浮きたる例」を受ける。なるほど繋がない舟の喩えどおり、の意。1.4.5
注釈180と言へば主語は左馬頭。敬語は使われない。1.4.6
注釈181中将うなづく頭中将の納得する様子。1.4.6
注釈182さしあたりて以下「あるまじかりけり」まで、頭中将の詞、寛大さと忍耐が大切と理解する。1.4.7
注釈183をかしともあはれとも心に入らむ人夫とも妻ともとれる。両説ある。「「人」は妻。通説は夫」(古典セレクション)。『集成』も「女」説。『新大系』は「男」説。いま、夫の方に浮気をしているような疑いがある場合と解釈して読む。暗に「夫」を妹の夫である源氏のこととして読むと、下の頭中将の「わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば」や源氏にとって耳の痛い話なので「君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬ」ことによく整合する。1.4.7
注釈184わが心あやまちなくて見過ぐさば妻が夫の浮気の疑いに取り乱したり乱心したりせずに、知らないふりする、の意と解す。1.4.7
注釈185さし直してもなどか見ざらむ主語は妻。「さし直す」は、気持ちを入れ直すこと。「など」(副詞)+「か」(係助詞、反語)、「む」(推量の助動詞、推量)に係る。どうしてか、心を入れ変えて添い遂げることがないだろうか、きっと添い遂げるだろう、の意。1.4.7
注釈186それさしもあらじ「それ」は「などか見ざらむ」をさす。副詞「さしも」は打消・反語の表現を伴って、そうとばかり、そのようには、の意を表す。打消推量の助動詞「じ」終止形、推量の意。1.4.7
注釈187違ふべきふしあらむを推量の助動詞「む」連体形、仮定・婉曲の意。格助詞「を」目的格を表す。1.4.7
注釈188あるまじかりけりラ変動詞「ある」連体形+打消推量の助動詞「まじかり」連用形+過去の助動詞「けり」詠嘆の意。ないようですなあ。1.4.7
注釈189わが妹の姫君頭中将の妹、葵の上をさす。源氏の妻である。1.4.8
注釈190この定めにかなひたまへり「たまへ」尊敬の補助動詞。自分の妹ではあるが、源氏の妻であるため敬語を用いている。多少嫉妬し忍耐と寛容をもっていること。1.4.8
注釈191君のうちねぶりて源氏は議論に退屈して居眠りしたふりをしているが、実は源氏夫婦に当てはまる耳の痛い話なので寝たふりをしている。1.4.8
注釈192心やましと思ふ主語は頭中将。1.4.8
注釈193ひひらき「囀 サヘヅル カマビスシ ヒヒラク」(『名義抄』)。清音である。1.4.8
注釈194あへしらひゐたまへり尊敬の補助動詞「たまへ」は頭中将の態度・動作に対する敬語。1.4.8
注釈195よろづのことによそへて以下「申しはべらむ」まで、左馬頭の詞、芸道の技に喩える。1.4.9
注釈196木の道の匠指物師。木製の家具調度類を作る職人。1.4.9
注釈197作り出だすも係助詞「も」は「をかしきもあり」に係る。1.4.9
注釈198臨時のもてあそび物の「もてあそび物の」の格助詞「の」同格を表す。--で、の意。1.4.9
注釈199跡も定まらぬは係助詞「は」は「そばつきさればみたる」に係る。1.4.9
注釈200そばつきさればみたるも係助詞「も」は「かうもしつべかりけり」に係る。1.4.9
注釈201うるはしき人の調度の飾りとする「人の」の格助詞「の」所有格、「調度の」の格助詞「の」同格。「--飾りとする」は下に「物を」が省略されている。次の「定まれるやうある物」と並列。「難なくし出づる」に続く。1.4.9
注釈202し出づることなむ係助詞「なむ」は「見え分かれはべる」(連体形)に係る。1.4.9
注釈203絵所宮中の絵画を扱う役所。令制の画工司。1.4.10
注釈204墨がきに選ばれて墨で構図などの下絵を描く人。集団で製作する時の中心的役割をする人。彩色などは弟子が行った。なお『新大系』では「選はれて」と清音表記。『岩波古語辞典』では「えらひ」<金光明最勝王経 平安初期点>の用例を挙げ、「奈良時代にハ行の活用をした動詞は、オモヒ(思)のように、平安中期以後ワ行に発音するのが普通だったが、シノヒ(偲)がシノビと変化したように、稀にバ行に発音したものがある。エラビもその一つ」と指摘する。1.4.10
注釈205次々にさらに「次々に」の下に「見るに」または「書くに」などの語句が省略されている。副詞「さらに」は「見え分かれず」に係る。打消の助動詞「ず」と呼応して、全然--ない、の意を表す。1.4.10
注釈206「魚、ウヲ、俗云、イヲ」(『名義抄』)、「魚、宇乎<ウヲ>、俗云、伊遠<イヲ>」(『和名抄』)。1.4.10
注釈207目に見えぬ鬼の顔などの「顔などの」の格助詞「の」同格を表す。鬼の顔などで、の意。『古今和歌集』仮名序の「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」の表現を下に敷く。1.4.10
注釈208さてありぬべし唐絵は唐絵としてそれで結構でしょう、の意。1.4.10
注釈209世の常の山のたたずまひ以下、倭絵について論じる。神護寺蔵の国宝「山水屏風」が参考になる。1.4.11
注釈210げにと見えなるほど、見慣れた風景らしいと見えて、の意。1.4.11
注釈211け近き籬の内をば『完訳』は「下に「描くに」ぐらいを補う」と指摘。この語句は、「上手は」と「悪ろ者は」に係る。1.4.11
注釈212手を書きたるにも以下、書道について論じる。1.4.12
注釈213ここかしこの格助詞「の」主格を表す、あちらこちらが、の意。「気色ばめるは」に続く。1.4.12
注釈214点長に走り書き挿入句。点を続けるような感じに筆を走らせて書く気取った書き方。1.4.12
注釈215気色ばめるは係助詞「は」は「気色だちたれど」に係る。1.4.12
注釈216書き得たるは係助詞「は」は「消えて見ゆれど」に係る。1.4.12
注釈217とり並べて見れば接続助詞「ば」は已然形に付いて順接の確定条件を表す。1.4.12
注釈218実になむよりける係助詞「なむ」、過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。係結びの法則、強調のニュアンスを添える。本物が良いものですなあ、の意。1.4.12
注釈219はかなきことだにかくこそはべれ「だに---まして」の構文。副助詞「だに」は最低限、限定を表し、--でさえ、の意。結論へと導く。係助詞「こそ」「はべれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。1.4.13
注釈220まして人の心の「心の」の格助詞「の」は同格を表す。「見る目の情けをば」と共に「え頼むまじく思うたまへ得てはべる」に続く。1.4.13
注釈221え頼むまじく思うたまへ得てはべる副詞「え」は打消推量の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。「思う」は「思ひ」連用形のウ音便形。「たまへ」下二段活用の謙譲の補助動詞。丁寧語「はべる」連体形、連体中止法。含みをもたせた余情的表現。1.4.13
注釈222そのはじめのこと好き好きしくとも申しはべらむ以上、左馬頭の芸能に喩えた論。以下、体験談に移る。「そのはじめのこと」は、女性を知り始めたころのこと。1.4.13
注釈223とて近くゐ寄れば左馬頭がにじり寄るので。興味深々の話をしようという態度。1.4.14
注釈224君も目覚ましたまふ源氏の君も目をお覚ましになる。再び興味をもって聞こうとする。1.4.14
注釈225中将いみじく信じて頭中将はひどく本気になって。1.4.14
注釈226法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するも法師が説法をしている所の気がするのも。『花鳥余情』は、雨夜品定めの段の構成を『法華経』の三周説法による、と指摘する。すなわち、「法説一周」(方便品)、上根の者に直接仏の教えを説く。「ますことあるまじかりけり」まで、女性論の結論を述べる。次に「譬説一周」(譬喩品から薬草喩品)、中根の者に譬えをもって仏の教えを説く。「よろづのことによそへて思せ」以下「え頼むまじく思うたまへてはべる」まで、芸能の譬えをもって論じたところ。最後に「因縁説一周」(化城喩品)、下根の者に過去の因縁をもって仏の教えを説く。「そのはじめのこと好き好きしくとも申しはべらむ」以下に語られる体験談がそれに当る。1.4.14
注釈227かかるついではおのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける語り手の評言。1.4.14
出典4 濁りにしめるほどよりも 蓮葉の濁りにしまぬ心もてなにかは露を玉と欺く 古今集夏-一九五 僧正遍昭 1.4.3
出典5 繋がぬ舟の浮きたる例も 観身岸額離根草 論命江頭不繋舟 和漢朗詠集下-七九〇 羅維 1.4.5
校訂14 もの恥ぢ もの恥ぢ--物はかり(かり/ち<朱>) 1.4.2
校訂15 あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方 あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方--(/+あらむ人をうらみてけしきはみそむかんはたをこかまし/+かりなん心はうつろふ方<朱>) 1.4.4
校訂16 出だす 出だす--い(い/+た)す 1.4.9
校訂17 移りて 移りて--うつも(も/=り<朱>)て 1.4.9
Last updated 6/25/2003
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-4-1)
Last updated 6/25/2003
渋谷栄一注釈(C)(ver.1-3-1)
Last updated 6/25/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-4-1)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2003年8月14日

Last updated 6/25/2003
Written in Japnese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-5-1)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって10/12/2005に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.06: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経